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傀儡の森  作者: 有沢楓花
第四章 票
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4-3

「竹村大允。僕たちは書司寮助空木行成殿の命により、那賀川家の二の姫であり、右衛門大尉兼任検非違使大尉那賀川紫殿を保護に参りました。貴方のしていることは拉致であり、許されざる犯罪です」

 萩原要が懐から花押を入れた書状を広げてみせると、彼は振り向いた顔に無気力な微笑みを浮かべ、

「わざわざ空木殿までが出てくるとは。かと言って、姫を書司寮に引き渡すどんな理由も見あたらないように思うが。姫君と書司寮に何の関わりがある」

 包帯の巻かれた右手を紫の両手首に伸ばし、上に持ち上げてみせる。膝が宙に浮いた格好で、だらりと髪が垂れ下がり、表情は分からない。口元が苦しげに震えるのを見て、琥珀は叫んだ。

「止めろ! どうしてお前がここにいるんだよ!」

「驚くことはないのだがな」

 竹村東吾の声は憎たらしいほど落ち着いていた。

「俺には当然の結果だ」

「東吾、自分が何をしてるか分かってるのか? なんでこんなことしてるんだよ」

「那賀川紫を捕らえ、ある方に引き渡すよう頼まれた」

「中宮の非蔵人の藤原路草だな」

「そうだ」

「取引でも持ちかけられたのか」

「図書寮の臨時客員の地位と、秋の叙目での五位の位、及び殿上の許しを帝へとりなしてくれるそうだ。六位とはいえ非蔵人殿、色々と上に伝手がお有りのようだ」

「そんなものに目がくらんだって言うのか」

 あの夜の宴で、聞いておけば良かった。東吾の言いかけた言葉の続きを。

 彼は自分に相談しようとしていたのではなかったか?

 聞いていれば、こんなことにならなかったのではないか、という一縷の、下らないあるかも分からない可能性に後悔してしまう。

 友人だったはずの男が、今敵として目の前に立っていた。それも女性を人質に取ると言う卑怯な手段に手を染めた。いや、目的のために他人を犠牲にしたといった方が正しいだろう。

「本当にそんなことが理由なのか?」

「──そんなこと?」

 東吾の声の調子が変わる。ぞわり、と肌が粟だった。

「お前が路草殿の誘いを断った、と聞いたとき、ひどく落胆したよ」

 器用に包帯の結び目を解く。

「勿論、最初から受けるはずはないと信じていたから、嬉しくもあった。逆に、お前がどこまでも善人でいようとすることは残念だった。苦しんでばかりで、いっそ楽になろうとは思わないのか? 憎らしかったさ」

 左手によって、右腕を覆う布が外されていく。

 現れたものはきちんと腕の形をしていた。怪我もなかった。ただ肘の下から徐々に黒に染まり、深い夜闇色の指先が薄く削れている。

 肘からぽたりと、液体が床に落ちて黒々とした染みを一瞬だけつくる。

 指先から掌から、黒が紫のむき出しになった手首から二の腕にかけて、細い川をつくる。

「東吾、お前、それ、どうしたんだ」

 思わず目を見開いて息を呑む琥珀に、東吾は優しく笑いかけた。

「ああ、俺とお前はこんなに違う」

 ぽたり。もうひと滴落ちる。有り得ない光景だった。

「俺から飛び級で主席を奪った成田琥珀になら、分かるはずだ。分かっているはずだ。知らないわけがない、分からないはずがない。もっとも、実物を目にしたことは、ないだろうが」

 琥珀は必死に記憶をたどる。授業ではない。実践でも目にしたことはない。

 ただそれは厳然たる事実として存在する。

 噂のかけら。教本でも微かに見たし、先輩から聞き伝えたこともある。

 それは、袖に入れた懐紙にくるんだ、紫を浚った人間の手がかり。

「そんな顔をしないで欲しいものだな」

 東吾の今は結果ではなく、未だ過程であるとするなら。

「自分が今やってることが何なのか、分かってるのか」

「同じ事象でも、意味するところが違うだけだ」

「違う、同じ意味だ!」

 掠れた叫びに、

「それで善人のつもりか!」

 東吾の手が伸びる。

 どさりと、紫の体が床に落ちた。

 琥珀が東吾の腕を避けるよりも先に、黒い手は友人の腕を掴み、体が回転して床に叩きつけられた。呻いて顔を上げる琥珀を、東吾は見下ろす。

「あれは、何ですか」

「アレは、」

 戦慄すら交えた要の質問に、梓は手の中の分類表をどこで開くべきか迷いながら答える。

「私たち書司の正体の一つよ。醜悪なね」

 それが黒の正体だった。

 刀と同じく、書司の〈分類〉は図書寮や書司寮の許可がない限り、決して人間には向けない。人間に向けたとき、凶器になるからだ。

 人間はいくつもの顔を持っていると言われる。勤務先で、家で、上司へ、友人へ、家族へ、そして自分自身へ、いくつもの仮面を取り替えて過ごす。これはごく自然なことだ。処世術でもあり、相手と自分の関係によって作られている。

 その仮面を強制的に付け替えることが出来る。票張りだ。

 ただの票なら剥がすことも否定もできるだろう。だが〈分類〉は非常に強力な接着剤だ。

 もし自分に〈分類〉を際限なく向けたらどうなるか。その答えがこれだ。

「東吾、お前、どうして! どうして自分を〈分類〉なんかしたんだよ!」

 苦痛に耐えながら琥珀は膝を立てる。軽蔑するように見下ろす友人の視線を振り切り、紫に駆け寄って、肩を抱く。

「那賀川。痛いところ、ないか」

「ありがとう。大丈夫」

 軽く頭を振って、顔を上げて、紫は微笑んだ。たった半日見なかっただけなのに、数日も離れていたような気がする。一人だった心細さがそうさせたのだろう。

「悪かった、俺がしっかりしてれば」

「私はちゃんと生きてます。だから謝らないでください」

 琥珀は手にした刀を紫に渡し、彼女は刀を腰に穿く。

「美しい友情か。お前は裏切られてもいいのか」

 一部始終を映画でも見るように眺めていた東吾が、嘲笑を投げる。

「いいわけがあるか。だけど裏切りじゃない」

 裏切られた、という感情は、不思議となかった。行為として裏切りに等しくても、東吾はまるで変わっていないように見えたからだ。無論体は黒に染まり、人の形を崩そうとしている。

 ただ、恐ろしくはなかった。訳の分からないことでもなかった。

 東吾の感情を心で理解できなくとも、少なくとも頭では理解できた。

 だからこれが東吾が言ったように当然の結果だというなら──裏切られたと思えなかった。

 一時の気の迷いのようなものだ。東吾は権力とか地位とか脅しとか、そんなものに心から従ったりしない。そういう人物であることを疑ったことは、今まで一度たりともない。

 信じるとか信じないとかじゃない。

 東吾はそういう人間だ。

「お前はいつも人の見えないところで努力し続けてきた。こんな手段使うような奴じゃない」

「がんばってますって顔してるのは格好悪いだろう」

「お前は、頑張ってなんかないって顔するだろう。それは格好いいのかよ」

 琥珀の反論に梓が続く。

「どう頑張っても格好良くなんて、あんたじゃ無理ね。頑張る方向を思いっきり間違えてんじゃないの」

「正誤は問題ではない。路草殿に従うまでだ」

「東吾、あいつはお前を利用しようとしてるんだぞ」

「そうだ。俺が選ばれた理由は俺自身によるものじゃない。お前と友人だから、裏切るように、それだけの価値しかない」

 口元に浮かんだ自嘲の笑みに、琥珀は一瞬たじろぐ。

 今まで、こんな表情をした彼を見たことがなかったからだ。

「お前は俺がお前を恨んだことがないと、忌憚がないと信じていられたのか? 学生の頃だ。下の学年からやって来て、主席になり、飛び級でまた主席になった男がいた。それまで俺は書司としての〈分類〉はともかく学科では誰にも後れを取ったことがなかった。それが、お前はいとも簡単に奪っていった」

 唾を吐き捨てる。

「それを信念に従って、架空の役職に左遷されただと? 周囲がお前の実力に、人柄に、全く期待していなかったとでも思っていたのか? そう、お前は勝手に競争の場を俺から奪った。そして書司としての能力でお前に敵わない。だから、勝つには、これしかない」

 振り上げた腕を分厚い机の天板に叩き付ける。幾つかの飛沫と、瓦礫の一部が弾け飛ぶ。

 彼が自身に行った〈分類〉は、明らかだった。腕を力や強さそのものに〈分類〉したのだ。

 〈分類〉はあくまで関係性に働くもので、それ自体の分子構成を変えたりするものではない。

 だから、東吾が自分の肉体それ自体を分類すれば、骨は砕け肉は裂ける。過剰な負担で体がぼろぼろになる。そして〈分類〉し続けた先に、それは、

「お前は〈分類〉そのものになる。実態がなくなるんだぞ。お前がお前でいられなくなる!」

「だからどうだと、言うんだ?」

 東吾は、動じない。

「まずいわね」

 梓は苦りきった口調で空を仰いだ。

「アレを放っておけば酷いことになるわよ」

「見たことあるんですか?」

 驚く要に、梓は無意味に胸を張ってみせる。

「この私を見くびらないで欲しいわね。見たことくらいあるわ」

「どうなるんです?」

「化け物よ。動物っていってもいいかもしれないけど、身体能力が飛躍的に上昇する。それだけならまだいいわ。そんな状態の人間が分別をなくして人を〈分類〉し始めたら大変なことになるわね。今すぐにでも、利用者及び住民を全て〈天満月〉に避難させるわよ。お偉いさんの説得及び指揮は私が執るわ」

「容易にはいかないですよ」

「それだけの価値があるから言ってるのよ。でも、そうね」

 一瞬だけ梓は考えると、要に振り返った。

「あんた複写の授業、成績良かったわよね。花押の模写も上手くやれるわね」

「大抵のものなら、資料さえあればできますが……」

 要は目を見開いた。

「まさか、無茶ですよ」

「偽の手紙作りなさい。空木行成なら事後承諾でも問題ないでしょう」

「問題ありまくりですよ!」

「書司に利用者を保護させつつ亭外へ誘導。一般職員は外郭の利用者用居住区と大内裏に避難させる。一等書司は先頭と殿を努めること。その後警護にあたらせる。この内容で書きなさい」

 要の抗議は聞かず、手紙の内容を指示すると、

「避難が終わりまた次第来るのよ。逃げるなんて臆病は許さないからね」

「分かりました。後でまるで役に立たなかった、なんて貶められるのは心外ですからね」

 要が部屋を飛び出していく。阻止しようとして東吾が足を踏み出し、腕をふるう。その間に入った琥珀が突き飛ばされ部屋の外の壁に体を打ち付ける。それを追って、三人は飛び出した。

 琥珀は脚を地面に噛み合わせると、走る。広いところへ。

 月光庭園は瓦礫の海原だ。

 東吾の脚もまた、常人の速度を超えていた。瓦礫を踏みしだく音と一緒に、足の指が砕ける不気味な音が混じる。すぐさま琥珀を追い抜いて、腕を振り回す。

 琥珀は動かなかった。否、動けなかった。

 身体的にはせいぜい人並みの運動力と体力しか持たない琥珀に避けることは不可能だった。刃を受け止めたのは、だから紫だった。

 大地を蹴り、一直線に二人の間に向かって駆け、刀を抜き放つ。

 刃の交わる耳障りな不協和音が琥珀の体の呪縛を解く。

「忘れてませんか。私、検非違使なんですよ」

「姫君に暴力をふるうつもりはなかったが。邪魔をするなら容赦はない」

「望むところです」

 ぎりぎりと刃が軋む。

 退くわけにはいかない。体力はない。だが、この場で武官は紫一人だった。

 ただそれ以上に、助けに来てくれた人を見捨てるなんて、有り得ない。

 力を込めて、刃から腕を払う。刀を再び構え直す。背後で琥珀が立ち上がるのを気配で確認しながら、目はまっすぐに東吾を見据える。

「那賀川!」

「大丈夫、私はなにも失わない」

 紫の刃が再び東吾の一撃を跳ね返す。黒い水が舞って滴が頬に跳ね返る。

「たかが貴族の姫君が、覚悟があるというのか」

「覚悟は、ええ、決まっていました。貴方だけ覚悟がなかった」

「何のことだ」

「友達を、成田さんを失うっていう覚悟です」

 刃の一降り一降りで拳を凌ぐが、重い。油断したら体が刀に持って行かれそうになる。

「迷っていたんでしょう? だから最初に私を、成田さんに紹介した」

「監視が楽だった。琥珀から話が聞き出せるからな。それだけだ」

「だったら部下のところでいいじゃないですか。自分が敵わないと思っている人のところに、どうして案内するんですか」

 以前彼について語る東吾は誇らしげに見えた。

「あなたは藤原路草に付くと言ったけれど。事故は多分、彼らによって故意に起こされたんですよ。図書寮を潰すような人間に荷担していいんですか」

「お前たちは……知ってしまったのか」

「気付いたのは昨日でした。多くの傀儡が失われ、ここは半ば閉鎖された。そして、私の探してた傀儡は、瓦礫の下で懐を探られて、目に罪人のように墨を塗られて、うち捨てられていたんです」

 探られていたから、あるかもしれないものを巡って、紫に追っ手がかかった。

「目的はひどく単純で……傀儡の廃棄。事故そのものが目的だったんじゃはないんですか」

 東吾には、琥珀にも、紫が冗談を言っているようには見えなかった。

「増える一方の傀儡と、傀儡依存症及び傀儡の人権問題。それに、自分たちに不都合な書籍の存在。私が不要なのは、私が推進派だったからだけでなく、諒が何かを残したからだけでもなく、私が傀儡に肩入れをしているから」

 ぴくりと東吾の形のいい眉が上がる。

「必ず、被害にあった傀儡の一人一人についても調べ上げてみせます。救助作業に圧力をかけたのは、何かを隠すためでしょうから。たとえば、成田さんのご両親の研究が上手くいくのが好ましくなかった場合。都市の外は大貴族や大手企業でなければまともに出歩く設備を持ちませんが、故に色々な利益、利権が得られる場所。傀儡の材料を含めた、貴重品の本物の植物を独占しよう、とか」

「他にもあるのか?」

「たとえば、〈壷菫〉への今後の政治的介入を含めた、たとえば傀儡に美人局をさせていた可能性。今の中宮には……実は、宮中では彼女が傀儡ではないかという噂があります」

「傾国の美女と言う輩がいるのは事実だ」

「中宮の蔵人所で働く藤原路草が、中宮に疑念を持つのは大いに考えられます。他の女御達を天皇の正妻にしようとしている。できなければ上皇にでも追って新しく帝を立てようとしているなんて、どの貴族でも口に出さずとも考えてます」

「どちらの説も面白いが、証拠はあるまい」

「どちらかでなく両方かもしれません。漁夫の利も二兎を追うのも、大好きな人たちが大内裏には沢山いますから。藤原路草を追えば尻尾を出すでしょう。証拠が挙がれば帝に奏上します」

「だから、だ」

 びくりと、肩が震えた。

「だからだ。君も、琥珀も危険なんだよ、姫君。自分の信念に忠実に生きる人間というのは、危険だ」

絶望に塗られた瞳が黒々と光り、皺の深い唇がにいっと笑んでいた。


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