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貴君よ、まさかオナニーをご存じでない?

食欲も性欲も同じ、肉を司るものです。

肉を食べるうえで、焼くこと。そして焼かないものに分けられます。

馬肉のユッケ。鳥の生。

焦がした豚のバラ肉。ミディアムレアに焼き上げた厚めの牛ステーキ。

加熱するメリットは香りの付与にあります。そして、熱。

一方で生食には脂の溶け方とあるがままの触感が美しい。

食は生存に欠かせない一方で、楽しむものであります。

空腹は最高のスパイスですが、同時に人生への求心力にもなります。

最期に、生食は徹底した管理と信頼が欠かせません。リスク嗜好に溺れて流されてはいけません。

病原菌を理解し、熱を操ることで身を守る必要があります。

なぜなら、諸君の人生はかけがえのないものだからです。

 正午を過ぎる。ゲオルグは財布も持たずに立ち上がる。幾人かの男子もそれに倣う。祭りの前のようなざわめきが広がる。


「こら。待ちなよ、次回までの課題をいま……」いつもよりテンションの高い生徒に教師が戸惑う。すでに弁当を開けている者もいる。


「いや、もう待ってらんないって」つぶやく生徒。

 ゲオルグは教室に入り乱れる机、イス、人を縫うように進む。


「ゲオルグ選手、机を華麗にかわして、抜けたぁッ。ゴーーール!」

 開けた扉を抜けるゲオルグに続いて何名かが抜け出す。


「あいつら……もう知らん」黒服の男性教師は匙を投げた。昼前はとくに落ち着きがないものだ。食後にはゾンビになるが。教育不足を感じる反面、仕方ないとも思う。教卓の男は黒シャツの胸ポケットからハンカチを出して額に当てた。


「いま、静かに聞けている人たちーー将来もっとモテるよ」


 窓から風が吹き、カーテンが捲れるとゲオルグがホイッスラーを連れて走っているのが見えた。それをみた教師は苦笑した。どこかいくのだろうか。


「マルス先生、さっきの課題は何時までにーー」

「ああ、うん。そこはーー」

 マルスと呼ばれた男は正面に向き直り話を再開する。内心は食べながら採点することを憂いていた。


 一方、ホイッスラーはチャイム直後に来た連中に押されて、走っていた。あまりのハイペースに食べ盛りの恐ろしさを知る。女子生徒にどこにいくんですか~などと聞かれても返す余裕もない。ただ手を振るだけだった。

「走れモテ男ッ」ゲオルグが加速する。脚が棒のようになる。

 走りながらゲオルグは語る。

「5分で動いて、50分で食べて5分で帰る。完璧だろ?マジで天才だぜ」

 彼はいっそのこと消化不良で腹痛にでもなればいい。外で食べることは滅多にないが、結局せわしない昼食になりそうだ。アーロンによると、この日の2年の学食はいつもより空いていて、奇跡の昼といわれたらしい。


 焼肉屋に着く。すでに多くの人が揃っていた。聞くところによると、ゲオルグが勝手に食べ放題コースを頼んでいる。しかも悪くないコースだ。流石に飲み放題は付けなかったらしい。配慮ができるだろ?みたいな顔をみて、やつの体毛を全剃りしたくなる感情を精一杯殺す。勝手に頼んでおいてよくドヤ顔をするものだ。


 靴を仕舞い、座席に上がる。横長のテーブルが店内一杯に並べられている。こんな店はあまり来ないが、20人もくるものを手際よく提供できるものなのだろうか?座席にはすでに箸やタレ用の皿が置かれている。一番角に着席するとおしぼりと水が提供された。続々と集まるメンツ、知り合いはおろか、ゲオルグでさえ、今日知り合った人だ。メニューを物色し、黒い皮のソファに持たれる。黒い壁には肉の部位やこだわりについて説明するボードがかけてあるが、大したことはなさそうだった。橙色の照明が銀の網を照らし、雰囲気があった。


「え?ホイスは焼肉とかよく行くの?」

 隣のゲオルグが左腕をこちらの肩にかけてくる。サッカー部というやつはこうも馴れ馴れしいのか?肩にあたる腕の筋肉が分厚い。もう肉食べる必要ないんじゃないかな。

「たまにしかいかない」

 実をいえば、食べ放題はなかなかない。過食は趣味ではないからだ。

「へえ!意外と行くんだ。ここよりいいところばかりだろうけど、こういうのは肉とバイブスを食べるわけだから」

 ゲオルグ語がよくわからない。まあ楽しめということかな?

 そんなわたしたちを向かいに座ったしっかりしてそうな短髪の男が揶揄う。

「やい、ホモ野郎!ホイッスラーくんがかっこいいからってそんなに抱き着くなよ」

「黙れって!彼女ナシはホモいじりも辞さないぜ。次期副部長なんだろ?彼女くらいいないとカッコつかないぜ」

 ゲオルグが応酬をみせる。どうやら彼はサッカー部の同期らしい。

 その左隣に座るじゃがいもみたいな男が口を開く。

「とりあえず、時間ねえし乾杯だろ」

 馬鈴薯くんは水の入ったグラスをもった。

「たしかに昼だもんな時間ねえわ」

 ゲオルグが水を持って号令をかける。


「おまえら、ホイッスラーくんの肉しっかり食っていけよ!モテるやつは食を疎かにしないとメンズクラブを代表していっておく。男磨いていくぞ?乾杯!!」

 乾杯の号令でノドを乾かした野郎衆は水を飲み干した。それをみていた店員が水の入った大きなサーバーを4つを持ってきて、テーブルにガシャンと置いた。オペレーションが大変そうだ。

「とりあえず牛タンだろ、あとサラダとスープ、米とキムチと」

 馬鈴薯の詠唱にしびれを切らしたゲオルグが遮る。

「もう雑にやっちまえ。どうせ食い尽くす」

「最初に注文多くするくらいが丁度いいじゃん」

 次期副部長も賛同した。


 隣のテーブルから大声が上がる。

「やっべえ!間違えてごはん大27のまま通しちまった!」

 ホストのような髪型の茶髪の赤メッシュが騒ぐ。

「ばかやろう、ライス冷えちまうじゃねえか!」

 向こうで非難の声があがる。

「サッチが食えんだろ!こいつ、めっちゃ食えるから」ゲオルグが右隣の大男を紹介する。

「どうも、ホイッスラーさん。サッチと申します。今日はありがとうございます」

 スーツと柔道服が似合いそうなガタイのいいメガネの紳士が挨拶をする。本当に同世代か疑わしいほどの風格がある。ガチガチに固めた黒髪のオールバックは何を目指しているのだろうか?

「お待たせしましたこちら~以下怒涛の注文内容~です」

 店員さんが大量の皿をのせた四輪を引いてくる。

 次期副部長が手際よく奥へ隣へと配膳する。気が使えるのだろう。いくつもの皿が押しに押されてカチャンカチャンと流れてくる。大皿を手に持った馬鈴薯が一気に牛タンで網を埋め尽くす。肉が焼ける匂いが立ち込める。思わず、上着を脱ぐ。シャツにタレがかからないように細心の注意を払う。しかし、この馬車馬のような野郎衆の狂騒から無事に帰れるのか、はやくも心配だ。


「お、さすがに焼けるの早いな」

 ゲオルグが半生のタンをまとめて摘まむ。脂が机に滴り落ちる。馬鈴薯がタレとレモン汁を回してきたので受け取る。甘い系のタレだ。レモン汁。コチュジャンとニンニクも味変で置かれている。

「ええッ、おまえのタレ、赤ッ!」

 ゲオルグがサッチの皿をみて目を見開く。コチュジャンとタレを1:1で割るスタイルらしい。

「いや、これが旨いんです」

 サッチがいう。

「やい、ホモ野郎。ホイッスラーくんにお肉あげなきゃダメだろ」

 次期副部長が差し込む。

「わたしは残ったのでいいよ」 

「まてって!おれはもとからあげる気だって」

ゲオルグが4枚くらいの牛タンをこちらのライスに叩き込んだ。取り皿はここだぞ?

 網の上には豚バラが煙を上げてジュワジュワと音を立てている。はやく裏返さないと焦げるぞ。

「葱塩と胡麻油を注文したので、これでキマりますよ」

 サッチは美食家だ。だからデカいのだろうか?

「これ足りないな」

「ニンニクどこ?」

 馬鈴薯がテーブルを探す。皿だらけで所在がわからない。それを見かねた次期副部長が、ボリボリとキムチを頬張りつつ、空いた皿を重ねて通路側へ寄せた。

「おい、だれだよニンニク使い切ったやつ!」

 馬鈴薯が声を荒げる。

「わるい、おれだわ!」

 赤メッシュがタレ皿を掲げる。そこには見た目が大根おろしと化したタレの海があった。きっとやつの教室は地獄と化す。

「すみません、ニンニクおろしください~」

 次期副部長が気を利かせる。

「肉足りないんじゃねえか」

 ゲオルグがサッチに問う。

「ホイッスラーさんは食べたいものありますか?」

 サッチがメニューを渡してくれた。

「おれチョレギサラダ!ひとつ頼む!」

 ゲオルグが主張する。

「なんでもいいよ!」

 馬鈴薯は長い塊肉をハサミで切るのに必死になっている。筋が硬そうだ。


「こっちもふたつ!」

 向こうのテーブルから声がする。意外と野菜を食べるものだ。

「上カルビ、ハラミ、タンももう一周しようや」

 馬鈴薯がメニューをじっとみて呟く。

「ホルモンもいきたいですが、時間がかかるものは避けたいですね」

 サッチが提案する。たしかに、すでに30分過ぎでハーフタイムだ。準備を考えるとここで締め切るくらいでいいだろう。

「例のごはん余っているから、肉とサラダだね。スープは大丈夫そうかな?」

「まてよ、意外と米が消えているぜ、サッチとあそこのマッチョがやってくれた」

 隣テーブルの筋肉ダルマがガッツポーズをみせる。すごい上腕二頭筋だ。

「馬鈴薯くん、注文お願いしてもいい?」

 しまった。馬鈴薯呼びがさりげなく出てしまった。

「だれがじゃかいもだ!おれはブラッドリーという名前があんだよ!」

 馬鈴薯に似つかぬ良い名前をしている。そして、なんだかんだで注文する馬鈴薯。そしてさりげなく片付けをする次期副部長がいじらしい。


 つぎの肉が来る。そろそろ調整しないと帰りと午後がつらい。

「ホイス食ってないんじゃない~!」

 ゲオルグが大量の肉を入れてきた。ライスをおかわりするキャパシティを超えているのにこいつときたら……生のものがないか確認しつつ、ひたすら頬張る。野菜とフルーツを使った醤油ベースのタレが柔らかい肉の肉汁と絡んでおいしい!ただ鳥が少し臭く、焼き方も下手なおかげでパッサパサだ!サッチがくれた葱塩レモン汁で水分を補いつつ、調味して食べる。さっぱりしていて食べやすい!

 肉一枚でごはん茶碗の四半分を消し去る恐ろしき男、サッチがスープを一気飲みする。隣テーブルに移動して肉をかっさらう馬鈴薯。なぜか水を入れてくれる次期副部長。

「いやあもう食えねえわ」

 箸をおいたゲオルグが一息をつく。


「やべえあと10分しかねえぞ」赤メッシュがいう。

「残すな残すな」隣テーブルが騒がしい。見るとまだ中身の残った食器がガチャガチャしている。

「大丈夫だって!」「このスープおまえのかよ!」「タレ零れてんじゃん」


「ほら焼けたぞ」

 ゲオルグがのせた肉を喰らう。脂が美味しい。しかし、網が焦げて、風味を損なっているのが残念だ。自分で焼かないのだから仕方がないが。

「ちょ、トイレ行くから!あけてあけて!」相変わらず向こう側は騒がしい。


「わたしもいくからゲオルグどいてくれ。きみたち、もう時間だから追加はなしだぞ!!」

 席を立って、廊下に出る。やや声漏れがうるさいが、静かな方だろう。喧噪から離れると気も抜けた。今のうちにお金を払っておこう。忘れて後で焦ることは避けたい。


 カウンターへ向かうと店員さんが明細を出してくれた。紙を見る。整然としたスタンダート食べ放題コース×20に連なる注文に目が留まる。だれだよ。コース外のトモサンカク追加したの。せめて食わせろ。わたしのお金なのだから。そして、比較的手ごろな食べ放題の店とは言え、20人前は莫迦にできない値段がするものだ。いまさら大して知らないやつらに奢ったことに後が引けてきた。しかし、祖父の教えもあるのでみっともないことはできない。

「札束の呼吸!一の型!!一括決済!」

 店員は苦笑いだ。どうやらウケなかったらしい。クソくらえ!わたしは最強のギバーでセークエンス学園モテ王だぞ!札束の塊を放出した財布はどこか萎びてみえた。今後3か月は生活費を少し切り詰めよう。


 ホイッスラーがお手洗いから戻ると焼肉合戦は佳境を迎えていた。胡坐をかいたゲオルグの靴下の臭いに閉口し、ごまかすようにキムチを摘まんだ。肉ばかり食べる人は大体臭い。

「タレってあたらしいやつもらえますか?」

 隣のテーブルでは肉食い隊が終戦処理の会議をしていた。

「おまえこの肉食ってくんね?」

「さすがにムリ」

「この焦げたやつどうすんだよ!」

 プスプスと音を立てる黒焦げ肉をトングで摘まむ男。

「おまえが喰え」

「ぼくでよければ食べますよ」

 向こうの喧噪をみていたサッチが挙手する。かっこいい。


 多くの皿が空になること、満たされた腹をさすりながら一同は歓談していた。

「いやあ、こんだけ食べれば精力つくわ!」ゲオルグが下品に笑う。

「ゲオルグ先輩、また彼女といちゃついて部活抜け出さないでくださいよ」サッチがいう。

「わかってるッて。シコってからいく!」

「ホイッスラーくんのまえで汚い話するなよ」次期副部長が苦笑する。

「パトリックこそ、毎日4回はシコってんだろ!」どうやらパトリックというらしい。

「おまえマジで殺す」

「ホイッスラーくんみたいに女をとっかえひっかえしたいなあ」赤メッシュがしゃしゃり出る。

 きわめて事実無根なことを言われたが、曖昧に笑うだけであった。

「そもそもシコっているのか?その必要すらなさそう」ゲオルグに聞かれる。

 周囲の好奇の目線が集まるのを感じたホイッスラーは少し思案して口をひらいた。

「しこるってなに?」

 鍛錬で己を扱くみたいなもんだと考えていたホイッスラーの言葉に一同は驚愕する。そして笑いの洪水が起きた。

「がはははは!ホイス、ボケることもあるんだな、面白すぎるッて!!」

 ゲオルグの大きな手がバシンバシンと背中に叩かれる。食べすぎた体が揺れて気持ち悪い。向かいのパトリックもそうきたかという顔で頷いている。ボケたと思われているらしい。馬鈴薯も、実はおれもシコってなくて~と言って笑っている。サッチは手鏡でオールバックを整えていた。

「先輩。そろそろいい時間ではないですか」サッチの言葉にゲオルグも頷いた。


「やっぱ出そうか?さすがに悪い気がしてきたわ」こちらを伺うゲオルグ。

「もう払っておいたよ」用を足す際に払っておいたのだ。

「やだ、イケメン……」乙女な表情をされて、胃もたれがしてきたホイッスラー。思わず口を押える。

「ありがとうございます。さすがです。ホイッスラーさん」サッチからミントガムをもらう。とてもありがたい。


「よし、引き上げるぞ!ホイスにお礼言って解散だ!」立ち上がったゲオルグが両手を叩く。支度を始める野郎衆。


「ごちそうさまです!美味しかったです、先輩」

立ち上がるサッチの体躯に驚愕する。格闘漫画に出てきてもおかしくないぞ?

「まじうまかったあ」

「ごちそうさまでした。あざます」

「ありがとねえ!ゴッソ、ゴッソ!ゴラッソ」

 ??

「ごっそーさまです」

「トモサンカクごちです」

 こいつが頼んだのか?目が鋭くなる。

「次サボってサッカーしたくね?」

「無理。絶対走れない」

 げっぷをするな。

「焼肉は毎日いけるわ」

「ごちそうさまー」

「もっと食べておけばよかった」

「デザート買って帰るわ」

「歯に挟まった肉うめえ」

「ホイッスラーくんありがとうね」

「また食べに行こう。次はこっちが出すから」

 さすがに次期副部長はえらいね!

「やべ、トイレいきてえ」

「授業中にいけよ」


「美味しかったならよかった」

 たらふく食べてなお騒がしい集団。バイタリティを少し見習うべきだろうか。忘れ物がないか目を向けると、店員さんがパッシングに追われている。そろそろ出なきゃ迷惑だろう。焼肉の臭いをまとった白シャツを纏わせて出てくる若き野郎衆。ホイッスラーは握手を受けながら、着替えてきたい欲に駆られていた。臭うまま戻るのは申し訳ない。ああ、財布のなかみは空前の灯だ……あれほど元気に弾んだ札束は消えてしまった。


 駆け抜けるゲオルグについていけず、歩いていると運転手が現れた。車内に入ると着替えが用意されてあった!なんとありがたい。ブラインドをかけた後部座席で着替える。あっというまに着いたものの、もういい時間になっていた。朝に続きギリギリだ。あいつらは遅刻だな。教室に入ると幻が現れたように注目される。


「ホイッスラーくんどこいっていたの~」

「焼肉だよ」

 満腹で話す余裕も残っていない。返答を聞いた皆がざわつく。

「やっぱり違うな」

「ひとり焼肉かな」

「高いところに決まっているだろ」

「昼に外食でデートいくのいいな」

 廊下でゲオルグに誘拐されたのは見ていなかったらしい。時間が早かったからだろうか。席について、一息つく。一番後ろの角席は眠くなりやすいのが難題だ。窓を開けて、空気を吸い込むと少しマシになった気がした。チャイムがなる直前にゲオルグからメッセージが届く。こっそりみると奇妙なサムネイル画像が添付されたものが送られていた。


ゲオルグ:ごち!うまかった。つぎは出すからな。

     オナニー実はやってんだろ?これマジで捗るから観て!最近はまっているやつ。


 オナニー??


 意味も分からぬまま、ホイッスラーは無意識に動画を開いていた。

さて、賽の目は振られた。

転生者や転移者が魔法を得るように、我らが主人公は自慰行為という魔法を覚えるだろう。

彼を待ち受ける困難。

乗り越えたい壁。

未来はどうなるのか。

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