第47話 雨の日②
雨は、途切れなかった。
窓を打つ音が、一定の速さで続いている。
強くも弱くもならず、ただ降り続ける。
今日は外に出る気が起きない、と自然に思わせる音だった。
部屋の明かりはつけていない。
昼間なのに、輪郭がやわらかい。
セレナは、いつものソファにいた。
背もたれに体を預け、足を前に投げ出して、
かかとを宙でぶらぶらさせている。
レオンはテーブルの横。
雨を一度だけ眺めてから、セレナの方を見る。
「……さっきの話なんですけど」
「ん?」
セレナはマグを持ったまま視線だけ向ける。
「私たちは安心だ、って言いましたよね」
「ああ、言ったわね」
「僕の貯金が人生3周できるくらいあるって言った時です」
「そうだったかしら」
「はい」
少しだけ、間を置く。
「……あれは」
「診療所を建てる資金と、そこで働けるって分かって、安心したからですか?」
セレナはきょとんとした顔をした。
「ん?」
それから、何でもないことのように言う。
「違うわよ、だって親友兼相棒は、一生でしょ?」
一拍。
「違うの?」
レオンは、言葉に詰まった。
―――確かに、言われた気がする。
一生親友兼相棒。
一生一緒。
もしかしたら、
もう財産を分け合っている前提で話しているのかもしれない。
「……それでもいいか」
苦笑に近い笑みが、自然に浮かんだ。
雨音が、間を埋める。
セレナはそれを聞き逃さなかったが、拾い上げもしなかった。
「なに、その含み」
「いえ」
レオンは首を振る。
「確認できて、安心しただけです」
「なにを?」
「人生全部、の意味です」
セレナは少しだけ考えてから、肩をすくめた。
「そんな大層な意味、考えてなかったわよ」
「でしょうね」
「一緒に生きるって言うと、なんか重いし」
「ええ」
「だから、人生全部、ただの言い方の問題よ」
マグを口に運び、ひと口。
「分かりやすいでしょ?」
「分かりやすすぎて、少し困りました」
「困るところあった?」
「……いえ」
否定は早かった。
レオンは視線を落とす。
テーブルの木目をなぞるように見つめながら、続けた。
「ちなみにですが」
「はいはい」
「僕が死んだ場合」
「またその話?聞くけどさ」
セレナは呆れたように言いながら、ちゃんと聞く姿勢を取る。
「財産のすべては、セレナに行くようになっています」
一拍。
「……」
「すでに、申請は済んでいます」
セレナはマグを置いた。
「ちょっと待って」
「はい」
「どうやって?」
「管理局で」
「いつの間に?」
「だいぶ前に」
セレナは、じっとレオンを見る。
「……勝手に?」
「勝手ではありません」
「相談は?」
「していません」
「でしょうね」
ため息とも笑いともつかない息を吐く。
「そういうとこよ、あなた」
「自覚はあります」
「ないでしょ」
セレナは立ち上がり、数歩歩いてまた戻ってくる。
「じゃあさ」
「はい」
「次、あなたが指導員で呼ばれたとき」
指を一本立てる。
「私も一緒に管理局行くわ」
「なぜですか」
「確認」
「何の」
「もうお金にかかわらずいろんなこと」
「……念のため、というやつですか」
「そう」
即答だった。
「心配しなくても、私が先に死んだら」
「縁起でもないですね」
「あなたに全部いくようにするから」
レオンは、一瞬考えて。
「……ありがとうございます」
「なにが?」
「そう言ってもらえたことが」
セレナは、またソファに戻る。
足を投げ出し、いつもの位置に落ち着く。
「変なの」
でも、声は柔らかい。
「親友兼相棒でしょ」
「はい」
「それくらい普通よ」
「普通、ですか」
「普通」
雨音が、少しだけ強くなる。
窓の外は白く霞んで、
世界がこの部屋だけになったみたいだった。
レオンは、ソファの横に腰を下ろす。
「……雨の日は」
「なに?」
「こういう話をしても、落ち着いて聞けますね」
「でしょ」
セレナは、どこか満足そうだ。
「晴れてたら、外に出ちゃって」
「はい」
「こんな話、しないまま終わってたわ」
「確かに」
少し間が空く。
「ねえ、レオン」
「はい」
「人生全部ってさ」
一拍。
「案外、悪くないと思わない?」
レオンは、雨の音に耳を澄ませてから答えた。
「……ええ」
「でしょう」
セレナは、足をぶらぶらさせながら言う。
「じゃあ決まりね」
「何がですか」
「人生全部」
レオンは、小さく笑った。
雨は、まだ止まない。
セレナが、何でもない調子で続けた。
「でもさ、二人合わせたら――人生二周分くらいね?」
やっぱり、財産を、もう最初から一緒のものとして数えている。
区切りも、線も、置いていないとレオンは確信した。
生活が溶け合っていく感覚に安心を覚えた。
「悪くないですね、人生二周分なら」
「安心よね」
「ええ」
雨は、相変わらず降っていた。
音だけが、部屋の輪郭を保っている。
レオンは、いつの間にか黙っていた。
本を持ったまま、視線が止まっている。
次の瞬間、体がわずかに傾いた。
「……あ」
セレナが声を出すより早く、
レオンの頭が、そのまま落ちてくる。
ごつ、と当たる前に、
セレナの膝に収まった。
「……もう」
小さく息を吐く。
「体勢、崩しすぎよ」
返事はない。
完全に寝ている。
セレナは、少しだけ姿勢を直した。
逃がすつもりはない。
「しかたないわね」
そう言って、太腿にかかる重みを受け止める。
レオンの呼吸は安定している。
深くも浅くもない。
寝息というほど音も立てない。
セレナは、天井を見た。
雨の音。
体温。
重さ。
考えることが、なくなっていく。
「……重い」
そう言いながら、どかす気はない。
指先で、レオンの髪を少しだけ整える。
意識してやったわけじゃない。
そのまま、視線が落ちる。
眠くなる条件が、全部そろっていた。
セレナのまぶたが、ゆっくり下がる。
気づけば、二人とも動かなくなっていた。
雨は、降り続いている。
*
目を開けたとき、
部屋の色が変わっていた。
昼の白さは消えて、
夕方の薄い橙が、床に伸びている。
「……」
レオンは、一瞬状況を確認する。
視界の端に、布。
その下に、規則正しい呼吸。
「……膝枕、してもらってました」
普通の声だった。
「今さら?」
すぐ返ってくる。
セレナも目を開けている。
まだ半分、寝ている。
「どれくらい寝ましたか」
「知らないわよ」
「夕方ですね」
「そうね」
短いやり取り。
レオンは、そっと体を起こした。
名残惜しそうでも、慌ててもいない。
「夕飯、どうします?」
セレナは、少し考える。
「……食べようか」
「作ります」
それも、いつも通り。
レオンがキッチンに立つ。
包丁の音が、静かに戻ってくる。
セレナは、ソファに残ったまま、
手を前に出した。
ぎゅ。
ぎゅ。
何かを握るみたいに、手を動かす。
「なにしてるんですか」
「魔法の真似」
「……そうですか」
「だって」
手をにぎにぎしながら言う。
「使ってるとき、どんな感じするの?」
レオンは、少しだけ考えた。
「最初のころは」
「うん」
「体の中の流れを、全部意識していました」
「流れ?」
「血液とか、呼吸とか」
包丁を置いて、言葉を探す。
「循環をつかむ、というか」
「難しそう」
「ええ」
「今は?」
「今は……」
一拍。
「何も考えていません」
「感じないの?」
「特に」
淡々と続ける。
「集中している、という感覚もありません」
「へえ」
「あるのは、結果だけです」
セレナは、手の動きを止めた。
「つまんない答え」
「よく言われます」
火を弱める音。
「でも」
セレナは、少しだけ笑う。
「それ、好き」
「どこがですか」
「自然なところ」
レオンは、それ以上聞かなかった。
料理の匂いが、部屋に広がる。
雨は、まだ止まない。
でも、もう気にならなかった。
※あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もし何か残るものがあれば、★★★★★で執筆の励みになります。




