第三話
150年先の未来から来たこと。退魔士として妖魔を払うことを生業としていること。その仕事中に意識を失って気が付いたらこちらにいたこと。どうやって来たかも帰り方もわからないこと。ついでに自分の名前と年齢と二人の名前の確認も。
……話していて思ったのだが、話せば話すほど嘘くさくなるのは何故だろうか?
「……つまりおまえはずっと先の時代から来たってことか……?」
「そう、です……」
あきらかに信じていない顔と声で聞いてくる土方に沙彩は神妙に頷いた。こんな話を聞かされたら自分も同じ態度をとるだろう。信じろと言う方が無理だ。
「じゃあ東雲さんはこれから何が起こるか全て知ってるんですか?」
好奇心一杯の顔で沖田に尋ねられ、それはそれで面食らう。こんな与太話染みたもの信じたのだろうか?まぁ真実なのだから信じて貰えるに越したことはないのだけど。
「全てでは、ないですが……だいたいは。あと、すでに起こったことも……。芹沢局長のこととか……」
これは言わない方が良かったかなぁ……そんなことを漠然と思いながら沙彩は元・新選組局長の名を口にした。この時代では長州藩士の仕業とされたが、土方たちが暗殺したという話は現代では有名なエピソードの一つだ。
芹沢の名に土方と沖田の表情が硬くなる。
「わたしのいた時代でも有名なんです、新選組。舞台や本にもなってるし。だから、重要な出来事はだいたい……」
「それが本当なら、厄介だな」
沖田へと視線を向け、忌々しそうに言う。
「とんでもねぇ者を拾ってくれたもんだな、総司」
土方の言葉に沖田は肩をすくめるだけだ。
沙彩としては苦笑するしかない。とても信じられる話ではないうえに、信じたとして、隊内の情報をいろいろ知ってる可能性がある人間など確かに厄介だろう。
しかしそんなことよりも、沙彩が今、最も考えなくてはならないのはこれからの宿である。
当然ながらこの時代の金は持っていない。皐月と鈴原の両家はこの時代にはすでにあるはずだが、どこにあるのかは知らない。帰り方はもちろんだがそもそも帰れるのかすら謎だ。
この時代で身寄りも財も何もない女が一人で生きていくのはまず無理だろう。……というか沙彩に思いつく仕事は一つしかなかったし、それだけは避けたい。それを仕事にしている人を非難するつもりも、その仕事を批判するつもりもない。ただ自分には出来ない。三食宿付きではあるだろうが無理なものは無理だ。
どうしたものかと考えて、ふと思いつく。宿なら、ここにある。
「あの、わたしを入隊させてくれませんか?」
「何?」
「え?」
唐突な言葉に土方は眉間の皺を深めて、沖田も僅かに眉をしかめて、沙彩に視線を向けた。
「……わたし行くところないし。幸い、剣の腕にはそれなりに自信もあるし、役に立てないことはないと思います。それに……これから先、何が起こるか知ってるような厄介者を野放しにして薩長の人にでも拾われたら困りませんか?」
そう、自分は厄介な存在だ。それならそれを利用すればいい。ここに置いてもらえれば宿の心配はしなくて済む。それに同じ体を張るなら布団の上より戦場がいい。それはもう切実に。
「厄介だからこそ、この場で斬られるとは思わねぇのか?」
土方の、それ自体が刃のような鋭い目に睨まれる。
あぁまただ。この目に見られるとざわざわする。息苦しさにも似た緊張に支配されそうだ。恐怖とは違う何か。わからない。わからないから、知りたい。知るためにもここにいたい。
「それならそれで構いません。拾っていただかなければ野垂れ死んでたかもしれないし」
自身を見据える視線を真っ直ぐに見返す。斬られるとは思っていないのだ。屯所内にいて、女一人に対して男二人だ。呼べば他にも隊士が来るだろう。「人斬り集団」のイメージが強い新選組だが実際は捕縛を原則としている。自分たちが有利な状態で土方が刀を抜くとは思えない。
それにもし、ここで刀を抜かれたとしても紫苑があれば逃げ切ることはできる。紫苑は沖田の手の内だが沙彩が呼べば紫苑は来る。実戦経験なら遅れはとらないはずだ。
「……確かにおまえをこのまま野放しにするわけにもいかねぇ。だからと言って女なんぞ入隊させられるか。ここをどこだと思ってやがる」
「そうですね。危険なことも多いですから」
「……何ですか?女なんぞって……。女だから駄目だと?」
吐き捨てるように言い放つ土方と笑顔でやんわりと言う沖田。二人の答えに沙彩の目に怒りが混じる。
言い方は違えど言っていることは変わらない。そこにあるのは否定だけだ。
危険だとかそんなこと、言われなくてもわかっている。自分が無茶を言っていることも百も承知だ。だからといってここで引けない。しかもこんな納得できない理由でだ。
「当然だ。しかも十六のガキを……。ここは遊び場じゃねぇ」
土方の返答には取りつく島もない。
確かに戦においての女の仕事は後方支援だ。戦場においても食事の準備や負傷者の手当てなどをしていたと聞く。だからと言って女が戦場に立っていた例がないわけではない。この時代なら会津の新島八重が有名だろう。籠城戦において銃と刀を持って奮戦し、後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる存在だ。
「わたしだって遊びでいってるわけじゃありません。自分が生きるための道を考えての事です。わたしには紫苑という力がある。それを役立てたい。それなのに……女だからなんて、わたしにはどうにもできない理由で……」
微かに手が震える。怒りで視界が滲んでくるのを瞬きで振り払い、土方を睨むように見つめる。
「わたしだって好きで女に生まれたわけではありません。女だからといって否定される謂れもない。今の自分に出来ることは刀を振るうことだけで、それを活かせる場所があるなら活かしたい、それだけです。それなのに、女というだけでその資格すらないんですか?剣の道に男も女もないでしょう!?」
真っ直ぐなその双眸を土方は静かに受け止めていた。
こんな風に自分を睨み付け、言い募る女を他に知らない。女に限らず隊士であっても土方の視線を正面から受け止め、そのうえ睨み付けてくる者などそういない。
良い瞳をしている。凜とした強い光を秘めた瞳だ。
「……いいだろう」
「土方さん!?本気ですか?」
僅かな思考の後に発せられた言葉に驚いたのは沖田だ。面食らった様子で土方を見る。屯所に置くことには反対はしないが隊士となると問題だ。なにしろ相手は女だ。それを入隊させるなど……。
「ただし条件がある。知っての通りここは男所帯だ。そんな中に女を入れるわけにはいかねぇ。今から男で通せ。それから、置いてはやるが入隊させるわけじゃねぇ。入隊は試験をしてからだ」
面白いと思ったのだ。見て見たいと。これだけの瞳をし、自信があるという剣技を。それがどれほどの物かを。そのうえで本当に使えそうであれば隊に入れるのも悪くない。戦力は多いに越したことはない。
「そこまで言うんだ。おまえの剣技、少しばかり見せてもらおうじゃねぇか」
「はい!」
認めてもらえた嬉しさに、沙彩は笑顔でうなづいた。
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八木邸敷地内に立つ『文武館』。新選組の道場であり、日々隊士たちが鍛錬に励む場所だ。
土方と沖田に連れられ、道場内を覗いた沙彩はその熱気に気をされた。
面や胴を打つ音や怒鳴り声が響く中、数十人の隊士たちが竹刀を手に打ち込み稽古を行っており、端の方では動けなくなったのだろう何人かが倒れていた。
最初に圧倒されたのはその数だ。『誠藍館』でも宝が生徒を取り教室を開いてはいるがそれらが行われるのは主に昼だ。平日は夕方にやってはいるが沙彩が道場に行く頃には教室は終わり、基本的に人はいない。これだけの人が道場で稽古をしているところなどほとんど見たことがない。
活気に溢れており、隊士たちの熱のせいだろう、道場内には湯気が上がってるようにすら見える。
「歳!総司!お前らも見に来たのか!」
よく通る声が道場内に響いた。声の主を探そうと道場内を見ると、道場の奥、一段高くなった畳敷きの場所に座った男が手を振っていた。
がっしりとした中肉中背の体格。迫った眉は太く、角ばった顔つきで豪快な笑顔を浮かべた口元には大きな笑窪が見える。この顔も沙彩のよく知るものだった。新選組局長、近藤勇だ。
土方は軽く手を挙げて近藤に答えると沙彩に入るよう促すと自身も稽古中の隊士の脇を通り抜け、近藤のいる奥へと進んでいった。それを追いかけるように沙彩と沖田も後に続く。
「近藤さん、ちょっと場所借りるぜ」
「構わんが……ん?君は?」
近くに来て初めて沙彩の存在に気付いたのだろう、近藤が沙彩に目を留めた。
この時代、男性の平均身長が160ほど、女性であれば145ほどが平均だ。現代なら小柄な沙彩もここなら決して小柄ではない、ないはずなのだが……。平均はあくまでも平均であり、それより大きい人物はたくさんいる。何故か歴史に名を残してる人物は長身が多い。土方も例には漏れずこの時代では大きい部類に入る。五尺五寸と言われているから168くらいだ。沖田もほとんど変わらないくらいであったし、152ほどの沙彩では二人に隠れる形になり見えていなかったのだろう。
「東雲沙彩。入隊希望者だ」
土方はそれだけ告げると竹刀を手に取り、沙彩と沖田、それぞれに向けた。
「総司、お前が相手してやれ」
「えぇっ?」
「良いんですか!?」
困惑気味に眉を寄せた沖田と沙彩の嬉しそうな声が重なる。
新選組最強との呼び声も高い沖田と剣を交えることが出来るとは思いもしなかった。剣士としては素直に嬉しい。
「よろしくお願いします!」
竹刀を手に笑顔で言われては沖田としても断りづらい。仕方ないとばかりに苦笑すると。
「どうなっても知りませんよ」
土方から竹刀を受け取った。
竹刀を手に沙彩は沖田と向かい合った。
「本当に防具をつけなくていいんですか?」
「はい。重たいだけですから」
心配そうに聞いてくる沖田に沙彩はあくまでも笑顔で答える。
防具など、打たれさえしなければ必要ないし、正直、あまり着けたくはない。剣道の防具は洗えない。しかし稽古で使えば汗もかくし、当然それが浸み込んでいる。よって、臭うのだ。誰が使ったかわからない防具など使いたくはない。着物に臭いが付いたりしても嫌だ。
ちなみに沙彩が今着ているのは土方から借りた着物だ。襦袢で出歩くわけにはいかないし、荷物や着ていた制服は返してもらったがカッターシャツにミニスカートもさすがに目立つ。当然サイズは合わないが着物はある程度の調整がきく。長着はおはしょりを作って上にあげ、本来は腰で結ぶ男袴を胸元とまではいかないが少し上の方で締めている。たまに裾を踏みそうになるが動きにそれほど支障が出るほどではない。
困ったように微笑みながら自分をみる沖田に、大丈夫ですと笑顔で念を押す。
沖田が相手なら本気でいっても問題はないだろう。天才剣士と謳われる人物だ。相手にとって不足はない。
目を閉じる。
頭の中を真っ白にする。
祖父・宝の声が。飛翔空心流の理が。頭の中で反芻される。
『飛翔空心流は理知の剣。一撃必殺をもって相手を仕留める剣。全てを忘れ、考えろ。より速く。より確実に。相手を殺す方法を』
目を開く。
そこには先ほどまでの笑顔はない。あるのは凍るような殺気のみだ。
突然の沙彩の変貌に周囲の隊士たちは息を飲んだ。鍛錬の手が止まり、向かい合う沙彩と沖田に視線が集中する。
道場内の空気が緊張していく。
「東雲沙彩、参ります」
よく通る声で宣言し、沙彩は一気に踏み込んだ。
沖田の剣を紙一重でかわし、或いは竹刀で受け流し、打ち込む。攻めては防ぎの攻防戦に隊士たちはもちろん、土方や近藤も息を飲んだ。
沖田は元々手加減が苦手な男だ。稽古は荒っぽく、厳しいことで有名で隊士たちの間では師範の中の誰よりも恐れられている。それがあれだけの殺気を向けられて、加減など出来るはずもない。実際、今の沖田からはいつもの笑顔が消えている。冷たい光を宿した目は本気だ。気迫にに満ちたそれの前に並の隊士なら動けないだろう。
その沖田を相手に、沙彩は恐れるどころか矢継ぎ早に打ち込んでいく。生き生きとした活気に満ちた表情ですらある沙彩は、打ち込む度に速さを増していくようだ。
「……総司に引けを取らないとは……。歳、あの東雲くんとやらは何者だ?」
近藤の問いすら耳に入らず、土方は二人の剣に見入っていた。
自信があると言ったところで所詮は女、出来たとしても平隊士たちとそれほど大差もないだろうと高を括っていたのが正直なところだ。女が、しかもまだ十六だというガキが、まさかここまでとは思わなかった。これほどの腕は新撰組内でも数えるほどだ。
「これは……すげぇ拾いもんかもしれねぇな……」
男も女もないと言った真っ直ぐな瞳を思い出す。確かに。これは自分が間違っていたかもしれない。これほどの腕を、女だと侮ったら失礼だろう。
「っ!?」
不意に沙彩がバランスを崩した。打ち込み、間合いを取るため離れた拍子に袴の裾を踏んだらしい。
「あぶねぇっ!」
その隙を見逃すはずもない。倒れそうになったところに沖田の竹刀が降ってくる。
竹刀の割れる音が響いた。
二人の間には沙彩を左腕で抱きとめ、右腕で沖田の竹刀を受け止めた土方が。
「そこまでだ」
終わりを告げた土方の声に静まり返っていた道場内が一気にざわめいた。
沖田が竹刀を引き、ふぅと大きく息を吐く。
誰もが興奮した様子で騒ぐ中、沙彩は目の前にある横顔を呆然と眺めていた。
自分の置かれた状況が理解できない。
バランスを崩した瞬間、やられると思った。そんな好機、じぶんなら絶対に逃さないし、それは沖田も同じだろう。にもかかわらず竹刀は自分に当たることはなく、視界が漆黒で埋まったと思ったらこの状態だ。
目の前にある端正な顔。体を抱きとめた腕の力強さ。これは、つまり……。
理解した瞬間、体がかぁっと燃えた気がした。顔や耳すら通り越し、きっと身体中が赤い。
「すごいですね、東雲さん。体にあった着物だったら負けてたかもしれないなぁ」
先ほどまでの気迫はどこえやら、沖田は朗らかな笑顔を浮かべていた。剣を交えれば、相手の人となりも見えてくる。沙彩の剣は真直ぐで曇りがない。
「試験は合格ですね、土方さん」
「……そうだな」
苦虫を噛み潰したような顔で土方は静かに頷いた。
実際には入隊には身分や年齢の制限はなく実技試験もなかったそうです。
尽忠報国の志ある健康な若者であれば入隊できたとか……byWikiprdia
まぁさすがに女子は無理でしょうが……(笑)