第一話④
水瓶の月△△日 陰鬱なほどの雨
孤児院にて
「お仕事ですか?」
朝、陰鬱な雨の中、仕事に出かけようとしたらメイプルに声を掛けられた。
「あぁ…。」
行ってくるよ。その言葉を省略しつつ靴を履く。靴底をトントンと叩き履き心地を確認する。
「あの、ナナシ様?」
「ん?」
「今日、お出かけになると聞いて。お弁当を作ってみたのですけど。」
そういうと彼女は弁当箱を差し出してきた。いつの間に作っていたのだろうか、少し驚く。
「あぁ、それじゃあ…。」
受け取らない理由もない。リュックを降ろし、崩れないように丁寧にしまい込む。
「自信作です、きっとお口に合うと思いますよ。」
彼女は満面の笑みを浮かべる。
「そっか。」
余りに無垢な笑みに照れてしまい、そっけない返事しか出来なかった。
「それでは、いってらっしゃいませ!」
元気な彼女に見送られながら、俺はフードを被るとぱらつく小雨の中へと足を踏み出した。
………
同日
町はずれの洞窟の中で
「やれやれ…疲れた。」
一人でできて気楽とは言え、雨の中の肉体労働は中々に堪える。
それでも午前中から急いで仕事をしたのでペースは順調だ。仕事が一段落した俺は近くの洞窟の中へ向かい、一休みすることにした。
「よいしょっと…。」
適当な岩に腰を下ろすとリュックから弁当を取り出す。実は仕事中も結構気になっていた。
この包みと箱は、おそらくクレアが用意したんだろうな。
普段はおせっかいと思うところを今日ばかりは感謝する。
蓋を開けると、色とりどりのおかずが並んでいた。しかしほとんどは野菜だ。ニンジン、イモ、ピーマン等に似た野菜の炒め物が並んでいる。もちろん現世のそれとまるきり同じではない、しかし不思議と味や見た目は似ている。もちろんこの世界特有の食材も多いが、なじんだ味のものがあると言うだけで生活していく上ではかなりありがたいものだ。
そういえば彼女は野菜が好きだっけ。兎耳族ってのは皆そうなのだろうか。
しかしよく見ると弁当箱の隅に、鳥のから揚げが詰め込まれていた。
「………。」
無言でフォークで突き刺して、口に放り込む。
もぐもぐ。
「うん…。」
旨い。続けてもう一つも放り込む。
もぐもぐもぐ。
味付けは簡素だが、空腹な俺には何よりのご馳走だ。
「こっちに来てもやっぱり肉はうまいな。」
当然現世のモノとは味付けも材料も微妙に異なるが、こちらでも唐揚げは唐揚げだ。
俺は向こうでの好物だったのを思い出しながらゆっくりと弁当を味わった。
「…ふぅ。」
他のおかずも美味だった。
これだけ美味いと感じた昼食は久しぶりだ。弁当を片付けながら帰ったらメイプルに礼を言おうと決める。
「さてっと。残りも片づけるか。」
すっかり腹も膨れやる気に満ちた俺は、残りの作業に取り掛かった。
………
同日
孤児院にて
「ふぅ…。」
何とか日が暮れる前に孤児院に帰る事が出来た。俺は重い身体を引きずるようにして玄関に上がる。
どかっと雨で重くなった荷物を放り投げ靴を脱ぎすてた。
「あっ、おかえりなさい!」
リビングに入ると食卓に座っていたメイプルがパッと椅子から飛び起きて出迎えてきた。
食卓の上には出来たばかりらしき料理が並んでいる。わざわざ孤児院からこちらに運んだのだろうか。
「きっとお疲れになると思って、こちらの方がゆっくり食べられるかなって。」
彼女はあなたの上着や帽子を受け取りながらそう答える。
「そうか…。」
そこでふと昼間の弁当の事を思い出す。荷物から空の弁当箱を取り出し彼女に渡す。
「あっ、はい!えへへ、全部食べてくれたみたいですね。」
「あぁ…。」
ありがとう、と言おうとした時には既に彼女は嬉しそうに弁当箱を受け取り流し台へと持っていった。
「………。」
言おうとしたことが言えず、なんとなく気恥ずかしくなり口に手を当てる。
「さぁ、ご飯が冷めないうちに食べましょう?」
再びリビングに戻って来た彼女は嬉しそうに俺の腕をとると食卓へと誘ってきた。
「あぁ…うん。」
礼を言うのは後でいいか。空腹の俺はいったん弁当の事はわきに置いて椅子に座った。
「いただきます。」
「はい、いただきます!」
雨でいつもより薄暗い雰囲気だったが、不思議と彼女との会話は弾んだ。
味気ない食事もいつもよりも味わい深く感じる。
「…あの、ナナシ様。伺いたいことがあるんですが、いいですか?」
メイプルが何やら気負った風に問いかけてきた
「…なに?」
「ナナシ様は、どこからいらっしゃったんですか?」
っ。
突然の質問に、食事の手が止まってしまう。
「…なんで?」
「いえ、ただ気になったんです。私、ナナシ様の事を何も知らないから。」
「………。」
「クレアさんに聞いても良くわからないとおっしゃられて。ナナシ様は、なんだか遠くからいらっしゃったような雰囲気ですし。できればお聞きしたいなって。」
「昔の事は話したくないんだよ。」
こちらに来る前の事も、来た後の事も…正直人に話したりしたくない。そもそも人に話せるようなことも何もない。
この話題を打ち切って別の話をしたかったが、彼女は引き下がらなかった
「でもナナシ様、私もっと知りたいんです。いろんなことを話してください。」
力強い彼女の眼差しに怯んでしまい、俯く。
話す?自分の事?何を?昔、俺は何もしてなかった。友達もろくにいなかった。何も努力してこなかった
それを話すって何を?何を話せばいいんだ?こちらに来てからの事?いきなり殺されかけて、逃げてここにたどり着いたこと?何を話せば彼女は喜ぶ?いや、そもそも話さなければいけないのか?俺が何かを話してもどうせ彼女は興味を持たないんじゃないか?そもそも大した事でもないのにこうしてもったいぶる必要も…。
嫌な癖が出てくる。思考がぐるぐると回り考えすぎてしまう。特に自分の事、他人との接し方。
わからなくなる。
「…っ。」
くだらない羞恥心と気まずさで思わず顔をしかめる。
「あの…。」
「…どうでもいいだろ。」
それでも何かを語りかけて来ようとする彼女についイラついてきつく怒鳴る
「あっ………。」
「………。」
「………。」
気まずい沈黙が流れる。
またこれだ。何時ものこれだ。そんなつもりはないのに、人を不快にしてしまう。そして自分も…。
でもこれが俺なんだ、自分でわかっててもどうしようもないんだ。
…だから人と関わり合いたくないんだ。
「………。」
ガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
「…あっ。」
俺はいたたまれなくなり、食事を残したまま、彼女を残したまま、食卓を後にして自室に向かった。
バタンと強くドアを閉めベッドに腰かけ深いため息を吐く。
「はぁー…。」
何やってんだ俺。彼女に悪意なんてなかった、わかってる。ただ俺と話がしたかっただけだって。でもいきなり踏み込まれて動揺してしまった…。そんなつもりはなかったのに。こんなつもりではなかったのに。もっと気楽に話が出来れば。
頭を振り払う。また嫌な思考が頭をもたげる。
本当にいやな癖だ、自分の事になるとネガティブになる、それも大したことでもないのに。いや、大したことでもないからこそ、か。
「………。」
雨が打ち付ける窓を見る。今夜はやみそうにないな。
「………。」
そういえば、結局弁当の礼を言えなかったな。
俺はまた一つ大きくため息をつき頭をかく。しばらくただじっと雨を見つめ心を落ち着かせた。
…明日。
明日必ず謝ろう。そして礼を言おう。今日は疲れた。
今更仕事の疲れがどっと押し寄せてきたのか、急に眠気に襲われる。
俺は適当に着替えると、そのままベッドに倒れ込み眠りについた。
本日の日記を終える
………
水瓶の月●●日 雨上がりの匂いがする霧
孤児院にて
「ナナシさん、起きてください。もうお昼近くですよ。」
「………ん?」
何時もよく聞く声で目が覚めた。ボンヤリと思考が覚醒していく。瞼を開けると、クレアがドアのところに立っていた。
「あぁ…。」
ボーっとする頭のまま体を起こす。
「お疲れなのはわかりますけど、ずっと寝ていたんですか?」
彼女は腰に手を当てながら呆れた様な表情を見せる。
「ちょっとな…。」
「またそうやって適当な返事で、まったく。それでメイプルちゃんとうまくやれてます?」
メイプル。そうだ、昨日の事を思い出す。
「…メイプルは?」
「彼女?お買い物を頼みました。なんでもあなたを怒らせちゃったようで、一人にしてあげたいと言ってましたが。」
彼女はジトッとした目つきを向けてくる。
「あー…そうか。」
余りにくだらない事で言い訳もできない。
「怒ったんですか?」
「いや…。」
「ふぅん、そうですか。それならちょうどいいので彼女を迎えに行ってあげてくださいませんか?」
「…俺が?」
「そうです、いつものお店です。ちょっと時間がかかっている様なので。」
「………。」
「あらやっぱり怒ってます?」
「いや…。」
怒ってはいないが、昨日の今日で迎えに行くのはやはり少し気が引ける。
「では決まりです。帰って来たらお昼にしましょう、それではよろしくお願いします。」
しかし反論の余地もなく、彼女は決定し、さっさと出て行ってしまった。
ふぅっと一息つく。
まぁ仕方ない、昨日決めた以上はいつまでも逃げるわけにはいかないし、何より腹も減った。
きっとクレアは彼女を迎えに行かないと飯を食わせてくれないだろう。
俺はちゃちゃっと支度をすると、孤児院の門を出た。
………