序 「不思議な店」
久々に出るキャラの苗字など忘れた!ということもあるかもと思い、
登場人物のまとめを登場順に書きました。
三木コウキ……別の時間軸の過去に戻る薬を飲んだ男。小学六年生からやり直す。
桑野奈々……コウキと同じ六年四組。
吉田里保……コウキが五年生の時のクラスメイト。
中村智美……コウキが五年生の時のクラスメイト。
森屋亜衣……コウキと同じ六年四組。
福田喜美子……コウキと同じ六年四組。
健……コウキと同じ六年四組。
元気……コウキと同じ六年四組。
洋子……いじめられているところを助けた二学年下の女の子。
拓也……コウキの友人。
大村美奈……コウキと同じ六年四組。
橘萌……吹奏楽部の仲間。チューバパート。
深川陽介……吹奏楽部の仲間。クラリネットパート。
亮……コウキのクラスメイト。
直哉……コウキのクラスメイト。
由美……コウキのクラスメイト。
沙知……コウキのクラスメイト。
史……吹奏楽部の後輩。打楽器パート。
文……吹奏楽部の後輩。打楽器パート。
華……吹奏楽部の後輩。トランペットパート。智美の妹。
茜……吹奏楽部の後輩。クラリネットパート。里保の妹。
今の人生を捨てて、もう一度過去からやり直せるとしたら、どうするだろうか?
時々、そんなことを考える。
馬鹿らしい妄想かもしれないが、誰にだってあるだろう。
やり直したいあの時、ああすればよかったと後悔する場面。
三木コウキにも、そんな場面はたくさんあった。
今でも、ああすればこうすればと思い返すが、どうにもならない事は分かっているから、諦めて、また日常に埋もれていく。そうして、コウキは生きてきた。
別に、今の日常に不満があるわけではない。
ただ、何となく、そういう気分になる時があるのだ。
会社の休みで、電車を使って、久々に名古屋に来ていた。
名古屋の栄や大須の辺りは、大通りが賑わっているしメディアでもよく取り上げられるが、実は路地にもちらほらと店が立ち並んでいる。
そういうところに、意外な面白い店があったりする。
飲食店も、大通りは大手やチェーン系が目立つが、路地は個性豊かで、質の良い店があったりする。
そうした店の一つで、コウキは軽い昼食を済ませた。定食を出す、こじんまりとした店だった。
栄や大須は、狭いエリアに店舗が密集しているから、ぶらぶらと歩きながら見て回るのが面白くて、時々訪れるのが好きだった。
大須は雑然としていて、庶民的だったり若者向けの店が多く、栄になると洒落た店や綺麗めの店が増える。エリアによって街の雰囲気が違うのも、高ポイントである。
疲れたら地下鉄に乗ることで細かく移動できるのも、ショッピングや散策に都合がよく、名古屋の魅力の一つと言えるだろう。
この日は、特に寄りたい店があったわけではなく、ただふらりと気の向くままに歩いているだけだった。
どれくらい歩いた頃だろう。いつの間にか、今まで来た事のない路地にいた。
ビルの陰になっていて、薄暗い路地だ。
並んでいる店は全て扉が閉ざされていて、中の灯りは見えるが、音は何も聞こえてこない。
ビルの室外機の音や、遠くから聞こえる車の走行音が、やたらと耳につく。
気がつかないうちに、迷い込んだらしい。
ぼんやり考え事でもしていたのだろうか、とコウキは思った。
自分の事なのに、はっきりとしない感覚のまま、路地を奥へと進んでいく。
路地の一番奥は、行き止まりになっていた。
店らしき建物に、扉が一つ。
「ようこそ」
と書かれた札が扉にかけられている。
後ろを振り返ると、先ほどまでちらほらといたはずの歩行者は一人もいなくなっていた。いや、路地に入った時から、人の姿を見かけなくなっていたかもしれない。
この怪しげな路地に、コウキ一人だった。
もう一度、目の前の建物を見る。
白壁に木の扉。店名を書いた看板などは見当たらない。
扉の横には椅子が一脚。灰色の猫が乗って、こちらを見ている。
いかにもな怪しい店。
こういう店は、一度入ると店員との会話が長引いて、何か買うまで出にくいのが相場だ。
引き返そう、とコウキは思った。
実際に、路地を戻ろうとしたのに、身体は動かなかった。
頭では戻ろうと考えているのに、心ではこの店に入らなければと感じている。何故だか、強烈に魅かれた。
まだ、猫はこちらを見ている。
入るべきだ。そう、感じた。
コウキは、扉を開けていた。
入る時に、猫が小さく鳴いた気がした。
「いらっしゃい」
店員が声をかけてくる。
小さな店だった。三坪ほどの広さだろう。
左右の壁には、天井まで届く木の棚が設えられていて、雑多なものが並べられている。天井からも、良くわからない商品らしきものが吊り下げられている。どれも、見た事もないものばかりだった。
足を動かすと、木の床が乾いた音を立てる。
「探し物はそこだよ」
カウンターの向こうに座っている店員が、コウキから見て右側の棚の、一番左上に置いてあるものを指さした。
探し物。
その言葉が気になって、コウキは店員に示されたものを手に取った。
軽い。ざらりとした質感の、小さな紙の箱。封はされていないし、表も裏も、何も書かれていない。マッチ箱のような形状だ。
開けてみると、小さな錠剤が一粒入っていた。
「探し物は、それだろう?」
もう一度店員が声をかけてきた。
彼を見る。
「俺、たまたま入ったんですが……」
店員がにやりと笑いかけてくる。
「ここはね、求めている者しか入れない店だよ。貴方は入ってきた。つまり求めているんだ」
彼が何を言っているのかイマイチ理解できなくて、もう一度、手の中の小箱を見てみた。
自分が、これを求めていたというのか。
こんな店の存在も知らなかったし、これが何かも分かっていないのに。
「これは、何ですか?」
「時間を渡る薬だ」
「時間を渡る、薬?」
何を馬鹿なことを。
思わず笑いそうになったが、笑い声は出なかった。
「貴方は、過去をやり直したいと考えて生きてきたんだろう。だから、その薬が貴方の求めに応じて、貴方をここへ呼び込んだ」
なぜ、知っているのだ、とコウキは思った。
店員が立ち上がって、こちらへやってくる。
立ち上がるとコウキよりもかなり背が高く、見上げる形になった。
「それは、今の貴方の肉体を捨て、過去に意識だけを戻す薬だ。ただし、この時間軸の過去ではない。ほとんど同じだが、微妙にズレた時間軸の過去へと渡ることになる。何年前に戻るのかは、飲んでみないと分からない」
店員の話は、突拍子も無く、笑って聞き流すような類いの話なのに、なぜかコウキは、その話を本当なのだと感じていた。
「肉体を捨てるってどういうことですか?」
「そのままの意味さ。今、貴方の意識はその肉体とつながっている。だが、その薬を飲むと意識と肉体のつながりが断たれ、意識だけが過去へ行く。意識を失った肉体は、ただの肉の塊となる。要するに、今の貴方は死んで意識だけ過去へ行く、ということだ」
その話を聞いて、コウキは時折頭に浮かぶ考えを思い出していた。
"今の人生を捨てて、もう一度過去からやり直せるとしたら、どうするだろうか?"
まさに、自分がずっと考えてきたことだ。
それが、この薬を飲めば実現できるというのか。
怪しげな店の、怪しげな店員の話なのに、コウキの頭も心も、それが真実だと感じていた。これは、本物なのだと、理解していた。
「なぜそんなすごいものが? そんなもの、現代で作れるわけがないのに」
コウキの質問に、店員はまたにやりと笑った。
「ここは、日常とは半歩ズレた空間だ。この世界にはそういう場所やモノ、生物などがたくさん潜んでいる。それに、それは薬に見えているだけだ。我々が認識できる形に姿を変換して存在しているだけで、実際は薬ではない」
話しながら、店員はコウキの手から小箱を取りあげ、目の高さまで持ち上げてみせた。
「この店は、こういうズレたモノの集まる場所だ。私が集めたのではなく、勝手に集まる。そして、求める者の元へ勝手に旅立っていくんだ。この錠剤がどうやって作られたのかも、私は知らないよ」
そうして彼はカウンターまで歩いていき、レジに小箱を通した。
ズレたモノ、とやらでも、ちゃんとレジは通すのか、などと思いながら、コウキはぼんやりとそれを眺めた。
「あ。代金は?」
「私は何も貰わない。あえて言うなら、これを飲む対価は、この時間軸での貴方という存在だ」
「……え?」
「この錠剤を飲めば、意識との繋がりを失った貴方の肉体は、消えて無くなる。意識だけが過去へ渡る。そして、貴方の存在はズレたモノとなるのだ。そうなれば、二度とこの時間軸には戻ってこられないし、この時間軸の人々の認識から、貴方の存在は消える。それが対価のようなものだ。つまり、飲めば対価を払う事になるし、飲まなかったら何も払わなくて済む。飲むか飲まないかは自由だ。これはもう、貴方のものだからね」
そういって店員は、レジ袋に小箱を入れると、コウキの手にしっかりと握らせてきた。
ぶら下がっているレジ袋の中を見る。
これを飲めば、死ぬ、という事か。
「今を選ぶか、新しい人生を選ぶか。貴方次第だ」
店員の言葉がコウキの耳に焼きついて、ずっと頭の中を巡り続けた。
その後の事は、よく覚えていない。
気が付いたら店を出て自宅へ戻っていて、机の前に座って小箱を眺めていた。
飲めばこの身体は死に、存在が消えるが、過去へと戻れる薬。
ずっと、もし戻れるものなら、とコウキは思っていた。
別に今が不幸だというわけではない。満たされないでもない。
ただ、後悔というものは、いつまでも忘れられない。
それがふとした時に思い出されて、ああしていれば、と後悔してしまう。
どうしようもない事なのに、いや、どうしようもない事だから、思ってしまう。
考えるまでもなく、答えは決まっていた。
飲む。
これを飲んで、過去に戻る。
家族や友人が、コウキが死んだと知ったらどう思うか、と一瞬考えた。
だが、あの店員は言った。
この薬を飲めば、人々の認識からコウキという存在が消えると。
つまり、皆、コウキがいた事実を忘れるのだ。
死んでも、誰かを悲しませてしまう事はない。
なら、安心だ。
別れを言う必要は、無い。忘れ去られるのだから。
それに、過去に戻っても、また会う事もできる。
薬を、飲んだ。
躊躇は、しなかった。
もう一度、後悔してきた様々な事をやり直せるかもしれないのなら、コウキの選択は決まっていた。
飲み込んで、しばらく椅子に座ったまま、変化を待った。
最初は何も起きなかった。嘘だったのか、と落胆しかけた。
しばらくすると、突然身体の自由がきかなくなった。
次に、目が見えなくなった。部屋の明かりが、強烈に眩しく感じた。
喉が痛くなる。身体は言う事をきかず、呻き声も出せない。
肌が焼けるように熱くなる。痛み。かゆみ。かきむしりたいのに、両手を動かせない。
まるで、体の中から溶けていくような激痛。叫びそうになるが、やはり声は出せない。
椅子に座った体勢のまま、およそありとあらゆる苦痛が全身を襲った。
どれくらい続いたのかも、分からなかった。
早く終われと願いながら、どうする事も出来ず、苦痛を感じ続けた。
耐え難い苦しみに負けて、いつの間にか、コウキは意識を失った。
はっとして、慌てて飛び起きる。
荒い呼吸。
今さっきの出来事を思い出した瞬間、冷や汗がどっと噴き出した。
すぐに身体中を確認した。激痛は消え去っている。呼吸も出来る。身体も動く。
何事もない事に安堵し、胸を撫で下ろした。
そして、今視たばかりの違和感に気がついた。
体が、縮んでいる。
さっきまでと、違う服を着ている。
周りを見渡す。
二段ベッド、勉強机。窓の外を見下ろすと家が立ち並び、その先には見慣れた小学校の校舎。
以前住んでいた実家の、コウキの部屋だった。
すぐにベッドから飛び降りて、洗面所へ駆け込んだ。
間違いなく実家だった。
洗面所で鏡を見て、コウキは、自分が子どもの姿になっている事を認識した。
もう忘れかけていたような、懐かしい自分の子供時代の姿だった。
洗面所の脇に置いてあるデジタル時計を見た。
二〇〇二年、八月二十八日、午前五時。
コウキは、過去に戻っていた。
これまでは五章までは一人称で、六章からは三人称で書いていました。
自分の文体的に、三人称のほうがしっくりくることが分かりました。
今後(2019年12月24日現在)は、新話の更新と並行して、一話目から五章最終話までの文体を、順次三人称に修正していこうと思います。
それまでは三人称の話と一人称の話が混ざっていて読んでくださる皆さんには混乱を与えてしまうかもしれませんが、少しずつ修正していきますのでご了承ください。
せんこう