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第49話 セレナが髪の長さを変えない理由

 セレナが目を覚ました。


 最初に見えたのは、壁だった。白でも黒でもない、何度も見てきた色。いつも通り、壁側が自分の位置だと確認してから、視線を少しだけ動かす。


 隣に、レオンがいる。


 仰向けで、きれいに寝ていた。

 布は胸のあたりまでかかっていて、ずれていない。腕の位置も、寝る前とほとんど変わっていないように見える。


 朝に弱い。

 それも、いつも通りだった。


 起きる気配がない。

 呼吸は深くて、一定で、急ぐ感じがない。


 ――今日は、予定のない日なんだろう。


 そう思う。

 理由があるわけじゃない。けれど、予定がある日は、こんな眠り方をしない。ほんの少し、どこかが違う。早起きしてることもある。


 予定があるとも、別に言っていなかった。


 セレナは天井を見たまま、しばらく考える。

 考える、というほどのことでもない。頭の中を、何もないまま漂わせているだけだ。


 普段なら、ここで起きる。


 二度寝はしない。

 目が覚めたら、身体を起こしてしまう。それが癖になっている。


 でも今日は、まぶたが重かった。


 昨日のことを思い出す。

 誕生日だと、改めて言われたわけでもない。ただ、いつの間にか時間が過ぎて、話が終わらなかった。


 どうでもいい話をして、

 昔の話をして、

 途中で何度か黙って、それでもまた続けて。


 気づいたら、夜が深くなっていた。


 誕生日だったから楽しかった、というより、

 安心していた、に近い。


「……」


 無意識に、声が漏れそうになって、セレナは口を閉じる。

 起こすつもりはない。


 レオンは、まだ寝ている。

 起きたとしても、今すぐ動く必要はない。


 レオンが起きたら、起こしてくれるだろう。


 二度寝しよ。

 セレナは、身体を動かさないまま、もう一度目を閉じた。


 何も考えないまま、

 朝の続きに、戻っていった。




 肩を、こつんと叩かれた。


「……セレナ」


 低すぎない声だった。


 セレナは眉を少しだけ動かして、目を開ける。

 視界に入るのは、立ったままのレオン。髪が少し跳ねている。


「……ん」


「おはようございます」


 セレナは一度、天井を見る。

 それから、ゆっくり首を回してレオンを見る。


「……おはよう」


 レオンは、腕を身体の前で軽く組んだ。


「珍しいですね。セレナが、僕より遅く起きるの」


 セレナは布を胸のあたりまで引き上げる。


「違う。二度寝しただけー」


 言いながら、手をひらひら振る。


「ああ、そうなんですか」


 レオンは納得したように頷く。


「なにその即信じる感じ」


「昨日、遅かったので」


「……覚えてるんだ」


 セレナは横を向いて、枕に頬を押しつける。


「覚えてますよ」


「ふーん」


 しばらくして、セレナは顔だけこちらに向ける。


「今、何時」


「もうすぐ昼です」


 セレナは、片手で目を覆った。


「……やったな」


「起きますか?」


「……起きる」


 布を跳ね上げて、上体を起こす。


 洗面台に並ぶ。

 歯ブラシに手を伸ばした瞬間、二人の動きが止まる。


「あ」


 セレナが言う。


「どうぞ」


 レオンが、手を引く。


「いや、レオン先でいい」


「じゃあ」


 取ろうとして、止まる。


「……遠慮して」


「してます」


「してない顔」


 セレナは、肘で軽く突く。


 歯を磨く音が重なる。


「……ねえ」


 口を動かさないまま、セレナが言う。


「はい」


「おなかすいた」


 レオンは、少しだけ肩をすくめる。


「僕もです」


「でしょ」


 口をゆすいで、セレナが洗面台に手をつく。


「食べに行く?家で食べる?」


 鏡越しにレオンを見る。


 レオンは首を傾けた。


「今日は、家がいいです」


「私も」


「作りますか」


「作って」


 セレナは即答して、椅子に腰を落とす。


「何がいいですか」


「任せる」


「……責任重大ですね」


「レオンなら大丈夫」


 レオンは小さく息を吐いて、袖をまくる。


「卵と、サラダと、スープと、パンでいいですか?」


「うん!それ!」


 セレナは両手で小さく拍手する。


「反応が早いですね」


「おなかすいてるから」


「でしょうね」


 卵を割る音。


 セレナは頬杖をついて、それを見ている。


「その割り方、きれい」


「慣れです」


「絶対普通じゃない」


「比較対象が少ないだけです」


「じゃあ今から比較対象になる」


「やめてください」


 サラダを盛りつけるレオンの横で、

 セレナが指を伸ばす。


「それ多くない?」


「必要量です」


「……ちょっとちょうだい」


 葉を一枚つまむ。


「今ですか」


「今」


「食前ですよ」


「もう食べてる」


 皿が置かれる。


「できました」


「わー」


 セレナは身を乗り出す。


「……パン、端焦げてる」


「端だけです」


「端好きなのに」


「次は気をつけます」


「次も作る前提?」


「ありますよ」


 セレナは笑って、スープを飲む。


「……平和」


 スプーンを持ったまま言う。


「そうですね」


 レオンも、少しだけ口角を上げる。


「なんかさ」


「はい」


「何もない日って、落ち着かない」


「分かります」


「分かるんだ」


「考える時間が増えますから」


「それそれ」


 セレナはパンをちぎって、口に運ぶ。


「……昨日」


 少し間。


「祝ってくれて、ありがと」


 言いながら、視線を外す。


「こちらこそ」


 レオンは、カップを持ち替えただけだった。


「一緒に過ごせて、よかったです」


「……うん」


 それ以上は、言わない。


 食器の音と、

 何でもない食事が、続いていた。




「おなかいっぱいー」


 セレナはそう言うと、ソファにそのまま倒れ込んだ。

 勢いはあるが、音は立てない。慣れた動きだった。


 今日は、足ではなく片腕を外に投げ出す。

 手の甲が床に触れ、肘だけが宙に浮いたまま、左右にゆっくり揺れる。


 ぶらぶら。

 止まるでもなく、速くなるでもない。


 ――あれ、貧乏ゆすりみたいなものだって言ってたな。


 レオンは、ソファのすぐそばに腰を下ろした。

 距離は近いが、触れない位置。


「落ち着きますか、それ」


「うん。頭が空になる」


「肘だけ動くのが不思議ですね」


「全身だるいと、ここだけ元気になるの」


「理屈は分かりません」


「私も」


 腕はまだ揺れている。


 セレナは、今度は足を伸ばして、レオンの太ももをつん、と軽く蹴った。


「……なにしてるんですか」


「暇つぶし」


「対象が僕なのは、なぜですか」


「近いから」


 もう一度、つん。


 レオンはため息をつくでもなく、そのまま受ける。


「ねえ」


「はい」


「レオンも、孤児院出身よね?」


「はい」


 答えは短い。


「寒いところでした」


「やっぱり?」


「ええ。北西地域で。秋にはもう冷えて、雪が降る年もありました」


「へー」


 セレナは天井を見たまま言う。


「私もそんな感じだったわ」


 肘の揺れが、少し大きくなる。


「でも、もっと寒かった自信あるけど!」


「いやいや」


 レオンは首を振る。


「僕のところも、相当でしたよ」


「絶対うそ」


「本当です」


 セレナは少し考えてから、言った。


「北西地域のノルデン出身なの」


 言葉が落ちた瞬間、レオンの動きが止まった。


 瞬きが、一つ遅れる。


「……それって」


 声が、少しだけ低くなる。


「ノルデン孤児院、ですか?」


 セレナは、腕の揺れを止めて、横目で見る。


「ええ。よく知ってるわね」


 なぜか、少し得意そうに。


「寒い場所でしょ?」


 レオンは、言葉を探すように口を開いて、閉じた。


「……僕も」


 息を一つ置いてから、続ける。


「僕も、ノルデン孤児院から、少年兵として王都に来ました」


「……え?」


 セレナの声が、間の抜けた音になる。


 次の瞬間、


「え? え?」


 勢いよく起き上がる。


「ちょっと待って」


 部屋の中を、意味もなく歩き始める。


「第一棟から第五棟まである孤児院ですよね?」


 レオンが言う。


「……えええええーーーー」


 声が伸びる。


「あなた、あそこに居たの?」


「居ましたよ」


「どこに」


「第一棟です。ほとんど図書館にいました」


 セレナは立ち止まる。


「……図書館?」


「はい」


「あんなとこ、行ったことないわ」


「そうなんですか」


「ずっと外で遊んでたもの。第三棟」


 レオンは、少し考える。


「それなら、会いませんね」


「棟も違うし」


「生活時間も、全然違います」


 セレナは、腰に手を当てて天井を見る。


「……どうりで話が合うわけだわ」


「今さらですが」


 レオンは、少しだけ困ったように笑う。


 セレナはソファに戻り、今度はさっきより近い位置に座る。


「ねえ」


「はい」


「世界、狭すぎない?」


「思っていたよりは」


 セレナは、くすっと笑った。


「まったく」


 また腕を伸ばして、床に手を落とす。

 肘が、さっきよりゆっくり揺れはじめた。


 ノルデンの寒さも、

 会わなかった時間も、

 今は、ただそこに置かれている。




 しばらく、どうでもいい話が続いたあとだった。


 レオンが、ふと思い出したように言う。


「……孤児院にいた頃、仲が良かった子がいました」


「へえ」


 セレナはソファに寝転がったまま、片腕を床に垂らしている。


「……養子としてのお迎えは、来なかったんですか」


 レオンが言う。


 セレナはソファに寝転がったまま、片腕を床に投げ出していた。

 手の甲が床に触れて、肘が左右にゆっくり揺れる。ぶらぶら。


「来たわよ」


「来たんですか」


「五回くらい」


「多いですね」


「私、小さい頃すごく可愛かったんだから」


 セレナは自分の頬を指でつん、と押す。


「ふふん」


 レオンは少しだけ口角を上げた。


「……なぜ十五歳まで残ったんですか」


「全部嫌がったからよ」


「嫌がった」


「知らない家で、知らない人が家族になるの、考えたくなかった」


 セレナは肘の揺れを止めて、天井を見た。


「レオンは?」


「僕は……一度も来ませんでした」


「え」


「真面目すぎて、無邪気さが足りなかったのかもしれません」


「あなたらしいわ」


 セレナは足で、レオンの膝をつん、と押す。


「痛いです」


「生きてる確認」


「確認しなくても生きてます」


「じゃあもう一回」


「やめてください」


 言いながら、レオンは逃げない。


「そういえば」


 レオンが少し考えてから言う。


「入隊したとき、番号が隣でしたよね」


「そうね」


「……あれ、出身が一緒だったからなんですね」


「あ、そういうこと?」


「きっとそうです」


 セレナはくすっと笑った。


 セレナはくすっと笑った。


「懐かしいわね、孤児院」


「ええ」


「そこで仲良くできてたら、よかったのに」


 言ってから、少しだけ声を落とす。


「もっと楽しかったのに」


「……図書館で?」


 レオンが聞き返す。


「そう、図書館で」


「……」


「まあ、レオンがどうしてもって言うなら、ついていってあげてもいいわよ」


「ありがとうございます」


「礼はパンでいい」


「安いですね」


「おなかいっぱいだから、今は安い」


 また肘が、ぶらぶら揺れる。


 しばらく、意味のない沈黙。


 レオンが、思い出したように言った。


「……孤児院の頃、仲が良かった子がいました」


「へえ」


「外で遊ぶとき、よく一緒だった子です」


「レオンが外で?」


「はい。図書室に閉じこもる前なので……十一歳前後だと思います」


 セレナは上体を起こして、眉を少し上げる。


「意外、ほんとに?」


「ほんとです」


「木登りとかしてたの?」


「してました」


「意外」


「二回目ですね」


「意外だから」


 レオンは少しだけ笑って続ける。


「木登りが得意で、教えてもらってました」


「誰に?」


「……女の子です」


「ふうん」


 セレナは足を引っ込めて、膝を抱える。

 今度は肘の揺れが止まっている。


「どんな子」


「元気でした。いつも外で」


「外で?」


「はい。僕が本を読む前に、引っ張り出してくるタイプで」


「……へえ」


 セレナは、その言い方を飲み込む。


「髪は?」


 セレナが聞く。


 レオンは少し考えた。


「……金髪でした」


 セレナが瞬きを一つする。


「金髪」


「はい」


「……長かった?」


「短かったと思います」


「短い?」


「動きやすいから、って言ってました」


 セレナは、口を開けて閉じる。

 すぐには言わない。目だけが泳ぐ。


「……木登りって、どんな」


「登ると、必ず木の上で叫ぶんです」


「叫ぶ」


「意味もなく、大きな声で」


「……」


「それから、“勇気の誓い”って言って」


 セレナの顔が、固まった。


「……勇気の誓い」


 小さく、繰り返す。


「知ってるんですか」


「……したことある」


「え」


 セレナは指先で自分のこめかみを叩く。


「ちょっと待って、思い出してる」


「はい」


「木の上で……叫ぶのよね」


「はい」


「それで、誓い、って言う」


「はい」


 セレナは、ゆっくりレオンを見る。


「……あなた、そのとき銀髪だった?」


「……そうです」


 レオンが頷く。


「ずっと銀髪です」


「……だよね」


 セレナは立ち上がらない。

 今日は走らない。座ったまま、両手で顔を覆う。


「ねえ」


「はい」


「その子……何て呼んでた?」


 レオンは少し考える。


「……呼び名は、覚えてないです」


「えー」


「でも」


 レオンが、指を一本立てる。


「一つだけ、覚えてます」


「なに」


「“髪、伸ばしたら似合う”って言ったら」


 セレナの指の隙間から、片目だけが出る。


「……言ったの?」


「言ったみたいです。僕」


「……誰に」


「その子に」


 セレナは、ゆっくり手を下ろす。

 そして、自分の金髪を指でつまんだ。


「……それ、私」


 声が小さい。


 レオンが、目を見開く。


「……え」


 セレナは言い直すように、もう一度。


「それ、私に言ったの」


「……」


 レオンは、言葉が出ないまま、口を閉じたり開いたりする。


「……じゃあ」


 ようやく声が出る。


「僕が木登りを教えてもらってたの、セレナですか」


「……たぶん」


「たぶん?」


「だって、私は第三棟だし」


「僕は第一棟です」


「会うわけないのに」


「でも、外で遊ぶ子が……」


「私は外で遊んでた」


「……」


 二人とも、黙る。


 セレナが、ふっと言った。


「……途中で、あなた、いなくなったのよ」


「……図書館に移りました」


「そう。だから」


 セレナは視線を落とす。


「養子にもらわれたと思って……泣いた」


 レオンが、息を吸い損ねる。


「……泣いたんですか」


「泣くでしょ」


「……すみません」


「今さら謝るな」


 セレナは少しだけ怒った顔をする。

 でも声は、怒っていない。


「小さいころって、そういうもんよ」


 レオンは、しばらく黙っていた。


「……髪」


「なに」


「今の、ずっと」


 セレナは、自分の髪をもう一度つまむ。


「あなたが言ったから」


 短く言う。


「……」


 レオンは声が出ない。


 セレナは、肘をまた床に投げ出した。

 ゆっくり、ぶらぶら揺れる。


 揺れながら、

 胸の奥に残っていたものが、形になる。


 ――ああ。


 あれは、ただの遊びじゃなかった。


 言葉にはしない。

 でも、もう、分かってしまった。



 セレナは、ほんの少しだけ視線を落とした。


「……初恋だったんだ」


 つぶやくように言って、それで終わりにするつもりだったみたいに、間が落ちる。


 それから、もう一度だけ、自分の髪に触れる。

 指先で長さを確かめるみたいに。


「だからね」


 声は低いまま。


「ずっと、この長さなのよ」


 レオンは、何も言わない。


「戦場でも」


 セレナは続ける。


「長いと邪魔だから、ポニーテールにして縛ってたけど」


 指で、後ろで結ぶ仕草をする。


「でも、この長さは変えなかった」


 少しだけ肩をすくめる。


「一番、似合うって思ったから」


 間。


「……あの頃から」


 言い切りだった。


 レオンは、息を吸って、吐く。

 言葉を探しているのが分かるけれど、見つからない。


 セレナは、それを待たない。


「別に、今は関係ないわよ」


 いつもの調子に戻す。


「ただ、そうだったってだけ」


 肘を床に投げ出す。

 ぶらぶらと、ゆっくり揺れる。


「不思議よね」


 天井を見たまま。


「似合うって言われただけで、こんなに長く続くなんて」


 レオンは、ようやく小さく言う。


「……似合ってます」


 声は控えめだった。


 セレナは、少しだけ笑う。


「でしょ」


 それ以上、何も言わない。


 初恋だったことも、

 選び続けてきた長さも、

 今日の何もない昼も。


 同じ場所に、静かに置かれる。


 意味は、今はつけない。


 ただ、

 時間だけが、ゆっくり進んでいく。

毎回、書き溜めておいて、1時間ごとぐらいに手動で投稿したり一括で投稿したりしてたんですが、投稿をスケジューリングすることができるんですね。今やっと知ったわたくしでございます。

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