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石畳の狭い坂道を、ぐんぐんと下る。
「ヴェクハールの重要な建物は、運河の近くにあるんだ」
道を移動しながら、ハルはセティにそう、説明した。
ヴェクハールは、大陸を東から西へ流れる大河コトハルイーリャ(コトハ)と、北から南に流れるヴェクリーニ(リーニ)河が最も近づいた地点にある丘の上に造られた街。この地の利点に着目した、ヴェクハールを最初に支配した貴族が、大河コトハとリーニ河を結ぶ運河を掘り、この街を交通の要所とした。その貴族の曾孫がスーヴァルドの神官となり、自分の教団を結成し、土地を街ごと教団に寄付した。だからヴェクハールは、商業都市と聖堂都市という両側面を持っている。大陸南部の国々からなる『カートリア同盟』の盟主でもあり、一都市で大陸北部を支配するノイトトース王国に匹敵する力を持つのではないかという噂もある都市、それがこのヴェクハール。
と。
「……ん?」
坂道が終わり、大通りへ出たところで、ハルが急に立ち止まる。
「何か、まずいことが起こっている」
そのハルの後ろから大通りを見透かすと、確かに、騒ぎ声とこちらに逃げてくる沢山の人々が見えた。
「危ないから、下がっていて」
ハルがそう言った、正にその時。人混みが、急に途切れる。ぽっかりと空いたその空間の真ん中に、虚ろな目でだらしない格好をした髭面の男が立っているのが、セティの位置からでもはっきりと、見えた。その背中に纏わり付いている、黒っぽい煙のような物質も。
「まずいな」
ハルが舌打ちする。次の瞬間。その男は、セティとハルの真ん前に立っていた。
「げっ!」
逃げろという声と共に、ハルが男の向こう臑を蹴飛ばす。だが、男はびくともしない。危ない! セティは無我夢中で隠していたアミュレットを取り出し、すぐ側まで迫った男の鼻先に差し出した。アミュレットから光の渦が迸る。次の瞬間。男の身体は大通りの地面に伸びていた。
「あ……」
危機を脱してから、思い出す。ここは、残酷な絶対神、スーヴァルドの街。だが、自分は、アルリネット様から得た力をその街で使ってしまった。逃げなければ。男と対峙した時とは別の恐怖が、セティの全身を支配した。
と、その時。
「すごいな、その力」
不意に響いた、太い声に、はっとして振り向く。セティの背後にいたのは、赤い髪に戦斧を担いだ大男。セティを助けてくれた三人の一人だと、セティはすぐに気付いた。
「大丈夫だったか」
男がつと、セティの両手を握り、自分の前へ持ってくる。
「うん、怪我はしていない」
「むやみに女の子に触らない、ジェイ」
セティの手を眺める男の後ろから、ハルの声が響いた。
「誤解されるぞ」
「手を怪我してないか調べてるんだ、何が悪い」
ハルの言葉に、ジェイと呼ばれた男は真面目な顔で反論する。その声と態度に、セティは思わず笑ってしまった。
「大丈夫よ」
男が気を悪くしないようにそっと、手を引っ込める。
「ジェイ、あの男は大丈夫なのか?」
男とセティの間にハルが飛び込んできたので、セティの戸惑いは大分解消された。
「おっと、いけねぇ」
ハルの指摘に、頭を掻きつつその場を離れるジェイ。倒れた男の方を再び見ると、聖堂騎士の青い袖無し上着を羽織った男が二人で、倒れた男を担架に乗せようとしているところが見えた。
「あいつがジェイリストナール。略してジェイ」
そのセティの横で、ハルが話す。
「聖堂の傭兵見習い」
「そう」
あの人は、違う。セティはがっかりして強く首を振った。ジェイという人は、セティが探している人ではない。と、すると、探し人は、聖堂騎士見習いのヴァリスか、神官見習いのティアのどちらか。銀髪紫眼は、小柄な方。そのことに、セティは正直ほっとしていた。……スーヴァルドの神官でも、見習いの少年なら、自分の言うことに耳を傾けてくれるかもしれない。
だから。
「騒動も一段落したことだし、聖堂へ行きますか」
ハルの言葉に、セティは再びこくりと頷いた。