第五話
……置いてもらえることになったのは良いのだけど……この気まずさはどうすれば良いのでしょうか……?
部屋の隅でできるだけ小さくなっている沙彩だが、先程から度々視線が痛いのはきっと気のせいではない。許しをもらえたことが嬉しくて深く考えていなかったが、よく考えると相当迷惑な気がしてきた。
きっと副長にとって一人になれる私室は大事な息抜き場所だろうし、そこに突然見ず知らずの人間が転がり込んできたら当然いい気はしないだろう。
申し訳なさで据わりが悪くもぞもぞとしながら横目でちらりと土方を見る。
土方は右膝を開き、左膝は立てて座っていた。立てた左膝に左肘をつきその先には煙管が握られている。羅宇の真ん中を三本の指で持ち、吸い口を咥える。眉間に皺を寄せたまま静かに煙を吐き出す。
そんな何気ない仕草がさまになるのだからこの人やっぱりかっこいいなぁ。
何度か煙管をふかし、灰落としに灰を捨てる。それから煙管を煙草盆へ置くと土方は沙彩へと視線を向けた。
「おい」
「は、はい!」
思わず見惚れていた沙彩は突然かかった声に驚きながらも土方へと向き直る。
「こっち座れ。その髪なんとかしてやる」
「え?あ、髪?」
「見るに堪えん」
眉間の皺を深めて言われた言葉に沙彩は苦笑するしかない。指でつまみ確認してみれば左右で長さが違う。適当に掴んで切ったのだから当然と言えば当然だ。
「……すみません」
居た堪れなさに俯く。恥ずかしくて顔が上げられない。
言われた通り、土方の側に移動すると鏡を渡された。
「持ってろ」
「はい……」
大人しく頷き、渡された鏡を立てるようにして持つ。鏡に映る姿は確かに酷かった。勢いに任せて切ったのは失敗だったかなと今更ながらに後悔が過るがもう遅い。
こんなザンバラ頭では気にするなという方が無理だ。先ほどから感じていた視線はどうやら髪型のせいらしい。迷惑だから追い出す策を練っていたとかではなかったようだ。……いやまあ迷惑は迷惑だろうけど……。
土方の指が髪に触れる。その瞬間、胸がドキンと音を立てた。髪とはいえ触れられていることが何だか気恥ずかしい。
鋏の音がする度にハラハラと髪が落ちていく。鋏が入る度に土方の指が沙彩の髪を梳く様にして取り、そこにまた鋏が入りをくり返す。触れる指先は驚くほどに丁寧で優しくて、緊張で息が止まりそうだ。胸が締め付けられるようで苦しいのに、触れられる度に撫でられているみたいで心地良くて、心はホワぁと温かい。
静かな部屋の中で鋏と髪に触れる音だけが聞こえる。やがて鋏の音が止み、土方の手が沙彩の肩を軽く払う。触れられた肩がビクンとはねたが土方は気にする様子もなく、鋏を片付けながら口を開いた。
「これで少しは見れるだろ」
「……すごい。土方さん、器用ですね……」
鏡に映る姿に沙彩は思わず息を飲んだ。顎のラインで揃えられた髪は重すぎず軽すぎない量で、顔回りをふわりと包み込むようなすっきりとしたショートボブだ。短くしたのは久しぶりで見慣れないが、綺麗に整えられたそれは思いのほか悪くない。髪と一緒に気分も少し軽くなった気がする。
「ありがとうございます」
鏡から顔をあげ、土方に笑顔を向けた。煙管に手を伸ばした土方は視線だけを沙彩に向けると微かに目を細め、口角を持ち上げた。
あれ?今……。
笑った様に見えたのは気のせいだろうか。
眉間に皺を寄せたまま煙管をふかす土方は仏頂面で笑ってはいない。それでも何故か先程までの居心地の悪さは感じなかった。
翌朝。
目を覚ました沙彩は隣の布団で眠る相手を見て改めて夢ではないことを確認した。
自分の寝ていた布団の横に新選組副長が眠っている。起こさないようにと出来るだけ静かに布団を畳むと、沙彩はそっと部屋を出た。
中庭に面した廊下には朝の光が差し込んでおり、庭に植えられた木々の緑は生まれたての光に照らされ輝いていた。開け始めて間もない空は雲一つない。
大きく一つ深呼吸をして朝の清浄な空気を体の中に取り入れる。さやさやと柔らかく風が流れ、沙彩の髪を揺らしていく。一房取って見つめた髪は昨日までよりずっと短い。
空気や、光や、風や、体に触れるものの一つ一つが知っているものと同じようで微かに違う。こちらの方が澄んでいて綺麗に見える気がする。
理由はわからないが自分は今、150年前にいて、新選組に拾われて、そして副長の小姓に納まっている。
何が起こるかわからないなぁ……。
自分の周りはなんと非現実的なことで溢れているのだろう。妖魔も。タイムスリップも普通ではありえない。でもこれが現実だ。ありのままを受け止めてしまえばそういうものとして過ぎていくのだ。
妖魔といえば……あの後、遥はどうしたのだろうか?遥ならきっと一人でも片付けられただろうけれど、自分がいなくなったことを気にしていたりするだろうか?両親は、祖父母は、どうしているだろう?
仕事が仕事だ。最悪の事態を考え、それ相応の覚悟は誰もがしている。いなくなったとなれば妖魔に喰われたとされるのが妥当なところか。
できることなら無事であると伝えたいけれど、伝える手段を沙彩は持ち合わせてはいないし、鈴原本家の場所さえ分かればなんとかなるかもしれないが、本家がどこにあるのかがわからない。朝廷の置かれる場所に本家はあるとのことだから、この時代であれば京都にあるはずだし、探せばわかるのだろうが土地勘がなさすぎる。探し出せる気がしない。
考えても仕方ないか……。思考を振り払おうとしたその時だ。
「おはようございます。早いですね」
「っ!?」
不意にかかった声に驚いて声の方を見ると沖田が笑顔で立っていた。
「あ、おはようございます。沖田さんこそ、早いんですね」
「目が覚めちゃいまして。それより驚かせてしまいました?何か考え事ですか?」
「あ、えっと、元いた場所や家族のこととかを少し……」
「やっぱり淋しいとか帰りたいとか思います?」
聞かれてみて、ふと気づく。そういえば……思ってなかった……。
新選組とか土方歳三とか沖田総司とか近藤勇とか。本やTVの中でしかしらない人たちが次々出てきて、色々なことがありすぎて。状況を理解するのに必死で。そこまで頭が回ってなかった。
「……わかりません」
帰りたくないと言えば嘘になる。けれど出来ないことを望んだところで仕方ない。それよりは今出来ることをした方が良い。
「どうしてるかなぁとか気にはなりますけど……帰ろうにも帰れないので……」
困ったように笑う沙彩の瞳はどこか少し淋し気だ。
突然知らない場所に一人で迷い込んだ少女。その心情がどんなものなのか沖田にはわからない。ただ沙彩の真っ直ぐで曇りのない本質や髪を切り落とした時の潔さとかそんなものを沖田は気に入ったし、面白そうな娘だとも思っている。
「髪、整えたんですね。ちゃんと」
話を逸らすかのようにそんなことを口にすると。途端に沙彩の顔が朱に染まった。
「は、はい。昨日、土方さんが切ってくれて……」
毛先を弄りながら言われた言葉は何故か最後の方が尻窄みになっていく。触れた指の感触を思い出し、急に恥ずかしくなってきた。
「土方さんが?へぇ……」
沖田が口元だけでどこか含みのある笑顔を浮かべた。
「気にしてたんですねぇ、東雲さんの事」
「いえ、見るに堪えないって……」
「切らせてしまって、申し訳ないって思ってたんだと思いますよ。長くて綺麗だったのにって」
「きっ!?で、でもどうせ伸びるものだし、きっとそんなに気にして……」
耳まで真っ赤にしながら慌てる沙彩。その様子がおかしくて笑いそうになるのを必死でこらえる。
「いや本当に。素直じゃないから、あの人。気にかけてない人、そばに置かないから」
「えっ!?いや、でもっ」
沙彩の様子に堪えきれなくなった沖田はたまらずに吹き出した。
「あははははっ!」
「な、何で笑うんですか!?」
突然笑い出した沖田に沙彩が怒った様に訊ねた。何にに対してかはわからないけれど、笑われているのはなんとなくわかる。
「いや、うん、ごめん。でもそっちの方がいいよ」
「え?」
意味がわからず眉を顰める沙彩に。
「こっちのこと」
沖田は口元だけで笑ってみせた。
淋しそうにしているより、こうやっている方がずっと良い。ころころと変わる表情は真っ直ぐな少女の気質そのままで好感が持てるところなのだから。
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小姓の仕事はそれほど多くはない。
朝に土方を起こし、顔を洗いに行っている間に布団を片付ける。食事は局長室で近藤と一緒に取っているため、そこに二人分の朝食を運び、頃合いを見計らって片付けに行って。それが終われば部屋の掃除だ。といっても土方の部屋は綺麗に整頓されていてほとんど汚れてはいないからすぐに終わってしまう。後は呼ばれた時にお茶を入れるくらいでそれほどやることはなく、午前中には殆ど終わってしまう。そうなれば後は自由時間だ。
「今日はどうしようかな……」
自由時間と言っても沙彩には特にやることがない。屯所の外に出ることが出来れば色々見て回りたいとは思うものの、まだ疑われているのか外に出ることは許されていない。
しかし屯所で出来ることは限られているし、暇をつぶす手段もそれほどあるわけでもない。やれることと言えば道場で稽古するか、そうでなければ賄方を手伝うことくらいか。
腕が鈍るのは避けたいために稽古を欠かしたくはないが、正直、隊士ではあまり張り合いがないのも事実だ。沖田か斎藤がいれば相手をしてもらうのだが生憎と市中の巡察に出ていて今はおらず、他に剣の腕で知られる者と言えば永倉と藤堂だが今日は二人揃って非番である。そのため二人は屯所に来てすらいない。
縁側に腰をおろし日向ぼっこをしながら時間をつぶしていると、遠くから人の声が聞こえてきた。ガヤガヤとして賑やかな様子に巡察に出ていた組が帰ってきたのだと理解する。戻ってきたのなら沖田か斎藤のどちらかが稽古に付き合ってくれるかもしれない。
沙彩は立ち上がると声のする方へと足を向けた。
中庭を抜け、門の辺りまで行くと隊服姿の一番隊と三番隊の隊士たちが見えた。その中には沖田と斎藤の姿もある。丁度戻ってきたところだったらしく何事か話した後、隊士たちは各々散っていく。部屋に戻る者や道場に顔を出して行く者など様々だ。
隊士たちを見送り、残った沖田と斎藤は何事か話をしているようでその場から動く気配はない。その顔は真剣そのもので斎藤はもちろん、沖田にもいつもの笑顔はなく、緊張感漂うその厳しい表情にはどこか鬼気迫るような気配すら滲んでいた。
「沖田さん、斎藤さん、おかえりなさい」
「あれ、東雲さん。ただいま」
沙彩が声をかけると沖田がにこりと笑って見せた。そこには先ほどまでの厳しさはない。気のせいだったかと首を傾げかけた時。
「……まだ外出許可は出ていなかったはずだが?」
門の近くに来たために外に行こうとしたものと思われたのか斎藤の目に剣呑な光が宿る。返答次第では斬ることさえ厭わないとでも言うような視線だ。
「お二人が帰ってきたみたいだったので来ただけですよ」
脱走したりしませんからと苦笑する沙彩。その返答に斎藤は興味が失せたとばかりに沙彩から視線を外した。
「そうか」
「何か僕たちに御用でも?」
わざわざ迎えに出た理由に思い当たら無いのだろう、沖田がキョトンとした顔を浮かべて沙彩を見る。
「お時間があるようなら稽古に付き合ってもらえたらと思いまして……」
その申し出に沖田と斎藤は僅かの間、顔を見合わせると。
「総司に頼め。俺は副長に報告に行く」
「ちょ!?一君!?」
それだけ言って斎藤はさっさとその場を後にした。
「……行っちゃった……」
斎藤の背中を見送りながら沖田は肩をすくめた。
「……わたし、何か嫌われるようなことでもしましたか……?」
「ん?そんなことないと思うよ。一君は割と誰に対してもあんな感じだし」
小さくなっていく背中を見送りながら不安そうに零す沙彩に沖田は苦笑するしかない。
「……一匹狼でしたね、そういえば……」
史実はともかく物語の中で描かれる斎藤一像を思い出し、沙彩は一人納得した。こうやって本人を見ている限り、物語もあながち間違っていないのかもしれない。
「東雲さん……何気に詳しいですよね、僕たちのこと」
落ち込んでいるかと思えばあっさりと立ち直った様子に沖田は興味深げな視線を向ける。まだよく知らないであろう斎藤のことを的確に言い表したのも面白い。
「まぁ……ファンですから」
いざ口に出すとなんとなく恥ずかしく俯きがちに答える。
「ふぁん……?」
「あ、えっと……支持者、とか?信者……愛好者……追っかけ……」
聞きなれない言葉に首を傾げる沖田に沙彩は適切な言葉を探すべく思案する。使い慣れたカタカナ語を訳すのは意外に難しい。
ふと顔をあげると自分を見る沖田と目が合った。
「愛好者?」
にっこりと笑顔で訊ねられ、一気に顔に血液が集まったように錯覚する。顔が熱い。自分でも赤くなっていることが容易に想像できた。
「え、あ、その……ま、まぁなんでもいいじゃないですか!そんなことより……」
戻ってきた時の沖田と斎藤の顔を思い出す。二人とも恐ろしいほどの厳しい顔をしていた。巡察中に何かあったのだろうか?
「どうかしたんですか?難しい顔してましたよ」
土方さんみたいだったと笑い交じりに訊ねると、沖田は一瞬、虚を衝かれた様な顔をしたかと思えば突然笑い出した。
「あはははは、何それ?そんな顔してた?僕と一君?」
「はい。眉間に皺寄せて……」
「あぁ……うん……」
心配そうに見上げる視線を正面から受け止めて沖田は苦笑を浮かべる。話していいものかどうか逡巡し、溜息をひとつ零す。
「まぁいいか。もしかしたら東雲さんなら何か知ってるかもしれないしね。実は……」
笑いを収めると真剣な顔つきで巡察中の出来事を話し始めた。
「それ!本当ですか!?」
話を聞き終えた沙彩は噛みつかんばかりの剣幕で沖田に詰め寄る。
「えぇ。これで三件目です。犯人も手口も全く掴めてなくて……」
溜息交じりに零す言葉はお手上げだと言わんばかりの声色だ。
「東雲さん、何かわかりますか?……って、ちょっと!?東雲さん!?」
尋ねる沖田の言葉を最後まで聞かずに沙彩はその場を駆けだした。前川邸に駆け込んでいく沙彩の後を沖田も慌てて追いかける。
それが。その話が本当ならそれは……。
それは多分、間違いなく、退魔士としての沙彩の管轄だ。