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全てが元に戻るとき

 そして、次の日。

 僕は地区大会のステージに立っていた。

 といっても、ホテルの椅子に座ったシャドウの背後にいただけだ。早朝稽古の時だって、劇を最後まで締めたのはシャドウだった。僕なんかには、誰ひとり気が付かない。会場に向かうマイクロバスなんか、僕を置いていきそうになった。

 そりゃ、夜が明けてから、シャワールームを出るところを見られたら人生おしまいだっただろうけど。

 日が昇る前の真っ青な空気の中、涼美先輩とこそこそ出てきたら、まるでやましいことでもしていたみたいじゃないか!

 その先輩は、幕が上がる前に舞台袖で手を振ってくれた。まるで、夕べのうちに僕たちの間で何かあったみたいに。

 確かにあったにはあったけど、そういうんじゃない。でも、やっぱり恋人同士になったみたいだった。

 ……集中!

 幕が上がる。


 シャドウの演じる学者が、自らの影法師と議論を始めた。

「君が払うって言ったじゃないか、このホテル」

 裕福な影法師も負けてはいない。

「冷蔵庫の中のものまで払うとは言ってない」

「君の説明が足りないんだ」

 するとずるがしこい影法師は問題をすり替える。

「君、じゃなくて、あなた、と呼んでくれませんかね、失礼な」

 そこへ、ホテルの支配人が、舞歌の演じる令嬢を連れてやってくる。

「先ほどお話したのが、この方です」

 そこで、学者が立ち上がった。

 ……チャンスだ!

 僕はシャドウの前に出ようとしたが、先に動かれてしまった。ふらふらと令嬢へ近づくのについていくしかない。

 舞歌はさっと身を引いて逃げた。

「……何ですか、いきなり!」

 影法師が割って入る。

「失礼じゃありませんか、あなたも」

 そのまま令嬢の肩を抱いて、椅子に座らせる。学者はすごすご引き下がるはずだから、僕は先回りした。

 ところがそこで、シャドウは影法師に立ち向かっていったのだ。

 完全に稽古とは違うことをやってるんだけど、そこは影法師役もうまく立ち回った。学者を軽く張り倒したのだ。

「いい加減にしたまえ!」

 舞歌はすぐにフォローに入る。

「あの……私は別に」

 影法師はもったいぶって言った。

「助手が失礼いたしました」


 ところが、いい格好してノートパソコンを開き、パスワードの解読を始めた影法師はエラーを出しまくる。だけど、それは横からツッコミ入れる学者のせいにされる。

「ちょっと、お人払いを。見苦しいことになりますので」

 令嬢はふうわりと立ち上がると、去り際に言い残した。

「あなたがお優しい方だと信じています」

 やがて、学者によるUSBパスワードの謎解きが始まる。

「つまり、君の間違いはだね」

「あ・な・た・の」

 影法師のこだわりに、学者は逆らわない。

「あなたの誤りは、まず、ここにありました」

 悔しいけど、ここから先の長ゼリフには自信がなかった。せめて、客席の前に回り込んでセリフを真似してやろうと思ったけど、シャドウの動きは早かった。セリフをしゃべりながら、僕を後ろに押しのける。無理に前に立とうとすれば、舞台から落ちるかもしれなかった。

 パスワードの謎が解けた頃、令嬢が様子を見に現れる。

「あの、お邪魔してよろしいでしょうか?」

 影法師が先に返事をするので、そこで学者のセリフは途切れてしまう。

「解けました、お嬢さん」

 このシーンで僕がシャドウに取って代わるチャンスは、これでなくなった。


 令嬢との仲を深めていく影法師を、学者は止められない。まるで、都筑と舞歌が付き合うのを黙って見ているしかない僕みたいに。そんな僕なのに、その学者を演じるシャドウの先回りをすることはできなかった。

 やがて、シーンは学者による告発のシーンになる。僕にとってもチャンスだった。

 学者は、令嬢のオフィスに忍び込む。

「お静かに! 聞いていただきたいことがあります」

「何ですの? 人を呼んだりしませんから、どうぞお話しください」

 ……チャンスだ!

 思わず、舞歌に僕の気持ちをぶつけそうになったけど、それはこらえた。どっちみち聞こえないし、今はシャドウを出し抜く時だ。

「あのパスワードを解いたのは、私です」

 シャドウの前に出ようとする分、僕のセリフは出遅れる。学者として喋ったのはシャドウだった。

 令嬢は冷静に答える。

「それがどうしましたの?」

「私は、あなたを覚えています。留学先の、向かいの家で……」

 そこで影法師が邪魔に入って、学者のチャンスも、僕のチャンスも奪う。

「出ていけ! お嬢さん、警備主任を!」

「待って、彼の話も……」

 学者はなだれ込んできた警備員に引きずられていく。もちろん、掴まれているのは僕じゃなくてシャドウだ。


 パスワードを盗んだ産業スパイに仕立て上げられた学者は、裁判にかけられる。被告席に立っているわけだから、僕が前に出るのは無理だ。

 裁判やってるときの長い長いセリフを、シャドウはすらすらとこなす。僕にはとても真似できなかった。シーンはどんどん緊迫していって、舞歌のセリフで最高潮に達する。

原告側の証人に立った令嬢が、全てをひっくり返す一言だ。

影法師を指差して、かわいらしく言い放つ。

「私、婚約を破棄します。だって私、彼を陥れたあなたを告発するんですから!」

 ……同じことを都築に言ってくれないかな。僕のために。

そんなことを、つい妄想してしまった。


 こうして、ステージは令嬢と学者が迎える2人きりのクライマックスへとたどりついた。

 無罪判決が出て、影法師は学者に掴みかかる。警備員が彼を取り押さえるが、そこにはもう誰もいない。

 とはいっても、それはお話の上のことだ。舞台の上では、ストロボ焚いたり、警備員が影法師役を暗幕で隠したりと目まぐるしいトリックが展開されていた。

 僕はその間、何度となくシャドウの前に出ようとしたけど、ダメだった。シャドウは観客の呼吸までも支配していて、僕が何かしようとすると、涼美先輩の命令を忠実に実行して、一部の隙も無くフォローしてしまうのだった。もう、舞歌の気持ちを考えたら下手に手が出せなかった。

 シャドウについて動くしかなかったけど、僕は隙を狙い続けた。

 やがて、ストロボと共に他の役者が出ていって、舞台は夜の公園のシーンになる。

「どうして、助けてくださったんですか?」

「あなた、いい方ね」

「どうしてですか?」

 そんなやりとりの間、学者は舞台の端で演技することがあるけど、いずれは真ん中に戻らなければならない。それを稽古で知っていた僕は、シャドウが舞台の中央から離れるたびに、元の位置へ猛ダッシュをかけた。

 でも、シャドウのほうが一枚上手だった。僕よりも遥かに速く、立つべき場所で目の前に回り込まれてしまうのだった。

 ……もう、だめかな。

 舞歌の演じる令嬢が、2人を結び付けた思い出のUSBメモリを首から外して高々と掲げる。

「これ、覚えていらっしゃいます?」

「あのパスワードですね?」

「あれ、私、本当は覚えていたんです」

 そこで、令嬢が舞台中央に立つと、照明担当言うところの「第1バトンのサスペンションライト、センター」だけが当たるはずだった。そこで学者が彼女の手をとれば、締めのセリフで幕が降りることになっている。

 そうなれば、僕の役割は終わる。シャドウと入れ替わったまま、僕に心変わりした涼美先輩と共に、あの薄気味悪い夜の世界で生きることになるのだ。

 だが、そこで奇跡が起こった。


 クライマックスのBGMが流れる中、舞台の奥にいた舞歌のUSBが紐から外れて落ちたのだ。

 シャドウがそっちを向いた瞬間、僕はまだ、客席を向いたままでいた。

 舞台全体に緊張が走ったが、舞歌のアドリブがその場をつなぐ。

「あら、こんなことってあるもんですね」 

 それに応えるために、シャドウは振り向いたままでいなくてはならなかった。僕は、とっさに舞台の中央に飛び込んだ。

 でも、このままではセリフがつながらない。僕は、舞歌のために叫んだ。

「僕は、君が見ていてくれなくても、幸せだった! 一緒にいるだけで……」

 それは、舞歌への正直な気持ちだったけど、台本からは大きく外れている。効果担当もうろたえたのか、BGMが止まった。

 舞歌も沈黙している。

 ……やっちゃったか?

 何もかも終わったと思った、その時だった。

 僕の隣に、舞歌が歩み寄って、そっと頬にキスを送ってくれたのだ。

「ありがとう」

 観客席から冷やかしの声が上がると同時に、BGMが鳴り響いた。

「初めてあなたが私に気付いた夜、私もあなたを見ていたんです」

 そのセリフを聞きながら、そっと振り向く。

 シャドウの姿はもう、なかった。

 ……涼美先輩はどうするだろう?

 舞台袖をそっと見ると、長い黒髪の後ろ姿が、学生服と共に闇の中に消えるのが見えた。

「聞いてます?」

 恋する令嬢としての舞歌が、愛を手に入れた学者としての僕の顔をぐいと掴んで客席に向ける。

 どっと笑い声が上がった、その最前列には松葉杖を抱えた都筑が座っていた。

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