第48話 偵察、そして、、、
朝の空気が、少しだけ違っていた。
窓の外は明るい。
でも、いつもより静かだ。
セレナが目を開けたとき、もう足音がしていた。
「……?」
上体を起こす。
レオンが起きている。
それだけで、違和感だった。
早起きとは無縁の人間だ。
しかも今日は、特に予定のない日だったはず。
セレナは、しばらく黙って様子を見る。
レオンは、台所で何かをしている。
動きが、妙にきびきびしていた。
「……ねえ」
声をかける。
「今日、早起きね?」
レオンは一瞬だけ肩を揺らした。
「あ、はい」
返事が早い。
でも、間がある。
「なんかあるの?」
少しだけ、軽く聞く。
「ああ、その」
レオンは振り向かない。
「ちょっと、用事が」
「ふーん?」
その言い方に、セレナは眉を上げる。
歯切れが悪い。
いつもなら、もっとあっさり言う。
「いつ出るの?」
「え?」
「私も準備しなくちゃ」
そう言って、布団を抜ける。
その瞬間。
「……い、いや!」
レオンの声が、少しだけ大きくなる。
振り返ると、慌てている。
「あの、今日は……」
一拍。
「ちょっと、一人で行かなければいけないところがありまして」
まただ。
言葉が、遠回りしている。
「へえ」
セレナは腕を組む。
「一人で?」
「はい」
「珍しいわね」
「そう、ですね」
「何しに行くの?」
間髪入れずに聞く。
「……所要です」
「所要?」
「はい」
それ以上、出てこない。
二人で出かけない日なんて、ほとんどない。
しかも「所要」。
怪しさが、積み上がる。
セレナは、じっとレオンを見る。
じーっと。
レオンは、それに気づかないふりをして、靴を履く。
「……では」
「うん」
「行ってきます」
扉が閉まる音。
その瞬間、セレナは動いた。
「……怪しい」
小さく言って、すぐに立ち上がる。
「一人で出かける用事、ねえ」
洗面に向かいながら、もう考えている。
髪をまとめ、服を替え、
動きは無駄がない。
「偵察、ね」
いつもの日常と、ほんの少し違う朝。
セレナは、玄関で一度だけ立ち止まってから、
そっと外に出た。
レオンは、いつも通り歩いていた。
速くもなく、遅くもない。
考えごとをしているときの、あの歩幅。
その少し後ろを、セレナがついていく。
柱の影。
露店の陰。
角を曲がるたびに立ち止まり、距離を測る。
――完全に探偵だった。
通りすがりの人が、ちらりと見る。
少し怪訝そうな目。
でも、セレナは気づかない。
気づけなかった。
視界にあるのは、レオンの背中だけだ。
最初に入った店を見て、足が止まった。
アクセサリーショップ。
「……え?」
思わず声が漏れる。
レオンは、アクセサリーなんてつけない。
指輪も、首飾りも、飾りのない人だ。
じゃあ、誰のため?
胸の奥が、ひくりと動く。
そっと、店の中を覗く。
レオンは、真剣だった。
ガラスケースを覗き込み、
一つ一つ、手に取っては戻している。
……真面目に、選んでいる。
誰かのために。
頭の中に、顔が浮かぶ。
知らない女の人。
王都でよくある、社交的で、きれいで、
レオンを見て放っておかない人。
――レオンは、モテる。
別に、必要ないのに。
望んでいないのに。
でも、だからこそ。
店を出てくる。
何も買わなかったらしい。
ほっとしたはずなのに、
胸の奥は、ざわついたままだ。
「……なんなのよ」
小さく呟く。
怒りだった。
理由の分からない、はっきりしない怒り。
次は服屋。
次は鍛冶屋。
剣を見ているレオンは、いつもの顔だ。
でも、それすらも落ち着かない。
――誰のために?
問いが、何度も浮かぶ。
気が気じゃなかった。
頭の中で、勝手な想像が走る。
> セレナ、ごめん
> 好きな人ができたんだ
そんな言葉。
言われたこともない。
言われる理由もない。
なのに。
今日の行動は、
その想像を、いくらでも育ててしまう。
心が、冷えていく。
理由もなく。
説明もなく。
それが一番、つらい。
そして、レオンはドレスショップに入った。
……ドレス。
息が止まる。
しばらくして、
レオンは小さな袋を抱えて出てきた。
買った。
何かを。
足が、前に出そうになる。
今すぐ。
呼び止めて。
問い詰めて。
――そんなものだったの?
親友と相棒。
一緒に見てきた地獄。
語った夢。
あれは、こんなふうに、
気づかないうちに置いていかれる程度のものだった?
前に聞いたときは、違った。
人生全部って言った。
なのに。
気が変わるの、早すぎない?
喉の奥が、詰まる。
でも、止まった。
立ち止まって、
何も言わないまま、追い続ける。
最後に、レオンはパン屋に入った。
――セレナの、好きな店。
それが、余計に分からなかった。
何を考えているのか。
何を選んでいるのか。
分からない。
袋を持って出てきた瞬間、
セレナは、踵を返した。
全速力だった。
追いつかれないように。
顔を見られないように。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
――知らなかった。
こんな気持ちを、
まだ抱えられる余地があったなんて。
家の扉を開け、閉める。
静かになった部屋で、
セレナは一度だけ、深く息を吸った。
大丈夫。
まだ、何も決まっていない。
そう言い聞かせる。
でも、心は――
確かに、落ちていた。
扉が開く音がした。
セレナは、反射的に顔を上げる。
「……おかえり」
いつも通り言えたかどうかは、自分でも分からない。
少し冷たかったかもしれないし、
ほんのわずか、距離があったかもしれない。
「ただいまー」
レオンは、いつもと変わらない調子だった。
片手に、見覚えのあるパン屋の袋。
もう片方に、小さな紙袋。
……隠す気、ないのね。
そんなことを思った、次の瞬間だった。
「セレナ!」
一歩近づいて、
その二つを差し出す。
「誕生日、おめでとうございます」
一瞬、思考が止まった。
「……え?」
誕生日。
あ。
――今日だ。
胸の奥に、どっと何かが流れ込む。
冷えていたところに、急に温かいものを注がれたみたいに。
安心と、嬉しさが、同時に来て。
目の奥が、熱くなる。
「……あれ?」
視界がにじむ。
レオンが慌てる。
「え、あの、そんなに……嬉しかったですか?」
「……もう、わかんないわよ」
セレナは、乱暴に言って、
そのままレオンを抱きしめた。
「嬉しいのは嬉しいわよ!
でも……もう! ほんと、もう!」
「え、あ、セレナ?」
腕の中で、レオンが完全に困惑している。
「……ありがとう」
少し落ち着いてから、そう言って、身体を離す。
「開けてもいい?」
「はい」
最初に開けたのは、小さな紙袋。
中から出てきたのは、紺色のシュシュだった。
派手じゃない。
でも、深くて、落ち着いた色。
――あ。
すぐに分かった。
いつもポニーテールにしていること。
普段使いできること。
それでいて、少しだけきれいなもの。
それに――
あのドレスに、きっと合う。
遅れて、もう一度、嬉しさが来た。
「……ほんとに、ありがとう」
小さく言って、
その場で髪をまとめる。
鏡の前に立って、確認する。
悪くない。
どころじゃない。
なんだか、
レオンの考えたことが、そのまま形になっている気がした。
「似合ってます」
真面目に言うレオンを見て、
セレナは少し笑う。
「……ありがとう」
もう一度、つぶやいた。
次は、パン屋の袋。
中に入っていたのは、
前に二人で話していた、四角い形の焼き菓子だった。
「これ……覚えてたの?」
「はい。好きだって言ってたので」
「言ったけど……」
でも、覚えていた。
二人で、顔を見合わせて笑う。
半分こにして、
ソファに並んで座って食べた。
雨は、まだ降っている。
窓の外は静かで、
部屋の中は、やわらかい。
セレナのポニーテールの根元で、
紺色のシュシュが、
さりげなく光を受けていた。
それが、
今日という日の全部みたいで。
セレナは、何も言わずに、
もう一口、焼き菓子をかじった。
※あとがき
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