第十三話 雨と訪問者
下校時刻。突如雲行きが怪しくなり、降りだす前にさっさと帰ろうと、拓郎とシズクは少し急ぎ足で土手の道を歩く。
拓郎は気まずそうにシズクの前の方を歩き続けている。
以前の休日の会話以降どうにもぎくしゃくしてうまく話せないでいる。
この事を妹の湯那に話したら、自分が余計な事を言ったのではないのかと、ジト目で睨まれた。
三華や綾瀬委員長に話したら、何か不埒な事をしたのではないかと、勘繰られたりしたし、彼女らは自分の事を何だと思っているのだろうか。
まあ、正直言うと心当たりがないわけではないので、その視線自体、辛いものがあった。
ふと、チラリと後ろを見ると、シズクは俯きながらも拓郎の後をついてきており、その表情は窺い知れない。学校で綾瀬らと会話していた気がするが何かあったのだろうか。
(人の事とやかく言えねえだろうが……)
委員長たちに内心毒づきながら、拓郎はできる限り、明るい感じを取り繕いながら、話しかけてみることにする。
「あのさ、何か言いたことがあったらハッキリ言ってくれないか?」
ついに口火を切ってしまった。だがもう止まらない。
「俺、馬鹿だからちゃんと言葉にしてくんないとわからないんだよ」
前を向きながら言ったため向こうの表情までは伺い知れないが、もう野となれ山となれ、後のことなど知ったことか、とやぶれかぶれでいると、いきなり後ろからシズクのか細い声がした。
「ごめんなさい」
と短く謝意を放った。
その一瞬シズクの声と分からない程、重い沈鬱な声色に拓郎は思わず振り向くと、そこにはシズクは両肩を抱きながら小さく震えていた。
最初会った時のような小鬼共の悪戯による恐怖とは違う。
いつもしょうもない口喧嘩をした時の膨れっ面と共に見せる意固地のポーズとも違う。
今までせき止めていた物を抑えきれずに限界を迎え目の前の相手にぶつけようとしていた。
「私はずっと夜帳君達に嘘をついていました」
やがて吐き出すようにポツポツと喋り始める。
「私は霊能力なんて持っていません」
そのまま、自分の存在が虚偽であることを明かす。その姿に拓郎は最初彼女が自分に土下座した姿を思い出す。あの時に感じた違和感、それは罪悪感だ。シズクは自分達に嘘をついたことに罪悪感を覚えていた。
「私は……」
拓郎は静かに聞き入る。
「ようやく見つけたよ」
そこにシズクでも拓郎でもない男の声がシズクの言葉を遮る。
声のする方向に目を向けると、そこにはいたのはスーツを着た二十代ぐらいの男だ。
スーツを着た男。それ以外に特徴といっていい特徴がなく、すれ違っても特に振り返ることもない、どこにでもいるような平凡な男であった。
顔面の斜めに走る生々しい裂傷の跡を除けば。
男は口端をつり上げ顔の傷跡を歪ませる。その顔を見た拓郎はゾッと背筋に悪寒を走らせ、頭に警鐘が鳴る。
「まさか、こんな堂々と人として生活しているとは思わなかったよ。灯台元暗しというやつかな。腹立だしいねえ」
男の言葉一つ一つを耳に入れるごとに頭の中の警鐘が大きくなる。
逃げろ 逃げろ 逃げろ 逃げろ 逃げろ 逃げろ 逃げろ 逃げろ 逃げろ
だが、足が震えて動かない。自分の中の本能と恐怖が拓郎に矛盾した行動をとらせる。
「ああ、自己紹介が遅れたね。……とある退魔師集団に所属しております。村田と申します。以後お見知りおきを」
丁寧かつ慇懃な態度で村田と名乗った男は大仰かつ恭しく頭を下げる。だが、再び頭を上げた時に見えるその男の表情は獲物を見つけた獰猛な狩人のソレであった。
◆
拓郎はシズクの手を引いてひたすらに街中を走り続ける。走るたびに人や妖怪にぶつかり時たま後ろから罵声を浴びせられるが、気にしてはいられない。一刻も早くあのスーツの男から逃げなければならない。
「よ、夜帳君……」
「黙ってろ! 舌噛むぞ!」
シズクは何かを言おうとするが黙る。代わりに彼女は拓郎の右肩と左足の太腿。そこには折り紙で折られた手裏剣が突き刺さってうっすらと赤く滲ませていた。
さきほどの村田とかいう男がシズクに向けて放ったのを拓郎が庇い受けたのだ。
なんにせよ、ようやく身体を動かすことができた拓郎は、そのまま身を翻してシズクの手を引いて駆け出した。
痛くないはずがない。既に滲ませた血はしたたり落ちてアスファルトの地面に点をうっている。
シズクは拓郎の傷を心配そうに見つめている。
彼女の視線に気づいた拓郎はなんとか安心させようと、今自分が思いつける打開策をそれとなく口にする。
「とりあえず……警察に……いや、神社に行くぞ。アイツが退魔師だっていうならあそこには手を出せないはずだ。あそこは神職や払魔に属してる連中は手出しできないようになってるん……」
『そう、うまくいくとお思いですかぁ?』
そこまで言いかけた後、どこからか馬鹿にするような声が響き渡る。思わず立ち止るが彼の姿はどこにも見えない。
『上だよ、上』
上空に目をやると、折鶴が一つフワリと宙に浮かんでいた。辺りは風一つない無風状態にもかかわらず、静かに拓郎の手の届かぬほどの真上に浮かび続ける。
拓郎は舌打ちしてなんとか折鶴の追跡を避けようと狭い路地裏や店の裏口にまで突っ込み逃げ続けるが、それでも折鶴の追跡からは逃れられない。
『無駄だよ、無駄』
せせら笑うように響く羽丸の声に歯噛みしつつも、シズクももう体力の限界で息を切らせててへたり込んでしまった。これ以上彼女を引きずり回すことはできない。
どうにか隠し通路か隠れる場所か周囲を探る拓郎、それでも上から響いてくる嘲りの声はやまない。
『手負いの貴方の方が重傷だろうに、いっぱしの騎士気取りかい? いじらしいことだ』
やがて拓郎は気付いてしまった。今、自分達がいる場所は人の気配が感じられない空き地で、自分達がおびき寄せられたことに。
『「君達は私と相対した時点で既に敗北していたんだよ」』
折鶴とは別方向から重なり合うように響く声。そこにはゆうゆうとこちらに向かって歩いてくる村田の姿があった。
「さあ、鬼ごっこはお終いだよ、子供達」
声の主、村田は右手の指を鳴らすと共に拓郎の体中の至る所から火花が走り、小規模な爆発が巻き起こる。
「ぐ……、あ……!」
爆発自体はそれほど身体にダメージを与える物ではなかったが、その衝撃で思わずシズクの手を離してしまう拓郎。離されたシズクの方は急いで拓郎に駆け寄ろうとするも、突如として紙吹雪が舞い起こり、二人を両断する。
拓郎は腕を振りかぶって、視界を邪魔していた紙片を払おうとするも、紙片は彼の身体に張りつき動きを阻害する。
「無駄だって言っただろ? 私の紙は符術の応用だ。さっきの折鶴も今君に付きまとう紙片も私の霊力が編み込まれている」
紙片の渦の外から村田の声が聞こえてくるが、拓郎は無視しシズクの姿を探し彷徨う。そんなやみくもに駆けずり回る拓郎の姿を遠巻きに眺めていた村田はやれやれとかぶりを振り、指を鳴らし紙吹雪の拘束を解く。
視界が回復した拓郎の目に映るのは、四肢に呪符をガムテープのように巻きつけられて、身動きが取れない状態で地面に横たわっているシズクだ。村田とかいう退魔師はそんな彼女を冷徹な目で見下ろしていた。
「お前……!」
拓郎は有無も言わさず村田に殴りかかるも、すんでの所で躱され、カウンターに膝蹴りを鳩尾に入れられる。
「ごぶっ……」
腹の奥からこみ上げる嘔吐感を押さえつけ、拓郎は村田から距離をとり、どうにか持ち直す。
「まだ、やる気かい? 肩と足の傷もあるだろうに元気な事だ」
村田は呆れたように拓郎を見て笑うも、やがて表情を消して地面に放置されたシズクを睨みつける。その目にはさっきの感情の見えない冷たい目とは違い、嫌悪と蔑視そして憎しみという悪感情が宿っていた。
「まったくうまく取り入ったもんだ。どうやってあの少年を籠絡したんだい?」
そういって村田はシズクを蹴り上げた。
「う……あぅ!」
村田はそう言いながら、今度はシズクの横腹を何度も何度も蹴り上げる。
彼の表情には明らかに喜悦が浮かんでおり、シズクを痛めつけることを楽しんでいることは明白であった。
「お前ええええええええ!」
再び拓郎は激昂し彼に飛び掛かるも、あっさりと胸倉を掴み上げられて柔道の要領で地面に叩き伏せられる。
「縛」
「が……ぐぅ!?」
それでもなお、拓郎は起き上がろうとするも、どこからか呪符が飛んできて拓郎の手足にシズクと同じように巻き付いた。すると呪符は鉛のように重くなり、拓郎は身動きをとれなくなる。
「ぶっ殺してやる……!」
それでも、拓郎は折れる意志を見せずに抵抗を続けようとする。それを見た村田は心底憐れむような表情をする。それがより拓郎の激情を煽る。
「ふむ、そんなに彼女が大切なのかい?」
「当たり前だ!」
「このまま何も知らないのも可哀相だし。……よし、教えてあげよう!」
良い事を思いついたと言わんばかりに、軽快に喋り出す、村田。拓郎は聞く耳持たずといった調子でもがき続ける。
「テメェの話なんざ聞く価値なんてねえ!」
「そう言わずにさあ。まあいいや、勝手に喋らせてもらうよ。彼女の正体をさ」
「……!」
村田の言葉にいち早く反応したのは拘束されていたシズクだ。だが彼女は何かを言う前に村田は彼女の顔を踏みつける。
「この娘は人間じゃない」
「……何言ってんだ! シズクは霊力が強いだけの……」
そこまで言いかけて拓郎はついさっき彼女本人がそれを否定していたのを思い出した。思わず黙りこくる拓郎を見て察したのか、村田は満足げに頷く。
「心当たりがあるようだね。そうさ彼女の周辺にはその兆候が見られたはずさ。特に平然と妖怪や霊が闊歩してるこの街ならね」
村田はそこまで言って、シズクを踏みつけていた足を離し解放する。すると彼女は身動きの取れない身体を拓郎の方へ引きずりながら、村田へ掠れるような声を絞り出す。
「やめて…言わ……ないで。その人に……酷い…事をしない……で」
懇願と嘆願。
それを聞いた村田はますます興が乗ったのか、顔の笑みを愉悦によりさらに深くして、熱のこもった声で決定的なソレを口にする。
「彼女の名は緋暮静九。大妖狐、九尾の末裔さ」
ポツリポツリと雨が降り出した。