第二十八話 獺と岸涯小僧
妖怪をもっと出していきたいですね。
「だっあああああ! オラはまだ負けてねえ! まだまだ吞めるぞ、チクショウ!」
「おいおい、オメエさん。それ以上呑んだら泳ぐこともままならねえぞ?」
「うるせぇ! どいつもこいつもオラの事を馬鹿にしやがって!」
「会話もできねえぐらい呑み過ぎちまったのか?」
夜の山沿いの河川敷の小川を悠々と歩く二人の男がいた。会話だけ聞くなら、ただの酔っぱらいとそんな相方を諌める二人組である。
ただし彼らは人ではない。
諌めている方は茶色い毛むくじゃらの獣が二足歩行で歩きで笠をかぶり襤褸の着物をまとっている。酔っぱらいの方は服など一枚も羽織ってはおらず、体は緑色と頭部は灰色の体毛を持ち猿のような造形である。しかし口から覗かせる歯は全てやすりのように鋭く尖っている。
獺と岸涯小僧。それが彼らの妖怪としての呼称だ。
「仕方ねえだろ。あんなに周りから勧められちゃあ断われねえよ」
「だからってこんなグデングデンになるまで呑むかねえ……」
呆れつつも獺は酔いつぶれて、歩く事もままならない岸涯小僧の腕を肩にかけて歩く。
「うっぷ、もう少しゆっくり歩いてくれえ……」
「贅沢いうな。それと本当に吐きでもしたらそのまま捨てて帰るからな?」
そう言いながら、獺はもう片方の手に持った提灯の灯りを頼りに夜の帰路につく。
今回、彼らはうまい酒が手に入ったと知人の古狸に誘われ、川で獲れた肴を土産に、朝から晩まで飲み明かしていたのだ。
ウワバミのごとく酒をあおる二人(二匹?)を傍らで見ていた獺は、彼らの暴飲っぷりを見てああはならぬと自粛。勧められた酒だけをちびちびと飲んでいると、夕暮れ頃には平気な顔をして酒をあおっている古狸と完全に酔い潰れてしまった相方の姿があった。
「毎度のことだが、下戸の癖にいちいち呑み比べをふっかけんのはやめろ」
なお、余談ではあるが同族のよしみと言って、タダ酒をせがんできた若い狸がその古狸に叩き出されたりしたのだが、それは彼らにとっては関係のない話である。
「全く……坊主殿に勝てるわけないだろうに」
「だってよう。あの人、オラの事を魚獲りしか能のねえ河童だって言うんだぜ?」
「お前さんがさらにその前に『四六時中酒ばっか呑んでて恥ずかしくねえの?』とか言うからだろうに。悪酔いしやがって……」
「だってよう……」
「とにかく今日はさっさと帰って水飲んで寝ろ」
愚痴を垂れ流す岸涯小僧をピシャリと黙らせながら帰路につく獺。だが、遠くから地響きによる揺れを感じて思わず立ち止り、彼の肩によりかかっていた岸涯小僧はバランスを崩して転びそうになった。
「っとと何だい。急に止まるんじゃねえよ、フラつきやがって」
「違う、地面が揺れてるんだよ。わからんのか?」
文句を言う相方を無視して、獺は動物として残った野生の五感を研ぎ澄ませて地響きの揺れがどこか来ているのか探る。だがその答えは思っていたよりもすぐそこにあった。
「……おい」
「あぁ?」
「ありゃあ、がしゃどくろじゃねえか?」
岸涯小僧は一瞬獺が何を言ってるのかわからなかったが、ここから一キロぐらいの距離、木々しかないそこから見えるのは満月の光に照らされながら、悠然とそびえる巨大な骸骨。
骸骨はそのまま何をするでもなく立ち尽くしており、二人はそれを眺めるばかりであった。
がしゃどくろ。
死霊や怨念の集合体にして、見境なく暴れ回り人を襲い潰して喰らうとされている妖怪。
「あば、あばばばばばばばば……」
「廃寺のとこの新入りじゃねえよな?」
そんな妖怪がなんでこんな場所にいるのだろうかと冷静に状況を分析しようとする獺をよそに、岸涯小僧はかちかちと鋭い歯を恐怖で鳴らしながら、完全に腰を抜かしてしまった。どうやら完全に酔いは醒めてしまったようだ。
「は、早く逃げ……逃げ……」
「落ち着け。もう消える寸前だぞ、ありゃあ」
獺の言うとおり、がしゃどくろは二人が姿を確認していた時には既に次第に輪郭がぼやけ始めており、そのまま最後には消えてしまった。
「消えちまった。結局なんだったんだ? ……そういや、ちょいと前にここら辺で退魔師たちと街の連中が一戦やらかしたんだっけな。俺たちはおっかなくて参加できかったけど、もしかしてそれが関係してんのかね?」
約一ヶ月前、とある大妖怪の血を引く少女が外から来た退魔師たちに捕えられたという事で、その少女を助けるため立ち上がった街の妖怪たちと抗争となった。
その戦いに参加しなかったことに対して負い目があるのか、獺はどこか申し訳ないような口調で呟いたが、岸涯小僧にとってはどうでもいい事だった。
どうせ自分たちのような非力な者が参加しても足を引っ張るのがオチだ。それなら静観して嵐が過ぎ去る野を待っていた方が利口というのが岸涯小僧の考え方だ。
「んなもん知るか! おい、とっととこんな所ズラかるぞ! またアレが出てきたらどうすんだ!」
「落ち着けって、それよりもがしゃどくろの前に他にもう一体、デカいのがいなかったか? すぐ消えちまったようだが……」
「他にもいんのか? なおさら、ここから離れた方がいいじゃねえか!」
岸涯小僧は騒ぎつつも、なんとか気を持ち直して抜かした腰を無理矢理立たせて、獺の袖を引っ張り、一緒にその場を離れようとするが、進む先に何者かが倒れ伏しているのがを見えて、今度は彼が立ち止まる。
「おい、アレ! アレ!」
「なんだなんだ。腰を抜かせたり、逃げようと騒いだり、忙しい奴だな」
「オメエが落ち着きすぎなんだ!」
見ると獺と岸涯小僧の前には年端もいかない少女が倒れていた。
季節外れの夏物の白いワンピースを着ており、この山の中を走っていたのだろう。あちこちが泥と擦り傷だらけだった。
「人間か……? なんでまたこんな所に……」
「いや、違う」
岸涯小僧の言葉を短く否定し獺は少女に駆け寄って、訝しげな目で観察していたかと思えば、いきなりワンピースのスカートを捲り少女の太腿を露出させる。
「お、おい。何やってんだ!」
『事案だぞ!』と最近覚えた人間の言葉を喚きながら騒ぐ相方を無視して、獺は太腿に張り付いた青い鱗を凝視した。
「……見てみろ」
「オ、オラはそんな趣味はねえぞ!」
「何を言ってるんだ、お前は……」
両手で顔を隠しながら、その指の間からそれを確認した岸涯小僧はもう何が何やらと頭の中は混迷を極めてしまい、獺に説明を求めるも、そこまでわかるか、と首を横に振られてしまう。
二人は半ば現実逃避する気分でふと、満月と星々が輝く夜空を見上げた。
醒めた酔いはもうどうやっても戻りそうになかった。




