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傀儡の森  作者: 有沢楓花
第一章 図書寮都市
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 鮮やかな色が目をしばたたかせる。

 白黒の視界はいつの間にか色味を加え、瞬く間に極彩色の世界に変わっていた。窓の外一面に広がる景色はまるで絵の具箱の中身をぶちまけたようだ。分厚い窓硝子に手を置いて身を乗り出すと、一本の灰色の道路が色の隙間に見える。その道路に沿って等間隔に生えている茶色の支柱の連なりが、この列車が滑るレールを支えていた。

 極彩色は植物の群れだった。様々な緑に混じって、赤や黄色に青が毒々しさを伴って今が盛りと生い茂っている。時折姿を現す河川や池沼も何らかの原色に染められている。昇り始めた早朝の太陽だけが曇の厚い灰色に覆われており、森に影を落としていた。

 窓から手を引き剥がすと、長椅子に小柄な体を埋めた。視線はまだ外の景色に向けられていたが、丸い目は僅かに細められている。

 暖房が効いて汗ばむくらいの室温だというのに、水干(すいかん)──男子の略装で童子の服でもある──の襟を合わせる。目的地に近づいたという意識がそうさせるのか。はやく、と焦る気持ちとは裏腹に、前方の景色がまだしばらく続くことを知っていた。

 低い烏帽子の上から布を(かづ)いた、その頭を窓枠に預け、緑の砂漠っていうのは嘘だ、と一人ごちる。だってこんなにも色づいているのだから。故郷は逆に深い緑で一見黒いほど。植物が緑なんて誰が決めたと思い、千年の昔に思いを馳せた。

 平安時代はこんなではなかったのだろう。今や花見や紅葉狩りすらろくに行うことができないとは。京の側を流れ、名水と称えられた鴨川と桂川も濁り氾濫を繰り返している。

 何でこんなことになったのだろうと呟きかけて口を噤む。まだ決まったわけではない。

 木目の壁に備え付けられている呼び鈴を押す。

 ほどなくして扉が叩かれ、応じて鍵を開けると女性が顔を出した。髪は短く揃え、首の後ろでくくっている。作業着の小袖は当世風の制服らしく、可愛らしい花が刷られている。

「お客様、お呼びですか」

 流石に国営の鉄道だけあっていい傀儡を使っているなと、ちらりと硝子の瞳を見ながら、彼女が引いてきた手押し車から抹茶の缶とおにぎりを二つ手に取った。代金を支払って部屋がまた静まると、ゆっくりと口に運ぶ。小さなおにぎりはすぐにお腹に収まった。昨夜から何も口にしていなかった。食欲は自覚以上にあったらしい。

 窓の外に再び目を向けるとレールの先に茶色の塔が見えた。極彩色の森からそびえ立つ巨大な櫓だ。

 抹茶を飲み干すと、荷物をひっつかみ、部屋を出た。

 旅客列車の個室に車体の揺れる音が響く。

 がたん。

 突然緩い横方向の重力に引っ張られて、足踏みした。慌てて手すりに掴まると、手首が痛みを訴える。革製の鞄をもう片方の手に移してから、旅券も一緒に握ってしまったことに気付く。ついでに脚をもうひとたたら踏む。右脇に抱えるようにしていた長細い布包みが傾いたのだ。

 溜息を一つついてから、大人しく荷物を床に置くことにした。

 横目で外を見ると、遙か下方に森を臨む景色はやがて、焦げ茶色の床板に取って代わった。再び足下が揺れるとほぼ同時に列車の扉が開かれた。

 人気のない昇降用通路(プラットホーム)に、僅か十数人の旅客が降り立つ。

 瀬帷暦(せいれき)二三一五年二月二日の空は、いつか見た快晴が天蓋に映し出されていた。どの都市でも基礎構造は一緒だから、天気の映像が同じでも別段おかしくはない。それとも現実の晴天もこんなものなのだろうか。それを判断できるほど、故郷以外で本物の空を見た経験がなかった。

 小さめの鞄の中から文庫の地図を取り出して、くしゃくしゃの旅券を圧しながら歩く。うろ覚えの構内を案内表示に従って進むと、駅員が出迎え、まだ皺の残る旅券を咎めることもなく回収する。

 正面に寝そべる長い階段を降りると現れた広い部屋が、半日がかりの旅の終着地だった。

 茶色の木材で敷き詰められた床に赤い絨毯が真っ直ぐに伸びていた。突き当たりの正面には入館手続きの来客用受付机(カウンター)が陣取っており、右手は売店や喫茶室、左手には宿泊施設が表示された案内板が立てられている。

 周囲に全く人気のない理由を、受付机の上に見つける。

 机の中央に置かれているのは、ご用の方は呼び鈴を押してください、と印字された三角錐。その前に旧式の呼び出しボタンがあり、A4判の紙がおざなりに貼り付けられていた。

「開架は通常通りご利用になれます、か」

 受付机の両脇には扉の枠だけがあり、その先には、巨大な広間が広がっていた。

 問い合わせ用の受付机がまず目に入り、横に幾つもの検索端末と机、目録と目録札が並べられた棚がある。階段が左右に、壁に沿って上下に緩やかな曲線を描いている。手すりから下方を一望すると、書棚と机の並んだ、どこにでもある、ただし非常に規模の大きい図書館の風景が広がっていた。旅券が制限されているにも関わらず、優に百人以上の人物がうごめいていた。中には異国の服を着た人物も混じっている。

 一番奥の壁に大きな両開きの扉を確認して、扉に向けて歩みを進める。両側にそびえる書棚の群れの間を潜り抜け、目的のものが向こうにあることを期待しながら、ゆっくりと腕に力を入れて扉を開く。

 しかしその先はまた、書棚の森が続いていた。一番上の棚は、長身の男性が手を伸ばしてようやく手が届く高さで、見通しが正面にしか利かない。所々に配置された脚立に乗ってみたところで、視線が棚の上には届かないだろう。

 棚の側面に取り付けられた案内板は棚に収まっている本の内容を示すばかり。大きく書いてある三桁の数字は棚番号を指しているのだろうが、別の棚にも同じ数字が発見でき、周囲を見回しても位置関係との整合性が思いつかない。

 結局館内にあるだろう全体図や配置図の紙葉(パンフレット)を探す羽目になり、きょろきょろしながら歩くうちに迷ってしまった。十分ほど歩いた頃だろうか。ようやく職員らしき姿を見つけて、大人しく道を尋ねることにした。

「すみません、ヘイカってどこなんでしょうか」

「こちらは初めてですか?」

 緋袴の女性が、一瞬彼の荷物に不審な表情を浮かべたが、すぐに笑顔をつくる。

「いえ、前に二、三度来ました。けれどその時はここを知っている人と一緒だったので」

「そうですか。私では詳しい資料をご案内いたしかねますので、受付までご案内します。わざわざ閉架まで行かれずとも、お望みの内容の資料をご用意できると思います」

「違うんです。今日は本の利用ではなくて──榛名諒という職員に面会に来たんです。名前を出せば分かるということだったのですが、いらっしゃいますか?」

 職員は袂から取り出した手帳を繰ると、少々お待ち下さい、と言い置いて脇の職員用扉に姿を消した。数分の時間を置いて戻ってきた彼女は、戸惑ったように首を傾げた。

「申し訳ありませんが、そのようなお話は頂いておりません」

「本人を呼んで頂けませんか。友人なので、私の名前を出せばすぐに分かるはずです」

「はぁ、ですが、お取り次ぎするわけにはいかない理由がございまして」

「あ、もし彼や職業上の都合があるということならば、こちらから出向きます」

「彼の職場は閉架になります。ご存じかと思いますが、開架閲覧とは別の手続きが必要となり、それ以外ではどんな理由がございましても、一般の方の立ち入りは禁止させて頂いております」

「じゃあ、入館手続きを取ります」

 若干むっとして言うと、

「審査は厳密に行いますので、手続きには三日ほどみて頂きますが宜しいでしょうか」

 職員は事務的に告げて、声が少しずつ高くなる利用者にうさんくさそうな視線を向ける。

「それに榛名についてもお調べしましたが、彼に友人はいないかとも思いますが……」

「それはどういう意味──むぎゅ」

 声高に言いかけた口が突然手の平に塞がれて、情けない声が出た。

「な、なにふるんでふかっ」

 振り仰いだ場所には不機嫌そうな表情を浮かべた眼鏡の青年の顔があった。

「図書寮ではお静かに。そこの張り紙が見えなかったのかな」

 その声と表情に緊張したのは、しかし言われた本人ではなく、職員の方だった。

 ぴんと背筋を伸ばして出した声は掠れていた。

「竹村様っ」

 様付けで呼ばれた彼は、敬称を当然のように聞きながら、口を塞いでいた手を離す。

「ついね。済まなかった。君も、もう騒がないでくれ」

 ふは。

 急に空気を吸い込んで、彼は咳き込みながら頬を朱に染めた。いきなり口を塞がれたり、自分が声高になってしまったりといったことへの羞恥心と、あしらわれたことに。

 その様子を横目に、竹村という青年は職員との話題を、何故利用者と揉めていたのかに移していた。簡単に事情を聞くと失礼にならない程度に少年の全身を見回す。

「確かに〈壺菫〉の常連ではない風だな。それに、今は利用者制限がされているはずだ」

「はい。一般人への旅券発行及び一般用旅券の利用は停止中です。ご存じのように、事故がありましたから」

 青年は考え込む仕草をしてから、頷くと、

「入手困難な旅券でわざわざ来てるんだ。最大限配慮する必要が、公僕として十分にあると思うけどね、中原君」

「……はぁ、仰る通りですが……」

「そう不服そうに言うものじゃない。事情を詳しく聞いてから判断すべきだと言ってるだけだ。それで、君は何故ここに来れたんだ? 旅券を見せて貰ってもいいだろうか」

 竹村は少年に振り返ると、差し出された帰りの旅券に目を走らせた。

 出発日が一週間後の日付になっている菫色は、特殊な加工が施された和紙だ。視線を止めたのは、一番下に記された発行者の名前だった。

 中務省図書寮 大允(じょう)桂城、とある。

「君は女史と知り合いなのか?」

「いいえ。偶然というか、駅で立ち往生していたら、この方が助けてくれたんです」

「そうか、女史は物好きの問題児で有名だからな。反面、納得しないことには協力をするはずがない。俺も断って無駄な厄介ごとには巻き込まれたくないからな」

 深い息をつき、首を面倒くさそうに振る。

「……仕方ない、君の閉架利用札を仮発行させてもらおう」

「竹村様、一等書司権限をそんな簡単に」

「正規の手続きは後で取ればいい」

 竹村は少年の方に向き直る。

「但し、閉架利用許可はすぐには出ない。それに閉架に同行する書司も必要だ。一般利用者が閉架に行けば迷子になるのは目に見えている。先に宿を取るから、付いて来なさい」

 少年は小走りに竹村の背中を追いながら、改めて彼を見る。

 狩衣という、かつてのそして今の貴族及び官人の衣装を纏っていた。表地の色は緑で、裏地が黄金色がかった黄色を重ねあわせている。一般に青山吹と言われる重色目だった。春によく着られる、緑の葉の裏で咲く山吹を表現した重だ。

 先程の職員が簡素な単衣であったことと様付けで呼ばれたことなど加味すると、相応の地位にいるのだろう。

 急に彼に悪い気がして、おずおずと口を開く。

「一人でも大丈夫です。色々していただいて本当にありがたいのですが、知人に会うだけですし、地図さえ頂ければ」

「ああ、ここは単なる入り口部分の開架だ」

「開架ですか? そういえば、受付にも張ってありましたけど」

「どの図書館も──図書館とは日本では正確には図書寮と言うが、利用者の手に取れる場所に全ての資料を置いているわけではない。置き場所の問題、管理の問題、貴重書の問題。理由は色々あるがな。特にこの図書寮は雑多な理由全てを満たしている。まさか都市の名を知らないはずはないだろう」

「図書寮第五分亭〈壺菫〉……ですけど?」

「そう。都市丸ごと一つが図書寮最大の敷地面積を誇る第五分亭。外壁が住居であり、門が来客者用宿泊施設と開架であり、それ以外の全てが開架の逆、閉架。つまり書庫だ」

 迷いなく先ほどの赤絨毯の部屋に戻り、右手に進む。奥は旅館で、受付嬢と二、三言交わして鍵を受け取り、受付横の階段を昇る。

「すみませんけど、すぐ帰るつもりだったので泊まれるほどのお金は……」

「女史は説明しなかったのか? 君の持ってる旅券は宿泊施設込みだ。遠慮することはない」

 二階、左最奥の201号室の表示の部屋の扉を開けると、鍵を少年の手に乗せた。

「ここが君の部屋だ。明日の朝、迎えが来るまで旅の疲れを癒すといい。食事は売店で買うか、一階の食堂くらいしかないが、味も悪くない」

「ええと、ご親切にすみません」

「これも職務だ。では失礼する」

 少年は男が立ち去ると、笑顔を消しながら扉を閉め、はあぁぁぁ、と長い息を吐いた。

「もっとちゃんと準備して来れば良かったかな……」

 頭を振り、それから曲がった烏帽子の向きを直すと、窓を開けた。さっきの竹村の説明通り、旅館は城門に埋め込まれ曲線を描いて左右に広がっていた。窓が所々見える。

 眼下の円形の風景には、縮尺を縮めた平安京が収まっている。本家と違うところは、壁際に沿って道が造られ、碁盤目でない部分があり、そして生活感はおろか人の気配がないことだ。

 地面までの距離は地上三階分はある。窓から一番近い平屋の建物までの距離を目算する。ざっと見て四間余り(8メートル)。落ちたら重傷間違いない。

 一分だけ考えて、鍵を寝台脇の机に置いた。荷物を背負い、扉の位置まで下がる。

 短い助走を付け、窓枠に足をかけ、踏み切る。

 そして、体は、空に舞った。


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