第二話②
メイプルの日記
魚の月××日 寝ても覚めても霧
孤児院にて
「はぁ…。」
「何か悩み事ですか?メイプルちゃん。」
「あっ、クレアさん。」
取り込んだ洗濯物をたたんでいると、背後からクレアさんに話しかけられました。
「えっと、ため息聞こえちゃいましたか?」
「えぇ、とっても大きなのが。」
クレアさんはふふっと笑いながら机の向かいに腰かけました。
「手伝うわね。」
「ありがとうございます。」
「それで、またナナシさんの事かしら?」
「いえ、そういうことでは…。」
「ふーん?」
クレアさんはテキパキと洗濯物を畳みながら話を進めます。
「ということは、二人で喧嘩でもしたのかしら?」
「わかるんですか?」
「ふふっ、まぁね?」
この人はいつでもなんでもお見通しな気がします。
でも不気味というより、お母さんが子供についてお見通し、という感じです。
「…その、ナナシ様にお願いしたんです。私も冒険者になりたいって。」
「冒険者に?」
「はい。」
私は昨夜の事をクレアさんにお話ししました。
「ふーん、なるほどね。」
「あれだけはっきりとダメと言われたのは初めてで…私、間違っているでしょうか?」
「間違ってるかどうか、は私の口からは言えないわね。危険かどうかと言えば…私だって女一人でこんなこと…孤児院経営なんてしてるもの。」
「こんなことだなんて!クレアさんはすごく立派だと思います。」
「ありがとう。」
「あなたが働きたいと思うのならば、それはいいことだと思うわ。でも冒険者じゃなくちゃいけないの?」
「それは、ナナシ様にも言われましたけど…少しでもナナシ様のお力になりたくて。」
「あの人はメイプルちゃんがいてくれるだけで助かってると思うわよ。」
「でも…。」
「なるほど、わかったわ。」
「えっ?」
「あなたは『恵まれすぎていて、何か目に見える形でナナシさんに恩返しがしたい』と、そう思っているのね?」
「…そうです!」
「ふふっ、ナナシさんは果報者ねぇ、こんなかわいい子にここまで言わせるなんて。」
あうっ…。
思わず赤面してしまいました。
「でも、冒険者ってとっても危険な仕事だから、それをさせたくないというナナシさんの気持ちはわかるでしょう?」
「わかりますけど…だからこそナナシ様がお一人で仕事に行くのを見てるだけなんて…。」
「それで食い下がったら、あの人は『君のためを思って』と言ったわけね。」
「はい…。」
「んもぉ、二人とも変なところで意地っ張りなんだから。ふふっ。」
いつの間にか選択を全て畳み終えたクレアさんが笑顔でそうおっしゃいました。
「私もですか?」
「そうよぉ、お互いに相手の事を思っているところで一緒なのに、だからこそすれ違っちゃってるわね。」
「ナナシ様が…私の事を思ってくださってるのはわりますけど…。」
「わかったわ、そういうことなら他の人の意見も聞いてみましょう。」
「他の方?」
「えぇ、確かメイプルちゃんも面識があるって言ってたわね。」
誰でしょうか…この街にそんなに知り合いはいないのですが。
しかしクレアさんはお話をそこで打ち切ると、洗濯物をしまうお手伝いをお願いされてしまいました。
こうなると質問しても流されるだけだと、私もわかってきました。
相談相手なんて誰だろう?そう考えながら、私はシーツの山を抱きかかえ、クレアさんの後について行き
ました。
その日の夕食もナナシ様とは少しぎくしゃくしてしまいました。
悩みながらも今日の日記を終わります。
………
ナナシの日記
魚の月 普段より一段と濃い霧
ある路地裏
「…どうだった?」
「へい、旦那。言われた通り探ってきましたよ。」
情報屋の男が歯の抜けた口をニヤリと歪める。
「そうか、頼む。」
俺は金貨を何枚か差し出すと男はそれを懐にしまい込んだ。
「どうも。まずターゲットについてですが、確かに言われた通り病気でしたね。」
「病気についての詳細はやたらガードが固くてわからなかったんですがね、どうも最近になって急に床に臥せたらしいですよ。」
「ふむっ…以前までは?」
「それが持病とか調べても何にも、変ですよねぇ。病気というよりも毒でも盛られたみたいだ。」
毒…。
貴族ってイメージからは確かに想像しやすい。特にこの街じゃあり得そうだ。
「続けてくれ。」
「へい。ターゲットのいる屋敷の間取り、それから使用人、警備員などの詳細はこちらに。」
男から一枚の羊皮紙を受け取り、広げる。
「………?」
「なんだかやたら警備が多いな?」
「ですよね。普通の警備だけじゃなくて、騎士崩れなんて雇って、しかも常駐させてるなんて。」
「…さっきの話と言い、敵でもいるのか?」
無論依頼人以外に、という意味でだが。
「それですよ、旦那。俺も他にも気になる点がいくつかあったんで調べたんですよ、アルンベリン家について。」
「仕事熱心だな。」
「ひっひ、この仕事をやってる理由の一つが好奇心ですからね?」
「そもそもアルンベリン家ってのは元々小さな貴族だったんですがね?先代の頃から大きくなったんですよ。急に金はぶりが良くなったらしくてね。」
「ふむ?」
「大量の金をあちこちにばらまいて、爵位を買ったり商人に便宜を図ってやったりと、派手にやって来たらしいですよ。」
「そんな金をどこから?」
「それは流石に時間が短くて探れませんでしたが。まぁ、妬む連中も多いってのは想像しやすいですね?」
「例えば同じ貴族、特に古い家の連中は…面白くないんじゃないですか?」
つまり成金貴族という訳か。
確かに思い返せば依頼人にもそんな雰囲気はあった気がする。
「…まぁ、だからと言って依頼をやめるわけじゃない。」
俺は羊皮紙を丸め、懐にしまい込んだ。
「旦那は生真面目だねぇ。こんな何かありそうな依頼、普通は断りますよ。」
「…こんな街でなにもない依頼の方が珍しいだろう。」
「ひっひ、それもそうですね。」
「じゃあな。この事は…。」
「わかってますよ、他言無用です。またのご利用を。」
男はぺこっと頭を下げると霧の中へと音もなく消えていった。
「………。」
謎と敵の多い、死にかけ貴族か。
「よりによって実の弟に狙われて、死ぬことになるとはな。」
少しだけやるせない気になりながらもすぐにその気持ちを振り払い、霧の中へと歩き出した。
………