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傀儡の森  作者: 有沢楓花
第四章 票
28/31

4-5

「避けなさい!」

 梓の声が耳に届く前に、紫は地面を蹴った。

 右拳の一撃を刀の鍔で受け、脚払いを飛んで避ける。そのまま刀に力を込め、通り過ぎざまに半身をひねり、左脚を背中に叩き込む。

 まともに入った一撃は、背骨の悲鳴にも関わらず当然のように効いてはいない。〈分類〉によって痛覚を無くしたのだろう。

 着地した紫に、振り返った東吾の腕が迫る。

 腹に衝撃があった。背後は、瓦礫の山だ。土煙が巻き起こる。

 がらがらと建築物の破片が落ちかかる。

 腹を押さえて呻く紫は、背中に何の力も掛かっていないことに気付いた。咳き込みながら目を開けると、そこには琥珀がいた。

 彼は瓦礫を背中で支えながら、息を吐く。

「間に合ったかな」

「無茶、ですよ。そうだ、再会できたら、言いたいことがあったんです」

 まっすぐ目を見る。

「諒が人を信じてくれて、それが成田さんの両親だったこと。私の思いも汲んでいてくれたこと……成田さんのご両親が諒や傀儡を信じてくれたこと」

「俺も安心した」

「え?」

「両親が信じた傀儡を、君も信じていたこと。彼が信じた君を、俺が信じたこと。──ところで、どうしようか。これから」

「勝機、ありますか」

「分からない。けど、逃げるわけにもいかない。現場がもし見つかれば、東吾が尻尾を切られるだけだろうな」

 東吾も分かっているはずだ。自ら破滅を選ぼうとしていることを。

 でも、その破滅は破滅なんかじゃないことは、琥珀には分かっている。

「那賀川。これは俺のわがままだ。危険だと思ったら、俺のことはかまわずに、姐さんと一緒に都市を出て欲しい」

「最後まで成田さんと一緒です。私のわがままから始まったことですから」

 言い置いて、紫は瓦礫を外に押し出すと、舞い上がる煙に向かって一歩を踏み出した。

 衣をびりびりと紐状に破き、鞘に収めた太刀の刀身が抜けないように縛る。

「那賀川……?」

 戸惑いを含んだ琥珀の呟きに、

「成田さんのためじゃない──自分のためです」

「恩人に刃を向けるのもって思って」

「恩人?」

「もう忘れました? ……私とあなたを出会わせてくれた」

 ──こんな時だというのに。いや、こんな時だからこそか。

 あまりの不意打ちに、琥珀は口を押さえた。変な意味ではないことは百も承知だが、そんな風に、褒められたのは久しぶりだった。

「説得、お願いしますね」

 言って、紫は駈けだした。


 その間にも、梓は戦いを続けていた。

 素早く、手元を見ずに手の感覚だけで次々に頁を捲る。

 繰っている頁は大分類の二番代、歴史だ。

 基本的に20が歴史そのものであり、日本の21以下外国の27までが各国の歴史として場所或いは場所と時間軸しか指定しない、至極わかりやすい大分類である。28は伝記、29は地理や紀行を納める。

 目録札に、分類表の情報を書き込む。

「210.2!」

 梓の手が東吾の分類表を捕らえるべく光る。

 分類番号210.2は「原始時代」。捕らえた書物の存在を古くすることで、使用させなくする。

 頭の上を凪ぐ一撃をしゃがんで避け、すぐさま体を、両腕を伸ばす。

 懐を押さえた東吾の頭ががくん、とぶれた。後頭部に叩き込まれた衝撃によってだ。

「梓さんっ!」

 分類表だった。一般に装備――貸し出す前に管理上行う加工のことだ――といえば票を添付したり防水・防汚加工をした素材を書皮ごと本体にくるんだりするだけなのだが、彼女の分厚い分類表は、角を鉄の板で補強されている。角ばかりか、表紙の中には鉄板が仕込まれている。

「私を誰だと思ってるの?」

 ふふん、と鼻を鳴らす。

「桂城梓様よ。そこらの書司と一緒にするんじゃないわよ!」

 手を伸ばし、掴む。

 触れたところから紙が色褪せる。

「もう一回っ」

 左から右へ、かぎ爪の形に曲げた指で紙を破る。ぼろぼろに砕けた紙片が空に舞う。図書寮職員としては他人に見せられない姿だ。

 同時に東吾の振った腕が、梓の手から吹き飛び、真ん中から割れて遠くに飛んでいった。

 しかし梓は動じず、再び筆を動かし始める。

「さすが数字を冠するか」

「残念ね、覚えてるのよ」

 いつでも本があるからといって、分類番号を覚えない書司は多い。だが、梓は、少なくとも二の分類に関して頭に入っていた。

「“数日”の“他人”で“命令”の“記憶”289.1!」

 個人伝記のうち、日本人を対象にした分類番号。

「人間相手に、属性が四つか」

「あんたが他人のこと言うなんて笑えるわね。それに凡人と一緒にされるのは心外よ」

 一等書司と名が付いても、一般に〈分類〉に属性を三つが上限だ。

「とはいえ、貴方に俺を〈分類〉する程の知識があるのか」

 だから四つ属性を付けたのだ。梓が目録札の裏側を見せる。浮き出た幾つかの単語が、東吾の目を見張らせる。〈分類〉ではない。膨大な量の東吾の記憶の中から検索された単語だ。

 出世、藤原路草、蔵人、対立、裏切り、諦念、傀儡の破棄、焚書。

「二の歴史は、全ての人類と地球の記憶よ」

「記憶の検索と複写か。さすがに数字を冠されるだけはあるということか」

「それだけなはずがないでしょうが!」

突然、東吾の目が見開かれる。東吾の脇に抱えた分類表が空に舞った。背後から立ち上がったすらりとした影が、鞘ごと太刀を手にしている。振り上げられた鞘がくるりと返されていた。もう一太刀で、既にぼろぼろになっていた本がただの紙片の落葉となって空間を埋めた。

 紫が瓦礫の下から機会を伺っていたのだ。

「姫君か」

「降伏してください。抵抗してあなたを斬ることになっても、成田さんが罪を背負うだけになる可能性があります」

「会って間もない姫君に琥珀の何が分かる?」

「これだけは分かります。彼は善人です」

「どうしようもなくな。憎むことすら許さないそれが、俺を苛立たせる」

「それはあなたが自分が悪人になりたくないって思っているからです」

「飛び級で、大学を主席で卒業し、一等書司で数字を冠する、善人。そんな完璧さが俺は憎い。友情で誤魔化してきたが限界だ。せめて、何かで勝たなければならない」

 握りしめた黒い拳がぴちゃぴちゃと音を立てる。

「琥珀に勝つために手段を選ばない。俺は、もう以前の俺ではない」

「じゃあ、『お前は誰なんだ』?」

 瓦礫から這い出した琥珀が、紫の横を抜けて友人の前に立った。

 琥珀の、東吾の目元から頬を滑った指先が、頬からこぼれて肩で止まる。東吾はその行為に、身体感覚として圧迫を感じることはない。

「あんたのその名前も、考えも誰のものだ」

 まるで東吾に自分を、外部を刻みつけるように琥珀は指先に力を込める。

「お前は竹村東吾だ。いや、名前なんてどうでもいい。俺と一緒に勉強して、飯喰って、喧嘩して。そいつが俺にとってのお前だ」

「いつからか、俺は度々お前を誤魔化すようになった。それが俺だ。俺はどこかの誰かが考えた友人に似ているだけだ」

「誰かに似ているのは、似せられているからであって、また“似て”いる以上、そいつの本物じゃない。そいつの本物じゃないなら、お前はお前の本物じゃないのか」

「お前がそうであって欲しいという、願いだろう」

「人間はイメージを好む産物だからね、モノを買う時だってより流行の、お洒落な店で買いたがる。商店街の総菜の店の方が美味しかったって、いやそれは関係ない、自分の舌が美味しいと思うモノだってだ。流行にケチ付けてみたりするのもまた頭の嗜好から来るものかもしれない。綺麗な店で美味しいモノを買って、その時間を得た自分のイメージに満足する。何が自分の本当の望むモノかって、理想というイメージ以上に完璧なモノはないんじゃないのか? だが理想はあくまで自分という器の中で造られたものに過ぎない。だから他人の理想や現実との妥協の産物である、或いは芸術と呼ばれ或いは排泄物と呼ばれる夢を食う、人は貘なんだよ」

「それで?」

 つまらない、と東吾の目が言っている。

「だからお前のことをちゃんと見てなかった俺が悪かった。そして、俺のことでも仕事のことでも、理想と完璧に一致しなかったからって、お前がお前を責める必要は全くない」

「責めてなどいない」

 琥珀は肩を強く掴み、揺さぶった。

「俺は俺の信念に従って生きる。お前はお前の心の赴くままにすればいい。俺はお前のその思いを受け入れる。だが、止めるのは別問題だ。勝手に人に分類されるな。勝手に自分を決めるな。自分でちゃんと自分を見ろ。俺の中の自分も見ろ。今のお前は──笑ってない!」

 琥珀の目に、東吾は視線を合わせた。

「馬鹿だな」

 東吾の手が一瞬のうちに握りしめられ、琥珀の腹に沈んだ。衝撃に、彼の腕が東吾の肩から滑り落ち、そのまま自身の腹を押さえてうずくまる。

「俺をさっさと〈分類〉すれば良かったな、琥珀」

 苦痛に呻く友人をそのままに、東吾は顔を紫に向ける。

「さて姫君、来ていただこう。俺には時間がない」

「成田さん!」

 紫は刀を構えながら、悲鳴を上げた。

「大丈夫よ」

 筆を持つ梓は、彼女と共にじりじりと後退ながら励ますように声をかける。

「あの子が数字を冠する書司だって、誰かあんたに話した?」

「いいえ」

「図書寮で使用されている〈分類〉は大きく分けて十あるんだけど、各分類に秀でた書司をその数字で表すっていう慣習があってね」

「分類については聞きました。どれなんですか? その、大分類の」

「“零”よ。総記と図書館。分かりやすく言うと、辞典や新聞が分類される番号よ。図書館学が全ての事象を分類するための学問の側面があることを考えれば、総記も図書館も一緒でもおかしくないでしょう。つまり全て。図書館学で番号つけるだけならそれで問題はないけどね、もうひとつ意味があるのよ。〈分類〉が票を張ることだとしたら、あの子はそれを剥がしてみせる──二つ名は“零の祝詞”成田琥珀」

 二人共に、琥珀の感情を思うと、ぎりぎりまで強制的な武力行ために及ぶことは出来ない。いざとなったらとは思うが、踏ん切りが付かない。

「だから、今はそれに賭けようと思うの。賭けてあげて」

 二人に、東吾はにじり寄る。

「やめろ、東吾!」

 顔を上げた琥珀に、東吾の冷徹な視線が降り注ぐ。

「東吾、お前は俺に〈分類〉させたいのか」

 微笑みが返される。その通りだった。

「人間を〈分類〉するのは主義に反するんだったな。書司寮が決めたから、とは綺麗事だ」

「違う。強制的に人を〈分類〉すれば……その先には」

「まだ気兼ねするのか? 偽善者が」

「先にはお前のような……このままじゃ破滅だ。人間でいられなくなる」

 琥珀の顔が歪んだ。体の痛みからだけではない。

「成田さん」

「このままじゃ八月の除目までとても持たないぞ。今すぐ書司寮に行けば、何とかなる。」

「そうかもしれないな」

「だったら」

「どうしてお前は、俺を心配する?」

「それが俺だからだ」

 両手を土埃にまみれさせて、上半身を起こす。

「本っ当に救いようがないわ」

 うんざりしたように言ったのは、梓だった。その言葉は琥珀ではなく東吾に向けられていた。

「あんたは生きてていいのよ。……琥珀、立ちなさい」

 梓が促す。

 東吾は背を向けて紫の元へ歩き出し、手首を掴んだ。

 紫は、琥珀を見た。彼の目に迷いが強く浮かんでいるのを見て、そして叫んだ。

「何が正しいなんて誰にも分からない。本当に悪いことならバチが当たる。それまで誰がなんと言おうと、胸を張っていろ!」

 琥珀は息を呑み、東吾は驚きに目を見開いた。その内容よりも、彼女が口にしたことよりも。

 彼女が言葉を、句読点を含めて、一字一句間違っていなかったことに。

「だから、それがあなたの真実なら──間違ってたなら、その時は必ず私がひっぱたくから!」

 ささやかすぎるバチは、確かに痛そうだった。

 琥珀は笑った。目に、もう迷いはない。

「それツボだ。うん、分かった気がする」

「何が?」

「君の師が、榛名諒が君を信じ続けた理由」

 彼女は忘れないのだ、誰かの大事なものを。彼女は知っているのだ、ささやかな間違いが誠実さを時に欠けて見せてしまうことを。

 彼女はまた自分が誰にも信じてもらえないことに怯えていたのだろう。ささやかな間違いが引き起こした落下事故でもたらした被害の大きさは、想像を遙かに超えていたから。大事なものを失ってしまったから。或いは、師を図らずも裏切ってしまい、去られた時のような切なさで身を切り裂いて。

 全てすべて、記憶にとどめて受け止めようと務めている。だから出会ったばかりの琥珀に、間違いを一緒に背負う覚悟をする程、親身になれる。

「君は充分強いよ。……俺の助けなんて最初から要らないくらい」

 琥珀は地面に手を着いて、よろよろと立ち上がった。

 立ち上がって立ち向かうに値する言葉だった。立ち向かって戦って勝利するに相応しい言葉だった。

「琥珀」

「俺の大事な友達が言った、大事な言葉だ。その時に決めた。俺はこいつを裏切らない!」

 東吾が顔だけで振り向く。

「だめだ」

 伸びた手の指先から、削れるように、勢いよく滴がしたたり続けている。

「俺は自分を〈分類〉しすぎた。もう、戻れない」

 琥珀はかまわずに分類表を開く。頁は決まっていた。

「000」

 目録札に、あるべき情報を書き込む。


 000 竹村東吾

 竹村東吾 : 正七位下 /中務省図書寮大允壺菫所属 ― 本人.

 天満月出身 : 竹村家,2294.7.1

 一人. 21歳 : 176cm・ ― (竹村家第一子)

 所持分類表ISBN―13P 978―4―0001―1156―487―4

 t1.タケムラ トウゴ a1.タケムラ トウゴ

 s1.竹村東吾 ①000


 書き終えた札を手に、琥珀は走った。手を伸ばす。東吾の体に向かって。

 黒く染まった指先に、脚に、耳に、頬に、肩に。

 はがしてゆくのは、琥珀にしか見えない堅い鋼の紗。

「今までご免な。自分のことで精一杯で、気持ちを無視してきた。あと、東吾こそ遠慮しないで俺を嫌ってもいいんだ」

 それは祝詞のように綴られる言葉だった。祝詞は本来、神を讃え、願いを申し上げる行為だ。琥珀の〈分類〉はそれに似ていた。

 言挙げを、宣言をする。

「でも、俺はお前を元に戻す」

 言向け和す。説得する。

「帰ってさ、一緒に酒呑もう」

 黒い水が透明になり、東吾の指先に、脚に、耳に、頬に、肩に同化していく。

「喧嘩したり、どうでもいいことで笑ったりさ」

 はがれ落ちる堅い鋼の紗は空に消える。

「お前はお前でいればいい。俺はそれを受け入れるから」

 全ての存在への祝いの詞。

 東吾は、空を見上げる。

「るううううぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 彼の慟哭は、産声にも似ていた。


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