前編
事故にあった。
あれは夏の暑さが疲労した体に痛く突き刺さるほどの日。太陽の熱が体力を奪い、仕事の激務に疲れはピークを迎えていた。このまま熱中症になって倒れたら仕事休めるなぁ、なんて考えていた。突然の出来事でまったく覚えていないが警察の話によると信号待ちをしていたところに車が突っ込んできたらしい。
運が良かったと医者は言う。あと少し打ち所が悪ければ体が動かなくなるところだったと。
運が良いわけないだろう。私の右目は無くなってしまったのだから。
まぁ、事故後すぐにドナーが見つかり移植できたのは運が良かったのか。
病院のベッドでよこになり左半分の景色。病室のドアしか見えないが。それをぼーっと見て1日が終わる。
最初の方は家族や友人らが見舞いに来てくれていたが一週間にもなるとぱったりと誰も来なくなってしまった。薄情な連中だと思うが、そんな怒りすら忘れてしまうほど暇なのだ。
唯一欠かさず会いに来てくれるのは
「白井さん!おはようございます!具合はどうですか!」
医者の松永だ。こいつは研修医でありながら俺の手術を担当させるという病院の大胆な決断のおかげでやたら俺の様子を見に来る。術後は30分に一回様子を見に来て少々うざかったが今は松永だけが俺に会いに来てくれるから最近は愛着が湧いてきた。
「良さそうですね!それじゃあ!」
そう言うとバチンとドアを閉める。
やつのこういうところが嫌いだ。病院のくせにドアを力強く閉めるし。あと声がでかい。松永は質問をしてるくせに語尾に「!」が付くのだ。あとやつが病室にいる間俺が言葉を発する暇はほとんどない。
入院する前はあれほど休みを欲っしていたのに、いざ休みが続くと不思議と忙しい毎日が恋しくなる。
手術より1ヶ月、いよいよ眼帯を外す時が来た。
「はい。それでは目を開けてみてください」院長が声をかけると同時に俺は目を開ける。
光が眩しい。
外の景色が一気に目に入ってくる。
「大丈夫です。ちゃんと見えます。」
「よかった!手術は成功ですね!」松永は相変わらず。
「眼球が馴染むようにゆっくりリハビリを行っていきましょう」
「ありがとうございます」
鏡をみると久しぶりに見る自分の顔。その中で変わっているところがあった。目の色が青に変わっていた。
「目の色が気になるだろうが時期になれるさ」
「白井さん!オッドアイでかっこいいですよ!」
誰だこいつを医者にしたやつは。本人は元気付けているつもりだろうが、そっとしておいてほしいものだ。前々から聞いてはいたがいざ見てみると見慣れた自分の顔とは異なり他人を見ているような不思議な気分だ。
それからリハビリの日々が始まった。リハビリは驚くほど順調に進み、予定より大分早く退院できることとなった。院長は「若さだね」なんていってたけど俺は人一倍努力したからだと思っている。その理由はただひとつ。この暇すぎる日常から早く解放されたいから。松永との診察で退院は3日後に決まった。
「えぇ!そんなに早くですか!もっとゆっくりしたらいいのに!」
「いつまでもこんなところにいたら他のところが腐ってしまう」
「白井さんはひどいこというなぁ!でもその元気なら大丈夫ですね!」
松永とのこういうやりとりももうあと少しか、などと考えるとすこし寂しさすら感じる。
退院の日が決まってからもリハビリに励んだ。このころには大分眼球が馴染み自分のからだの一部となっていた。
退院を翌日に控えた夜、夢を見た。
街を散歩している。若干見覚えのある街。隣街か。
高いビルが立ち並び、さまざまなファッションの店が続いている。そのならびに一件カフェがあった。新しいビルが続く中、古民家を改築したようなでサインの古風な佇まいのカフェは異色を放っていたが多くの人で賑わっていた。
体が吸い込まれるように勝手に動き、普段入ることはないカフェに立ち寄る。
彼女がいた。
店員として働く彼女はとてもきれいだった。黒い長髪、整った顔。小柄で華奢な体。右目の泣きほくろが特徴的な彼女はきっと現実で会ったら惚れてしまうだろう。
体が勝手に動いた。迷いもせず彼女の目の前に移動する。すると、彼女と目が合った。彼女は笑ってくれた。
「…いさん…しらいさん。朝食の時間ですよ。寝坊なんて珍しいですね」
看護師の声で夢から目覚める。
起き上がるといつもの白いトレーにプラスチックのお椀に入った料理が届いていた。どれも栄養バランスを考えられた素晴らしい食事。だがどれも俺には味が薄く感じた。
あれから夢を見ることはなかったが目を閉じると彼女の姿を鮮明に思い出すことができる。夢に出てきた女に恋をするとはよく聞くが、俺もこの年になってそんな経験をするなんて。
自分自身おかしくなり笑みをこぼす。
そして退院の日。俺は朝食を終えると早々に荷物をまとめて病院を出た。出ようとした。入り口の自動ドアは調子が悪いためかガタガタと音をたててからゆっくりと開く。一度立ち止まらなければぶつかってしまうだろう。そんなわずかな間にやつは現れた。
「白井さん!なんで僕に黙って行っちゃうんですか!」
「いやいや、忙しいと思って挨拶はやめておこうと思ったんだ」
これは嘘だ。ほんとはこいつに会いたくなかった。めんどくさいから。
「僕と白井さんの仲じゃないですか!水くさいなぁ!」
「今までお世話になりました」
形ばかりのお礼を伝え頭を下げる。松永は黙ったままだ。
顔をあげると松永は泣いていた。
「え?なんで泣くの?」
「ごめんなさい。嬉しくて」
松永の言葉は以外にも俺の心を打った。さすがにそんなことを言われてしまっては俺も松永へ慈愛の念を感じずにはいられない。
「まぁ、また定期検診でくるんだから」
「そうですね…そうですよね!じゃあまた!」
そう言うと松永は先程の涙は嘘だったかのように明るくなり、いつもの調子で病院の中へ戻っていった。
最後まで見送ってはくれないのかよ、一人つっこむ。
会社へ連絡をして明日退院の挨拶へ向かうと告げる。というのも病院からも一週間は働いてはダメだと言われている。久しぶりに聞いた上司の声に少し怯えながら電話をかけた。怒られると思った。上司は気性の荒い性格ですぐに怒鳴る。これはトラウマものだ。だけど、上司は怒鳴るそぶりもなく淡々と俺の話を受け入れ最後に「おう」と言って電話を切った。安心、よりも何か違和感を感じた。
二ヶ月ぶりに帰宅したワンルームの我が家は荒れたままの状態だった。というのも入院する前の俺は仕事に追われ家事すらままならなかった。
「とりあえず掃除から始めるか」
自分に言い聞かせるように言葉をはく。
結局その日は1日掃除で終わってしまった。だがその甲斐があって部屋は片付いた。
ふぅ、とため息をついたとき電話が鳴った。電話が鳴るなんて珍しい。受話器をとると母だった。
「修二?あんた退院したんだって?連絡のひとつもよこさないで」
「母さんだって入院初日にしか見舞いに来てくれなかったくせによく言うよ」
「まー、よく言うよこの子は!私がどれだけ心配したか。ほんとにこんな時にお嫁さんがいてくれたら…」
始まった。最近はなにかと言うとすぐこの話題だ。俺だって彼女さえできればとっくに結婚している。俺はとにかく女の子と接点が無いのだ。会社も野郎ばかりだし。知り合うチャンスがあれば俺だって彼女くらい。
「病院には看護師がいっぱいいただろうに。まったく」
これには同意だ。確かに女性はいっぱいいたし、話しかけてきてくれた。だが肝心なときにいつも俺の人見知りがここぞと言うばかりに発動する。この癖は男子校だった高校を卒業して大学に行ったときからだ。まわりの友達は彼女ができるとすぐに疎遠になった。俺にも彼女ができるように、と気を聞かせてくれた友人が開いた合コンには何度か参加したが女の子の前だととたんに喋れなくなる。
これは何かの呪いか?
「好きな子くらいはいるんだろうね?はやく私を安心させてちょうだいね」
プツンと電話が切られた。いわゆるガチャ切りというやつだ。俺は母のこういう雑なところが嫌いだ。
好きな子か…。そういわれて思い浮かべるのはあの夢に出てきた彼女。今も目を閉じれば彼女の姿を鮮明に思い出すことができる。
これはかなり重症かもな。
翌日、会社へ退院の挨拶をかねて出発する。着なれたスーツは度重なる激務で多少くたびれているがしっくり来る。
会社に到着し、部長へお礼を伝えると俺に伝えられたのは衝撃的な事実だった。
「君の代わりは見つけたから明日から来なくていいよ。明日から有給消化ってことでよろしく」
言葉もでなかった。4年も汗水垂らして勤めた会社にこうもあっさりと裏切られるなんて。帰り際、俺のだったデスクに座ってる人物をみるといかにも仕事できそうな感じでバリバリ仕事に打ち込んでいた。そのデスクに置いてあっただろう俺の荷物はというと部屋のすみでダンボールに押し込められていた。何も言えずおめおめと帰ってきたのは言うまでもない。
でも、あのブラック会社から辞められたのは良かったかも!有給も一ヶ月あるし。次の仕事をさがそう!などと気持ちを切り替えられたら良いのだろうが。結局まっすぐ家に帰った俺は布団にくるまり枕を濡らしたのだった。
翌朝、検診のために病院にいく。
診察室にいたのは渋めの男性医師だ。なんかもう雰囲気がこいつはできるやつだといっている気がする。
「すみません。本日は担当の松永が休みのため私が代診します」
知ってた。むしろだからこそ俺は今日を選んだのだ。退院の時に少し心が揺らいだがもうそんなことはどうだっていい。この医師なら安心できると確信した。今度からこの医師に診てもらおう。
案の定経過は良好。この後は職安にでも行こうなどと考え、足取り軽く病院を出たそのとき。
奴と出会った。出会ってしまった。
「あー!白井さん!なんで僕が非番の時に検診に来たんですか!」
相変わらずうるさい。
「ごめんごめん。今日しか予定が空いてなくてさ。ところで今日は非番なのに仕事?」
「それじゃあ仕方ないか。今日はたまたま忘れ物を取りに来ただけで…そうだ!この後暇ですよね!街の方においしいって噂のカフェがあるんですよ!一緒にいきましょう!」
「え?ちょっとまて、俺は」
「今日は予定ないんですよね!?行きましょう!」
そういうとグイと俺の腕をつかみ引っ張っていく。余計なことを言ったとすこし後悔したが完全に後の祭りだ。松永にされるがまま連れていかれた。
それから電車に乗り、隣町の駅に着いた。隣町は駅構内からすごい人だった。改札を出たところにある偉人の銅像の前は有名な待ち合わせスポットになっており、いつも誰かが誰かを待っている。メインストリートがある繁華街の方へ歩いていこうとしたとき、松永が俺の腕をぐいとつかみ進路を修正させる。
「白井さん!そっちじゃないんです!反対側!」
こいつ俺の担当医の癖に患者に対する扱いが雑だなと改めて思う。
駅はメインストリートがある西口が栄えており、大概のお店は西口にある。反対の東口は開発がそれほど進んでいないのかオフィスビルが立ち並びビジネス街といった形だ。
「すこし歩きますね!」
それからは松永のトークショーだった。僕結構コーヒーが好きで休日はカフェ巡りとかしてるんですよ!などと抜かし松永のコーヒー談義は道中延々と続いた。
駅を出て10分くらい歩いただろうか。
「やっと着きました!」
その一言でコーヒー談義から解放されたと理解した。目的のカフェは木造の建物で植物なども多く、回りのオフィスビルに囲まれているせいかその店だけ世界が違うように感じた。
この建物…以前にも見た記憶がある。
「さ、入りましょ!」
松永の言葉に現実に引き戻された俺は、松永に続き店の中に入る。と、思っていたよりも人が多く、店内は混雑していた。
「うわー、混んでますね!」
ぱたぱたと小柄な店員の女性が小走りで近付いてきた。
「いらっしゃいませ。2名様でよろしいですか?」
あ
きっと、一目惚れと言うのはこういうことを言うのだと俺は理解した。いや、正確には夢の中で会っているから一目では無いのかもしれない。けれど、俺には偶然には思えなかった。
じっと見つめる俺に気づいたのか彼女が俺を見る。
目が合った。
俺は彼女にやさしく微笑む。その瞬間彼女は驚いた顔をして店の奥へ引っ込んでしまった。
あれ?




