第55話 移動ーリッヘン村
馬車は一定の揺れで進んでいた。
車輪が小石を踏むたび、座面がわずかに跳ねる。
セレナは腰の位置を直してから、率直に言った。
「……お尻、痛い」
向かいに座っていたレオンが、少しだけ口元を緩める。
「まだ1日目ですよ」
「何日目とか関係ないわよ。痛いものは痛いの」
「クッション、持ってきてましたよね」
「使ってるわ」
「それで痛いんですか」
セレナは少し考えてから言う。
「クッションのせいで、痛いのかも」
「逆効果ですか」
「柔らかすぎると、逆に負担がくるの」
「それなら、僕に貸してください」
「嫌よ」
即答だった。
「どうしてですか」
「あなた、平気そうじゃない」
「まあ……」
「だったら必要ないでしょ」
「理屈は通ってますね」
レオンはそう言って、揺れに身を任せた。
「ほら、また来た」
馬車が大きく揺れる。
「……これは確かに」
「でしょ」
「2週間、耐えられますか」
「耐えるしかないわよ」
「途中で慣れます」
「慣れないと思う」
そんな会話をしているうちに、時間はゆっくり流れていった。
馬車の中では、特別なことは起きない。
揺れて、止まって、また進む。それだけだ。
夕方、空の色が変わり始める頃、馬車は減速した。
「第一の中継地ですね」
レオンが言う。
小さな村だった。
名はリッヘン村。街道沿いにある、静かな場所だ。
最近は宿泊する人が少ないらしく、受け入れの村人たちはどこか嬉しそうだった。
「泊まってくれるだけで助かりますよ」
「温泉もありますから」
そんな言葉が、次々に飛ぶ。
部隊は、それぞれ村が用意した宿泊施設へ分かれた。
質素だが清潔で、十分だった。
「温泉が有名らしいわよ」
セレナが言う。
「それは、ありがたいですね」
夕食前、まずは風呂に向かうことになった。
露天温泉は、思ったより広かった。
湯気が立ち、外の空気がひんやりしている。
男性風呂の方から、最初は小さな声が聞こえ始める。
「……気持ちいいな」
「生き返る」
それが、だんだん大きくなる。
「誰が一番長く浸かれるか勝負だ」
「意味ないだろ」
「腕立てやろうぜ!」
「ここで!?」
声が弾み、笑い声が重なり始める。
「おい、10回!」
「少なすぎる!」
「じゃあ20!」
応援の声まで上がり始めた。
その瞬間だった。
「貴様らーーっ!!」
女風呂の方から、鋭い声が飛ぶ。
「村の迷惑になるほど、はしゃぎすぎるなっ!!」
空気が、ぴたりと止まった。
湯の音だけが残る。
「……」
数秒の沈黙のあと、男性陣の誰かが言った。
「すみませんでした……」
その一言で、すべてが終わった。
それ以降は、声量が一気に下がる。
「……静かに、楽しもう」
「……だな」
ひそひそとした声と、小さな笑い声。
それでも、誰も湯からは出ない。
露天温泉の湯気は変わらず立ち、夜の空気は穏やかだった。
初日の夜は、そんなふうに過ぎていった。




