第四話
試験を終え、入隊を認められた沙彩は一旦部屋に戻るよう言われた。とは言ってもそこは元々沖田の部屋なのだが。新選組で個室を持っているのは幹部だけで、隊士たちは相部屋だ。
特にやることもなく、なんとなく荷物を広げてみる。財布とスマホとハンカチとポケットティッシュ。
「……小説でも持ち歩いてればよかったかな……」
見事に役に立たなそうな己の荷物を前に独りごちる。何か新選組関連の本でもあれば……あるいは歴史の教科書くらいあれば少しは役に立ったかと思うものの今更だ。教科書やノートを持ち帰るのなんて試験前くらいなのだから仕方ない。
少ない荷物をリュックに戻し、ついでに制服も畳んで入れてしまう。後々は新選組の面々も洋装になるがまだしばらくは着物だ。これらを着ることはしばらく無いだろう。
「……どうなるんだろうな、これから」
とりあえず入隊はしたし、置いてくれることにはなったがまだ自分は疑われているだろうし、厄介者であることに変わりはない。これから起こることを知っているとなると、聞き出そうとするだろうか。それとも過去のことを知られているからと斬られるか、あるいはその両方か……。その危険がないわけではないのだ。
話したことは間違いだったかとも思わなくもないが、洋装で、変な荷物と刀を持って倒れていた以上、上手い言い訳が思いつかないのもまた事実で。知らぬ存ぜぬで通せるとも思えない。
「……なるようにしかならないか……」
とても信じられはしないが幕末に来てしまったらしいことは本当で、妖魔との戦いで意識を失った時点で死んでいたかもしれない自分は今ここで生きている。それならもう覚悟を決めるしかない。
リュックと一緒においていた紫苑に手を伸ばす。自分には紫苑がある。紫苑があればどんなことでも切り抜けられる。これが自分を守る力になるはずだ。
聞かれれば、知ってる範囲で話はするし、斬られそうになったら逃げよう。
そう決めて、紫苑を腰に差したその時だ。
「東雲さん、いますか?」
襖越しに声をかけられた。
「はい」
答えると同時に襖が開き、にこにこと笑った沖田が立っていた。
「幹部の皆さんに紹介したいので局長室まで来てもらえませんか?幹部にはあなたの事を話しておいた方が良いかということになったので」
有無を言わさぬ笑顔のまま沙彩の手を掴むと沖田はそのまま歩き出した。
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沖田に引きずられる形で局長室へ行くと、そこには近藤と土方、それから幹部だと言う男が六名いた。入るなり好奇の目にさらされる。来る途中で沖田に聞いた話だと沙彩自身の口から説明させるべきとして何も話していないとのことだった。だとすればこの視線はなんなのか。
「嘘だろ?本当にこんな小僧が総司とやりあったのかよ?」
「おうよ。凄かったぞあれは」
「えぇー見たかったなぁそれ!俺も道場いけば良かった」
投げかけられた言葉に納得した。先ほどの沖田との手合わせを見ていたのだ。
沖田から聞いた特徴と史実を交えて考えるかぎりでは多分、細身で長身の割と美形な男が十番隊組長原田佐之助、がっしりした体格で一見すると怖そうだが浮かべた笑顔に愛嬌がある男が二番隊組長永倉新八、それから小柄で色の白い美青年が八番隊組長藤堂平助だろう。車座になり三人で話す姿は見るからに仲が良さそうだ。ってあれ?小僧?
「信じられねぇ。このチビが?平助よりまだ小さいんじゃねぇか?」
「そんなに変わらねぇだろ?」
「いや俺のがでかいっ!よく見ろ新八っつぁん!!」
「おまえら、少し黙ってろ!」
土方の一喝に三人が押し黙る。
場が静まると近藤がゴホンと大きな咳払いを一つ。
「自己紹介がまだだったな。新撰組局長の近藤勇だ。君の入隊を歓迎するよ。先ほどの試合、見事なものだった」
豪快な笑顔で笑う近藤の目は優しい。厳ついが人好きのする顔だ。
「ありがとうございます。しかし着物に足をとられるなどお恥ずかしいかぎりです」
閉じた襖の前に正座をすると手をついて頭を下げる。相手は局長で自分は一隊士だ。礼を欠いてはならない。
「総長の山南敬助です。沖田君との試合模様、聞かせていただきました。なかなかの使い手だそうですね」
温厚そうな微笑みを浮かべる山南は刀よりも本が似合いそうな雰囲気だ。そういえば文武両道だったと何かで読んだなぁと沙彩はぼんやり思い出す。
「いえ、わたしなどまだまだです。事実、兄弟子には一度も勝てたことはありませんでした」
「女だてらに刀を振るい総司と渡り合うなら十分だろう」
眼光鋭い長身の男が口角を右だけ持ち上げてシニカルな微笑を浮かべる。そんな表情が嫌味に見えないから不思議だ。おそらく彼が三番隊組長斎藤一。
「え?」
原田、永倉、藤堂、近藤の四人が同時に声をあげた。斎藤と沙彩の顔を交互に見る。
「女?」
「誰が?」
「本当に?」
「女子なのか?」
合わせたかのように順に訊ねてくる四人に気圧されながらも沙彩が頷く。
「えぇぇぇぇぇっっっっっ!?」
四人の叫び声は見事に重なった。
確かに今の自分は土方から借りた着物と袴で男装をしている。身長もこの時代でなら小柄な男性で通らなくもないだろう。そして入隊したからにはこれから男として過ごす必要があるわけで、気づかれていなかったのは喜ばしいことなのだろう……と思う。でも、なんだろう、少々複雑だ。
「やはり女性だったのですね。入隊されたというからまさかとは思ったのですが……。土方君と沖田君は気付いていたのですよね?」
山南が柔らかな微笑はそのままに土方と沖田に訊ねる。顔は笑っているが目は笑っていないのが正直少し怖い。気付いているなら何故とその眼が雄弁に語っている。
「当然だろ」
「まぁ、気づきますよね」
当たり前だと言わんばかりの土方と困ったように笑う沖田の返答が重なる。
「いや……綺麗な顔をしているとは思ったが……女子とは……」
沙彩をまじまじと見つめながら近藤は困ったようにつぶやいた。
「本当に女なのか?あれだけの腕を持ってて?」
よほど信じられないのだろう。永倉は目を丸くして沙彩を見ていた。
「脱がせちまえばわかるんじゃね?そしたら一目瞭然だし」
「いかん!女子にこのような公衆の面前で!!」
原田の言葉に近藤が慌てて声を張り上げた。沙彩としてもこれだけの男性陣に囲まれて脱げと言われるとさすがに困る。
「しかし……歳、気づいていながら総司と試合させたのか?しかも入隊を許可するなど……。どういうつもりだ?」
咎めるような口調の近藤に土方は口元だけで笑ってみせた。
「自信があると言い張る腕だ。どれほどかと思ってな。それに入隊はこいつが自ら望んだことだ。東雲、その辺も含めて全部話せ」
「はい。改めまして、東雲沙彩と申します。今からずっと先の時代、150年後から来ました」
突然の告白に土方と沖田を抜かした全員の顔が微妙な形に歪んだ。あぁこれ絶対信じてない顔だ。まぁ当然だよね。そう思いながらも沙彩は土方と沖田に話したことをくり返した。
……やっぱり何度話しても嘘くさい……。
自分で話していてそう思うのだ。これを信じろと言うのはかなり無理があると思う。
「……つまり貴女は我々の事をいろいろ知っているということですか?今まで起こったことも、これから起こることも全て」
考え込んでいる様子で訊ねてくる山南。温厚そうな笑顔はとうに消え、沙彩を見据える目は剣呑な光を帯びている。
「全てでは、無いですが……だいたいは。ただ伝わっていることが事実とは限りませんし、諸説あってどれが真実かわからないものや舞台や本になりすぎてどれが創作でどれが史実かわからないことも多いです。話に尾びれ背びれがつくのはよくあることだし、150年も立てばなおさらです」
ついでに言うなら沙彩の記憶も曖昧だ。印象的なことは覚えているがそれらも事細かに記憶しているわけではない。詳細まではわからないことは多い。
「漠然と先読みが出来る程度……占いなどとそれほど精度は変わらないかなと思います」
話の内容が内容だ。どう聞いても怪しいし、疑われるのは当然だ。だからこそ、沙彩は神妙な面持ちで真直ぐに相手を見て話していた。嘘ではないのだと、伝えるために。
「なるほど……。これは確かに野放しには出来ませんね……。とても信じられる内容ではありませんが万が一と言うこともありますし……」
「ならばいっそこの場で粛清いたしますか?」
さらりと言ってのけた年嵩の男に全員の視線が集まる。
「源さん……それは……」
「冗談ですよ。女子と知った以上無闇に斬るのも気がひけますしね」
困ったように口を挟んだ藤堂に源さんと呼ばれた男はにこりと微笑んだ。その笑顔は優しそうで人の良さが滲んでいるようだ。この人が六番隊組長井上源三郎だろう。
「しかし身元もはっきりしない以上、間者の可能性もあります。そうでなくとも女子を屯所に置くのもいかがなものかと思いますよ」
井上の言うことも尤もで全員がどうしたものかと黙り込んだ。
「あの……」
真直ぐな視線はそのままに沙彩は全員を見渡しながら口を開く。
今の自分には他に行くあてはない。ここに置いてもらうしかないのだ。そのために今できることは……。
「わたしには身元を証明できるものは何もありませんし、わたしの話を信じろとも言えません。わたしに起こったことはわたし自身が信じられないものですから。ですが入隊を許していただけた以上、新選組を裏切るようなことはいたしません。それだけは信じていただけたらとおもいます」
結ってあった髪をほどいた。長い髪がはらりと落ち、腰まで届く。それを片手で一つに纏めると紫苑を鞘から抜き、首の辺りでバサリと切り落とした。
「髪は女の命と言います。今ここで自らの命を差し出すわけにはいきませんが、これで女のわたしは死にました。それぐらいの覚悟があるのだということは認めていただけませんか?」
視線が沙彩と切り落とされた髪に注がれる。誰もが目を開いて驚いていた。女子がその象徴であるかのような髪を自ら切るとは考えてもいなかったのだ。
「はっはははははは!」
不意に笑い声が響いた。水を打ったような静けさの中でそれは一際大きく響く。
「いや、気に入った!いいじゃん、置いてやろうぜ」
笑いながら言ったのは原田だ。
「しかしだな、左之……」
「良いじゃねぇか近藤さん。女子が髪切るほどの覚悟だって言うんだからさ」
渋る近藤に原田は楽しそうに笑うだけだ。
「……まぁそうだな。あれだけの腕だ。充分戦力にもなるし」
「間者だって言うなら一人で外に出したりしなければいいだけだしな」
永倉と藤堂が口々に言う。
「お願いします。置いていただけなかったらどこかで野垂れ死ぬか、薩摩藩か長州藩にでも情報持っていくしか生きる術がなくなるんです」
手をついて頭を下げる沙彩。しかし言っていることは脅しにも似ていなくもない。
「薩長は困りますね」
「それこそ斬らねばならんな」
山南は眉をしかめて、斉藤は興味なさげにつぶやく。その口調はどこか世間話の様なのんびりとしたものだ。
「……だが女子に他の隊士と一緒に雑魚寝させるわけにもいかんだろうし……」
「大丈夫じゃねぇか?俺たちが気付かなかったくらいだし。隊士たちだって気づかねぇよ」
近藤がなおも渋る中、永倉があっさりと笑い飛ばす。
なんだろう……置いてもらえなくなるとそれはそれで困るから後押ししてもらえるのは嬉しいが……やっぱり少し複雑だ。なんというか、気づかれないのもそれはそれで切ないというか……。
「誰かの小姓にでもすればいいんじゃねぇか?近藤さんとか山南さんとか。それなら雑魚寝させるよりマシだろ」
「それだ……!」
土方の言葉に近藤はその手があったとばかりに頷く。
「よし!歳、東雲くんのことは頼んだぞ!」
「はぁっ!?」
豪快な笑顔を浮かべる近藤に対し、土方は眉間の皺を深めた。
「なんで俺が!?」
「まぁ土方君が連れてきたんですから。それが妥当ですね」
「拾ったのは総司だ!」
山南ののんびりとした声に食って掛かる。
「僕は小姓をつけるほどではないので。土方さん、いろいろ忙しいだろうし良いんじゃないですか?」
「それに、東雲さんの話が本当なら策を立てる際の参考にもなるかもしれませんしね」
沖田と井上、それぞれの言葉に土方が黙り込む。苦虫を噛み潰したような顔で沙彩を見ると長い溜息をひとつ零した。
「……仕方ねぇ……」
心底不満そうながらも口から出た肯定に。
「ありがとうございます!これからよろしくお願いします!」
沙彩は笑顔で頭を下げた。
この時点(元治元年、1864年)では八番隊までで永倉、藤堂、原田の三人は組長では無かったりします。この3人も含め十番隊まで出来たのは1865年4月のようです。