表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末繚乱記  作者: 真柴理桜
8/16

第七話

 襟足(えりあし)を肩より少し長めに残した漆黒(しっこく)のショートウルフと涼しげな目元が印象的な黒目。170近い長身に白衣(はくえ)緋袴(ひばかま)(まと)い、腰に刀を差したその女性を沙彩は確かに知っていた。しかしその人、鈴原星姫(すずはらとしき)はこの時代にいるはずのない人だ。

「どうしてここに……?」

「沙彩ちゃんこそ……」

 驚きに目を見張り尋ねる沙彩。それは星姫も同様でその表情には驚愕(きょうがく)が色濃く浮かんでいる。

 

――――――――――グゥウォォォォォウッ!!


 大気を震わすような獣にも似た咆哮(ほうこう)が耳を(つんざ)く。

 その声に沙彩と星姫は互いに顔を見合わせると頷いた。

「話は後で。まずはアレからよ」

 星姫が視線で示した先には咆哮する男の姿。

 男は地面に刺さる矢を抜こうと腕を伸ばしていた。矢は男を囲むように四方(しほう)に刺さっており、結界を形成しているようだ。

 激しく反発しあう霊力と妖力がバチバチと火花を散らす。霊力に(はば)まれ、男の手は矢に触れることが出来ない。

「無駄だよ。それは母上と星姫が術を(ほどこ)した特別仕様だから」

 不意に上がった聞き覚えのない声。声がした方に視線を向ければ星姫の(かげ)に隠れるようにして少年が立っていた。黒髪を頭頂で一つに結び、幼さを残したあどけない顔立ちの小柄な少年だ。竹弓を手にしていることから男の周囲を囲む矢はどうやら彼の放ったものらしい。

「その結界は破れないよ。これ以上は好きにはさせない」

 右腰に付けた矢筒から矢を抜き、少年、鈴原朱埜(あかや)は宣言するように告げる。その言葉裏付けるように男が矢に触れることは叶わない。引き抜くことを諦めたのか手を引くと男は視線を朱埜へと向けた。茜色の双眸(そうぼう)に捕らえられた瞬間、朱埜の背筋(せすじ)に緊張が走る。背中をゾクリとした嫌な汗が通り過ぎた。

 男はニタリと(わら)うと肩に乗せた毛皮を()ぎ取り放り投げた。クルリと丸まった毛皮が質量を増し、着地する。そこにいたのは立ち耳とブラシ状の尾、3m近い体を漆黒の毛皮で(おおっ)った巨大な狼だ。毛皮だったモノは狼へと姿を変えていた。そしていつの間に取り出したものか妖魔の手には背丈ほどの巨大な大太刀(おおたち)が握られている。

 男は口元を笑みの形に歪めたまま無造作に大太刀を振るい、矢羽の下あたりを切り落とした。それにより効力を失ったのだろう、同時に結界も消滅する。

「なっ!?」

 朱埜が驚きに目を見開く。あれが、破られるなんて……しかもこんな簡単に……。

『さすがは御父上の牙だ。ボンクラの爪とはわけが違う』

 クツクツと笑いを含んだ楽しそうな声が響く。高いようで低い、男のようにも女のようにも聞こえる不思議な声だ。

「……誰がボンクラだ、クソ狼」

『おや、これは失礼、しかしあの程度の結界も破れないようでは夜叉王(やしゃおう)の名が泣きますぞ……』

「黙れ黒曜(こくよう)、お前から裂くぞ」

 地を這うような低い声音に狼、黒曜は器用に首をすくめる。

『おぉ怖い怖い。じゃあすこし黙ろうかね。美味しそうな獲物もいることだし』

 言いながら黒曜が目を向けた先には立ち尽くす朱埜の姿。他の二人に比べれば弱いものの、彼からも確かな霊力を感じる。

『夜叉王様、アタシにもちょっとばかし味見させてくださいよ!』

 言うが早いか黒曜は華麗に地を蹴った。


「……そんな……まさか……」

 目の前で起こったことが信じられず朱埜は呆然と立ち尽くしていた。

 あの矢は当主である母親と星姫の二人が術を施し、より強固な結界が形成できるようにされていた。霊力を込めて矢を放ち、それで四方を囲めばどんな妖魔でも封じられるはずだった。それが、こんな……。

「朱埜!」

 突如呼ばれた声に我に返る。見れば巨大な狼が目前に迫っていた。鋭い犬歯と血のような赤い舌が漆黒の毛皮に映えた。

 ―――――やられる!!

 そう思った瞬間、何かが目の前に割り込んだ。

 壁にぶつかるような音と共に火花が散り、黒曜の巨体が弾かれたように()ね飛ぶ。

 白衣の背中に割り込んだのが星姫だと認識する。(かざ)した左手から帯のように伸びた光が星姫と朱埜を覆うように囲んでいた。どうやら黒曜は星姫の結界に弾かれたようだ。

「ぼーっとしない!死にたいの!?」

「ご、ごめん。ありがとう星姫……」

 星姫の一喝に朱埜はビクリと肩を震わせるとくしゃりと顔をを歪ませた。

 くるりと身を(ひるがえ)し、着地した黒曜は威嚇(いかく)するような唸り声を上げた。睨むような鋭い眼光の先には星姫と朱埜の姿がある。

 星姫は抜刀の構えをとると黒曜に視線を定めた。朱埜は竹弓に矢を(つが)える。

 黒曜は鋭く吠えたかと思うと地を蹴った。


 男、夜叉王が結界を壊した大太刀を一振りするとそれは手の中から一瞬で消え失せた。同時に夜叉王の姿が変貌する。額の左右から角を生やし、口元からは鋭く尖った歯が覗く。犬歯と呼ぶには大きすぎるそれは牙と呼ぶに相応(ふさわ)しい。猛禽類(もうきんるい)を思わせる爪も長さを増し、ナイフの様な鋭利さだ。

「この霊力はおまえか」

 爛々(らんらん)とした茜色の瞳が沙彩を見据えた。禍々しい妖気がその身体から立ち昇る様に揺らめく。

「そうだよ。街を騒がしてた妖魔はあなた?」

 刀を構え、夜叉王へ睨むような視線を据えた。纏う妖気は勿論、先程交えた手応えでもわかる。目の前の妖魔は今まで払ってきたモノとは格が違う。

 本能的な恐怖が背筋(せすじ)を這い上がる。同時にそれ以上の高揚感に支配される。

 稽古でなら何度も剣を交えてきた。遥や沖田をはじめ、強い相手と何度も。しかし今は真剣で、稽古ではない。

 神経を研ぎ澄まし、相手の出方を伺う。僅かでも隙を見せれば()られるのは自分の方だ。

「俺はただ喰らっていただけだ」

 言うなり夜叉王は地を蹴った。あっという間に間合いを詰めると鋭い爪が喉を狙う。同時に沙彩も踏み込んだ。紙一重で爪をかわし、刀を振るう。肩に向かい振り下ろされる刀を夜叉王は身体を(さば)いて受け流すと鍔元(つばもと)目掛け打ち込み、刀を叩き落とした。

「っ!?」

 落ちた刀を蹴飛ばし、一瞬(ひる)んだ沙彩の右肩を右手で掴み、背後に回ると左腕を左手で押さえ込む。爪の先が左首を引っ掻き、浅く切れたそこに赤い線が走った。

「ひぃあっ!」

 ヌラリとした舌が赤く(にじ)む左の首筋を舐め上げる。沙彩の身体がビクリと跳ねた。

「旨いな」

 恍惚(こうこつ)とした息をつき、細い首筋に吸い付いた。


 しまった!そう思った時にはすでに背後を取られていた。逃れようにもしっかりと押さえ込まれた身体は動かない。身を(よじ)ろうと動かせば、肩や腕を掴む指が食い込み痛みが襲う。 

 首筋にジワリとした痛みを感じ、爪だと気付いたその刹那、首筋を這う感触に悪寒が走る。ねっとりと舐め上げる舌の(おぞ)ましさに生理的な嫌悪感が込み上げた。

「旨いな」

 溜息と共に吸い付かれる。

「んあぁっ!」

 ビリビリとした痛みと身体中の血が首に集められていくかの様な感覚。血が、霊力が吸いだされ、身体から力が抜ける。ガクガクと震え、(くずお)れそうになる膝に無理やり力をこめ、意識を集中させた。己の愛刀を脳裏に描き、望む。自らの手に。来ることを。己の力となるために。自身を守る力とするために。己の霊力を宿した己だけの愛刀。それは。呼べば。来る!

「……っ紫苑(しおん)!!」

 右手に感じた確かな感触と重み。手首を返すと背後に向かい突き刺した。 


「んあぁっ!」

 傷口に吸い付かれる痛みに沙彩が堪らず声を上げると夜叉王は楽し気に口元を歪めた。柔らかく滑らかな舌触りに酔いしれる。何とも言えない滋味(じみ)は身体中に力が(みなぎ)るようだ。そして口から漏れる声も。痛みに耐える様なそれのなんと(なま)めかしいことか。

 これほどのモノは久しぶりだ。(けが)れを知らない女のみが持つ甘露の様な味わい。一息に喰らいついてしまいたいような、ゆっくりと(なぶ)る様に少しずつ喰らい尽くしたいような、相反する欲求が湧き上がる。

 不意に沙彩の霊力が増した。鼻をくすぐる香りが強くなる。蜜のように甘く、上質な酒のように(かぐわ)しい香り、一度口にしたことでその味が如何(いか)程かは知っている。喉がゴクリと音を立てる。

 これは、我慢など、できない。

「……っ紫苑!!」

 沙彩が叫ぶのと同時に夜叉王は大きく口を開きその首筋に己の牙を突き立てた。

「ぐぅあっ!!」

 突如、脚に熱を感じた。激痛に沙彩を突き飛ばす様にして放す。いつの間にか沙彩の右手に刀が握られていた。刀に付いた暗い赤が煙を上げて蒸発していく様に、それが己の脚を(えぐ)ったのだと理解する。

「ふっ、ふははははは!」

 不意に笑いがこみ上げてきた。己の血を見たのは久しぶりだった。御馳走に目が(くら)み油断したとはいえ傷を負うなどいつ以来か。

 上質な霊力とそれなりの腕、おまけに処女だ。最高だ。こんなに面白い相手(えもの)は初めてだ。


 握った瞬間、ただ背後へ向けた。当たるかどうかすら賭けだった。

 肉を刺す確かな手応えと首に感じたそれまでとは違う痛み。

 数瞬遅れて突き飛ばされた。よろけて倒れそうになる身体を刀を突いて踏みとどまり立て直す。

 左首が焼けるように熱い。視界が霞む。構えた刀がいつもより重く感じる。

「ふっ、ふははははは!」

 唐突な笑い声に眉を(しか)めた。目の前の男が何故笑っているのかわからない。

 夜叉王は人差し指を鍵状に曲げると口に咥え、高い音を響かせた。

 その音に反応し、黒曜がフワリと横に並ぶ。

「我が名は夜叉王。お前は?」

「……東雲(しののめ)沙彩」

 一瞬迷いながらも名を口にする。夜叉王の口元は笑みの形に歪んだままだ。

「沙彩、気に入ったぞ。次は喰らい尽くしてやるよ。お前は俺の獲物だ」

 ニヤリと嗤うと夜叉王は黒曜に飛び乗った。同時に黒曜が地を蹴り駆け出す。漆黒の狼は疾風の様に走り去り、その姿は掻き消えたかの様にあっという間に見えなくなった。

 去った方角を見ながら沙彩は刀を鞘へと収め、ひとつ息をついた。妖魔は逃がしてしまったが、助かったのは自分の方だろう。夜叉王が引かなければ喰われていた可能性は高い。

 頭が痛い。目眩がする。吐きそうで気持ち悪い。血が足りていないのが自分でもわかる。

 立っていられず膝をついた。

(土方さんになんて報告しよう……)

 手放しそうになる意識の中で脳裏に浮かぶのは眉間に皺を刻んだ副長の仏頂面だ。

(……信じてくれたのに……)

 申し訳なくて、悔しくて、胸がつまる。己の力不足がただただ情けなかった。

   

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ