第43話 降ろされた役割
式典が終わり、会場を出ると、空気が一段軽くなった。
拍手も視線も、扉の向こうに置いてきたような気がする。
隣を歩くレオンは、いつも通りの歩幅で、特別な余韻に浸る様子もない。
馬車に乗り込み、しばらく揺られたあと、家に着いた。
扉を閉めた瞬間、完全に切り替わる。
外の世界と、ここは別だ。
「とりあえず」
靴を脱ぎながら、レオンが言った。
「楽な服に着替えてきましょうか」
その言い方が、ひどく自然だった。
式典のあとに言う言葉としては、驚くほど現実的で、だからこそありがたい。
「賛成」
セレナは即答した。
部屋に入り、ドレスを脱ぐ。
派手な服ではないが、きちんとした場のための服だ。
床には置かず、形を整えて畳む。
レオンにもらったものだから、そこは雑にしたくなかった。
棚にしまい、部屋着に着替える。
それだけで、体の奥の緊張がほどける。
肩が軽い。
リビングに戻ると、レオンも同じだった。
上着を脱ぎ、袖をまくり、完全に“仕事中ではない”姿になっている。
その様子を見て、ふと、思った。
――まさか。
まさか、同じ役割になる日が来るとは思わなかった。
レオンと。
しかも、前線とか後衛とか、そういう並びじゃない。
剣を振る役でも、後ろで支える役でもない。
待機兵。
動かない役割。
普通なら、落ち込む通達だ。
使われない。必要とされない。期待されていない。
多くの兵士は、そう受け取る。
でも、私たちは違った。
レオンと一緒だから、というだけじゃない。
私たちは、この国のいろんなものを知ってしまっている側だ。
きれいな言葉だけでは済まない判断。
正しさの裏で失われるもの。
選択の先にある、戻れない現実。
地獄と呼ばれるものすら、もう覗いてしまっている。
だからこそ、今回の命令は、別の形に聞こえた。
命令されないと動けない。
つまり、今は動かなくていい。
それはまるで、
――お前たちは知っている側だが、今は動く必要がない。
――ゆっくり休め。
そう言われているみたいだった。
ソファに腰を下ろし、息を吐く。
「ねえ、レオン」
「はい」
キッチンへ向かいかけていたレオンが、足を止める。
「待機兵になるって聞いたとき」
少し間を置く。
「私、全然落ち込まなかった」
レオンは驚かない。
それどころか、すぐに頷いた。
「僕もです」
即答だった。
セレナは、思わず顔を見る。
「やっぱり?」
「はい。同じことを考えていました」
レオンは、言葉を選ぶようにしてから続ける。
「命令されないと動けない、ということは。今は、動かなくていいということです」
淡々とした口調。
でも、その中身は、私の考えとまったく同じだった。
「知ってしまっている側にとっては」
セレナは、少し笑う。
「これ、休めって命令よね」
レオンは一瞬だけ目を伏せてから、はっきり言った。
「ええ。そう受け取りました」
その一言で、十分だった。
同じ役割。
同じ立場。
同じ理解。
今回は、2人で一緒に前に立たなくていいという命令。
ただそれだけのことが、
こんなにも心を軽くするとは思わなかった。
レオンの作った夕飯は、特別なものではなかった。
焼いた肉。
野菜のスープ。
パン。
でも、全部がちょうどいい。
湯気が立って、匂いがして、机に並んでいる。
それだけで、今日は「終わった日」だと分かる。
「いただきます」
「どうぞ」
セレナは一口食べて、すぐに頷いた。
「……おいしい」
「よかったです」
いつもの返事。
でも今日は、その「よかったです」が少しだけ弾んでいる。
しばらく、黙って食べる。
無言が気まずくない。
セレナが、ふとフォークを止めた。
「ねえ、レオン」
「はい」
「正直に言っていい?」
「もちろんです」
セレナは少しだけ考えてから、はっきり言った。
「もし、この待機命令が」
一拍。
「あなたを待ってた、あの三年間のどこかで来てたら」
レオンの手が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……私、壊れてたかも」
笑いながら言ったけれど、冗談ではない。
「何も決められないまま、前に立てなくて、でも下がることもできなくて」
フォークを回しながら続ける。
「『動くな』って言われたら、それを“終わり”だと思ってた」
レオンは黙って聞いている。
「でもさ」
セレナは顔を上げる。
「今は違うの」
少しだけ、声に力が入る。
「私は、二人で夢に向かって努力するって決めたあとだった」
レオンが、ゆっくり頷く。
「だから」
セレナは、笑う。
「これ、一番の近道じゃない?」
レオンが目を瞬かせる。
「知ってる側のお前らだけど」
指で空を軽く指す。
「今は、動くな」
「前に出るな」
「判断するな」
セレナは、はっきり言った。
「そういう役割でそういう命令よ、これ」
その瞬間。
レオンが、珍しくはっきり笑った。
声を出して。
「……ええ、そのとおりです」
スープを一口飲んでから、続ける。
少し、言葉が早くなる。
「僕らは、知ってる側でした」
箸を置き、指を組む。
「通達が来たら動かない、なんて判断は」
首を振る。
「僕らの中には、ありませんでした」
セレナは、思わず笑う。
「わかる」
「ですよね」
レオンは続ける。
「まるで」
少し言葉を探してから。
「檻の中に、二人で閉じ込められているような気分でした」
セレナの表情が、ふっと変わる。
「出られるのに、出ちゃいけない」
「見えているのに、触れてはいけない」
レオンは淡々と言う。
「判断し続けることを、やめる選択肢がなかった」
セレナは、机に肘をつく。
「でもさ」
「はい」
「今は違う」
セレナは、ゆっくり言った。
「檻から出ていい」
「自由にしておけ」
「そういう命令が、正式に下った感じ」
レオンは、はっきり頷く。
「まったく同感です」
少し照れたように、でも真剣に。
「僕にとっては」
一拍置いて。
「今日の命令は、セレナと一緒に最前線へ行けっていう命令より、嬉しく感じてしまいました」
「それ言う?」
「言います」
二人で、思わず笑う。
食事は、もう半分以上減っていた。
窓の外は、すっかり暗い。
「ねえ、レオン」
「はい」
「これさ」
セレナは、スープの器を両手で包む。
「ずっと続けばいいのにね」
レオンは、すぐには答えなかった。
でも、否定もしない。
「……今は」
静かに言う。
「今は、この命令を大事にしましょう」
それでいい。
今は、
前に出なくていい。
判断しなくていい。
守らなくていい。
セレナは、空になりかけた皿を見下ろしてから、ふっと笑った。
「ねえ」
「はい」
「これってさ」
少しだけ間を置く。
「”役立たず”って言われたようなものよね」
言い切りなのに、声音は軽い。
レオンは一瞬だけ考えてから、同じように笑った。
「そうですね」
あっさり認める。
「かなり正式に」
「でしょ?」
セレナは満足そうに頷く。
「役立たずって言われて、こんなに気分いいの初めてよ」
「僕もです」
二人で、くすっと笑う。
レオンが、スープの器を下げながら言った。
「……田舎で診療所を開く、でしたよね」
セレナが目を上げる。
「そうそう、それそれ」
「もう」
少しだけ言葉を選んで。
「夢、というより……計画になってしまうかもしれませんね」
その言い方が可笑しくて、セレナは声を出して笑った。
「そう!」
そして、身を乗り出す。
「私、ちゃんとやるから!」
「何をですか」
「看護師兼、雑用係兼……」
指を折る。
「用心棒!」
勢いよく言い切る。
レオンは目を瞬かせてから、思わず笑った。
「役割、多すぎません?」
「いいの!」
即答。
「いろいろやってみたいのよ」
椅子に戻りながら、肩をすくめる。
「どうせ待機兵なんだし」
レオンは頷く。
「待機命令が出た兵士が、前線に戻ることは……」
少し考えて。
「まず、ありませんね」
「でしょ?」
セレナは、どこか得意げだ。
「ふふん」
そして、不意に言う。
「ねえ、レオン」
「はい」
「あなたが一緒に待機兵になってくれてなかったら」
一瞬だけ、言葉を切る。
「……私、自殺しちゃってたかも」
笑いながら冗談めかした口調。
でも、目は笑っていない。
レオンは、困ったように苦笑した。
「……結構、重いこと言いますね」
セレナは背伸びをする。
腕を上げながら、天井を見る。
「もうひとりぼっちは無理よー」
冗談なのか、本気なのか、分からない声。
「ふたり一緒っていうのが、どれだけ大きいことかわかってないでしょ?」
それ以上、二人は何も言わなかった。
食器を片づける音と、外で鳴く虫の声だけが残る。
特別な約束も、決意も、口にしない。
ただ、同じ卓に向かい、
同じ時間を使っているという事実だけが、そこにあった。
待機命令。
役割を外された二人。
けれど今は、
何も求められず、
何も決めず、
ただ夜を迎えている。
それだけで、十分だった。
※あとがき
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