表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/62

3-1

〈……全く〉

 溜息をつきながら、傍らで眠っているティアの銀色の髪を撫でる。

 ヴァリスのその手がくすぐったかったのか、ティアは笑うように身をよじって寝返りを打った。

 ヴェクハールの外れにある共同住宅の、ヴァリスの部屋。セティの為にティアの部屋を一時的に明け渡したので、ティアは今ヴァリスの部屋の床で眠っている。ベッドで寝ろとヴァリスは言ったのだが、ティアはヴァリスのベッドを奪いたくないと断固拒否したのだ。こういうところに関しては、ティアは頑固だ。眠っているティアをベッドに運んだところで、次の日に申し訳なさそうに「ありがとう」と言うだけ。しゅんとしたティアの顔など、見たくはない。それならば一緒に床で眠った方がまだマシである。と、いう理屈で、ヴァリスは今、床に設えた自分の寝床に座っている。

〈なぜこいつは、困っている人を見ると簡単に手を差し伸べてしまうのだろう?〉

 もう一度、ティアの髪を撫でる。今度は、ティアは動かなかった。

「やはり、奥方様の血を引いているからだろうか?」

 ヴァリスの言う『奥方様』とは、ティアの母セターニア。ヴァリスを拾ってくれた、優しい人。

 セターニアと初めて出逢った時のことは、今でもまざまざと思い出すことができる。

「姉様の髪と、同じ色」

 そう言ってヴァリスの髪を撫でてから、抱きしめてくれた。その腕の温かさは、絶対に忘れない。まだ赤ん坊の頃にヴェクハール聖堂の物陰に捨てられ、聖堂で男達によって育てられたヴァリスにとって、その腕は正しく『母の腕』だった。

 その時、セターニアは双子の姉リルーニアを探す為に、ヴェクハールを訪れたのだそうだ。しかしこの街では姉を見つけることができず、その代わり、というわけでもないのだろうが、ヴァリスを引き取ってソセアルの森へと帰った。……そう、セターニアは『ソセアル』の一族、だったのだ。

 一年ほど、ヴァリスはセターニアと一緒にソセアルの森で暮らした。

 森に帰ってから十月ほど経った頃、セターニアはティアを産んだ。そしてそれから三月後、ふとした風邪が原因でセターニアは亡くなった。その為、ヴァリスはティアとともにヴェクハールに戻され、現在に至っている。

 あれからもう、十二年になるのか。ティアの年を数えて、溜息をつく。育ててくれた聖堂の人々に、文句は全く無い。だが、セターニアとの時間は『特別』なのだ。

 窓から入ってくる微かな月明かりが、ティアの髪をぼうっと光らせる。ティアの髪の色は、母であるセターニアと同じ銀色。そして自分の髪の色は、セターニアが一生懸命探していた双子の姉リルーニアと同じであるらしい。それが、それだけが、セターニアが自分を引き取ってくれた理由だろうと、思う。それでも、ヴァリスは嬉しかったのだ。

 ヴァリスには、分かっている。森へ行っても、徒労にしかならないだろうということが。セターニアの息子であるティアの瞳の色は、赤だ。ティアは『影』を祓う『呪歌』を歌うことができるが、セティが暮らしている島で起きている事件を解決する『力』を持っているとは思えない。セターニア以外に紫の瞳を持つ人を、ヴァリスは知らない。セターニアの姉であるリルーニアという人物もおそらく紫の瞳を持っているだろうが、彼女が行方不明である現在、『ソセアル』の一族は絶えたといっても言い過ぎではないだろう。しかし、それを言うことは、ヴァリスにはできなかった。セティはともかく、ティアを落胆させることは、ヴァリスにはできない。

 だから。無駄だと分かっているティアの提案に、ヴァリスは頷いた。

 ……嫌々ながら。


 ヴァリスが不本意な理由は、もう一つある。セティの、事だ。

 いや、セティ自身がどうだというわけではない。セティが『アルリネットの巫女』だというのが問題なのだ。

 アルリネットは、大地の女神。命ある者を生み出す、豊穣の女神。ヴァリスの所属する聖堂が信仰する絶対の天空神スーヴァルドとは、対極の存在。大陸ではスーヴァルドの方が優勢だが、セティの故郷であるアルトティス島には大規模なアルリネット神殿があり、少なからぬ人々が巡礼に訪れているという。

 アルリネットの神殿には、様々な噂が付き纏っている。曰く、悪臭で悪霊を呼び出し、人を惑わす予言をする。曰く、神に仕える際は必ず、酩酊状態になる特殊な薬を飲み、神殿内で踊り狂う。曰く、巡礼の為にアルトティス島を訪れた人々を相手に、春をひさぐ。それら全てが正しいとは、ヴァリスも思わない。ヴェクハールは商業都市で、大陸の東西南北から様々な人間がやってくる。思想や信条、信仰する神も様々な人間を見てきているので、多少は公正で理知的な思考ができるとヴァリスは自負している。アルリネット神殿についてのこれらの噂も、スーヴァルド側、特にスーヴァルドを最高神と崇める北の王国ノイトトースの神官達が悪意を持って広めた噂だと、思えなくもない。

 だが。特に最後の噂が、ヴァリスの思考を止める。

 そんな不潔な場所に、ティアは連れて行けない。


 だから。

 明日からの冒険がうまくいかないことを、ヴァリスは神に祈った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ