第一話/ボーイ・イン・イセカイ・ミーツ・ガール①
妄想を書き綴ったものです
何でもいいから形にしたかった
チマチマ書いていきますん
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正義の道を歩めぬものよ、私はあなたを肯定する
~悪徳の女神の言葉~
異世界渡りの日記
水瓶の月××日 いつも通りの濃い霧
人気の少ない路地裏にて
「へへへ、今回は助かったぜ旦那。これが取り分だ。」
下卑た笑みを浮かべた男が金貨の入った革袋を放ってきた。
受け取るとジャラリと音がし、ズッシリとした重みがある。しかし中身はあえて確かめない。
「それじゃああっしはこれで。また頼みますぜ、陰騎士の旦那。」
「あぁ…。」
ぶっきらぼうに返事をすると、男はペコペコと頭を下げながら霧の中へと消えていった。
「………はぁ。」
俺は男の姿が見えなくなったのを確認すると一つ溜息をつき、頭をかきむしる。
まさかあんな胸糞悪い依頼だったとは思わなかった。
最初から依頼内容を知っていれば断っていたものを…いや、選り好み出来る立場じゃないか。
俺は懐を探り、先程受け取った革袋とは別の財布を取り出す。
…空しい重さだ。無論振ってもなにも音はしない。
「冒険者稼業ってのも想像と違って大変だなぁ…。でも他に選択肢もないし…。」
俺は空の財布を放り投げ、重い金貨袋を大事に懐にしまった。
「どうせ異世界に召喚されるなら華やかな勇者になりたかったな…ゲームみたいに!」
「あはははは!…はぁ。」
俺はそう独り言ち、また一つ溜息をついた。
そう、俺は元々この世界の住民じゃない。一年ほど前に突然この世界に召喚される前は日本の一大学生だった。
まるでゲームみたいでわくわくするだって?とんでもない、現実はもっとシビアだった。
俺を召喚した奴は女神様でも王女様でもなく魔法犯罪者だった。
異世界の存在を召喚して力を借りたいだのなんだのと喚いていたのを思い出す。
だけど奴はあっさり冒険者に殺された、俺は命からがら逃げだし何とか生き延びることは出来たが。
それからは悲惨だった、突然の異世界、当然右も左もわからず途方に暮れた。まず現実だと理解するのに数日かかった。そして理解した後も…いや、よそう、思い出したくもない日々だ。
唯一俺があの召喚者に感謝してる事は言葉を理解できる様にして召喚してくれたってことだ…おそらくは召喚した悪魔と交渉するための措置だったんだろうか?
不幸中の幸いと言えば、この世界-アルケサイト-がオーソドックスな、いわゆる西洋ファンタジー風の世界だったという事だろうか。ゴブリン、エルフ、ドワーフ、ドラゴンなどの種族に、魔法に神様に古代遺跡といった風に。
まぁなにはともあれ、人間がんばればなんとかなるもので、今はこうしてこの世界の片隅で冒険者まがいの事をやって暮らしている。
まぁ、冒険者と言っても公認の華々しい連中と違って半分もぐりの様なものだけど…この街では誰もそんなことは気にしないのが幸いだ。
俺は辺りを見回す、周囲は朝から変わらず濃い霧に包まれており、フードを目深にかぶった住人たちがお互いを避ける様にして行き来している。
そしてここが今俺のいる街【悪徳の流れ着く地】ブリートリア。俺が最初に召喚された煌びやかな王都から遠く離れた海辺にある、一年中ほとんどが濃い霧に包まれた街だ。この霧は自然発生しているものではなく、町の中央にある巨大な塔から噴出されて街を覆っている。うわさでしか聞いたことは無いが、あそこにはこの辺り一帯を治める領主が住んでいるらしい。父親の代では素晴らしい統治者だったそうだが、後を継いだ現在の領主は統治そっちのけで引きこもり怪しげな実験をしている…と他の冒険者たちは噂をしている。またこの近くの海には海賊も多発しており、この霧を利用して簒奪を行い、あろうことかその分け前を領主に渡しているとか何とか?…まぁ真偽を知るすべもないが、とにかくこの街の特殊な構造と地理の問題も重なり、王都からの影響も届かずに実質的に治外法権地帯となっている
とまぁそんな状態のこの街は犯罪者やマフィアまがいの連中にとってはうってつけの隠れ場所となり、訳ありの流れ者や他に行く当てのない者たちが集まって、今や王国内でも有数の都市に成長したらしい。
「ま、俺も連中の事を笑えないけど…。」
霧の中にぼんやりと浮かぶ塔を眺めながら俺はそんなわが身について黄昏る。
元々人見知りな俺はこちらの世界でもろくに友人もできず、物語の様にヒロインが拾ってくれるなんて事も無かった。必然、仕事もソロの場合がほとんどな状況だ。通常の依頼主はソロの冒険者を敬遠する傾向にある。性格や経歴で何らかの問題を抱えている場合が多いからだ。しかしその逆に、あと腐れがなく多少無茶な仕事をさせても構わない相手、としてソロ冒険者を選ぶ訳ありの依頼主もいるのだが。
先程去った情報屋の男もそんな依頼主だ。
今回の依頼も護送依頼って名目だったが、なんと運ぶ荷物が珍しい亜人種の骨だった。途中でその骨を奪い返しに来た同族連中一戦交えるなんて羽目になり…どう見てもこっちが悪党だったな。
「はぁ…すっかり慣れちゃったな。こんなのも」
そんなことをぼんやり考えていると、ふいに霧の中から懐に向かって手が伸びてきた。
俺は躊躇なくその指を掴むとへし折った。
「ぎゃああああ!」
手の主が叫ぶ。
「スリか。」
「い、いてぇ、いてぇよ…ちくしょう…なにも折ることは無いじゃねぇか」
彼は指を抱える様にして抗議の言葉を上げる
「(それだけですんでむしろ感謝しろ)さっさと失せろ。」
「ちくしょう…その顔、覚えたからな…。」
俺は忘れる事にする。霧の中へとそそくさと消えていった影に心の中でそう返した。
「しかし、こんな悪行で稼いだ金は早々に使い切りたいな…。」
俺は再び金貨袋を手に取りジャラジャラと鳴らす。
装備でも新調するか?いや、高価な武具なんて装備してたら追剥共が寄ってたかって来るし。
久しぶりに娼婦でも買おうかな。そんなことを考えていると、突然声を掛けられた。
「おやおや、お兄さん。中々景気が良さそうですねぇ!今ならこの地下で面白い商品を出してるんですが、どうですかい?見て行かないかね。」
声をかけてきた小太りの男はこの町の住民にしては珍しくきっちりとした服装をしており、商売人特有の笑みを向けてくる。
「あ…面白い商品?」
いきなりの事に戸惑いながら返答する。
「へっへっへ、お兄さんだってこんなところ歩いてるんだ。とぼけないでくださいよぉ。」
彼は顔を近づけ耳元で囁いてきた。
「奴隷ですよ、ど・れ・い。それも今朝仕入れたばかりの生きのいい奴らですよぉ。」
その言葉に思わず眉をしかめる。しかし慌てて無表情を装った。
この世界では奴隷というのは違法ではない、むしろ身分を保証するために推奨しているところも多い。無論だからと言って何でもありというわけではなく、"仕入れ"等というのはほぼ違法の人攫いなのだろうが、この街では珍しい事ではない。この街で生きる上ではこういう連中とも付き合わざるを得ず、あまり正義ぶった振舞いは出来ないのだ。
「あー、そうか。いやでも俺はそんなつもりはない。」
「そんなこと言わずに、さぁさ!見て行ってくださいよ、きっとお兄さんの気に入る子もいますよぉ、ほらほら。」
穏便に断ろうとしたが背後に回り込まれ、強引に地下へと連れ込まれてしまった。
こういう押しに弱い所はこっちでもあっちでも変わらないな、俺。
と思わず自己嫌悪に陥いりながら、俺は仕方なく男に連れられて地下へと降りて行った。
………
同日
地下の競売場にて
地下ではいくつかの照明のもとにテーブルが並べられ、その周囲には奴隷たちが立ち並び、客たちが酒を飲みながら奴隷を品定めしていた。
「ではお兄さん、ごゆっくり。目当てのやつがいたらどうぞご遠慮なく声をかけてくださいな。」
男はそういうと入口の門番たちに目配せをして去って行った。
俺はため息を吐くと改めて辺りを見回す…反吐が出る光景だ。
貴族や富豪らしき男たち、中には女も混ざっているが、が怯えた表情で並べられた奴隷たちを物色し話し合い、下卑た笑みで笑い合っている。
この場の全員を斬ってしまいたい。不意に湧き上がるそんな欲求をグッとこらえた。
俺は気を静め、ゆっくりと奴隷たちを見つめる、彼らは視線を逸らしたり、怒りの表情で見つめ返してくる。
当たり前か、こんなところにいる俺はこいつらと同じ穴のムジナと思われても仕方がない。
悪態をつきたい気分で辺りを見回していると…ふと、一人の少女が目に留まった。
「…」
ボロ切れのような服を着せられふるふると震えるその子の頭には兎の様な長い耳がついていた。
ラビュー(兎耳族)の娘だ。歳は13前後といったところか。
ジッと彼女を見つめていると目が合った。エメラルドブルーの綺麗な瞳だ。
青く澄んだその目の端からは今にも零れ落ちそうな涙がたまっている。
「…」
俺は少女の値札を確認すると、先程の男を呼び出した。
「はいはい、なんでしょうか、お客様。お目当ての子は見つかりました?」
「あぁ…あの子を買いたい。」
俺はラビューの娘を指さす。
「おや、あんな貧相な娘でいいんですか?もっと肉付きの良い女もいますのに。」
不愉快な問答をするつもりはない。
「売るのか?売らないのか?」
俺は金貨を取り出し男に差し出す。
「いえいえ、失礼しました。もちろんお売りしますよ。」
男はまたもあの笑みを浮かべると金貨を恭しく受け取った。
「おい!その娘を連れてこい!…それではお客様、こちらが『奴隷ノ首輪』でございます。説明させていただきますと、こちらはお客様の所有物である証であると同時に保険となっておりまして、まず…」
「奴隷の位置を把握できて、取り外すには特別なカギが必要、更にどこにいても眠りの呪いをかけられるんだろ?知ってるから説明は不要だ。」
こんな男とは一言も会話したくない、俺は話を打ちきると首輪を受け取る。
そこに屈強な男に腕を掴まれ、少女が連れてこられた。
少女は自分が買われた事実にショックを受け、今にも泣きそうな表情で怯えている。
「おや、それは失礼しました。ではこちらの少女と共にお渡ししますので、飽きるか次がほしくなりましたらまたどうぞ。」
男は下卑た笑みを浮かべ恭しく礼をする。
どうやらそちらの趣味だと思われたらしいが一々反論するのも面倒だ。
「おや、もうお帰りに?これから奴隷達による見世物もありますのに。」
男の声を無視し、俺は買い取った少女を促すと、足早にその場を立ち去った。
背後からは、他の奴隷達の悲鳴がかすかに聞こえてきた。
………
同日
入り組んだ路地にて
「………」
「………」
奴隷市場を離れた少女と共に相変わらず濃い霧の中、狭い路地を歩く。
彼女は俺の数m後、霧に消えないギリギリのところをおっかなびっくりついてくる。
俺は時折振り返り、彼女が迷っていないか確かめる。
「………」
「………」
ただひたすら、無言でしばらく歩く。
「………あ、あの。」
背後から少女が声をかけてきた。鈴の音の様なきれいな声だ。
「なんだ?」
俺は立ち止まり振り返る。
「あ、えと…その…く、首輪を…つけないんですか?」
彼女はやや俯きながらおずおずと尋ねてきた
「つけられたいのか?」
「いえ!そ、そういうことじゃなくて…」
「じゃあ別にいい。逃げたいなら逃げてもいい。」
あえて俺も目を合わさない様にぶっきらぼうに答えると、彼女はキョトンとした表情をしてみせた。
「え、それって、どういう…」
「しっ!」
俺は少女の言葉を遮ると周囲を見回した。
「えっ?えっ?」
俺は何事かと驚き立ちすくむ彼女をかばうように背に立たせる。
「へっへっへ、また会ったな、お兄さん。」
すると霧の中からぬるりと数人の男たちが姿を現した。
見るからにチンピラ、夜盗崩れといった輩共だ。それぞれ武器を持っている。
「悪いがこんなガラの悪い知り合いはいないんでな。」
俺は相手の人数を確認しつつ、囲まれないような位置取りへとじりじりと後退しながら腰の剣の柄に手をかける。
「さっきてめぇに大事な商売道具を折られただろうが!忘れたとは言わせねぇぞ!」
「あぁ、あのスリだったか。…久しぶり、ちょっと太った?」
「てめぇ、馬鹿にしてやがるな!ぶっ殺してやるぞ!」
男は今にも飛び掛かってきそうな剣幕だ。
「まぁまぁ、待てよ。そう慌てるなって。」
別のチンピラが男を宥める
「お兄さん、こいつは俺たちのダチでな。あんたにちょーっと世話になったって話を聞いてな。それで挨拶に来たってわけだ。」
チンピラは芝居がかった言葉を吐く。
「こいつは頭に血が上りやすい性質でな?こうして息巻いちゃいるが、元はと言えばこいつ自身のドジの結果だ。俺達もそう事を荒げたくはねぇ、だからきちんと謝罪と誠意を貰えればそれでいいんだよ。わかるだろ?」
「へっへっへ」「ヒッヒ」
周囲のチンピラ達が勝ち誇った様な笑い声を上げる。
「つまり?」
「なんでもお兄さんは懐が暖かいそうじゃないの、俺たちも久々に上物のエールでも飲みたいんだが…それも樽でよ?どうかな?」
「ついでにその後ろのお嬢ちゃんに酌をして貰いてえなぁ?」「おぉ!そいつはいいぜ!」「まだちいせぇが、出るとこは出てるじゃねーの、ひっひ。」
彼らの言葉を聞いて背後で彼女がぎゅっと俺の外套を掴むのを感じる。
「断る。」
いくらこの街に慣れ切った俺でもここは断固とした言葉を口にする。
「へっへっへぇ…物分かりの良い兄さんだと思ったんだがなぁ。」
「物分かりは良い方だぞ?お前たちがあほなだけだ。」
「なんだと、このっ!」
ヒュッ!
バンッ!
一閃、不用意に間合いに突っ込んできた一人の首筋を斬る。
「ぎゃああああ!」
途端に鮮血が上がり、チンピラはのど元を抑えながら悲鳴を上げ、倒れ込んだ。
「こいつ!」「やりやがったな!」「取り囲め!殺せ!」「女は殺すなよ!」
流石チンピラとは言えこの街の住人、一人殺されたぐらいでは動じないか。
俺は奴らに向けた剣先をそのままに、背後で震えている少女に話しかけた。
「お前…そういえば名前は?」
「え?…あ、えっと、メ、メイプル…です。」
「メイプルか。少しの間、目を閉じておいてくれないか。」
「えっ?えっ?」
「頼む。」
「は、はぃ…。」
彼女はぎゅっと目をつむった。
それでいい。俺は懸念材料を片付け再び前を向いた。
「何をごちゃごちゃ言ってやがんだぁ?」「今更逃げようったっておせぇぞ!」
連中の数は…6、各々刃物で武装、一斉に襲い掛かられたら、俺一人でも厳しい。
…普通に戦えば、の話だが。
俺は剣の柄から手を離した。
「なんだぁ?今更命乞いかぁ?」「こいつビビッてやがんぜぇ。」「やれ!」「「おおおぉ!」」
号令と共に、一斉に襲い掛かって来る。
ふぅー…と息を吐く。
大男の斧が頭上寸前まで振り下ろされる。
ドンッ!
しかし次の瞬間、斧はそこにはなく、また斧を握っていた男の両腕も吹き飛んでいた。
「へっ?」「はぇ?」
ドシャっという音共に男たちの背後に斧と男の腕が落ちた。
「なっ」「はっ?」「おろろろろ…」
そして斧を持っていた男の身体が崩れ落ちた。
「ひぃ!?」「お、おまっ…その姿は…っ?」「あ、あ、あk」
大男の影に隠れていた『俺』の姿を目にしたチンピラ達が目を見開く。
「わるいが…」
『俺』は獲物に狙いを定め、ゆっくりと身構える。
「見たなら、殺す。」
「ひっ!」「あぁぁ!」「逃げっ!」「ぎゃあああああああ!」
………
同日
通りから少し離れた脇道にて
「もう目を開けてもいいぞ。」
俺は少女の手を引き先程の現場から連れ出すと声をかけた。
「は、ぃ…。」
少女は恐る恐る目を開けた。そして辺りを見回す。
「もう大丈夫だ。連中は逃げてったよ。」
「………。」
少女は何が起こったのかと困惑したような表情を見せる。そしてふと俺の服を見て呟く。
「あ…血が…。」
「ん?あぁ、ただの返り血だ。それより君は?」
「は、はい…私は大丈夫です…」
彼女ははっとすると再び怯えた表情になり返事をした。
…まぁそんな表情も無理はないだろう。あんなことが起きた後だ。
「そうか…。あー、じゃあ行こうか。」
「あっ、はい。」
再び霧に包まれた通りを歩いて行く。先程の事態に怯えているのかわずかに彼女の距離が近い。
「………。」
「………。」
再びの沈黙の中、しばし少女を連れて路地を歩いて行く。
時折脇にいる彼女から視線を感じたが、あえて気づかぬふりをしたまま歩みを進める。
沈黙が苦痛になりかけたころ、目的の建物が見えてきた。
「ここだ。」
霧が薄まる町はずれ、路地を抜けた先の広場にその建物はあった。
「ここ、は…?」
所々外装がはがれているボロボロの白亜の建物。一見すると小さな校舎のようにも見える。庭先から子供たちの声が響いてくる。
「孤児院?」
「そうだよ、俺の…。あー、居候先だ。正確には離れの小屋を借りてるんだが。」
「えと、ご主人様の…?だってあんなにお金…。」
彼女は事態をよく呑み込めていないようでキョトンとしている。
「あぁ、まぁ…色々あるんだよ。とにかく司祭に紹介しよう。」
「司祭様?」
「あぁ、ここは神殿と一つになってるんだよ。さぁおいで。」
ご主人様という響きにちょっとグッときたが、俺は努めて平静を装いながら中へ招くと彼女は恐る恐るといった様子でついてきた。
中庭を抜け、小さな門をくぐって中へと入る。そこは簡素な神殿となっており、長椅子がいくつか並んでいる。
その奥には、この神殿に祭られている神、-慈愛の女神"リィン"-の像が祭られていた。
そしてその像のすぐそばに、目的の人物がいた。
「クレア、今帰った。」
「あら、お帰りなさい、ナナシさん。早かったですね。」
名前を呼ぶと、彼女が振り返った。白い祭服に身を包んだウェーブのかかった淡い金髪の女性、彼女がこの神殿と孤児院を切り盛りしている司祭だ。
「あぁ、ただいま。」
「あら?そちらの子はどうしたのかしら?」
彼女がメイプルに気づく。
少女はピクッと大きな耳を立てるとクレアに向かって小さく会釈した。
「あー…拾ったんだ。元奴隷で行く当てがないようだから、ここに置いてやってくれないか?」
事情を細かく説明するのも面倒だ。適当な嘘でごまかす。
「嘘でしょう?」
あっさりばれてしまった。
「いや、んん…。すまん、その通りだ。奴隷として売られていたから買ったんだ。」
なんともばつの悪い思いで説明しなおす。
「そぉ、それは可哀そうだったわね。お名前はなんていうの?」
「メイプル、です。」
「可愛い名前ね、メイプル。私はクレアよ、ようこそ、恵まれない子供たちの家へ。」
流石になれた様子でクレアはメイプルとあいさつを交わす。
その様子を窺ってから改めて切り出す。
「おいてやってもらえるか?」
「構わないけど一つ問題があるわ。今、丁度空いてる部屋がないの。」
「あぁ…。」
「だからあなたの小屋に一緒に住んでもらっていいかしら?」
「へぁ!?」
思わぬ提案に素っ頓狂な声を上げてしまう。
「あら、いや?」
「いや…んん…。」
言葉に詰まる。
「いいじゃない、空き部屋あったでしょ?決まりね。さ、メイプルちゃん、今日からここを我が家だと思ってね。」
「えっと、よ、よろしくお願いします…。」
「ちゃんと挨拶できて偉いわねぇ。ふふっ。でもその服のままじゃいけないわね、こっちにおいで、お古の服があるから。それから他の子たちにも紹介してあげるわ、みんな喜ぶわよ、お友達が増えて。」
「え、えっと…はい。」
クレアは有無を言わさぬ勢いで決定すると、戸惑うメイプルを奥へと連れて行った。
「…まぁ任せておけばいいか。」
少し予定と違う形になったが、仕方がない。俺は一つ溜息をつき、神殿の裏手の小屋へと向かった。
………
同日、夜
自室にて
一仕事終えた俺は身体を洗い子供たちと食事をとった後、自室で読書をしていた。
食事中、それとなくメイプルの様子を窺っていたが、他の子供たちに囲まれて戸惑いながらも時折笑顔を見せていた。
「しかしこの本も読み飽きたな…。」
俺はため息交じりに本をぱたんと閉じて机に置いた。
神殿にあったのを借りた本だ。中身はこの世界の有名な物語だ、もう何度読んだかもわからない。
はじめの内は異世界の書物という事でとても興味がわいたが、流石にずっとこの本だけだと飽きてくる。
こういう時、元の世界ならスマホでも弄って暇をつぶせるんだが…この世界だととにかく暇な時間が出来てしまう。
コンコン
もう寝ようかと思っていると、扉をたたく音がした。
「ん?誰だ。」
扉の向こうに問いかける。
「あの…メイプルです。」
彼女か、部屋に問題でもあったかな?俺は腰を上げ、扉を開けた。
そこには寝巻に身を包んだ兎耳の少女が後ろ手に立っていた。クレアに貰ったのだろう、なかなか似合っている。
「なに?」
俺は彼女を室内に招き入れると、視線が彼女の体に流れないように意識しながら再度問いかけた。
「あ、あの…えっと…。」
もじもじして言葉に詰まる彼女をじっと待つ。
「その…ど、奴隷ですから…その、夜の…。」
あぁ…そういうことか。彼女の表情で察しがついた、奴隷としてのお務めをしに来たわけか。
「あぁ、いや…必要ない。」
「えっ?」
彼女は不思議そうに首をかしげる。
「だからそういうのはいらないんだ。そういうつもりで君を買ったわけじゃない。」
「え、でも…なんで…。」
ただの気まぐれだ、改めて説明するのもおっくうなのだが…。
一度俺の考えを説明しておいた方がいいだろう。
「…君を買ったあの金は、んー…ちょっとした悪事で手に入れたもので。さっさと使い切りたかったんだ。」
「その時たまたま奴隷市場があって、たまたま君と目が合った、だから君を買っただけだ。解放するために。」
俺は言葉を選びゆっくりと説明する。こうやって自分の動機を口に出すのは恥ずかしい。
「え、それだけなんですか?」
「そうだよ。だから君を奴隷として扱うつもりはないし、ここを抜け出して家に帰りたいなら構わない。あぁ、残った金貨もあるから明日渡すよ。路銀程度にはなると思う。」
「…私の帰る場所は、きっともう。」
まずい、いらないことを言ったか。彼女は耳を垂らしてしゅんとしてしまった。
そうか、人攫いの連中に家族か集落単位でやられたか…。
「あー…それならここにいたければいるといい。クレアも良くしてくれるだろう。」
「でも、あの、ご主人様は…。」
「だから奴隷じゃないからそんな風に呼ばなくていい。」
「えと…ナナシ、様?」
「…あぁ、それでいいよ。」
やばい、ご主人様も破壊力があったが、これもやばい。
俺は表情を悟られない様に横を向いた。
「でも私、助けてもらったのに…。」
気に病む必要などないのに。俺も人攫いの連中も同じ人間だってのに。これだけ良い子が相手だと何故か罪悪感がわいてくる。
「じゃあ家事でもやってくれ。俺は留守にすることも多いから、それだけでずいぶん助かる。」
「あ、はい!わかりました!」
「うん、じゃあもう寝な。風邪をひかないようにな。」
「はい、夜遅くお邪魔しました、おやすみなさい、ご主人様。」
彼女はぎこちなく一礼をして出ていった。またご主人様、になっているのはあえて訂正しなかった。
「………はぁ。」
再び一人になった俺は今日一番深いため息を吐いた。なんだかいつも以上に疲れてしまった。今日はもう寝るとしよう。
本日の日記終わり。