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とあるイベントシリーズ

とあるバレンタインに続く

作者: 六条藍

 ――何故、 日本にはバレンタインなどという風習があるのだろうか。

 そもそもバレンタインの起源すらあやふやのまま、 日本にその習慣を持ち込んだのは製菓会社だというのだから正しく企業の陰謀に違いないにも関わらず、 何故街中をバレンタイン一色で染め上げなければ気が済まないのだろう?

 多少色合いの差異はあるものの、 大半眼に宜しくないピンクのハートが舞い飛ぶショッピングモールで、 肩身の狭い思いをする独り者の買い物客への配慮というのは一体何処にいってしまったのだ。 日本人の美徳たる慎ましさは何処いずこに置き去りになってしまっているのか。

 私は甘ったるいバレンタインソングの流れる街並みから意図的に目を背けるように、 思い思いの店で足を止める人々の間をすり抜けて進んでいく。

 はぁ、 と零した大きな溜息は雑踏に紛れて無惨に散るのがとてつもなく侘びしい。

 しかし隣を歩いていた男は漏れなくその音を拾ったらしく、 彼は些か怪訝そうに首を傾げた。


「今日は溜息だけなんだね」


 特に連れ合いの存在を気にすることなく、 すたすたと結構なスピードで歩いている私に涼しい顔でついてくる男の名を宮村という。 無論名前もあるのだけれど、 私は彼を宮村と苗字で呼んでいるし、 その呼び名を変える予定は無いので、現時点でにおいて必要な情報ではない。

 私は何か含みのある彼の言葉尻を捉えて、 眉を上げた。


「どういう意味よ」

「いや、 クリスマスの時は爆発しろ、 とか言ってたのになって」


 笑い混じりに宮村がそんな言葉を放った瞬間、 私は思わず彼の顔をまじまじと見返してしまった。

 その微妙な話題を、 何故彼は今此処で、このタイミングで言えるのだろう。

 曖昧な宮村の告白じみた戯れに振り回されて、 有耶無耶のまま押し切られるようにクリスマスの数時間を共にしたときのことを思い出して、 私は改めてこの微妙な関係性に抱く懸念を確かにした。

 好きだなんていう明確な言葉があったわけでもなく、 別に付き合おうと言われたわけでもない。

 それでもあの日以降、 何となくお互いに時間が合うときは食事を共にしたり、 いまいち――否、 いまにぐらい成績が芳しくない私のために試験勉強を教えて貰ったりと、 それなりに親しくしてはいるものの。 それだって仲の良い友人の範囲で十二分に収まるのだから、 やっぱり私達の関係性はよく分からないままだった。

 私は崩れかけた表情を無理矢理押し隠すようにして、 宮村に言う。


「だって大学はもうお休みで、 家から出なければバレンタインなんて行事そもそも私の世界に入り込んでこないでしょ」


 世界の外側で一体何が起こっていようとも、 それは私の知るべきところではないわけで。

 知らなければ何処までも無関心でいられるのだから、 バレンタインに対する恨み言はクリスマスほどそう強くはなかった。

 或いは、 クリスマスと違ってバレンタインの主導権が女性にあるからかもしれない。

 つまりクリスマスの場合、 一緒に過ごす相手が居ないというのは何とも寂しげに聞こえるのだが、 バレンタインにチョコレートをあげる相手が居ない程度ならただ単純に好きな人がいないだけという風に響くわけで。

 結局何処までも見栄っ張りな私からすれば、 その決定的とも言える違いが感情を突き動かすの全てなのだ。


「つまり、 その重々しい溜息はバレンタインで浮かれる街中に半ば強引に真木を連れだした俺への恨み節?」


 常日頃こういうイベント日は家に籠もって惰眠を貪るのが常の私が、 こうしてわざわざ甘ったるい匂いで溢れる街に繰り出したのには勿論理由がある。

 昨日のお昼頃、 急にかかってきた電話に応じると、 宮村は挨拶もなしに冒頭から 「明日暇だよね?」 と疑問系なのかすら判断しがたい――というよりもほぼ確信めいた響きを込めて、 単刀直入にそう切り込んできたわけである。

 咄嗟の出来事に何の策も立てられないまま、 馬鹿正直に 「暇だけど」 と答えてしまったのが運の尽きだったと今でもそう思っている。

 私の返答にかぶせるように、 彼は私を映画に誘って、 賛同も拒否の言葉も発しないうちに一方的に時間と待ち合わせ場所を告げて切られてしまった。

 断ろうと思えば、 その後電話をかけ直すなり、 メールやラインをすれば良かったのだが、 暇だと言った手前断り難かったし、 何よりもその映画自体前々から私が見たいと思っていたものであることを彼は知っていたので、 それを理由に断るわけにもいかなかったわけである。

 此処までの経緯をざっと思い出して、 私は再び大きな溜息を零した。


「そう思うなら私にパフェの一つぐらい奢ってくれてもいいと思うんだけど」


 私がそう言うと、 宮村は間髪入れずに 「真木って存外安上がりだよね」 と笑った。

 パフェ一つ分を安上がりととるかは人それぞれの感性なのだから、私は特にそれについて突っ込むようなことはせず、 ただ黙って前を向いて、 この雑踏の中を出来るだけ人にぶつかることなく歩くことに意識を集中させた。


「真木は誰かにチョコレートをあげないの?」

「宮村は私がそんなリア充だと思ってるの?」


 間髪入れずにそう言うと、 「どうだろうね」 と宮村は何とも言い難い表情を浮かべていた。

 例えば、大学がまだ実習期間なら友人にあげたり、 先生にあげたり、 そんな友チョコや義理チョコが大いに活躍するのかもしれないが。

 既に休みに入ってしまった現時点で、 わざわざチョコをあげるためだけに会う必要性のある人間が居るならば、 今こうしてバレンタイン当日に宮村と会っているはずがないだろうに。

 だからといって宮村にあげるような気になれないのは、 この微妙な関係性が崩れてしまうのを私が恐れているからかもしれなかった。

 例えば、 私が彼にチョコをあげたとして、 そのチョコに一体どんな名称をつければいいのだろう。

 仲良くしている友人として? それとも常日頃お世話になっている義理として? それとも――そんな風に考え始めると、 ぐるぐると思考回路が空回りするばかりで、 そうなると私は何時も其処で思考を放棄してしまうのだ。


「真木は俺にチョコレートをくれないの?」

「宮村は私からチョコレートが欲しいの?」


 反射的にそうは答えたものの、 私が躊躇していたその一線を容易に踏み越える素振りを見せた宮村に私はたじろいだ。

 表面上はせめてポーカーフェイスを保っていられたら良かったのに、 そう言いながら宮村の手が私の右手に触れたのだから、 私はきっと傍目から見ても明らかなほどに動揺しているに違いない。

 顔に熱が集まってくるような感覚は何度経験しても慣れなくて、 表情は幾ら覆い隠せても脊髄反射的な生理現象までは制御出来るわけもない。


「当然でしょ」


 と、 宮村は幾分か不服そうな声色でそう言った。

 当然とは一体どういう意味なのだろう。

 男なのだからバレンタインにチョコが欲しいというのが当然だという意味なのか、 或いは私から貰いたいと思うのが当然だという意味なのか。

 友人曰く考え方が捻くれているらしい私には、 額面通りに彼の言葉を受けるとることなど出来るはずもなかった。


「真木は――俺とどうしたいの?」


 それは此方の台詞だと、 私は咄嗟にそう言いかけて口を噤んだ。

 この関係性の主導権は私と彼一体どちらにあるのだろうか。 私が進めようとしたら彼は進めるつもりなのか、 或いは私が断れば彼は私から去っていくのだろうか。

 宮村は何時も通りに交わす世間話の延長線上のような語調で、 柔らかく笑ったまま私の顔を覗き込んだ。


「――宮村こそ、 どうしたいの?」


 はしばみ色の瞳とぴったり視線を合わせ、 尋ねる私の口調は緊張で少し震えていたかも知れなかった。

 彼のことを当然私は嫌ってはいなかった。

 独特の雰囲気は心を和ませるし、 打てば響くような頭の回転の速さや幅広い知識は尊敬するし、 自分の考えにそぐわないものでも決して否定しようとはしないその大人びた思考は心地良かったのだから。

 けれどだからといって、 それを即ち恋だと断定出来るほどに私は無鉄砲ではないのだ。

 彼に別の恋人が出来たらきっと嫌だと思うのだろうけれど、 それが彼との心地よい時間が減ってしまうことを嫌だと思うからなのか、 それとも子供じみた独占欲なのか、 或いは彼のことを好いているからなのか――結局、 宙ぶらりんなのは私自身なのかもしれない。

 案の定彼はきょとん、 とした表情で、 どうして私がそんなことを尋ねるのか分からないと言わんばかりの素振りで首を傾げた。


「どうしたいのって、 そんなの決まってるよ。 俺は真木が一番幸せだと思える関係性を築きたい」


 好きだ、 とか。 彼女にしたい、 だとか。

 そんな風な言葉が返ってくるとほんの少しだけ予想していた私の耳に届いたのは、 思いがけない台詞だった。

 思わず足を止めてしまった私の肩に誰かがぶつかる。

 すみません、 と反射的に振り向いたものの、 その人物は雑踏に紛れて何処にいるのか分からなくなってしまった。

 真木、 と宮村が私の手を引いて道の端へと導く。

 促されるままに足を動かしながら、 私は小さな声で宮村に尋ねた。


「私が友達のままが良いって言ったらそれでも良いの?」

「良いか悪いかで言われれば、 それでも良いよ。 それが真木にとって一番幸せな関係で、 それで俺と一緒に居てくれるなら」


 彼は当たり前でしょう?と笑う。


「宮村は、 私のこと――好きじゃないの?」

「好きだよ」


 間髪入れずに宮村は答えた。

 その好きは、 どう言う意味なのだろう。

 友人として? 妹みたいで? それとももっと別の何か?

 私はその疑問を口にすることはなかったが、 彼はまるでその思考を読み取ったかのように更に言葉を続けた。


「真木と一緒に色々な所に行きたいし、 沢山話したり笑ったりしたいし、 正直言えばこんな所じゃ言えないような諸々をしたいとは思う。 でも多分一番したいことは、 真木に幸せだって思って貰うことだ――俺の好きは、 そういう好きだよ」


 何時もこういう雰囲気になる度に、 彼は獲物を見つけた肉食獣みたく笑うのに、 どうして今日に限ってはこんな風に優しさだけを全面に押し出して見せるのだろう。

 彼が半ば強引に押し進めて、 けれど拒絶することも出来ないままに此処まで来た私に、 何故彼は最後の決断を委ねるのだろう。

 いっそ、 何時も通りの素振りで押し切ってくれれば楽だったのに――狡いのは一体、 私と彼のどちらなのか。

 

 ――結局私は何も言えないまま、 ただ触れていた彼の手を握り返すことしか出来なかった。

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