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第44話 第五部隊戦死

 朝は、なんでもなかった。


 薄い光が、カーテンの隙間から床に落ちている。

 音も、匂いも、特別なものはない。


 セレナは、いつも通り先に目を覚ました。


 隣を見る。

 レオンは、仰向けのまま動かない。


 呼吸はある。

 深くも、浅くもない。


 起きているのかどうかは、微妙だった。


 セレナは、しばらくその顔を見てから、そっと身を起こす。

 それから、思いついたように戻ってきて、レオンの前髪を指で摘んだ。


 少しだけ、引っ張る。


「……」


 反応はない。


 もう一度。

 今度は、鼻先を軽くつつく。


「……」


 やっぱり、ない。


 セレナは、声を出さずに笑った。

 肩が、わずかに揺れる。


 そのままベッドを抜けて、洗面に向かう。

 顔を洗い、歯を磨く。

 寝間着を脱いで、部屋着に着替える。


 いつもと同じ。

 何も変わらない朝の準備。


 背後で、床がきしんだ。


「……おはようございます」


 低くて、少し掠れた声。

 足を引きずるような音が続く。


 振り返ると、レオンが立っていた。

 目は半分しか開いていない。


「本当に起きてる?」


「……定義によります」


「歩いてる時点で、怪しいんだけど」


 セレナは腕を組む。


「英雄最高医様のその姿、ほかの衛生兵に見せられませんよ」


 わざと、意地悪な調子で言う。


 レオンは、少しだけ眉を動かした。


「最初から、気取っているつもりはありません」


「今も?」


「今もです」


 一拍置いて、続ける。


「……ここには、セレナしかいませんし」


 それだけ。


 セレナは、ふーん、と短く返した。

 声の調子が、少しだけ軽くなる。


「じゃあ、特別ね」


「何のですか」


「そのだらしないの、許可」


「ありがとうございます」


 その返事が、妙に素直で、

 セレナはそれ以上言わなかった。


 キッチンに向かう。

 火を入れる音。

 鍋に水を張る音。


 料理は、いつもレオンの役目だ。

 セレナは、それを当然のように横で見ている。


 包丁の音が、一定のリズムで続く。


 その途中で、レオンが何でもない調子で言った。


「そういえば」


「なに?」


「第五部隊が、全員戦死したという報告が上がっていました」


 声の温度は、変わらない。

 朝の確認事項みたいに、淡々としている。


 セレナは、少しだけ手を止めた。


「……うん」


 それだけ言う。


「そうなんだ」


 鍋を見つめて、火加減を調整する。


 それ以上、言葉は続かない。


 レオンは、何人もの顔を思い出していた。

 出立前、緊張しながらも背筋を伸ばしていた兵。

 笑って手を振った者。

 何も言わずに頷いた者。


 判断で、前に出した者。

 判断で、戻さなかった者。


 何度もあった。

 数え切れないほど。


 そのたびに、殺したと思った。

 今でも、思わないわけじゃない。


 セレナも同じだった。


 同じ部隊で、何人も見送ってきた。

 背中を押して、前に立って、

 そして、戻らないことを受け取ってきた。


 とにかく息をして。

 とにかく斬って。

 とにかく、生き残った。


 その結果が、英雄だった。


 慣れたわけじゃない。

 軽くなったわけでもない。


 受け取れるようになっただけだ。


 一人ひとりを、ちゃんと受け取った上で、

 それでも立つことを選べるようになっただけ。


 それができなければ、

 戦場には立てなかった。

 判断なんて、できなかった。


 レオンは、料理を皿に盛る。


「朝ごはん、できました」


「ありがとう」


 セレナは席に着く。


 湯気が立つ。

 匂いがする。


 それだけで、今日は平和だと分かる。


 二人は、黙って食べ始めた。


 特別な会話はない。

 でも、空気は静かで、重くない。


 第五部隊は、もういない。

 それでも、朝は来る。


 二人は、ここにいる。





 朝食のあと、レオンは皿を流しに運んだ。

 水の音が短く続く。


 セレナは、テーブルに残ったまま、椅子に肘をついた。


「ねえ」


「はい」


 返事はすぐだった。


「第五部隊の人たちに戦果を譲らなきゃこんなことにならなかった?」


 言い出しは、さっきより少し堅い。


「その可能性はもちろんあります。」


 でも、とレオンが続ける。


「個々で喜んでました。涙を流すほど。」

「個々が判断してました。使命を果たすと。」

「個々が戦いました。セレナがいなくても許される部隊になったと。」


「戦果を譲ったのは間違いではありません。」


「たしかに彼らは喜んではいたわ。叙勲されて。戦地を任されて。」


「最後に会ったときのこと、覚えてる?」


 レオンは、手を止めない。


「ええ」


「私、あのとき」


 一拍。


「ちゃんと名前呼んだかなって、今朝ふと思った」


 独り言に近い。


 レオンは、洗った皿を拭きながら答える。


「呼んでいました」


「……全員?」


「はい。

 順番は前後しましたが」


 セレナは、少し目を伏せた。


「そっか」


 それだけで、十分だった。


「レオンは?」


「はい」


「最後、何て言った?」


 今度は、少しだけ間があった。


「……戻れ、とは言いませんでした」


「うん」


「代わりに」


 レオンは、布巾を置く。


「『判断は、こちらで引き受ける』と」


 セレナは、静かに息を吐いた。


「それ、第五部隊っぽいね」


「ええ」


「行く側も、送る側も」


 視線を上げる。


「判断を、誰かに預けたかった」


 レオンは、否定しない。


「預けられると分かっていたから、行けたのだと思います」


「……だよね」


 セレナは、背もたれに体を預けた。


「私さ」


「はい」


「昔なら、全員戦死って聞いたら」


 少し考えてから。


「怒ってたと思う」


「怒りですか」


「うん。

 無茶させたとか、判断が遅いとか」


 自分で言って、少し笑う。


「でも今は」


「はい」


「そうしなかったって分かる」


 レオンは、ようやくセレナを見る。


「第五部隊は」


 セレナは続ける。


「判断される覚悟があった人たちだった」


 それは評価でも美化でもない。


「だから、私たちが取り乱したら」


 一拍。


「逆に、失礼だと思う」


 レオンは、ゆっくり頷いた。


「同じことを考えていました」


「でしょ」


 セレナは、軽く肩をすくめる。


「だからさ」


「はい」


「今日、普通に過ごしていいと思うの」


 レオンは、少しだけ考える。


「……ええ」


「ちゃんと生き残った人の役目って」


 言葉を探す。


「こういう朝を、壊さないことじゃない?」


 レオンは、すぐには答えなかった。


 でも、否定もしない。


「第五部隊が戻らなかった理由は」


 静かに言う。


「誰かが、こうして朝を迎えるためです」


 セレナは、ふっと笑った。


「じゃあ、ちゃんとやらなきゃ」


「何をですか」


「洗濯と、掃除と」


 指を折る。


「あと、今日は散歩」


 レオンは、少しだけ困った顔をした。


「予定が、随分具体的ですね」


「いいでしょ、待機兵なんだから」


 冗談めかして言う。


 でも、その奥にあるものを、二人とも分かっていた。


 第五部隊の話は、そこで終わった。

 繰り返されなかった。


 代わりに、

 今日をどう生きるかだけが残った。


 それが、

 彼らと一緒に戦った人間としての、

 今まで英雄として呼ばれた二人が、

 何度も戦って地獄を知ってきた結果の、

 今の二人の選択だった。




 少し間を置いてから、セレナが言った。


「ねえ、レオン」


「はい」


 返事は、いつも通りだった。


「私たちさ」


 セレナは、テーブルの上を見たまま続ける。


「絶望しないのって、冷たいからなのかな」


 問いは静かだった。

 確かめるようでも、責めるようでもない。


 レオンは、すぐには答えなかった。

 一拍置いて、ゆっくり首を振る。


「いいえ」


 短い否定。


「そういう場面を、たくさん見てきたからです」


 セレナは、何も言わずに聞いている。


「王都で」


 レオンは続ける。


「笑って暮らしている人たちが」


 一度、言葉を切る。


「平和でいてほしい、という願いを」


 声は低く、落ち着いている。


「僕らは、何度も見てきました」


 セレナは、マグの縁に指を置いた。


「……うん」


「だから」


 レオンは、淡々と言う。


「地獄に、飛び込んでいったのだと思います」


 一拍。


「実際、僕らもそうでした」


 セレナは、ゆっくり息を吐いた。


「そうだね」


 その声には、重さも、軽さもない。


「平和を守るって」


 少し考えてから言う。


「きれいな言葉じゃなかった」


「はい」


「血もあったし」


「……」


「判断もあった」


 レオンは、静かに頷く。


「それを知った上で」


「うん」


「それでも、行くと決めた」


 セレナは、ようやく顔を上げる。


「だから今」


 一拍。


「取り乱さないだけなんだよね」


 レオンは、はっきり答えた。


「冷たいからではありません」


「うん」


「もう、知っているからです」


 何を、とは言わない。


 二人とも、分かっていた。


 セレナは、椅子にもたれた。


「じゃあさ」


「はい」


「今日も、普通に過ごそう」


 レオンは、短く頷く。


「ええ」


 それで、この話は終わった。







 本当は、二人とも分かっていた。


 つらかった。

 今も。


 消えていない。

 ずっと消えないことも、もう知っている。


 15で兵士になって、

 そこから今の歳になるまで、

 何度も確かめてきた。


 時間が解決しないことも。

 立ち上がっても、残るものがあることも。


 お互いが、同じものを抱えていることも、

 言葉にしなくても分かっていた。


 この残酷を、

 どうやって越えるか。


 どうやって壊れずに立ち続けるか。


 その方法を、

 もう知ってしまっているだけだった。


 だから今、

 普通に朝を迎えて、

 普通に話して、

 普通に過ごす。


 それができているように見える。


 平気なふりをしているわけじゃない。

 忘れているわけでもない。


 ただ、

 そうやって生きることができるようになるまで、

 何度も戻れない場所を通ってきただけだった。


 そうでなければ、

 この歳になるまでずっと、

 兵士を続けることなんてできなかった。


 それができてしまう場所に、

 ふたりがたどり着いてしまっただけだった。

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