7-4
歩き慣れた島の坂道を、えいこらせと登っていく。
そのセティの両腕は、大小の紙袋で一杯だった。
「これ、ティアに食べさせて。力がつくから」
そんな言葉とともに、島のあちこちで渡された袋だ。中身は多分、ココの実、傷に良く効く薬、甘いお菓子や精のつく食べ物だろう。全て、島の人々の感謝の印だ。
ティアが、ミーアに取り憑いていた四天王の一人をその身に封印してから早三日。行方不明になっていた子供達は全て、消えた場所で発見されていた。
「え、ボク、ずっとここにいたよ」
大人達の問いに、子供達は声を揃えてそう言った。そして、季節がいつの間にか夏になっていることを不思議がっている。子供達の混乱が収まるには少し時間が掛かりそうだ。薬を煎じてくれた小母はそう、セティに言った。しかし子供が戻ってきて、島が元に戻ったのは嬉しい、とも。
〈……違う〉
「元に戻った」。大人達がそう言う度に、セティの心に冷たい風が舞う。一番仲の良かった義姉ミーアは亡くなったし、義兄グリザリスにはあの夜以来逢っていない。二人のことが、セティの心に風穴を開けていた。ミーアは子供達を隠し、悪霊を呼び出して島を困惑させ、ティアを殺そうとした。グリザリスはミーアのことを黙っていて、セティやヴァリス達を騙した。それは、分かっている。だが、三人で仲良くしていた頃の思い出が、セティを捉えて離さない。
ティアも、傷を負った。逃げだそうとした『四天王』を封じたティアの右腕は、肘より先が全く動かなくなってしまっている。ティアはもう、自分の得物である短剣を使うことができない。ティアの母の形見であった笛も、ミーアが壊してしまった。ティアの悲しみを想い、セティの心は強く痛んだ。
「みんなが幸せになるって、難しいわね」
そっと、溜息をつく。
「そんなことないさ」
そんなセティの背後から、ジェイの声が快く響いた。
「『難しい』で終わらせなければね」
「うん」
ジェイの言葉に、少しだけ頷く。そう、悲しんでばかりいるわけにはいかない。前に進まなければ。
「ところで、ヴァリスとハルは?」
セティが腕一杯に抱えた荷物を自分の腕に移しながら、ジェイがセティに尋ねる。その声の緊張感に、セティはようやく気付いた。
「ヴァリスは、ティアと一緒。ハルは神殿に行くって言ってたけど」
戸惑う声で、そう、言う。セティの言葉に、ジェイは少し考えるように視線を宙に動かすと、セティに視線を戻して言った。
「荷物は預かるから、ハルを呼んできてくれ」
「分かったわ」
何か、あった。セティはそう、判断すると、神殿に向かって一目散に駆けて行った。
神殿からハルを連れて戻ると、ジェイの横にヴァリスの苛立った顔があった。
ティアは、眠っている。
「ハルが来たぞ。早く話せ」
いつも通りに傲慢なヴァリスの声が、セティを少しだけほっとさせる。ヴァリスが自分を取り戻しつつあるということは、ティアが回復している証拠。
「うん」
ハルとセティが椅子に座ってから、ジェイは言い澱むように首を横に振ってから、口を開いた。
「ノイトトース王国が、カートリア同盟に戦争を仕掛けたらしい」
「えっ!」
「何っ!」
ハルとヴァリスが、同時に椅子から立ち上がる。
「それは、本当か?」
「ああ。サイモナートがさっき知らせてくれた」
ハルの問いに、ジェイが答える。海神サイモナートの知らせだから、事実なのだろう。ハルはうーんと唸ると再び椅子に沈み込んだ。ハルは北の出身だと、聞いたことがある。祖国の蛮行に腹を立てているのだろう。セティはそう、思った。
「で、同盟の方はどうなっている?」
「今のところは、王国軍が優勢だそうだ」
「……そうか」
ヴァリスは騎士だから、本来なら現在第一戦で王国軍と戦っていなければならない。しかし実際には、ヴァリスは戦闘には遠過ぎる場所にいる。溜息から忸怩たる思いが伝わって来、セティは思わず身震いした。
「今回、王国軍はかなりの軍勢を展開しているらしい」
ジェイの声が、不気味な静けさをもたらす。
「下手をすると、ソーヴェやヴェクハールも北の軍に……」
「それは悲観しすぎだよ、ジェイ」
大柄な影に、はっとして振り返る。丁度部屋に入ってきた、その影は。
「ベルサージャ!」
思わず叫ぶ。
「おや、久しぶりだねぇ、セティ」
ベルサージャは大柄な身体を震わせるようにしてセティに笑顔を見せると、真顔でジェイとヴァリスの方を向いた。
「戦闘はもう終わってるよ。王国軍も撤退した」
「本当か!」
ベルサージャの声に真っ先に反応したのは、ハル。
「ああ。流石だね、ヴェクハールの聖堂騎士は」
「あ……」
その報告に顔を赤らめたのは、ヴァリスだった。
ノイトトース王国が境界線であるルージャ河を渡り、カートリア同盟に侵攻してすぐ、ヴェクハールの聖堂騎士団は隊列を整えて北へ向かい、国境近くの町センテの郊外で行われた熾烈な戦いの末、王国軍を撤退にまで追い込んだ。
ベルサージャの話に、ほっとする。ノイトトース王国がカートリア同盟を支配下に置けば、次はアルトティス島を支配下に置こうとするだろう。スーヴァルド信仰を強要する王国に支配されればどうなるか。火を見るよりも明らか。
だが。
「ヴァリス、アレイサートが逢いたがってる」
ベルサージャの沈んだ声が、不吉な予感を呼び起こす。
「アレイサートは、死にかかっている」
「何だって!」
ヴァリスの声は、悲痛な響きを帯びていた。
「まさか、戦闘で怪我を……」
「そうだ」
瀕死の重傷を負ったアレイサートは今、センテの町で死の床についている。彼の心の叫びを聞いたベルサージャは森を出、アレイサートに逢って「ヴァリスを連れてきて欲しい」という、殆ど無理な彼の願いを引き受けた。
「紫の瞳の、縁者の頼みだからね」
分かったと頷き、ヴァリスが立ち上がる。だがすぐに、視線をティアの方へと移し、首を横に振った。
「ティアを、置いていけない」
〈行って、ヴァリス〉
細い声が、セティの心に響く。横を向くと、魔法の掛かった銀色の腕輪がセティの右腕に触れていた。横を向いたときに見た、ティアの真剣な顔が、セティの心を清冽な思いで満たす。……ティアは、勁い。
〈僕は、大丈夫だから〉
ティアの言葉を、皆に伝える。
「仕方無いな」
不意にハルが、ヴァリスの腕を取った。
「俺が付いて行く」
「俺が、ティアとセティを守る」
ヴァリスとハルの横で、ジェイがどんと自分の胸を、叩いた。




