勇者、ひろわれる
千変万化の変幻トカゲを思わせる青年。
名前を神崎聡史。
自己紹介された内容を信じるならば、彼はこの病院の経営者らしい。
「正確には、この病院を含めたグループの代表みたいなものだけどね」
医療、薬品、介護、インターネット事業諸々を含めた巨大グループ。神崎コンツェルンと言えば、次世代を見据えた企業方針とその躍進で、今最も注目を浴びている企業なんだよ。
と、恥ずかしげもなくさらりと言ってのけるのは、堂々たる代表者の矜持から来るものだろうか。
所々意味のわからない単語が出てくるが、要するに大きな商会のトップなのだという事は分かった。
「君が倒れているのを見た時はびっくりしたよ」
「……僕を助けてくれたのは、カンザキさんだったんですか」
「ああ。血まみれでボロボロの状態だったし、身分証も持ってない。ここ以外だと、色々と苦労するだろうと思ってこの病院に搬送させたんだ」
そう続けると、カンザキさんーー氏名は前後が逆だと聞いて、頭の中でチヒロさんに謝っておいたーーは僕の前へスッと手を伸ばし言った。
「ようこそ日本へ。異世界の勇者君?」
………………
…………
……
「どういう……事ですか」
一瞬の間の後、僕は差し出された手から、カンザキさんの顔に視線を移した。
ーー異世界、と彼は言った。
異世界。異なる世界。
ここではないどこかが、僕の世界だとでも言うのだろうか。
「実は、さっきの話を少し立ち聞きしてしまってね」
僕が握りそびれたその手で、そっと襟足のハネた毛先を弄る。少しばかりバツが悪そうに、カンザキさんは語り始めた。
「看護師の千尋君に言っていただろう?ステータスが見えないって事」
「ここは、エノアールではないんですか?」
「エノアール、と言うのが君のいた所か。ここは地球という所だ。日本はその中にある国の一つだよ」
チキュウではステータスやスキルはないという。その代わりに高度な科学技術が発達し、それらが文明を支えているそうだ。
鉄の塊が空を飛び、あるいは水面を走る。
夜も光が煌々と輝き、昼に夜空を映し出す。
「まるで魔法ですね」
「科学だよ。ありとあらゆる先人達が積み上げた実験と発展の結実だ」
カンザキさんの話はとても信じがたい内容だった。何もかもが理解できたというわけでもない。
とはいえ、今の僕には確かめようもない。
あるのはただ目の前にあるスキルが使えない、という真実だけだった。
「どうして、僕の話を信じてくれるんですか?」
今までの彼の話を聞く限り、僕の話もこの世界にとってはそれなりにおかしな話なのではないか。
「……多元宇宙論、という説を知っているかい?」
私も信じてみたいだけかもしれないね、と呟くと、彼は興味深げに瞼をゆっくりと伏せた。
そしてまた、僕が幾つもある疑問を口にしようとした所。彼は人差し指をそっと自らの口元へやり、それらが表に出るのを塞いでしまった。
「今の話は二人だけの秘密にしておこう。分かったと思うが、ここではこういった話は御伽噺の類いでしかないんだ。それこそ、ゲーム酔いだと言った方がまだ信憑性がある」
狂人だと思われたくなければ、それらしい演技をしなければならない、という事だ。と言っても、僕の場合のそれは半分が真実になるのだけれど。
「あぁそれと、ここでの生活は心配しないでくれ。落ち着いたら私のマンションの空き部屋に住むといい」
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「……好奇心だよ、好奇心」
彼が部屋に入ってきた時と同じ悪戯心に満ちた顔でそう嘯く。
そしてやはり、彼は入ってきた時と同じように、あっさりとその姿を扉の向こうに消していった。