第十九話 黙っていたのはお互い様
廃寺のある山の麓から走って20分ほどの距離にある深夜の公園。
時間が時間ゆえに子供どころか人一人いないはずの夜の公園に設置されベンチに、拘束衣を着せられて身動きが取れないシズクは横たわっていた。目隠しと猿ぐつわもされているため、外の様子は全く分からずにそのまま運び出され、何が起こっているのかわからずモゾモゾと芋虫のように動くばかりだ。
「ンンッ? ンンー!」
「ここまで来りゃあ、ひとまず一安心か……」
「ゼェゼェ……それなら一息つかせてくだせぇ。もう足腰が限界だぁ」
そんな寝かされたベンチの上で暴れるシズクを拓郎ともう一人、太った巨漢の男が立っていた。二人ともここまで全力疾走してきたためか息が荒い。
拘束された少女とそんな彼女を息を荒げながら見下ろす二人の男。はたから見ると、即警察に通報されそうな光景であるが、当人らもそれを自覚しているのかのように周囲への警戒を怠らない。まあ彼らが一番に警戒しているのは警察ではなく退魔師たちなのだが。
「それにしても思いの他上手くいったな……。やたらゴツい見張りの男が出てきた時はどうなるかと思ったけど」
「化かすのはオイラの本領ですからねえ……」
そう言ってようやく大男は息が整えると咳払い一つしてくるりと一回転する。するとボワンと白い煙が巻き上がり、煙が晴れたそこにいたのは頭に一枚の葉っぱを乗せた狸、勘助であった。
シズクを運びやすいように体格の大きい成人男性に化けてもらったのだが、やはり体力は変わらないらしい。途中からは拓郎がほとんど引きずる形でシズクを運び出す羽目になってしまった。
「フゥ、狸使いの荒いお人だ。そもそもあんなに沢山の退魔師の中に化けて潜入とか、命がいくつあっても足りゃあしねえ」
そう言いながらも、勘助は久しぶりに人をまともに化かせたのか、どこか満足そうだった。拓郎もこの狸に助けられたのは確かなのでとりあえず正直に礼を述べておく。
「まあ正直お前がいなかったら危なかったな。ありがとうよ」
「え? ……フフン。そうでしょう。そうでしょう。いやぁ、オイラもまだまだ捨てたもんじゃないですねえ!」
「……安々と褒めそやすもんじゃねえな」
ドヤ顔で威張り始める勘助に対して、早くも発言を後悔し始める拓郎。すると遠くから爆音や何かがぶつかったような衝突音が響いてきたのでなんとなしに不安がこみ上げてくる。
とりあえず拓郎は現在までの状況に至るいきさつを振り返ってみる。
確か村田やあの後ろから刺した男に顔が割れていたため、鵺や冷奈たちが行動を起こすまで自分達は草むらに隠れて待機していたのだ。見張りの男は変化した勘助に対して疑いの念なんて一切も抱かずに一言二言言葉を交わしたら快く頷き、あっさりとコンテナを開いてシズクを解放してくれた。
かくして鵺の起こした混乱に乗じて、彼らの仲間を装いシズクを助け出すという雑な作戦は拍子抜けするほど簡単にいった。
(冷奈さんたちには感謝だな)
今も向こうで戦っている彼女たちの身を案じながら、拓郎はシズクの自由を奪う拘束具を一つずつ解いていく。
「アチッ」
彼女に貼られた札を剥がしたり、鎖を解こうとする度に手の平に火花が走ったり、高熱を発して火傷しそうになるが、いちいち気にしてはいられないとばかりに拓郎は力尽くで剥がしにかかる。
その様子を勘助は不思議そうに覗き込む。
「あれ、旦那。その札とか退魔式の封印ですよね? なんで人間の旦那がダメージ受けてるんすか?」
「……今の俺も妖怪みたいなもんだからな。そもそも向こうの騒ぎだって俺の体が万全なら鵺や冷奈さんたちと一緒に俺も暴れる予定だったんだよ」
「『妖怪みたいなもん』? ……そりゃあどういうこって? つうか旦那って戦えましたっけ?」
「……」
勘助に問われて拓郎はだんまりを決め込む。
だが視界と聴覚が自由になったシズクもじっこちらを見つめているのに気付く。無視をするのは簡単だ。だが自分はシズクの秘密を知ってしまった。ならば今度はこちらも自分の秘密を打ち明けるべきではないのかと考えがよぎる。しばらくして拓郎はどこか諦めたようにかぶりを振って口を開こうとする。
しかし次の瞬間、拓郎の胸に尋常ではない痛みが走る。身体の中に直接火かき棒をねじ込まれたような感覚。
拓郎はこれが警鐘であると一瞬で理解した。
「見ぃつけた」
忘れるものか。この痛み、この気配、この声。拓郎は数時間前に貫かれ、ついさっき塞がったばかりの傷口を押さえながらも、声がした方向を睨みつける。
それに気付くと同時に光の斬撃が迸りシズクが寝かせられていたベンチが真っ二つになった。
「姐さあああああん!?」
光の斬撃の衝撃に吹きとばされながら勘助は悲鳴混じりにシズクを呼びながら、そのまま彼方まで飛ばされるかと思いきや、衝撃に踏みとどまっていた拓郎がとっさに勘助の尻尾を掴む。さらに拓郎はいつの間にかもう片方の腕でシズクを抱きかかえており、衝撃波と共に舞い上がった砂埃が収まるのを待った。
「二人とも大丈夫か?」
「旦那ぁ……」
「ンー!」
ガタガタ震える勘助といまだにモゴモゴと何かを叫んでいるシズク。とりあえず二人の無事を確認すると、拓郎は斬撃が飛んできた方を睨みつける。
「逃げられると思った? 残念、退魔師からは逃げられない」
そう言ってケラケラと無邪気な笑顔でこちらに歩み寄ってくるのは、あの時の白を基調としたコートを羽織った退魔師だ。よく見ると年はそう拓郎と変わらない少年であるが、そんな少年があどけない笑みを浮かべながら、体中から不釣り合いなほどの威圧感を放ち、その手には無骨なフォルムでありながら精緻かつ華美な装飾が施された西洋剣が握られており、王子というより勇者や覇王といったイメージを抱かせる。
「旦那、助けてもらって悪いんですが、あのまま吹き飛ばされた方が良かったのかもしれませんぜ」
「いまからでも遅くねえぞ。ぶん投げてやろうか?」
いまだに、どこか緊張感のないやり取りをする拓郎と勘助。すると拓郎に抱き抱えられていたシズクが舌と歯を器用に動かし、口を塞いでいた札をようやく剥がした。
「ぷはっ……、皆さんは何をしてるんですか!?」
ようやく口が自由になったシズクの第一声は、拓郎たちへの抗議と悲憤だった。
「……何で来ちゃったんですか?」
次に湧いてきた感情は助けに来てくれことへの嬉しさよりも、なぜこんな死地に赴いてしまったのだという疑問と悲しみ。
生きていてくれたことは素直に嬉しい。
しかし、思い知ったはずではなかったのか。自分と関わってもロクな事にならないと。なのにあんなに傷付いてまで、こんな危ない目にあってまで、なぜ助けに来てくれるのだ。
なんであきらめてくれないんだ。
ずっと騙してたのに。罵られても仕方がないのに。遠ざけられても仕方がないのに。
なんで進んでこんな貧乏くじを引くような真似をしてしまったのだ。
もうこっちは沢山なのに。
自分のような化け物のせいで誰かが傷付くのは見たくない、もう見たくないから、お願いだからもう放っておいて。
「うるせえ」
だが、拓郎はシズクの懇願を拒絶する。
「全部自分のせいで傷付いてる? 思い上がってんじゃねえよ。これはお前の問題じゃないんだ。俺の我が儘でやってることなんだよ」
嘘だ。そんな我が儘なんかで人が命を懸けられるものか。
「嘘じゃねえよ。お前が思ってるほど人は賢くねえんだよ。妖怪みたいな良くも悪くも純真な連中と違ってな」
「それだと旦那の我が儘でオイラは巻き込まれたことになるんですがねえ……」
余計な口を挟んでくる化け狸にデコピンをして黙らせる。
「この際だから言っておくぜ。お前いつまでそんな不貞腐れてるんだ! ずっと見てた俺から言わせてもらうけどな、そんなタマじゃねえだろ!」
「天然か計算か。基本的に人は良いくせにいざって時は要領良く立ちまわったり毒を吐いたり。俺の知ってる緋暮シズクっていうのはそういう奴だ」
「本当は死にたくないんだろ? あきらめたくないんだろ? じゃあ諦めんな、バカ女!」
言いたいことを吐き出し終えた拓郎はゼエゼエと息を切らせながら膝をついてしまう。
「とにかく俺は、俺達はお前を死なせたくねえんだ。たとえどんな思惑があろうと、どんな手前勝手な理屈であろうと……お願いだから、それまで踏みにじらないでくれ」
拓郎はなおも身勝手な激情を紡ぎ続ける。
シズクはわかっている。結局この人は自分を死なせたくないから。見捨てたくないから。必死で言葉を探して自分を心変わりさせようとしているだけなんだ。
なんて稚拙なんだろう。……なのに何で私は涙を流しているんだろう。
「その代わり俺がお前の悲しませるモノを全部―」
「話の途中で悪いけどさ、そろそろ仕掛けさせてもらうよ?」
言いかけた瞬間に、拓郎の頭上に光の粒子を迸らせた一閃が迫る。シズクはなんとか体を動かして、その一閃を防ごうとするが、拘束が完全に外されておらず、ロクに体を動かすこともできない。肩に捕まっていた勘助はもうダメだと己の死を覚悟して目を伏せる。そして、拓郎は己に迫る死に振り向くこともなく腕に抱いたシズクに語りかけ続ける。
「俺がお前の嫌なモンを全部呑み込んでやる」
語りかけながら拓郎は右手を挙げてあっさりとその剣戟を受け止めた。シズクも勘助もさすがの翔吾も何が起こったのかわからずに面食らう。
「お前を傷つける奴も泣かせる奴も……」
剣を受け止めた拓郎の右腕は黒一色に変色大きく盛り上がっていた。鬼の角、虫の節足、獣の爪、牙だらけの口、目、目、目。ありとあらゆる異形の部位がひしめきあっている。まるで趣味の悪いオブジェそのものだ。
少し霊視の心得があるものならすぐにわかる。これらは拓郎の身体が変容したのではない。彼の中に棲みついていたモノ達が勝手に彼の身体から漏れ出している、這いずり、蠢き、そして宿主の身体を侵し尽くしていた。
「最初に刺した時の違和感はコレか……半妖でもない、憑き者だったわけか」
翔吾は合点がいったように呟いた。
最初に彼が九尾を見つけた時、遠目で彼女をかばって村田と争っていたこの男を見た時、悪寒が走ったのを今でも覚えている。こんなのは初めての感覚だった。よって、あの時ほぼ反射的にこの聖剣で貫いてしまったのだ。
「本来、君みたいなのは保護対象なんだろうけど、そこの九尾をかばおうとする言動やその末期ともいえる混ざり様を見るに保護する価値もないね。討伐対象にするには十分だ」
正直、失敗だったと思う。……しっかりあの時、息の根を止めておけばよかった。
むしろ、あの一撃が彼の身の内に長らく眠っていたナニカを起こしてしまったのだろう。改めて相対してわかるアレはよくないものだ。妖怪としての格はさておき、邪悪さと巻き起こす被害の大きさは九尾の比ではないだろう。
妖狐化したシズクの紅玉と違い眼球そのものを赤く染め上げた右目、どこに焦点が合っているのかはわからないが、その目はおそらく自分に向いている事だろうと、翔吾は聖剣を構えなおす。こうなってしまっては仕方がない。改めてここで仕留めなおすとしよう。
片や、拓郎は身体の右半分を黒に浸食されながらも宣言する。他の誰でもない自分の為に緋暮シズクを救うと、そのためならば……
「全部呑み込んでやる」




