第十話 鵺
鵺という妖怪を御存知だろうか?
平安時代に現れた、頭は猿、手足は虎、狸の胴、そして蛇の尾を持つ妖獣だ。各地に伝承を残し、奇妙な鳴き声を上げて天皇を病気にして弓の名手であった源頼政に退治されたという話もある。
「ちゃんとお世話しますから……」
「ダメです。元いた所に捨ててきなさい!」
涙ながらのシズクの懇願をにべもなく却下する拓郎。
その妖獣がシズクの後ろに隠れるかのようにして、身を縮こまらせて丸まっていた。もっともそのサイズは大型肉食獣のソレであり、身体の大部分がシズクの体からはみ出てしており、全く隠せていない。しかも蛇の尾だけシャアアと威勢よくこちらを威嚇してきてる。
「餌もちゃんとあげますし、毎朝散歩にもちゃんと連れて行きます!」
「それって最後は三日坊主になって結局最後は俺が面倒見るパターンじゃねえだろうな!? つうかこんな猛獣を散歩にだせるか!」
こんなものがどうして家にいるのか。シズクによると、朝起きて外の縁側で伸びをしていたら庭の隅っこで火傷だらけで震えているのを見つけたのだという。
確かによく見ると鵺の身体中には生々しい火傷の跡が見え隠れしていた。曲がりなりにも大妖怪として名高い鵺をここまで痛めつけることができる人間だ。十中八九それなりの腕を持つ退治屋の仕業であろう。
(うわあ、関わりたくねえ……)
目つきが悪いせいで不良と誤解されがちだが、拓郎は小市民で一般的な一介の学生だ。こんな猛獣を家で飼うのも、それを追いかけてくるおっかない退治屋と揉めるのも御免こうむる。
そんな拓郎の内心を察したうえで、シズクはなおも懇願するように上目づかいで見てくる。
「そんな目をしても無駄だぞ」
にべもなく拒絶する拓郎に対して、シズクはさらに形態変化。目をさらにキラキラと輝かせて丸めた両手を口元に持って行き小首を傾げてくる。微妙に古いブリッ子モードである。もっとも拓郎としては今時そんなポーズが男に通じると思っているのか。逆にバカにされているようで腹立たしいばかりだが。
「そんな!? 三華ちゃんはコレをすれば男はイチコロだって……」
とりあえず原因はあの性悪猫娘か。後で覚えてろよ。というかいつの間に仲良くなってやがるのか。というか内心をあっさり漏らしてしまう辺り、この少女も大概である。
そこまで考えて、拓郎は思考が脇道に逸れてしまった事に気づき本題をシズクの後ろの鵺に戻すことにする。シズクはせめて体の傷が癒えるまで面倒を見たいとのことだったが、怪我をした野良犬や巣から落ちた鳥の雛とはわけが違うのだ。こんな大妖怪を犬猫のように飼うことはできない。
「まあ、今回ばかりは兄さんに同感だね」
「俺としては普段もっと同感してくれると助かるんだが……」
同意を示したのは縁側で座りながら、拓郎たちの言い合いをずっと横から眺めていた弟の涼太だ。ずっと知らん顔で事なかれ主義を貫いているように思ったが、こっちはこっちなりに鵺の処遇を考えていたらしい。
「ウチの庭はこんな大型動物を飼うスペースはないし、第一餌はどうするのさ。我が家にそんな余裕はないよ」
「涼太君……」
「第一、コレが近所の人を襲わないという保障もないよね?」
ダメ押しするかのように告げる涼太を前に、シズクは何も言い返せない。だが、やがて鵺の方に向き直り狸の胴の体毛を撫でながら、優しく語りかける。
「そんなことはありませんよね? 君は人を襲うなんてことはしませんよね?」
すると丸まっていた鵺は猿の顔を上げて口を開くとたどたどしく人間の言葉を喋り始めた。
「人間マルカジリ。ウマイ」
「ほ、ほら、見てください! この子はいい子です!」
「「いやいやいやいやいや」」
冷や汗を流すシズクに対して思わず涼太と拓郎は手を横に振りながら突っ込む。さっきのセリフのどこにいい子といえる要素があるのだろうか。明らかに人間への害意MAXだ。
お宅の飼い犬ならぬ飼い鵺が近所で人を襲ったなんて笑い話にならない。
よくシズクは無事だったものである。妖怪を引き寄せる体質と聞いたが、どちらかというと好かれる体質でといったほうがいいかもしれない。
「ほら、私が顔を撫でても大人しいままです」
「冗談だろ……?」
彼女の言うとおり、されるがままの鵺を見て、拓郎も興味を示した。この手の妖怪はプライドがやたら高く、自分よりも弱い者には絶対に靡かないと聞いたが、所詮は噂か。
そう思い恐る恐る手を伸ばす。
ガブリ
「うん、知ってた」
右手を噛みつかれて絶叫する兄の姿を涼太は冷静な面持ちで眺めていた。
やがて鵺は渋い面をして、拓郎の右手から口を放す。
「貴様マズイ。本当ニ人間カ?」
「この合成獣が……! 今すぐ知り合いの巫女呼んでくるから覚悟しやがれ!」
「待ってください! これは拓郎君がそんな殺気立った目でこの子を睨んでくるからであって……」
「睨んでねえよ! これで普段通りだよ!」
再び言い合い、しかもさっきよりも明らかに泥沼の様相を示してきて、涼太は折を見て双方を落ち着かせる。
「二人とも落ち着きなって。そもそも兄さん、明日香さんと最近疎遠じゃん。……あ、湯那、おじいちゃん、おかえり」
見ると、そこには夕飯の材料を買いに行ってた湯那と源治が帰ってきていた。
「おかえりー。って何この面白生物!」
「ほう、これは珍客じゃのう」
湯那は新しい玩具を見つけた子供のように鵺とシズクの所に駆け寄り、源治は興味深そうに鵺を見ていた。その様子を見た拓郎は元とはいえ退魔師の家系がコレでいいのかと若干不安になるも、自分も人の事を言えた義理ではないので、とりあえず黙っておく。
「よーしよし、メンチカツ食うか?」
湯那が帰り道で買ってきた揚げ物与えるとそれを無表情(猿の表情など知らないが多分そうである)でを頬張る鵺を見てコイツ単なる女好きなんじゃないだろうかと思い始めいた所、隣の源治に事情説明も兼ねて話してみると鼻で笑われた。
「ハッ、単にお前だけがコヤツに嫌われとるだけじゃろ。ほれ見てみい」
得意げな顔をして右手を鵺に差し出す源治。
ガブリ
「「うん、知ってた」」
絶叫を上げる祖父を見ながら、兄と弟は仲良くハモらせて所感を述べる。
「このケダモノがぁ! そこになおれい! 即刻成敗してくれるわぁ!」
「俺ってハタから見るとこんな風に映ってたんだな……」
烈火のごとく怒り狂う源治を羽交い絞めにしながら、他人のふり見てわがふり直す拓郎。しかし鵺は源治など素知らぬ顔で鼻をひくひくさせて湯那に近付いていく。一瞬だけ周囲の空気が強張るが。鵺が興味を示しているのは彼女が右手に持ったスーパーの袋だった。
「なんだ? これは今日の夕飯の材料だからやれないぞ?」
湯那は困ったように鵺から距離をとる。恐怖心から怯えた様子は見受けられない所を見ると、肝が据わっているのか、危機管理能力が薄いのか。
「良イ匂イ」
「ん? あー、おかずに買ったメンチカツな。よし! 兄ちゃんの分だけやろう!」
「おい待て愚妹」
「……我ガ主ヨ!」
「お前も安いな!?」
そう言って鵺は体を猫ほどの大きさに縮小させてメンチカツを食べ始めた。
「おいコラちょっと待て……」
「何ノ用ダ、人間。食事ノ邪魔ダ」
「お前小さくなれるって何で言わなかったんだよ」
「コウスレバ沢山食ベレル。ソレト貴様ニ言ウ必要がドコニアル?」
暴れようとする拓郎を今度はシズクが羽交い絞めにするのを余所に、涼太は『これで衣食住の問題はOKかな』と呟いて妖怪の生態が書かれた本をそっと閉じた。
◆◆◆
「へえ、ここが燈現市か。妖怪や霊が混じっている以外は普通の街だね。霊災特区とは思えないよ」
少年は青になった信号を渡りながら、楽しそうに呟く。少年はまだあどけなさを残しながらも、端正な容姿を持っており、すれ違う同年代の少女たちは皆後ろからキャアキャアと騒いでいる。だが、その目だけは鷹のように鋭く狩人のソレであった。
そんな少年の隣を歩くタイトなスーツを着込んだ眼鏡の女性、友香は釘をさすように言う。
「翔吾。わかっていると思うけど……」
「わかってるって、無茶なことはしないよ。……でも昨日は惜しかったなあ」
翔吾は既に昨晩、街に入る際に遭遇した妖怪……鵺と一戦繰り広げており、取り逃していた。
イレギュラーであったが、凶暴かつ強く知恵の高い妖怪であるので、できることなら討伐しておきたかったのだが……
「アレも絶対にまだこの街に潜んでるだろうし、いっそここで大暴れしてみようか? どうせ妖怪なんてみんな同じなんだし……」
「翔吾?」
「さすがに冗談だよ」
あっけらかんと笑う弟に対して姉は警戒をゆるめない。ぶっちゃけこの弟ならやりかねない。一応自分達はそれなりに狩る妖怪は分別をつけているはずだが、この少年はいまいちソレが緩い。目を離すと何をしでかすかわからない。
「でも、僕よりも村田さんの方が危ないんじゃない?」
「彼も十分問題児なのは認めるけど、少なくとも街で暴れるなんてことはしないわよ? ……多分」
「僕だってむやみに街中で暴れたりしないよ? ……多分」
ドヤ顔で根拠のないことを言う愚弟に友香は眉根を寄せる。そうして暖簾に腕押しと思っても彼女はいつものお小言を始める。
「今日という今日は言わせてもらいます! アナタはいつもいつも後先を考えずに動き過ぎよ。少しは周りの被害を考えて……」
クドクドと説教を続ける友香に対して、辟易したような表情を浮かべる翔吾。このやりとりももう何度目だろうか。
「とにかく、彼は私達の当面の目標は九尾よ。それを忘れないで」
「わかって……うわっ! すいません!」
うわの空であったためか、すれ違いざまに肩がぶつかてしまった老人に翔吾は短く詫びを入れる。
「ふむ、しっかり前を見て歩かねばいかんぞ、若いの?」
「歩けよー」
食材の入った買い物袋を見る限り、おそらくは夕飯の買い物帰りとおぼしき老人とその孫らしき少女は笑いながらそう言って、そのまま行ってしまった。
「はは、怒られちゃったよ」
「しっかりなさい」
あはは、と頬を掻きながらあどけなく笑う弟を見ながら友香は思う。ここだけ切り取ってみればどこにでもいる普通の少年だ。だが、彼が戦う姿を見れば、今の彼の印象など吹き飛ぶであろう。それが友香には頼もしく、そして悲しい。
彼のその笑顔の底にある空虚さが見えてしまうからだ。この少年は自分には妖怪との戦いしかないと、縛っている。いや、逃げてしまっているのかもしれない。
彼の境遇を知っている友香としては何ともやりきれない気持ちになる。
(この子が年相応の普通の生活ができる日々が来ればいいんだけど)
そんな彼に戦わせている当の自分がそんな事を思う資格などないと、頭では理解しつつも、そんな考えが頭から離れない。
一番未熟なのは結局自分なのだ。なんと中途半端な女だろう、思わず乾いた笑みがこみ上げてしまう。
「姉さん、どうしたの? 笑ってるのに元気ないよ?」
「……なんでかしらね」
そう返すので精一杯だった。