NO, I SAID NO. I AM NOT MR.LAWRENCE
Summer vacation? Mr.Lawrence
男はそう言ってわたしの眉間に銃を突きつけた。銃は黒くて、とても丈夫そうで、男はとても疲れているように見えた。
ここは新宿駅の南口へと続く、階段下の広場だ。広場と隣接するGAPから出てきたところ、キャッチでもナンパでもなく、ティッシュを渡されるでもなく、わたしはこの、とても疲れたように見える男の銃口に捕まった。
わたしはミスターではないし、ローレンスでもないし、学生ではないから夏休みもないよ
わたしは、右手に白いセリフ体のアルファベットが3つ並んだ紺色の紙袋を、左手にはビニールの傘を持ったまま、両手を上げて、そう言った。
That' s too bad
男は全く、気の毒とは思っていない口ぶりでそう言うと、わたしの眉間から銃を外し、自分のこめかみに押しつけた。
ぱん、と乾いた音が広場に響いた。
GAPの入っているビルの外壁には、南側にモニターがあり、そこから聞き覚えのあるメロディが流れ出した。
ミ、ファ、ミ、シ、ミ
ミ、ファ、ミ、ファ、ラ、ファ
ミ、ファ、ミ、シ、ミ
この曲は、戦場のメリークリスマスだろうか。うん、そうだ。このリズムと、メロディは間違えようがない。広場におちるメロディーは、そこを通るたくさんの人々のざわめきに紛れて、モニターの真下にいるわたしの耳にさえ、ノイズまじりに聞こえた。
男はわたしの足元に倒れ、こめかみの穴からは、赤い液体がゆっくりと広がっていく。通行人はちらりと、こちらを見るけれど、わたしと目があうと、気まずそうに顔を背け、足早に去っていった。
陽が陰り、風が吹きはじめた。そろそろ、夕立がきそうだ。わたしはビニール傘を握りしめた。
クライマックスには、ちょっと早すぎるように思うんだけど
わたしは、足元の男に向かって呟いた。男はもちろん、答えない。なぜならついさっき、わたしの目の前で、この男は自殺したのだから。
わたしがミスターローレンスではなかったことが、それほどショックだったのだろうか。まさか、こんな、くだらないことで、死ぬ必要があるのだろうか。けれど、よく考えてみれば、人の絶望といものは、人の性癖と同じくらい多種多様で、理解しがたいものだから、これが動機ではないとは、言い切れない。だとしたら、わたしの責任もーーわたしがミスターローレンスではなかった責任も、少しはあるのかもしれない。
あの、大丈夫ですか?エクスキューズミー?ドゥーユースピークジャパニーズ?アーユーアライブ?メイアイコールアンブランス?
わたしは男に聞いてみる。もちろん、男は答えない。答えないことはわかっていたけれど、わたしはわたしの責任を果たしたまでだ。その、つまり、目の前でたおれた人がいたら、大丈夫か確認する、というような、第三者としての責任だ。
立ち去ろうか、本当に救急車を呼ぼうか迷っているわたしの耳に、人々の囁き声が聞こえた。
ミスターローレンスだ、と誰かが言った。あの死んでる人が?そうだよ、あれはミスターローレンスだよ、すぐそばに立っている女性がミスターローレンスなんじゃないのか?まさか、死んでる男がミスターローレンスに決まってる、目を合わせたらいけないよ。
きみ、ちょっと話を聞かせてくれるかな?
広場に立つわたしに声をかけたのは、ダークグレーのスーツを着た、壮年の男だった。
僕はインターポールの銭形です
・・・とっつぁん?
良く言われるが、僕はルパンは追っていない。ちなみに僕の名前を聞いて、とっつぁん、と返したのは君で1432人目だ。名前で得することが多いから良いんだけどね。この男と知り合いかい?
いいえ。さっき出会ったばかりです。ミスターローレンスがどうのこうのって言っていましたけど
なに!?きみが、ミスターローレンスなのか!?
銭形さんは、鋭い眼でこちらを睨んだ。わたしはたじろぎながら、ミスターでも、ローレンスでもないと、男に言ったことを繰り返した。
とっつぁん、その女はミスターローレンスじゃないぜ。サマーバケーションをとらないミスターローレンスなんて、存在しないさ
足元から声が聞こえた。わたしと、銭形さんは、同時に地面に倒れている男を見た。
男は頭を降りながら上体をおこした。こめかみからは、まだ血が流れていて、男の顔やシャツも、赤く染まっていた。
やっぱりお前か、山西
久しぶりだな、とっつぁん
お前の名前は、俺をとっつぁんと呼んだリストの中で一番上に載っているぞ
趣味の悪いリストだな
男は立ち上がった。少し足はふらついていたけれど、きちんと、自分の両足で地面に立っていた。わたしは、目を擦った。右手の人指しのわきに、アイラインとアイシャドウがついたけれど、わたしには自分のアイメイクの具合を気にする余裕はなかった。
だって、あなた、死んだでしょう
わたしは途切れとぎれにそう言った。
いや、死んだつもりはない。こめかみを撃っただけだ
死ぬつもりがあってもなくても、こめかみを撃ったら人間は死ぬんですよ
だから、死ぬつもりはなかったって言ってるだろう、ミスローレンス
微妙に噛み合わない会話に、わたしは戸惑った。そういう、気分の問題で人は死んだり死ななかったりするのだっけ。
わたしが知る限り、こめかみを撃ち抜かれた人間は死ぬか、死ななくても脳に深刻なダメージを受け、重い障害が残るはずだ。目の前の男のように、頭から血が流れている他は、ぴんぴんしているというような例は聞いたことがない。
でも、じゃあ、死ぬつもりが無いのなら、こめかみを撃つ必要は無いですよね
言語プログラムが英語のまま固定されてて、日本語に切り替えられなかったから、ちょっと衝撃を与えたんだよ。古典的なやりかただが、効果はあったみたいだな、ちゃんと日本語に聞こえるだろう、ミスローレンス
あの、あなたはロボットか何かなんですか?あと、わたしの名前はローレンスではありません。あなたたちが探している、ミスターローレンスとは、何者なんですか?まさか、犯罪者とか
その通り、俺は未来からきた人型殺人アンドロイドだ
血まみれの男はそう言った。
その通り、ミスターローレンスはアメリカ、カナダ、ブラジル、メキシコ、中国、韓国、日本、タイ、インドネシア、マレーシア、インド、アフガニスタン、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ポルトガル、デンマーク、スイス、ロシア、ケニア、ナイジェリア、ウルグアイ、パラグアイ、ナイ・・・アルジェリアで、33245件の殺人、6859件の殺人未遂、321件の誘拐、12453件の婦女暴行に関与した疑いが持たれている、犯罪史上最悪の男だ。インターポールでは最重要優先特別案件として、この男の身柄を確保するように指示が出ている。場合によっては、殺しても良し、とね
銭形さんは、そう言った。
わたしは、二人を見つめた。それほど凶悪な犯罪者がいることなど、今まで知らなかった。また、未来ではそれほど科学が発達しているということも、今まで想像もしなかった。人型のロボットなんて、どこかの創作の中だけでしかありえない、夢物語だと、わたしは思っていた。
それにしても、ミスターローレンスが凶悪な犯罪者ならば、なぜその名前は報道されないのだろうか。毎朝見るニュース番組でも、ミスターローレンスの名前は出たことがない。
わたしの知っているミスターローレンスは、ビートたけしが出演し、坂本龍一が音楽を手掛けた、あの映画の中に登場するミスターローレンスだけだ。
おっと、そろそろ僕は作戦会議に出なくては。じゃあ、お嬢さん、ミスターローレンスにはくれぐれも気をつけて
銭形さんは、そう言うと、身をひるがえし、雑踏の中に消えていった。
わたしは、血まみれの男に向き直る。男も、わたしを見た。その表情はやっぱり、疲れているように、というか血のせいで今にも死にそうに見えた。
あの、なんで、あなたは、わたしをミスターローレンスだと思ったんですか。わたし、女だし、日本人だし、ミスターローレンスらしい要素はどこにもありませんよね
俺はとっつぁんみたいに、犯罪者のミスターローレンスを追っている訳じゃない。ミスターローレンスという名の、ミスターローレンスを追っているだけだ。俺に与えられた情報は二つ。ミスターローレンスという名前、そしてサマーバケーションをとるということだけだ
でも、ミスターなんだから、常識的に考えて男じゃないですか
性別の情報は与えられていない。だから、いくら名前が男らしくても、俺が勝手に判断することはできない
そんなの、どうやって探すんですか
この地球上に生きている全ての人間に総当たりをかける。ミスターローレンスが死ねば、すぐに上から連絡がくる
ミスターローレンスじゃない人間を殺してしまったら?
上の連中が時空を巻き戻す
もしかして、あなたは本当にわたしを殺していたかもしれないっていうことですか?
ああ。でも君は殺されはするけれど、死にはしない。だってミスターローレンスじゃないんだろう?それに、俺は君を殺さなかっただろうし、これから先も殺すことはないだろう。君は本当にサマーバケーションをとっていない。この一ヶ月間に浴びた紫外線量が日本国民の平均値以下だとセンサーが検出したし、君の服装は俺の記憶領域にある、民俗資料データベースの、2015年8月の日本企業で働く日本のキャリアウーマンの服装と一致する箇所が多い。
あと、これは推奨されない判断材料だが、サマーバケーションというものは、もっとゆったり過ごすべきで、こんなに人が溢れる街中で、せこせこ買い物するようなもんじゃない。こんなのがサマーバケーションだなんて言われたら、俺は俺の中のサマーバケーションの定義を大幅に書き換えなくゃいけない
どうしてあなたは・・・山西さんはミスターローレンスを追っているんですか?
ミスターローレンスは死ぬべき時に死ななかった。だから俺がミスターローレンスの生命活動を停止させるように命令された。それと、ミスローレンス、俺の名前は山西ではない。それは俺の開発者の名前だ。俺の名前はとても長い。だから便宜上、山西と呼ばれてるだけだ。山西と呼ぶのは良いが、それが俺の本名ではないことを忘れないでくれよ。俺のような存在にとって、定義は大切なんだ
わたしの名前も、ミスローレンスじゃないんですけど
それはわかっている。便宜上そう呼んでいるだけだ
わたしは血まみれの男を前に、少し悩んだ。本当の名前を言うべきだろうか。けれども、わたしはそろそろ、人々の視線が痛いくらい突き刺さる、この広場から離れたかった。血まみれの男も、そのうち、ここから去るだろう。そして、それぞれ別の場所へ向かい、別のことをする。まさか、同じなんてことはないだろう。
だから、便宜上の名前でも、構わないような気がした。
わたし、そろそろ帰ります。山西さん
そうか、ミスローレンス
わたしは男に背を向け、階段の方へと歩き出した。
ミスターローレンスに気をつけて
男の声が背中に聞こえた。わたしは紙袋を持った方の手をあげ、軽く振り向きながら、手を降った。
雷の音が聞こえた。見上げると、いつのまにか頭上には灰色の雲が立ち込めていた。