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聞き知った者の叫び声に、はっと振り向く。
森の中に細く伸びる一本道。ぐるりと見回しても、居るのはヴァリス自身と相棒のジェイのみ。それでも、叫び声は確かに聞こえた。ヴァリスは一人頷くと、腰に吊り下げた剣の柄に手を掛け、下草が蔓延る森の中へと足を踏み入れた。
「おい、ヴァリス!」
ジェイの大声を背後に、足を速める。
あの声が空耳でなかったことは、すぐに分かった。
「ティア!」
叫ぶと同時に、横に薙ぐように剣を振る。ヴァリスの放ったその刃は、目の前の銀髪の少年が退治していた子鬼の首を切り飛ばした。返す刃で、もう一匹、横から銀髪の少年に飛びかかろうとしていた子鬼の腹を突き刺す。これで、全部か。確認する為にヴァリスが首を動かしたその横で、子鬼が真っ二つに切断された。
「始めに敵の数を確認しろよ、ヴァリス」
真っ二つにされた子鬼の後ろで、ヴァリスの相棒、ジェイが笑う。その笑顔にむっとしながら、ヴァリスは銀髪の少年の方を向いた。一緒に仕事をするようになってから半年経つが、未だにジェイの馴れ馴れしさや物言いに慣れない。慣れることなんて、永遠に無いんじゃないか。最近ではヴァリスはそう思っている。
それはともかく。
「怪我はないか、ティア?」
少年に向かって、そう尋ねる。彼の名はティアリル。ヴァリスの弟的存在だ。先程の叫び声も、ティアの声だからヴァリスは駆けつけた。それくらい、大切な存在。
「うん。僕は、大丈夫」
そう言いながら、ティアが後ろを向く。
「この、子は?」
丁度ジェイが、木の根元に倒れている黒服の少女を助け起こしたところだった。そう言えば、ティアもこの子を守るように子鬼と対峙していた。苦い感情が、ヴァリスの心を支配した。こんな見知らぬ少女の為に、自分の身を犠牲にする必要は、ティアにはない。
少女の黒いローブから、首に掛けたアミュレットが零れ落ちる。円環状のそのアミュレットに、ヴァリスの嫌悪は最大になった。彼女は、大地母神アルリネットの神官だ。でも、なぜこんな所に? アルリネットを祀る神殿は、大陸の南西にある島アルトティスにしかないはずだが。
と。
「ジェイ、ちょっとその人そのままにして」
不意に、ティアが声を上げる。
「どうした?」
「その子の、背中」
不審な声を出すジェイに、ティアは少女の背中を指し示して答えた。
ヴァリスも、ティアの指の先を見つめる。何が問題かは、すぐに分かった。
「『影』だな」
少女の背中、黒いローブの上を覆うように、もう一枚黒い服を着ているようなべったりしたモノが見える。これが、『影』。どこからともなく現れ、身体や心が弱っている人に取り憑き、その人の心を支配するモノ。これに取り憑かれた人は段々と正気を無くし、放っておくと無差別に人や物に害をなすようになる。この『影』を取り除く方法は、唯一つ。
呼吸を整える間もなく、ティアが急に歌い出す。その歌声は風に乗り、森のあちこちに響き渡った。そして。少女に取り憑いていた『影』は、ティアの歌声に合わせるように少しずつ小さな粒子となり、歌が終わる頃には全て、影も形も無くなっていた。商業兼聖堂都市ヴェクハールに伝わる『呪歌』だけが、『影』を取り除く唯一の方法。そしてティアは、ヴェクハールの聖堂の中ではその呪歌を一番上手く歌える人間だった。
「これで、大丈夫だよね」
ジェイに抱かれた少女の顔色を覗き込み、ティアが微笑う。
「しかし、結構分厚い『影』だったぜ。これでよく正気だったな、彼女」
「うん、多分、強いんだよ」
ジェイの言葉と少女の回復にほっとしたのか、ティアは離れて立っているヴァリスに近づき、その手を握った。
「ヴァリスは、もうお仕事終わったの?」
「ああ」
ヴェクハールの聖堂騎士(見習い)であるヴァリスの今日の任務は、商隊を一つ、近くの村まで安全に案内すること。子鬼が頻繁に出没し、『影』とそれに取り憑かれた人間への恐怖がある今の時勢では、大変だが騎士としては欠かせない仕事だ。
「ティアは、終わったのか?」
確かティアの仕事は、これも近くにある別の村へ届け物をすることだったはずだ。ヴァリスの問いに、ティアはうんと答えて遠くの籠を指差した。その籠の側にも、子鬼が倒れている。おそらく少女が子鬼に襲われているのを見るやいなや、籠を投げ捨てて少女の助太刀に回ったらしい。ティアらしい。ヴァリスはそう思い、ティアの頭を撫でた。
と。
ティアの身体が、急にふらつく。大慌てで、ヴァリスは倒れるティアの身体を支えた。
「大丈夫か、ティア?」
『影』を祓う『呪歌』は、歌うのに大量の体力を要求する。身体の弱いティアが歌うには、無理がある。だが、ティアは歌うことを止めない。
「歌うことも、人を助けることも、好きだから」
かつてティアは、ヴァリスにそう言った。
ティアを止めようとしたことも、実は何度かある。だが、それでもティアは頑固に歌うことを止めないので、最近のヴァリスは予防(ティアが歌う必要がないようにすること)と対処(ティアが倒れた時にこれ以上歌わせないようにすること)を中心に頑張っている。
今回も。
「仕事が終わっているのなら、ヴェクハールまで連れて帰ってやる」
そう言いながら、ヴァリスはティアの小柄な身体を自分の背中へと押し上げた。
「ヴァリス、僕は、大丈夫だから」
弱々しく呟くティアには耳を貸さない。問答無用だ。
「じゃ、俺はこの少女を背負って帰る」
ティアを無理矢理背中に乗せるヴァリスの横で、ジェイがひょいっと黒服の少女を背中に乗せる。
「ティアも、少しはヴァリスに甘えれば?」
ジェイの言葉で、ヴァリスの背中のティアは少しだけおとなしくなった。




