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傀儡の森  作者: 有沢楓花
第二章 月光庭園
14/31

2-5

 書架のあるべき場所に、利用者から返却された本を戻す、という地味な作業中。

 視線を横に向けると、茶色の馬尾結の女性が目の前に立っていた。彼女──桂城梓は両手を腰に当てて、一年後輩の萩原要に、自信たっぷりの笑顔を向けた。

「旅券、発行してくれるわよね」

 不幸にして、彼の手には革表紙の本が十数冊抱えられていた。現在の資料の主流はデータ化されたものだ、一見書司は重いものを持たないように思えるが、むしろ新旧全ての資料を、そのままで保存することに意義を見出す図書寮に於いては、古い時代の、アナログ資料を相手にする機会の方が圧倒的に多い。図書寮職員と書店員の持病は、腰痛と腱鞘炎である。ついでに手袋をしないと、油が紙に吸い取られて手や爪がひび割れる。

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 書架の森に埋もれた樫の台に本を載せる。両手を負荷から解放してふらふら振りながら、

「何も重い本を持ってる時に話しかけなくってもいいじゃないですか」

「情けないわね。あんたそれでも一等書司?」

 不満顔ながら機嫌良く言い放つ。

「一等書司の昇任試験を忘れたんじゃないでしょうね」

「あれは……思い出したくもありません、地獄でした」

 要はげっそりとした表情で答えた。

 書司としての資格或いは能力は、一等から三等までで現されるが、大きく二つに分類される。素質を持ち書司に登録されるだけの三等書司と、公僕となるべく図書大学を卒業する二等・一等書司だ。一等書司は二等が昇任試験を受けることで任ぜられる。

 一等というのは、昇進に関わるのはもちろんだが、ただの公務員では認められないような特権が幾つかあり、言葉の響きの良さと相まって、二等書司なら誰もが一度は目指す憧れの職である。合格するのは一握りの人間だけ。試験の内容はきつい。

「僕の時は小学校の体育館くらいの大きさの建物でしたね」

 その建物はたった二つの部屋で構成される。

 一つは試験官が無作ために抽出した書籍とその他記録媒体で天井まで埋まっており、もう一つは机と椅子が用意されただけのがらんどうの部屋なのだ。

 受験者は、そのがらんどうの部屋に自分の図書寮分亭を作ることになる。

 全ての資料の目録作成から始まり、どの本をどう並べるか決め、本棚や作業台を総務に発注して、配置させる。

 この、十万単位の大小様々の資料を目で見て把握し、本を運び込むという作業はまさに体力仕事だった。書籍一束の重さは十キロ以上ある。

「台車は貸して貰えましたけど、それこそ死ぬかと思うくらい往復しましたよ」

 それに、本当の図書寮を想定してつくらなければならない。同時に受験した書司の中には、傘立ての設置を忘れたために試験に落ちた人物もいたらしい。

「だから私がそれくらいの本を持っている一等書司に話しかけたところで、問題ないでしょ。で、さっきの話よ」

 彼女は本の山を指差すと、その指を要の鼻先に突きつけた。

「一等書司の権限で、あんたの〈壺菫〉への旅券を発行しなさい」

「あのですねぇ」

 一般利用者の入り込めない閉架室の薄暗い照明の下で、周りに同僚がいないことを確認し、要は声を僅かに高くする。

「自分の分くらい自分で発行できるでしょう。というより、この前申請するとか言ってませんでしたっけ?」

「それは他人に使わせた分」

「本来書司用の旅券は、書司自身が公務員として、職務を果たしたり、人を助けるためのものなんですよ」

「今は発行するの不味いのよ。上に目を付けられてて」

「じゃあ尚更、他人の旅券使って不興を買うのは宜しくないんじゃないですか?」

「はぁあ、あんたってホント説教臭いのね……うるさい舅って嫌われるわよ」

「子供どころか結婚もしてません」

「ともかく行かなきゃならないのよ、つべこべ言わず発行しなさいよ」

 梓のわがままは、別段に今始まったことではない。傍若無人で全く論理的でなく、説明不足で理解不能。要は深く大きな息を吐いた。

「確か、梓さんの後輩でしたね、〈壺菫〉にできた第四分亭亭長の成田君は。他人を彼の元に行かせたんですね。それが厄介なことになったから行く、と」

「あんたに関係ないでしょう……」

 背けた顔が見る間に赤くなる。図星だったらしい。小さな舌打ちをして、口を開く。

「昨日亭長に呼ばれたでしょう。そしたら大内裏の役人が来ててね。私より二つか三つ年上ね。つまらないことを色々聞かれたのよ」

 琥珀一人には荷が重いから、と小さく呟く。

「それで、休暇の申請はどうするんです?」

「風邪でも引いて寝込むことにするわ。あと、流石の私もただとは言わないわよ」

 差し出されたのは食券だった。木肌色の紙片に可愛らしい文字で、クリームあんみつ大盛と印字されている。

「何ですこれは」

 差し出された当人は戸惑ったように首を傾げる。

 あんみつを食べた経験など、これまでの人生で片手で数えるほどもない彼は知る由もなかったのだが、この有名あんみつ店では回数券を取り扱っており、十回分の料金で十一回食べられる。その最後の一枚が大盛りだった。

「これ場所ね」

 放置されていた書類の裏紙をぺらりとめくり、さらさらと地図を書いて、食券と一緒に押しつける。

「三時間後に中央駅の北広場で待ってるから。遅れるんじゃないわよ」

 言いたいことだけを言って話を切り上げようとする彼女に、要が視線を合わせると、

「何よ不服? 不服でも報酬はこれだけよ、あんたにはこれで十分」

 先程からの腰に手を当てた恰好で、胸を反らしながら言い放つ。

 彼は長い溜息を吐く。

 図書大学時代から、噂には聞いていた桂城梓。出会ったのは、無事卒業して都の図書寮本亭に配属されてからだ。

 噂と同じ、傍若無人ぶり。先輩は、やりたいことを曲げたことはない。真っ直ぐに自分の信じる道だけを突き進むやり方で、何度上司と衝突したことか。それでもクビにもならないのは本亭七不思議の一つだ。

 一冊の本を手にし、分厚い背の下に張られた四角い票に視線を落とした。

「不服じゃないですよ。ただ書司がみんな梓さんのようだったら、本はもとの場所に戻りませんね。勝手な分類をされてしまいますよ。これで十分だなんてひどい言いようじゃないですか」

 こうやって本の一冊一冊に、本の内容であり図書寮書架上での並び順を示す数字を付けること、これを分類と言う。分類は全て図書寮の決めた方針に則って定められており、それが分類法だ。書司は全ての事象を分類する、関係性を変える能力を持ち、そういった特別な〈分類〉は極めて強力な識別票添付(ラベリング)に他ならない。識別票添付とは誰もが行う人や物への識別票(レッテル)張り、これをこれだと決める力だ。書司にはこの意志の力が強力な人間が多い。彼らは知らず知らず周囲に識別票添付を行い、影響を及ぼすことがある。

「そんなことを言われたら、僕があんみつに釣られるような食い意地の張った人間だと思われちゃいますよ」

「票くらい自分で剥がして張り替えなさい。それともう一つ頼まれて」

「何をですか?」

「こいつの素性調査」

 広げてみせた扇に写っているのは、“大内裏の役人”の横顔だ。

「……盗撮ですか? いくら梓さんが犯罪スレスレ人生してても、のぞき趣味まであったとは初耳です」

「人聞き悪いわね。ただの証拠写真よ。じゃ、頼んだからね」

 後ろ姿を見送って、吐息を一つ。

 そして三時間後、狩衣を脱いだ彼は、約束通り中央駅に立っていた。空は本来の気候とは別に、極めて平穏で快適な早春を半球型の天蓋と空調装置によって演出している。

 軽装の要とは対照的に、梓は本来の厳冬に倣って厚い綿入れを着込んでいた。

「外の世界は雪でしょうしね」

 快晴を見上げて笑う。中央駅からは、天蓋の空がよく見えた。駅は都でも最も高い位置に造られていた。天蓋を管理する機構を除いた、天蓋の最上部の円がそれである。

 半透明の支柱に支えられた幾つものレールが、ここから放射状に伸びていき、天蓋に設けられた開閉式のトンネルを通って各都市に続いている。

 対して下も眺めが良い。都の浮遊部分が一望できた。檜皮葺の屋根で統一された学術地区の北端に、一際高い図書寮本亭の尖塔を見出せる。地上部分も、列車に乗ればすぐに見ることができるだろう。

「雪が積もった世界もオツなのに、どうして何から何まで制御しようとするのかしらね」

「必要だと思えば降らせるでしょう。好みもありますが、先帝は降らせたがりでしたよ」

 差し出された旅券を受け取って、

「違うわよ。たまには天蓋を開ければいいって言ってるの」

 梓は昇降用通路へと歩いて行った。駅員に旅券を見せて中へ入り、たった二両の旅客列車の座席に腰を埋める。景観を楽しむための半透明の支柱は季節感が色褪せるこの都市にはもったいなくて、技術力を誇示する浅はかさだけが鼻につく。

 それでも列車が動き出し、外の世界に飛び出すと違う意味がもたらされる。

 視界の限り続く濃緑の森に降り積もる雪。舞い降りる雪。ただただ前方に真っ直ぐ続く銀のレールは、氷上競技(スケート)舞台(リンク)に描かれたエッジの軌跡のようで、美しかった。

 下方に見える浮遊都市と、その下に縮こまっている地上の都市の骸。周囲に広がる森。覆い被さる雪の白。列車のレールと、レールに沿って造られた、辛うじて姿を透かしている一本の道路。各都市を京と繋ぐただ一つの道だ。

 吐く息が白くなるわけでもないのに、溜息をつく。

「あの子は……こんなに美しい世界にいるのに、まだ〈分類〉してるのかしら」

 見る間に窓は雪に覆われ、視界を閉ざした。暖房が防雪機能を働かせるにはまだ暫くある。

 それまで、梓は目を閉じることにした。


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