第四十七話 巫女魔女人魚
会話追加しました。
朝間神社。
燈現市のちょうど真ん中に位置するそこは、さしずめ人と妖の中心に位置し、二つの世界の境界を現しているようでもあった。
「はぁ、かったるい」
その神社の境内で一人の少女が掃除をしながら溜め息をついていた。整った顔立ちは寝ぼけまなこ、慌てて着替えたのか、巫女装束はだらしなく着崩れており、ちゃんと手入れすれば美しいはずの長い黒髪もクセッ毛だらけ。まさに残念美人という言葉を体現したような少女であった。
彼女こそは朝間家次女、朝間明日香である。
彼女らは総出で神楽舞や祈祷、おみくじやお守りの用意など、この時期はかかりきりなのだが、今日は母は町内会と打ち合わせ、姉は商店街の準備中に騒ぎを起こしたという雪女をシバく、もとい鎮めに行ってしまったため、こうして家の雑用を一手に任されてしまっているのだった。
「初詣が終わったと思ったら冬現祭の準備とか……ホント面倒くさい」
「またお主は愚痴愚痴と、少しはしゃんとせぬか」
いい加減に箒を掃っている明日香を賽銭箱の上に座りこんだぬいぐるみ……もといそれを依り代にした神獣・獏がたしなめる。
「第一、巫女だとか関係なしに家の掃除を子が請け負うのは当然の事であろう?」
「残念でしたー。私そんな真面目ちゃんじゃありませんしー」
ああ言えばこう言う、いつまで経っても口が減らないダメ巫女に獏はぬいぐるみの腕で、眉間を抑えるような仕草をする。
やがて明日香は集めた枯れ葉の山を見て、何かを思いつく。
「これで焼き芋を焼いたりしちゃったらダメでしょうかね。そしたら私やる気出ちゃいますよん?」
「たわけ、貴様一人でやらせては火事が起こるわ!」
名案とばかりに顔を輝かせながら挙げた提案を獏に取りつくしまもなしに却下されて、明日香は再びぶー垂れる。
「真面目に仕事に取り組んでるんですから、これくらい役得があってもいいじゃないですかぁ」
「巫女の不祥事で神社が全焼とか笑い話にもならん」
「私そんなに信用ないんですか!?」
容赦のない獏の言葉に明日香は若干ショックを受けていると、ふと入り口の鳥居の向こうの下り階段の方から足音が聞こえてくる。
「うわぁ、参拝客でしょうかね? 本当メンドくさい……」
「たわけ。巫女が参拝を面倒くさがってどうする! それに真摯に祈りや願いをささげてきた者かもしれんだろう。丁重に迎えるのだ」
そう言いながら獏は姿を消すことにする。いわくアレでも神使の端くれゆえ、安々と人前には出られないのだそうだ。
一方で明日香も一瞬で身だしなみを相応に見れる格好に整えて、ビジネススマイルを貼り付ける。相変わらずこういうのはうまいと、透明化している獏は呆れかえる。
「ようこそお越しくださいました。参拝の方ならば――」
「やっほー明日香、相変わらず下手糞な作り笑いだね」
フランクな語りかけと共に登ってきた相手の顔を確認すると、明日香は被っていた猫の皮をすぐに剥がす。
「実里!? アンタ生きてたの!?」
「どういう意味だコラァ!」
久しぶりに顔を合わせる友人に対してはあんまりな物言いに東雲実里は青筋を立て怒鳴る。
だが、この実里という少女は数週間前にとある事件に巻き込まれて、ついこの間まで入院していた。
連絡こそ取り合っていたものの、退院した後も、ロクに登校せず顔も会わせなかったため、驚くのも仕方ないかもしれない。
「いやでも元気そうで良かったよウン。嬉しい。私、超嬉しいわー」
「取ってつけたような祝いの言葉ありがとう」
無事の確認をしていたとはいえ、一度も見舞いに来なかった薄情な友人に対して、文句の一つでもくれてやろうと思うも、実里はこのまま憎まれ口を叩きあっても、話が進まないので、理性をフル稼働させて頭を冷やす。
「一応はお見舞いに行こうとは思ったんだけどね。病院中に、国の陰陽師の式神が飛び回ってたもんで行きずらかったのよ。ウチ、あの人らとあんまし仲良くないから」
「最初からそう行ってくれりゃ良かったじゃん……」
いつもそうだ。彼女はこうやって本音を皮肉や憎まれ口の後にサラリと吐き出す。大したことではないように。お茶を濁すように。こんなだからクラスでも偏屈と誤解されるのだ。
自分は高校に入ってから彼女と知り合ったので、付き合いは一年も満たないが、彼女と昔から交流があったという幼馴染は大変だったことだろう。
「あとアンタの家に行くのはもう絶対嫌だし」
「それも本音じゃないだろうね?」
再びブチキレ寸前となる実里、彼女の沸点は割と低い。
ちなみに明日香が実里の家に立ち寄らないのは昔遊びに来たときに、彼女が飼っていた食肉植物に手を噛まれたり、天井の方には蝙蝠やカラスが飛び交っていたからなのだったりする。
何気なく床に手をついた時、どこからかやってきた蛇に巻きつかれたのはトラウマだ。
「私はお前を許さない。絶対にだ」
「突然どうした!?」
苦い過去を思い出し、わりかしシリアスな顔で絶許宣言をする巫女に、いつになく戦慄する魔女。
やがて会話のタイミングを見計らったように明日香は実里の足の後ろの方に隠れた人影に目を移す。
「それでそっちの小さい子のはどちら様?」
明日香の言葉に人影はビクリと震えて、ますます身を縮こまらせる。
「人じゃないわよね?」
そこにいたのはワンピースの上に冬用の厚手コートを羽織った小学生の低学年ぐらいの少女だった。実里の影からこちらの様子を窺っているが、単純に人見知りだとかそういう理由ではないのだろう。
「淡海……です」
精一杯の勇気を振り絞って、おそるおそる顔を出しながら、なんとかそれだけ自己紹介すると淡海と名乗った少女は、すぐに実里の後ろに引っ込んでしまった。
「元から臆病な子なんだけど、やっぱりこういう場所は苦手みたいでさ」
そんな臆病な少女を無理して連れてきてしまった負い目からか、どこかバツが悪そうな実里に明日香は苦笑して返す。
元々、神社のような神が祀られている神域は自然と不浄なる者が入れぬように結界が張られる。何を持って不浄とするかはその神社によって異なるが、ほとんどの妖怪はそういった場所にも立ち入れぬし、彼ら自身も本能か近付こうともしない。
「基本ウチは人も妖もオールオーケーなんだけどね」
そう言って明日香は指さすと、その先には入り口の鳥居の上で長いザンバラ髪に爛々と光る眼に口元から覗かせる曲がりくねった牙を持つおどろどろしい妖怪が鎮座していた。
「おとろし……だっけ? 前に遊びに来た時からいたよね?」
「私が子供の頃からいたわよ。昔は怖かったけどもう慣れちゃった」
見た目だけなら相当に恐ろしい妖怪なのだが、これが本当にそこにいるだけで何もしてこないため、今ではすっかり見慣れたもので、それどころか最近ではすっかりマスコットと化してきていたりする。
「まぁ母さんの結界もあるし、それすらも破るような奴がいたら……お姉ちゃんがなんとかするでしょ」
「梓さんかぁ……。最初に会った時はかっこいい美人さんだと思ってたんだけどな……」
実里は町中で諍いを起こしていた妖怪と退魔師の両名を物理的に両成敗していた鬼神の如き彼女の姿を思い出し、思わず身震いする。
本人は笑いながら、生まれつき頑丈で体も鍛えてるだけと言っていたが、少し鍛えただけの成人女性が拳一発でトラックを横転させたりできないと思う。
本当に彼女は人類なのだろうかと疑念はつきない。
「まぁ、お姉ちゃんの事はおいといて本当に何しに来たの? 実里だけなら遊びに来たで済ませられるけど、そっちの子を含めるとするなら、ちょいと訳ありでしょ?」
まるでこちらの悩み事を見透かすような明日香の口ぶりに実里は誤魔化すように肩をすくめた。
本当にこの友人はこんな時だけ、察しがいいのだから困る。ふと気付くと淡海の方もこちらを見ながら手を強く握っていた。
どうやら察しがいいのはこっちも同じらしい。
後押しされた実里はポツポツと語り始める。
「まぁここに来たのは相談なんだよね。学校で話すには……まぁちょっと身内の恥とかが絡んでて話づらいし……」
数週間前に自分が巻き込まれた事件と、その時に知った己の体にまつわる秘密を。




