第42話 第五部隊たちの式典
式典の日は、驚くほど穏やかにやってきた。
朝の光はいつもと変わらず、王都の屋根をなぞるように差し込んでいる。
街の空気も、特別ざわついてはいない。
ただ、どこか整っている――そんな朝だった。
セレナは鏡の前で、深く息を吸った。
今日着るのは、あの紺色のドレスだ。
派手ではない。
だが、布の質の良さと仕立ての確かさが、一目でわかる。
「……よし」
独り言のように呟いて、背筋を伸ばす。
鏡に映る自分は、確かに“団長”だった。
リビングの方から、控えめな足音が近づいてくる。
「セレナ、準備は――」
声の主を見て、セレナは一瞬だけ目を細めた。
きちんとした装いのレオンが、そこに立っている。
いつもよりも整えられた服装。
だが、気負いはない。
「完璧よ。そっちは?」
「問題ありません。式典用としては、過不足なく」
「相変わらず堅実ね」
「仕事柄ですから」
二人は軽く言葉を交わし、家を出た。
馬車に揺られる間、窓の外にはいつもの王都が流れていく。
商人の声。
朝の準備をする店。
通り過ぎる人々。
誰もが、今日が“特別な日”だとは知らない。
式典会場が近づくにつれ、少しずつ雰囲気が変わっていく。
警備の数が増え、正装の人間が目立ち始める。
セレナは無意識のうちに、膝の上で指を組み直していた。
「……緊張してます?」
レオンの声は、静かだった。
「まさか」
即答だった。
「でも、第五部隊はしてるでしょうね」
「でしょうね」
馬車が止まり、扉が開く。
そこには、荘厳な建物と、静かに整えられた入口があった。
「行きましょうか」
レオンの言葉に、セレナは一度だけ頷く。
「ええ。今日は――祝う側の日よ」
二人は並んで、会場へと足を踏み入れた。
そして、その少し後。
別の入口から、第五部隊の団員たちが集まり始めていた。
正装に身を包み、
団員番号順に、
静かに、
誇らしく。
――式典の日が、確かに始まろうとしていた。
式典会場へ向かう廊下の途中、第五部隊の待機列があった。
正装に身を包んだ団員たちは、番号順に静かに並んでいる。
戦場前よりも、よほど緊張しているのが分かった。
セレナは足を止めた。
「……少し、時間をもらう」
隣のレオンにそう告げて、列の前に出る。
最初に気づいた団員が、息を呑んだ。
「――だ、団長……!」
その声で全員の背筋が一斉に伸びる。
セレナは手を上げ、制した。
「今日は、そう呼ばなくていい」
一瞬の沈黙。
「今日は、祝われる場だ」
セレナは静かに言った。
「だから余計なことは考えるな。
次の任務も、将来も、今は置いていけ」
一人ひとりを見る。
「諸君らは、やるべきことをやった。
それ以上でも、それ以下でもない」
間を置いて、きっぱりと。
「今日は誇れ。
胸を張れ」
声を張り上げない。
命令でも、激励でもない。
「……以上だ」
最後に、ほんの少しだけ柔らかく。
「よくやった」
セレナが席を外して戻ってきたとき、レオンはすぐに気づいた。
「お待たせ」
声の調子も、歩き方も、いつも通り。
団長の顔ではなく、もう“いつものセレナ”だった。
「いえ、今戻ったところです」
そう答えながら、レオンは小さく肩の力を抜く。
ほどなくして、二人は案内され、式典会場の席へ移動させられた。
用意されていたのは、前方――ほぼ最前列だ。
「……前すぎない?」
セレナが小声で言う。
「前すぎますね」
「落ち着かないわね」
「同感です」
二人で同時に小さく息を吐いた、その瞬間だった。
重厚な扉が、ゆっくりと開く。
静寂。
そして、足音。
第五部隊の団員たちが、団員番号順に入場してくる。
一人ずつ、間隔を保ち、背筋を伸ばして。
――硬い。
それが一目でわかるほど、全員が緊張していた。
肩が強張り、視線が正面から逸れない。
普段の戦場での顔とはまるで違う。
「……ふふ」
思わず、セレナが小さく笑ってしまう。
「緊張してますね」
レオンも、声を落として言った。
「してるわねえ。かわいいくらい」
「番号順って、余計に緊張しますよね」
「逃げ場がないもの」
二人のやりとりとは対照的に、会場は厳粛そのものだった。
壇上から、第五部隊の戦果が読み上げられる。
中央戦線の完全制圧。
南側戦線の救援と同時制圧。
北側敵戦線の組織的撤退。
数行、数分で済むはずの報告が、異様な長さになる。
ざわり、と空気が揺れた。
会場に集まった者たちが、ようやく理解し始める。
――これは、ただの“勝利”ではない。
そして、勲章の名が告げられた。
《王国戦功勲章・双刃章》
戦線を切り開き、他部隊の生存を決定的に支えた部隊にのみ授与される、極めて希少な勲章。
通常は、指揮官一名、あるいは少数精鋭に与えられるものだ。
その双刃章が――
「第五部隊、全十八名に授与する」
一瞬、会場が静まり返り。
次の瞬間、ざわめきが走った。
「……この人数に?」
「異例だぞ……」
「前例があったか?」
抑えきれない驚きが、あちこちから漏れる。
壇上では、一人ひとりの名前が呼ばれ、
団員たちはぎこちない動きで前に出て、勲章を受け取っていく。
手が震えている者もいた。
唇を噛みしめている者もいた。
「……よかったな」
セレナが、ほとんど独り言のように言う。
「……もう、泣いてる団員がいますよ」
レオンが、少しだけ微笑んで答えた。
実際、勲章を胸に留められた瞬間、堪えきれずに涙をこぼす者がいた。
それを見て、隣の団員が背中を叩く。
惜しみない拍手が、会場を満たす。
セレナも、レオンも、静かに、けれど何度も手を打った。
式典はその後、滞りなく進んだ。
ただ一つ、いつもと違うことがあった。
英雄セレナに向けられるはずの、長い賛辞。
英雄最高医レオンに向けられるはずの、称賛の言葉。
それらは、なかった。
その代わりに。
「第五部隊の一人ひとりに、最大限の敬意と感謝を表する」
その言葉が、十八回、繰り返された。
一人、また一人。
全員にだ。
セレナは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
レオンも同じだった。
――これでよかった。
勲章を抱え、泣きながら仲間と顔を見合わせる団員たちを見て、
その思いは、確信に変わっていく。
「まさか、こんな勲章をもらえるなんて……」
そう呟く団員の声が、前方から微かに聞こえた。
セレナは、そっと背もたれに体を預ける。
今日は、間違いなく――
祝う日だった。
誰かの期待を背負うためではなく。
誰かを称えるための、静かで、確かな祝福の時間だった。
拍手がゆっくりと収まり、式典の空気がひと段落した、その直後だった。
第五部隊の団員全員が、まとめて後方へ案内される。
管理局員に囲まれ、別室へ向かっていく背中。
その光景を見た瞬間、セレナの胸の奥がひやりとした。
――ああ。
――やっぱり、来る。
祝福の次に来るものを、彼女は嫌というほど知っている。
どうせ、次の前線だ。知ってしまっている、私たち。
断ることなんてできない。
「英雄セレナ・ヴァレンティス殿」
背後から、硬い声。
振り返ると、管理局の高位官が立っていた。
顔には一切の私情がない。
これは“式典後の儀礼”ではなく、“命令”だ。
レオンも自然に一歩下がり、姿勢を正す。
――やっぱり残酷だ。
「これより、正式命令を伝達する」
空気が変わる。
「――第五部隊団長、セレナ・ヴァレンティスは、
団長職を解くものとする」
セレナは、まばたき一つせずに聞いていた。
「併せて、英雄最高医レオン・グラハムについても、
前線任務より除外し、待機命令とする」
ここではっきりと、言い切られる。
「両名ともに、次の配置は未定。
待機兵として、働くことを命ずる」
そして、形式的に。
「以上をもって、正式命令とする」
敬礼。
それだけを残し、管理局員は去っていった。
廊下に残されたのは、二人。
一拍。
次の瞬間――
「……っ」
レオンのほうが、先に息を漏らした。
そして、セレナを見るより先に、
思いきり笑った。
「待機……っ、待機ですか……!」
声を抑えようとして、抑えきれなかった笑い。
「前線、外された……!
しかも、両方とも……!」
セレナが、ゆっくりとレオンを見る。
その目が、完全に同じ感情をしていた。
次の瞬間。
セレナはレオンの手首を掴んだ。
「来なさい!」
ドレスの裾を翻し、廊下の角へ。
人影がないのを確かめた途端――
「聞いた!? 聞いたわよね!?」
声が弾む。
「団長、外された!
しかも、あなたも一緒に待機兵となった!」
「はい! はっきり言われました!」
レオンは、もう全然隠していなかった。
「僕ら……正式に“使いどころ不明の兵”扱いです!」
「もう!最高じゃない!」
セレナが即答する。
「待機命令よ!?
待機兵としてって、それ言われたら!大抵もう、訓練兵の世話か、書類か、何もしないかよ!?」
「二人一緒に前線じゃない……!」
レオンは、ほとんど感極まった声で言った。
「もう、どっちかが前線でどっちかが書類整理とかじゃなく……!」
その勢いのまま、
レオンは思わずセレナに抱きついた。
ドレス越しでもわかるくらい、力が入っている。
「……すみません、
でも、嬉しすぎて……!」
「いいわよ! 抱きついたって!」
セレナも、笑っていた。
「ねえレオン」
「はい」
「これ、私たちにとっての勲章よ」
レオンは、間髪入れずに頷いた。
「間違いありません。
今日いちばん欲しかった勲章です」
ただ、役目が終わっただけだった。
片方が前線で命を削る英雄としてではなく、
片方が後ろで誰かの期待を背負わされる存在としてでもなく。
二人は、同時に外され、
二人同じ場所に留められた。
――二人一緒に。
英雄として戦い抜き、
英雄として役目を終えたあとで。
これは、引き離されるための命令ではない。
二人は顔を見合わせ、
声を殺して笑った。
その裏側で。
別室では、第五部隊の団員たちが、次の戦地を告げられていた。
より厳しい前線。
より困難な配置。
だが、彼らの目にあったのは、恐怖ではない。
「俺たちだけでやれるって、判断されたんだ」
「英雄セレナが育てた部隊だ」
使命と誇りに満ちた声。
彼らは、前を向いていた。
それが、
二人の“譲った選択”の先にあるものだと、
まだ誰も言葉にしていなかった。
その日。
セレナとレオンにとっての式典は――
栄誉の場ではなく、
役割から解放されることを告げられた日として、
深く、静かに刻まれた。
※あとがき
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