第三十五話 理由とか贖罪とか
「じゃあ君が私のヒーローになってよ」
「いいもん。私はヒロインになって君に助けてもらうから」
白い部屋で目の前の少女にそう言われて、翔吾はこれがいつもの夢だと自覚する。まだ自分が実験動物であった頃の話だ。
最近、……いや、あの手痛い敗北を喫して以降、何度もこの夢を見る。
我が事ながらウンザリする。一体いつまで自分はこんな昔に拘っているのだろうか。父や姉たちの仕事の手伝いを始めてからは全く見なくなっていた夢だった。とうの昔に乗り越えて克服したものだと思っていた。
過ぎた事だ。終わったことだ。戻らないものだ。
「そうやって逃げるんだ」
目の前の少女がいきなり、そう口走った。いままでの過去を再現するだけだったはずが、どういうことだろうか?
翔吾の疑問を見透かすように、それでいて嘲笑うように、少女は歪な笑みを向けてくる。
「私知ってるよ? アナタがあの実里って子を助けようとしたのは昔私を助けられなかった罪滅ぼしのつもりだったんだよね?」
「何を……」
翔吾が何かを言う前に、少女は有無を言わさぬ調子で畳み掛けてきた。
「無駄だよ。私とあの子は別人だもん。そんなことしても過去の清算なんてできやしない」
「うるさい」
「今までは楽だったよね? 自分よりも弱い妖怪を圧倒的な力で叩き潰して……。気持ち良かったよね。その間だけアナタは昔の弱かった自分を忘れられた」
「うるさい」
「でもあっさりとあの黒い怪物にやられちゃって、殺されかけて。おかげで思い出したんでしょ? あの頃の無力な自分を」
「うるさい」
「拒んでも無駄だよ。本当はもう知ってるんでしょ? アナタが持ってた聖剣の力は戻ってこない。アレはレプリカといっても勝者にしか傅かない絶対の力。怪物に敗北したアナタの所にはもう戻ってこない」
「うるさい!」
「アナタはもう弱いまま」
少女の言葉は確実に翔吾の心を抉り続ける。もはや今の翔吾に普段のような飄々とした佇まいは欠片もなかった。そこにいるのは正論を叩きつけられて、それでも己の非を受け入れられずに駄々をこねる子供そのものだった。
「アナタはヒーローになんてなれないよ。だって私を助けられなかったあの日から全然成長してないもん」
「うるさ……!?」
なおも、少女の言葉を拒もうとして、翔吾は目を見開いた。
「私を見て?」
少女の姿が変貌していく。服ごと爪のようなもので引き裂かれた生々しい傷跡、そこから内臓がはみ出し大量の血が溢れ出て滴っている。歩く死体と化した少女は翔吾に歩み寄る。翔吾は近づいていく少女に対し何もできない。それどころか腰を抜かしてへたり込んでしまった。
「ひっ、あっ……」
逃げだしたい。でも動けない。目を閉じたい。でも見ずにはいられない。耳を塞ぎたい。それでもなお声は聞こえてくる。
少女はこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
「来るな……。来ないでくれ……!」
丁度、頭の位置が同じぐらいになった翔吾の耳元に少女はゆっくり囁く。
「だからあの実里っていう子も守れない」
気付けば目の前にいたのは血まみれの実里だった。
◆
「……!!」
そこでようやく翔吾は意識を覚醒させた。
思わず反射的に布団から夢のせいで汗だくになった体を起こそうとすると、体中に痛みが走る。その痛みで翔吾は自分が敵の罠にかかり爆風に飲み込まれ死にかけたことを思い出す。
ゆっくりと痛みに耐えながら起こして、改めて辺りを見回してみると、そこは見慣れた、もといつい先日に来たばかりの部屋だ。
上半身は服を脱がされ、その代わりに包帯が巻かれていた。ほのかに花のような良い匂いとツンとくるような刺激臭が混じっていた。
「ああ、目を覚ましたんだ」
声がする方に向くと、台所のほうで実里がジャージ姿の上にエプロンを着て立っていた。
「ちょっと待ってな。今、お粥作ってるからさ。あ、あと体動かさないでよ。体中火傷と打ち身、下手すれば骨と内臓もイってるかもしれないんだからさ」
やがて実里は煎じた野菜と卵を混ぜ合わせたお粥を持ってきて。『あとは勝手に食べな』と言って救急箱から新しい包帯と怪しい色の液体が入ったガラス瓶を取り出し始める。
「そこは『はいアーン』って手ずから食べさせて欲しかった……」
「……は?」
「なんでもないです」
実里のゴミを見るような視線に耐えられず、翔吾はいそいそと粥を食べ始める。卵と野菜が混ざってて割と美味しい。食べる程、何だか活力が湧いてくるような気がするのは、このお粥に魔術的な要素が含まれているからかもしれない。
取り替えるための治療用の包帯を作っている彼女の後ろ姿を見て、ふと夢でのあの少女の言葉を思い出して安堵してポツリと漏らす。
「とりあえず良かった。無事だったんだ」
「アンタがあそこから脱出すると同時に爆発が起こったんだけど、その寸前に遠くへ投げ飛ばしてくれたんだよ。……アンタ、私の事をボールか何かだと思ってんの?」
若干恨みがましい目で睨みながらも、実里は手慣れた風に翔吾の身体の包帯を取り替えていく。
「それにしてもとんでもない体力だよね。退魔師って普通術以外は常人なのにさ。何、アンタ特殊な訓練でも受けてたの?」
「あー、だいたい正解かな。似たような訓練は昔から受けてた」
「ふうん、ロクな訓練じゃなさそうだね」
「それも正解」
そういいながら、実里は翔吾の背中をなんとなしに触ってみる。最初に受けた優男のようなイメージとは異なり、細くも鍛え抜かれた肉体だ。しかもよく見ると体中に小さな傷痕のようなものが見える。
一体、この少年は自分とそう変わらぬこの歳でどれほどの修羅場をくぐってきたのだろうか。そしてその上に新しく上書きされたかのような赤い爛れた火傷痕、自分をかばって負ってしまった傷だ。その傷に向き合うたびに改めて実里は己の力不足を痛感させられる。
「ごめんね」
「?」
「こんな事に巻き込んじゃってさ」
「……何か悪い物でも食べた?」
この数日という短い付き合いで目の前の少女の人格をわかり始めていた翔吾は軽く動揺する。ぶっちゃけコレが終わったら、黒幕の探索に付き合わされると思っていたぐらいである。間違ってもこんな俯きながらも殊勝な態度を見せて詫びをいれるような人間ではないと思っていた。
「本当なら私一人で全部やらなきゃいけなかったのにアンタを巻き込んで……」
「いや、そもそも僕が自分から巻き込まれて……」
そこまで言いかけて、翔吾はついさっきまで夢に出てた少女の言葉を思い出した。善意を装った己のエゴに翔吾は言葉が続かなくなり、代わりに実里の方が身の内を吐き出す。
「私が弱いから、未熟で、半人前だから……おばあちゃんは私を魔女と認めてくれなかったんだとそう思ってたんだ」
彼女は家業を継ぐか否かで祖母と口論して出て行った、実里は家業を……魔女の称号を継ぎたかったのだ。だが、祖母はそれを認めなかった。称号を継ぐと言うことは、家に受け継がれた魔術の最奥と宿業を背負うという事だ。
現在でも魔女という異端の異能者はその独特な術式を含めて高い価値を有している。当然それらを狙う輩も後をたたない。祖母は彼女にそんな業を背負わせたくなかった。だが、実里はそれでも彼女の跡を継ぎたかった。そうすることが自分を引き取り育ててくれた祖母への恩返しになるし、祖母も喜んでくれると思ったのだ。
「私は何にも見えてなかった」
結局話は平行線を辿り、実里は祖母の家から飛び出してしまった。実里は新しい場所で独自に魔術を研究しに大きな功績を残して、祖母を無理矢理にでも自分を認めさせたかった。
結局その機会は二度と訪れなかったのだが。
「結局、私はおばあちゃんの想いも自分の事も何にもわかっちゃいなかった」
訃報を聞き、実家に急ぎ帰ってみるとそこには冷たくなった祖母が眠ったように亡くなっていた。そんな祖母の姿を見て、彼女は今まで自分がやってきた事が頭の中でフラッシュバックした。
そこで実里はようやく思い出す。自分は褒めてもらいたかっただけなのだ。
喜んでほしかったのだ。
それなのに意地を張って暴走して飛び出して、一番に自分を見て欲しかった彼女の死に目にも会えなかった。なんてザマだろう。
「だから人魚……淡海を助けるのも、結局はその独りよがりの罪滅ぼしなんだよ」
自嘲するように実里は天井を見上げて嘲笑う。他でもない身勝手でやることなすことが裏目に出る馬鹿な女を。
「あぁ、そうだ。あの子は私とは違う。ずっとあの人と一緒にいてくれた」
そこで実里が思い出すのは祖母の遺体に縋って涙を流していた、人魚の少女。現実を受け入れられずに硬直して呆けていた自分の代わりに大声で泣いてくれた淡海だ。
祖母の手紙なんて関係ない、確かにきっかけはソレだったのかもしれない。正直何度も狙われて心が折れそうになった。
「それでも、……いや、だからこそあの子だけでも取り返したい。助けたいんだよ。……それが私のあの子への恩返しだ」
そう言って包帯を巻き終えた実里は息をついた。やがて自分が何を口走っていたのか思い返していくと次第にゆっくりと頬を紅潮させていく。気が弱っていたとはいえ思わず色々と恥ずかしい事を喋ってしまった。
(馬鹿か、私は! すっかり心許してんじゃんか!)
自分のチョロさにすっかり軽く絶望しながら、実里はどう顔を突き合わせたらいいかわからずに、頭を抱えて悶絶する。そのまま、しばらく気まずい沈黙が部屋を支配していたが、このままでは仕方ないと意を決した実里はゆっくりと翔吾の方に顔を向ける。
「グゥ」
ぐっすりと寝てた。気持ちよさそうに、スヤスヤと。
実里はこのバカの腹に布団の上から全体重をかけた両足蹴りを喰らわせたい衝動に駆られたが、さっきまでコイツがあの話を聞いていたとすると、蒸し返すのもマズいと思い(既にこの時点で怪我人に対する配慮はない)、気分転換をかねて部屋もといアパートの一室を出る。
同情して欲しかったわけでもないし、感想を聞いてほしかったわけでもない。木の洞に本音をぶちまける気分で喋ったつもりだったが。
(ああいう反応されるとやっぱムカつく!)
バタンと強くドアを閉めて出ていく実里を布団越しで見送った翔吾は布団から顔を出して息を吐く。
「嫌だね。本当にあの子の言う通りじゃないか。逃げてばかりのどうしようもない奴だよ。……僕は」
そう言って翔吾は出て行った少女を、自らの行ないに後悔しながらも、そこから逃げず終わらずにに今やるべきことを為そうとする強い少女を思い出す。
「独りよがりなんてしてる奴はあんな強い眼差しはしてないよ」
あまりにも眩しすぎて見てられなくなってしまい、思わず寝たふりなんて古典的な事をして逃げてしまった。まあ、向こうもあえて引っかかってくれたのだろうが。
「考えることもやめて力に溺れて暴れてただけの僕よりもはるかに強いよ、君は」
そう、いなくなった彼女に対して羨望と敬意を込めて言葉を投げかけた。




