霊を見ようとしない方が良い理由
私は生まれてこの方、霊というものを見た事も感じた事も無い。そんな私が霊を見たいと思う様になったのは自分の死を意識してからだ。
丁度今から一年前の夏、寝苦しい夜に壊れかけていた古い扇風機を取り出し居間で涼んでいた。健康に気を遣って居るわけでも無いのにクーラーを付けるのが億劫だった私は首が最後まで回らない扇風機の風に吹かれながらそのまま寝てしまった。
私が眠りから目覚めたのは病院のベッドの上だった。体は動かず、全身が包帯でぐるぐる巻きにされていた。意識が戻った私が警察から聞かされたのは家が全焼したという事。火元は壊れた扇風機だった。私は火元に近かった右側の手足に大きな火傷を負い、死の淵を彷徨ったらしい。家が全焼する程の火事でこの程度の火傷で済んだのは奇跡だと言われたが、自分でも寝る前の記憶がハッキリせずよく分からなかった。
死んでいたかも知れない。
人が、そして自分がいつか死ぬと言うのは頭では分かっている。だが本当に死んでいたかもしれないと言う事実と生き残ったと言う結果が、私の中に眠る幼少の頃からの願望を目覚めさせた。
霊が見たい。
錯覚でも、幻でも無く、はっきりとした霊を見たい。悪霊でも地縛霊でも浮遊霊でも何でも良い。写真や映像では無く霊を見たいのだ。
火傷の傷は治ったが、右の手足は元の様には動かない。元の仕事に戻る事が出来なくなった私は火災保険によって得た金ともしもの時の為に貯めていた貯金だけを持って古びたアパートに移り住んだ。家賃4.9万円の裏野ハイツと言うアパートに住んで一年、私は右足を引きずりながら曰く付きの場所を巡った。前の仕事場や古い友人達は火事で死にかけたのだから旅行でも行って心を休めるのが良いと勝手に解釈してくれてうるさく言われることは無かった。
中途半端な書き方になって申し訳ないが、私についてこれ以上詳しく説明する気は無い。これは、この話を我慢して読んでくれた方への私からの贈り物であり警告なのだ。
私の活動が具体的に始まったのは、秋も深まる11月の後半だ。その日、私は電車とバスを乗り継いで先日火事で一家が焼け死んだと言う場所に向かった。意識が無かったとはいえ、私自身も火事にあっている。同じ様な状況で私は生き残り、彼らは命を落とした。この同じ様な状況と言うのが霊を見ると言う未知の体験をする為に必要な事だと私には思えた。霊を見るにはチャンネルの様なものが合う必要があると何かで聞いたことがある。私が最も死を近くに感じた火事こそがそのチャンネルに思えたのだ。
はっきり言って不謹慎窮まりない考えだが、そもそも霊を見たいということ自体が不謹慎なのだから仕方がない。私は初めて訪れた焼け崩れた家の跡を夕方から朝になるまで唯々見つめた。途中何度か眠っていたし、通り過ぎる人から不審者の様に見つめられることもあったが私は気にせず家を見つめていた。その日は始発で家に帰り、そのまま風呂にも入らず寝たらしい。
次に火事があったのは1週間後だ。住宅火災自体は年に14000件程あるらしい。1日平均なら35件も起きている。だが、人が死んだ数となるとそうはいかない。大体1年に1600人、1日平均なら4人となるが、行ける範囲となると、そう毎日は起きてくれない。結局、私がその年の内に人が死んだ火事の跡を見に行けたのは8件だけだった。その内、2件で警察官から職務質問をされて交番に連れて行かれた。そんな時、私は最もらしい嘘を付いて切り抜けている。
「私は火事で記憶を失いました。火事の跡を見れば記憶が戻る様な気がして火事があった場所を探して見に行ってしまうのです」
そう言って火傷の痕が痛々しい右腕を見せれば警察官は何も言わなくなる。それどころか、朝まで交番に泊めてくれたりする。ありがた迷惑だが断るのも悪いのでそういう時は素直に泊めてもらう様にしていた。しばらくすると、近所で私の事を知らない警察官は居なくなり、交番に連れて行かれることも無くなった。
年が変わり夏になる。雨の多い蒸し暑い夏で、その日も朝から雨が降っていた。お天気の後のニュースで、元々私の家があった場所からすぐ近くの公営マンションで火事があった事をつげていた。1階の部屋から火が広がり、2階にいた一家が焼け死んだらしい。
今のアパートからは離れているので消防車が出動する音に気が付かなった様で、燃えている現場を見ることはできなかった。外は生憎の雨だったが私はテレビを消してマンションを見に出かけた。歩くには遠いので、アパートから少し離れた大通りでタクシーを拾う。月に何度か駅まで乗せて貰っている運転手が私の顔を見て、雨の日にお出かけとは珍しいですねと聞いてきた。確かに私は火事の跡をよく見るために雨の日を避けて出かけている。自分ではあまり気にしていなかったが客商売ではそういう事も気になるらしい。
駅ではなく火事のあったマンションの近くの公園で降ろしてもらった。時間は午前9時過ぎ。休日で静かな住宅街の中にあるマンションの敷地に入る。ぐるっとマンションの周りを一周すると、燃えていた家の場所が分かった。ブルーシートがかけられており、外から中の様子は分からない。マンションの周りには数台のカメラと記者らしき人物が何人か立っている。
関わるのが嫌だった私は少し離れた所にあるカフェに入った。この辺りに住んでいた時に何度も前を通った事はあるが入った事はない店だ。一番安いブレンドを頼み、マンションが見える窓際のカウンター席に座る。傘を差さずにマンションを眺める事ができ、しかも怪しまれない。絶好の場所だと席に着いてから初めて気付いた。読むつもりもない新聞を開き、頬杖をついて雨に濡れるマンションを眺めていた。
マンションは被害が及ばなかった部屋の住人達が時折出入りする以外特に何も起こらなかった。一杯目のコーヒーを飲み干して、小腹が空き始めた私はサンドイッチのセットを注文し、それを食べながら何となくマンションの近くの公園を見た。公園には鉄棒やブランコなどの遊具があり、一番手前にコンクリートで出来ている滑り台があった。その滑り台のてっぺんに子供が立っている。黄色い傘がこちら向きになっていることから子供も私と同じく火事のあったマンションを見ているようだ。火事があり、数人とはいえカメラや記者がいれば興味も湧くだろう。だが、私は何となくその子供の存在を邪魔だと感じた。興味本位で火事の跡を見られる事が、私と霊とのチャンネルが合うのを邪魔している様に思えたのだ。
どの口でそんな事を言うのか?
周りからはそう思われるだろうが、霊を見ることを本気で望んでいた私には大切な事だった。事実、その子供に気がついてから私はマンションをだけに集中する事が出来なくなっていた。
これ以上ここに居ても駄目だ。
直感でそう感じた私は一度家に戻り夜にもう一度訪れる事にした。私は店を出て、タクシーを捕まえるのに通りの反対側に向かった。道を渡り切るのとほぼ同時に雨の中を強い風が吹き抜けた。私は暴れる傘を押さえて何とか持ち堪える。
その時、何気なく公園の滑り台の上を見つめる。そこにはまだ子供が立っていた。苛立ちを感じながらタクシーを探そうと手を挙げた瞬間、通りではなく公園の中を激しい風が吹き抜ける。公園の木々か激しく揺れ、細い枝や葉っぱが舞い、子供の傘が飛んできた。黄色い傘に気づいた私は、滑り台の上の子供を振り返る。
え?
傘を持たない子供はこちらを向いて立っていた。風が吹き、傘が飛んで、私が振り返る。一瞬の出来事だ。マンションでも、傘でもなく、私を向いて立っていたのだ。
何で?
その時、私が挙げた手にタクシーが停まる音が聞こえたので、その場から逃げる様にタクシーに乗り込んだ。
あの子供はいつから私に気づいていたのか。いつからこちらを向いていたのか。
タクシーに乗っている間、ずっとその事を考えていた。そして、恐らくだが傘が風で飛ばされた段階でこちらを向き、見慣れない大人の私に気づいて見つめてしまったのだろうという結論に達した。いや、無理やりそうだと考えるようにした。そして、その結論に達した瞬間、子供に対し怒りが沸き起こってきた。せっかく出向いた火事の跡の事を殆ど思い出せなくなっていたからである。
火事現場の記憶を子供に上書きされた。だから、夜にもう一度行く事でやり直そう。私はそう心に決めて家で仮眠を取る。目覚めたのはその日の夕方19時過ぎ。天気が悪いのでいつもよりも辺りは暗い。私は買い置きのカップ麺で腹を満たすと家を出てタクシーに乗り込む。夜なのでカフェではなく直接マンションに向かう。さすがにカメラや記者はもう居ない。
マンションの前にある駐車場まで移動した私は、ブルーシートに覆われた部屋を見上げた。シートに雨と風が当たって膨らんだりへこんだりを繰り返している。駐車場の街灯に照らされて影を伸ばすシートを私は見つめ続けた。
ん?
火事跡からは何も感じなかったが、マンションの上からは視線のような物を感じて何気なく上を見上げた。
え?
昼間の子供が4階辺りの階段に居た。コンクリートの階段の手摺りから顔だけを出して私を見下ろしている。
その時、私の中に急激に怒りが渦巻く。昼間に邪魔をされたと言うだけというだけの子供に対して感じるには異常とも言えるどす黒い怒りだ。自分が奥歯を食いしばっているのを顎と前歯の痛みで感じる。私は走り出していた。階段を駆け上っていた。よろめきながらも手で体を支えながら。
そして、子供を見つけ、捕まえ、階段の下に放り投げていた。
何で?
音も無く落ちる子供の姿を見て私は我に帰る。そして、おかしな形になっている子供だったものが駐車場の街灯の灯りで影を伸ばす。
な、何で私はこんな事を!? 私は転げるように階段を降りた。
え? 子供が居ない。死体が無い。
辺りを探したが子供は何処にも居なかった。
怖い。
恐ろしい。
ここに居たくない。
私はマンションから逃げる様にアパートへと帰って来た。どうやって帰って来たかは覚えていない。
……あの子供は何だったのか?
何故……私はあの子供を……殺したのか?
いや……そもそも……何故……私はあんなに怒ったのか?
何も分からない。ただ恐ろしかった。酒を飲んで無理矢理眠った私は翌日の昼頃に目覚める。ぼーっとしたまま天井を見つめ子供の事を考える。突然現れ、そして消えた子供の事を。私は霊を見たのでは無いか? あれこそが、あの子供こそが霊なのでは無いか? はっきりとはしないが、あの子供の不思議な出来事はきっとそうなのだ。
私は遂に霊を見たのだ。自覚は無いが、多分そういう事なのだろう。怖いがこれは喜ばしい事のはずだ。私は自分の中の恐怖という感情に蓋をして、目標を達成したと言う満足感を感じようと努力した。もう火事跡を見に行くのは止めよう。目的は達成したのだ。もう怖い思いをしなくても良いのだ。
そう結論付けて私は目を閉じた。眠ってはいない。深呼吸をして心を落ち着かせただけだ。
うお!
瞼を閉じた闇の中にあの子供が出て来た。一瞬だが寝ていたのだろうか? 全身汗でびっしょりだ。暴れたのか服も乱れて居る。私はシャワーを浴びようと風呂場へと向かう。
脱衣場で服を脱ぎ棄て風呂の湯沸かし器をつけて、風呂場の電気をつける。
うっ。
子供が風呂場に居る。何処の誰だか分からない子供が……空っぽの風呂桶の中に横たわっている。おかしな形で動かない子供が……死んでいる。
余りの衝撃に私は気を失った。そして、またあの子供の夢を見て、恐怖とともに私は目覚めた。
はぐぅ。
風呂場の前で気を失っていた私が目覚めると、子供が1人増えていた。最初の子供の上に折り重なるように、もう1人の子供がいる。死んでいるのか確かめる事など恐ろしくてできなかった。
私は部屋を飛び出した。
怖い、怖い、怖い。
警察に捕まるのも、怖い。
あのアパートで眠るのも、怖い。
気が付くと私は夜の公園のベンチに座っていた。一瞬、目を閉じそうになったが、またあの子供を見てしまいそうで怖くてそれはできなかった。
目を閉じてはだめだ。だめだ。だめだ。あ……。
瞼の裏にあの子供の姿が浮かび、気がつくとアパートの風呂場に帰ってきた居た。そこには新たな子供が風呂桶に押し込まれている。どんな風になど詳しく見る気はしない。堪えていたのに目を閉じてしまった。そして、風呂場に子供の死体が増えた。
ただ、それだけだ。
それから数日、風呂場に増えて行く子供の死体を前に私は何も感じなくなった。出来るだけ瞼を閉じない様に我慢し続けるが、死体の増加は止まらない。これが現実なのかどうなのかすらも分からない。風呂場で増えていく子供の死体も本物なのかも分からない。だが、目を閉じる度に増える死体が風呂桶からはみ出し、どんどん積み上がって行く。
閉じた目を開かなければ良いのでは? だが、瞼の裏に浮かぶあの子供の姿を見るのはもっと怖かった。言い知れぬ恐怖が私の目を開かせた。
霊を見ようとすると必ずこうなるかは分からない。だが私はこうなってしまった。
目を閉じる。
恐ろしい子供を見る。
目を開ける。
見知らぬ子供が風呂場で死んでいる。
子供の死体は風呂場の天井にまで隙間なく積み上がっており、私を見下ろしている。今にも風呂場からあふれ出しそうだ。
最初に書いたがこれが私からの警告だ。
これが霊を見ようとしない方が良いとい理由だ。
最後まで読んでくれてありがとう。
優しいあなたが子供で無い事を祈る。
私のアパート、裏野ハイツの近くに住んでいない事を祈る。
あ、祈りながらまた目を閉じてしまった。