第一話②
水瓶の月×○日 昨日と変わらず濃い霧
孤児院にて
「あっ、おはようございます。」
朝、洗面所で顔を洗っているとメイプルに遭遇した。
彼女は俺を見ると一瞬ビクッと身を震わせた後、挨拶してきた。
「あぁ…。」
寝ぼけ眼のまま返事をする。
「あの、ご飯が出来てると、クレアさんが。」
「わかった、すぐ行く。」
「………。」
「………?」
返事をしても彼女は洗面所の入り口でそわそわしたまま立っている。
「まだ何かある?」
「えっと、ご一緒したほうがよろしいかと…。」
「あぁ…。」
奴隷じゃないんだから気にしないでいいんだが。
そう思ったが彼女がその気なら別に追い払う理由もなかった。
人に見られながらで少し緊張しながらも俺は手早く身支度を整えた。
「…じゃあ、行こうか。」
「はい。」
二人で朝霧の中、小屋を出て、少し離れたところにある孤児院へと向かう。
朝飯と晩飯はいつも向こうで子供たちと一緒にとる。最初は食い扶持ぐらい自分で稼ぐと言っていたが、クレアはみんなで食べたほうが美味しいからと譲らず、結局彼女の料理が美味しいのもあってこうして世話になってしまっている。もう少し肉が多めならいいんだが、贅沢というものか。
「あっ、お兄ちゃんだ。」「クレアー!二人とも来たよー!」「お兄ちゃんおはよー。」「メイプル!こっち座りなよ。」
食堂に入ると子供たちの賑やかな声が一斉に浴びせかけられた。
「うん、あっ、いいですか?」
「ん?別にいいよ。」
誘われたメイプルがおずおずと尋ねてきた。別に遠慮することは無い、友達の方へ促すと彼女は小走りに駆けていった。
その様子を見ながら、俺も適当な席に着く。
「おはようございます、皆さん。」
「「「「おはようございまーす!」」」」
そこに丁度台所からクレアが現れた。子供たちが元気に挨拶を返す。
「ふふっ、良い子ね。さぁ、お祈りをしてから朝ごはんにしましょう。」
食事前のお祈り、この習慣は異世界にもあるらしい。まぁ俺はキリスト教徒じゃなかったから現世じゃやってなかったけど。机の上で手を組み目をつぶってお祈りをする子供たちに合わせ、俺も適当に祈る。
祈りの対象は、多分彼らとは違う神様だけど。
「さぁ、皆でいただきましょう。」
「「「「いただきまーす!」」」」
祈りが終わり、子供たちは待ちかねたと言わんばかりに一斉に食事に手を伸ばした。
孤児院の裏庭でとれた豆のスープが、まだ冷えていた身体を程よく温めてくれた。
………
同日
孤児院近くの市場にて
ざわざわ
「わぁ…人が多いですね、ナナシ様。」
「ん、ここはいつもこんなもんだ。」
多くの人たちが行きかう市場でメイプルが感嘆の声を上げる。
「そうなんですか。私、こんな大きな街には来たことなくて。」
「あぁ…。」
そういえば彼女達、兎耳族は基本的に草原に一族で暮らしている種族だったと思いだす。
俺はふとモンゴルのイメージを思い出した。
彼女はキョロキョロと物珍しそうにあたりを見回している。
「…はぐれないようにな。」
「は、はい!」
彼女は俺の外套の端をぎゅっと掴んできた。
…まぁいいだろう。正直女の子がこれだけ近いと緊張してしまうが、頼られている状況で弱さを見せるわけにもいかなかった。
さっさと済ませよう。俺はため息を一つ付き用事を思い出した。
食後、今日はゆっくり休もうと思っていたところ、クレアに買い物を頼まれてしまった。
メイプルの身の回りの品を買うのに付き合ってやってほしいとの事だ。
女の子の買い出しなら俺じゃない方がと言ったが、あなたの奴隷なのだからと言われてしまった。
奴隷じゃないんだと説明しようとしたが、クレアが決めたことに反論しても無駄だと思い口をつぐんだ。
まぁ、昨日の報酬の残りがまだある。使い切るのにはちょうど良いか。
「えっと、必要なのは、服とタオル、ハブラシ…あとは何だろ?」
女の子の必要なものなんてわからない、俺はメイプルに問いかける。
「い、いえ、それだけあれば…。」
彼女は両手を胸の前に出して首を横に振った。どうやら遠慮しているらしい。
「遠慮するな。ちゃんと必要なものを買って帰らない俺がクレアに怒られる。」
「そうなんですか?」
「あぁ、怖いぞ?モンスターよりもな。」
「あは、そんなぁ、ふふっ。」
彼女は人懐っこそうに小さく笑った。…そういえば笑顔を今初めて見た気がする。
「とにかく必要なものがあったら言ってくれ、一人じゃわからない。」
「はい、わかりました。えっと…」
一つ一つ遠慮がちにこちらを窺いながら答える彼女の要望に頷きながら、市場を進む。
必要なものを買いそろえながら、しばしばいろんなものに目を奪われ足を止める彼女に付き合い、ゆっくりと市場を見て回った。
途中、適当な露店で昼飯をとった。ラーメンに似た料理で塩辛く、彼女は汗をかきながら必死で食べていた。今度食べる時は冷たい料理にしよう。
………
同日
孤児院にて
午後も買い物と市場見学を続け、孤児院に帰ったのは夕暮れ時になった。
「これで足りるか?」
買い込んだ品々を見ながら彼女に問いかける。
「はい、充分です。」
「そうか…。」
荷物をさっさと彼女の部屋の前まで運びながらぶっきらぼうに返答する。
折角の休日がが潰れてしまったストレスはあったが、彼女に言っても仕方がない。
「あの、本当に良かったんですか?こんなに買っていただいて…。」
「いいんだよ…昨日君を買った金のあまりだ。」
「そうですか、ありがとうございます。ナナシ様。」
「あぁ。」
ぺこっと頭を下げる彼女に気恥ずかしさを覚えながら、荷物を確認すると俺は部屋へと戻った。
俺は部屋に入るとどさりとベッドに横になる。
一日中歩き続けて疲れた。いや、冒険に比べれば大したことじゃないんだ。
一日中気を使いすぎて疲れた、だな。
彼女を助けた事に後悔があるわけじゃないが、ここまで面倒を見る羽目になるとは思わなかった。
クレアに任せればいいと考えていたのはちょっと自分勝手だったかな?
そんなことを考えながら腹の虫が鳴るのを聞いた
本日の日記を終わる。
………
水瓶の月×○日 相も変わらず濃い霧
孤児院にて
…メイプルが来てから五日ほど。
彼女もずいぶんここに慣れた様だ。
奴隷にされかかっていたのにずいぶん明るい娘だ、それともそういう種族なのだろうか?
毎晩、俺の部屋を訪れては昼間に起きた事を報告してくる。
「今日は~~ちゃん達とキノコを採りに行ったんですよ。」「今日はクレアさんに頼まれた仕事を頑張りました。」「ナナシ様が冒険に出かけている間に、お部屋を掃除しておきました。」
等々、正直興味はないのだが、彼女が嬉しそうなので適当に相槌を打っている。
しかしいい加減彼女の今後についてクレアと話し合いをした。
「俺は別に彼女を奴隷にしているわけじゃないぞ。他の子供たちと同じように君に頼みたいんだが。」
クレアの部屋を訪ねはっきりと告げた。
机に向けて書類を書いていた彼女は、俺の言葉を聞いて筆を止めて顔を上げた。その表情はいつも通り穏やかだ。
…しかしその瞳に見つめられると威圧感を感じ、微かに視線をそらしてしまう。
「知っていますよ。」
彼女は穏やかな口調でそう告げる。
「彼女から聞きました。」
「じゃあなんで俺に関わらせるんだ。」
「それは、彼女自身が望んでいる事です。恩を感じているのでしょう、良い子じゃないですか。それともあなたは嫌いですか?彼女の事。」
「いや…。」
「ならばいいじゃないですか。」
「俺は…クレア、ここに来た時に必要以上に人に関わりたくないと言っただろう。」
俺は若干イラつきを覚えながら強く告げる。
「わかっています。でも、これはあなたにとっても良い機会ですから。」
「良い機会?」
「もっと他人に興味を持ちなさい、という事ですよ。あなたは少し自分本位過ぎるわ。」
『お前、自分勝手すぎるよ。』
彼女の言葉に昔の記憶がフラッシュバックする。
「一人で生きていける人なんていません、だから周りの人ともっと関わり合いを持たなければ。だから彼女にあなたの世話やお話を頼んだの。」
「もういい…。」
説教はたくさんだ。俺は踵を返してドアに向かう。
「少なくとも、彼女はあなたの事を恩人だと感じていますよ。ナナシさん。」
「………。」
無言で部屋を出た。
俺は足早に自室に戻るとドッカとベッドに腰かけた。
「………。」
一人なのは悪い事か?仕事はしている…。そりゃ世話にはなってるが。でも人に合わせるのはつらい。でもメイプルは歩み寄ってきている。でもそれは俺の事を良く知らないからで…。
先程のクレアとの会話とそれに対する自分の考えがぐるぐると頭の中を回る。
「あぁ、面倒だ…。」
どうやら人間関係の悩みはこっちでも同じように付きまとってくるらしい。
俺は頭を抱えながらしばらく物思いにふけった。
日記終わり…。
………
水瓶の月△×日 何時もより少し薄い霧
孤児院にて
前回の仕事から一週間…少し早いが次の仕事に出る事にした。
メイプルを買った分、財布が心もとないのもあるが孤児院にいると嫌でも彼女が話しかけてきて一人にはなれないからだ。
「ナナシ様。」
朝早く、誰にも見つからないうちに出変えようとしたら彼女に見つかった。
「あの、いってらっしゃいませ。」
「…あぁ。」
夕方には帰る。頭の中でそう答えながら足早に孤児院を後にした。
………
同日
街から数kmにある雑木林
昼頃、仕事が一段落が済んだので昼食をとることにした。
午前中に仕留めた獲物を数える、…予定より少ない。
最近、一人でいるとどうしてもいろいろなことを考えてしまい仕事が鈍ってしまう。
その内容の大半は、メイプルの事だ。なぜこんなに気になるのだろう?付きまとわれるからか?
悪い子じゃないし可愛い。しかしあまり深く踏み込まれると困ってしまう。でも…どう付き合えばいいのかわからない。あぁ、こんな時でも俺は自分の事ばかりを考えてるな、くそっ…。
「あまり深く考えない事よ。彼女と一緒に楽しくね。」
クレアならそんなことを言いそうだ。
…午後はもう少し集中しなければ、俺はもやもやする思考を振り払って昼飯を探した。
ふと野良兎が一匹、目についた。
「………。」
少し躊躇したが、俺は気配を殺してその哀れな獲物に近づいて行った。
………
同日
孤児院にて
疲れた。
あれからもなかなか仕事が捗らず、孤児院に帰り着く頃にはすっかり夜になってしまった。
何か食べたい、が、もうみんな飯を食い終わってるだろうな。食堂に行けば何かあるだろうか。
「あっ…。」
「メイプル?」
すきっ腹をさすりながら小屋の戸を開くと、メイプルが起きていた。
彼女はあなたの姿を見ると、眠そうに眼をこすりながら伏せていた木机から体を起こした。
「まだ寝てなかったのか。」
「はい、お帰りを待ってました。おかえりなさい。」
「…次からは先に寝てていい。」
遅くなるかもしれないと教えなくて悪かった…と思いながらも口にできず、それだけぶっきらぼうに告げる。
「あっ…はい。」
「………。」
気まずい沈黙が流れてしまう。
そこは待っててくれてありがとう、だろう。なんで俺はそんなことも言えないのか。
きっとこの気まずい空気も考えすぎてしまうのもクレアのせいだ。
「あの、ご飯を用意しておいたのですが。」
「…ん!?あ、あぁ…。」
疲れた頭で試行しているところに話しかけられ、挙動不審な返事をしてしまった。
机の上を見ると二人分のパンとスープが並んでいた。
「君も食べてないのか?」
「はい、ナナシ様と一緒に食べようかと。」
「…そうか。」
「はい…。」
こんな健気な子に対し一人で空回りしている自分が馬鹿みたいだ。
俺は一息つく。体のこわばりが抜けた。
「ありがとう、じゃあ一緒に食べよう。」
「! はいっ!」
彼女は嬉しそうに耳をピンと立てて返事をした。
パンもスープも冷えきっていたが、彼女とたわいない会話をしながらだと、不思議と美味しかった。
本日の日記を終わる。