第41話 管理局からの手紙
なんとなく、いつもの朝だった。
セレナの部屋。
カーテン越しの光が、床に薄く伸びている。
セレナは先に目を覚まし、静かに体を起こした。
隣を見ると、レオンはまだ寝ている。呼吸は深く、規則正しい。
――本当に無防備な顔。
起こさないように気をつけながら立ち上がり、軽く伸びをする。肩が鳴った。
顔を洗い、簡単に身支度を整えていると、背後から足音が聞こえてきた。
寝室のほうから、少し引きずるような音。
「……おはようございます」
声は低く、まだ半分眠っている。
目が開いているのかどうかも怪しい。
「おはよう」
振り返らずに返しながら、セレナは内心で小さく笑った。
――この姿で、外ではあんなに告白されてるなんて。
――みんなが今の顔を見たら、モテ期即終了ね。
ぼさっとした髪、少しよれたシャツ、完全に寝起きの歩き方。
英雄最高医の面影は、今はほとんどない。
「……もう起きてたんですね」
「あなたが起きる前に起きるのが、私の得意技よ」
「それは知っています」
そう言って、レオンは欠伸を噛み殺す。
まだ現実に戻りきっていない様子だった。
セレナはキッチンを離れ、大きく背伸びをする。
ぐっと腕を上げると、背中が気持ちよく伸びた。
「さて」
何気ない調子で言ってから、玄関へ向かう。
郵便受けの確認。いつもの朝の動作。
金属の蓋を開けた瞬間、指先が一瞬だけ止まった。
――封筒が二通。
しかも、見慣れた意匠。
管理局の紋章。
ほんの一瞬、背筋に冷たい感覚が走る。
考えるより先に、身体が反応していた。
けれど、すぐに息を吐く。
「……直接来てない」
小さく呟く。
管理局員が玄関先まで来ていない。呼び鈴も鳴っていない。
つまり――
緊急でも、即応案件でもない。
「重要案件なら、あの人たちが持ってくるものね」
自分に言い聞かせるように、そう判断する。
封筒を二通まとめて取り出し、軽く振る。
紙の音が、からりと鳴った。
「はいはい、式典か何かでしょう?」
まだ中身は見ない。
今は、朝だ。
この時間は、奪われていない。
封筒を手に持ったまま、セレナは振り返る。
キッチンのほうでは、レオンが湯を沸かしながら、ぼんやり立っていた。
完全に目は覚めていない。
「レオン」
「……はい?」
「今日も平和よ」
何の根拠もない宣言に、レオンは一瞬だけ間を置いてから、
「……それは、良いことですね」
そう返した。
朝の光が、部屋を満たしていく。
封筒はまだ、開かれないまま。
セレナは封筒を二通まとめたまま戻ってきて、レオンがいつも座るソファの前、低い机の上に置いた。
「――来たわね」
その一言で、空気がほんの少しだけ変わる。
レオンはそれを感じ取ったのか、背筋をすっと伸ばした。
寝起きの緩さが、ほんの一瞬で引っ込む。
「……管理局から、ですか」
「ええ」
レオンの視線が封筒に落ちる。
「直接、渡しに来ましたか?」
同じ疑問。
セレナは小さく首を振った。
「ううん。郵便受けに入ってた」
その答えを聞いた瞬間、レオンの肩から力が抜けたのが分かった。
「ああ……そうですか」
声が、わずかに柔らぐ。
「なら、急ぎの案件ではありませんね」
「でしょ。あの人たちが本気のときは、玄関を叩くわ」
レオンは小さく頷いた。
「……式典、でしょうか」
「それしかないでしょ」
セレナはあっさり言った。
「第五部隊が表彰されるのよ、きっと」
レオンは少し考えるように目を伏せてから、静かに言葉を重ねる。
「……あれだけの働きでしたから。完全制圧まで至って、されないほうがおかしいですね」
「そうそう。されなかったら逆にびっくりよ」
セレナは封筒を一枚ずつ取り上げる。
「開けるわよ?」
「お願いします」
紙の擦れる音。
二通とも、ほぼ同じ文面だった。違うのは宛名だけ。
「……やっぱり」
セレナは軽く息を吐く。
「式典招待状」
レオンの分を、机越しに差し出す。
「はい」
「ありがとうございます」
受け取ったレオンは、一瞥だけしてから、内容を頭に入れたらしい。
それ以上は読み込まず、そのままソファに体を預けた。
少しだけ、だらっとした姿勢。
「……式典、何日後ですか?」
「五日後ね」
「五日……」
レオンは天井を見上げる。
「準備は、万端ですね。僕たちに関しては」
「ほんとね。何もしてないのにね」
「叙勲……でしょうか」
問いかけるように言ってから、自分で答える。
「……叙勲でしょうね」
「でしょうね」
セレナも即答だった。
レオンは少し間を置いて、ぽつりと言う。
「……ご家族にとっては、誇らしいでしょう。団員のみなさん」
その言葉に、セレナは頷く。
「そうね。みんな、泣くくらい喜んでたもの」
思い出すように、少しだけ目を細める。
「よかったわ。本当に」
「ええ」
レオンも同意する。
「努力が、正当に評価される場ですから」
セレナは、机の上の封筒を指先で軽く叩いた。
「私にとってはね……」
少しだけ、言葉を選ぶ間があった。
「もう、邪魔なものだったのよ」
レオンは何も言わず、続きを待つ。
「また期待されて、その期待に応えて、重圧が増えていって……」
セレナは肩をすくめる。
「それを止める、第一歩だったの。今回」
静かな声だった。
レオンはゆっくりと息を吐いてから、はっきり言った。
「……その通りだと思います」
「ほんと?」
「はい」
即答だった。
「期待を背負わない選択は、逃げではありません。役割を、正しく渡しただけです」
「ふふ」
セレナは小さく笑った。
「あなた、ほんとそういう言い方するわね」
「事実ですから」
「でもね」
セレナはソファに腰を下ろし、足を組む。
「これでまた、式典よ。壇上よ。拍手よ」
「……ええ」
「世界って、ほんと油断ならないわね」
「ですね」
レオンも少しだけ苦笑した。
机の上には、二通の招待状。
朝の光の中で、それは静かに存在している。
重すぎず、軽すぎず。
ただ、避けられない現実として。
「ま、五日後のことは五日後に考えましょ」
セレナが言う。
「今は朝だし」
「そうですね」
レオンは目を閉じたまま答えた。
「……朝食、どうします?」
「それよそれ!」
セレナは勢いよく立ち上がる。
「式典の話は一旦封印! 今は食べる!」
レオンは小さく笑った。
「了解しました」
机の上の招待状は、そのままに。
朝は、まだ続いていた。
キッチンから漂う香ばしい匂いが、部屋を満たしていた。
「……ここまで自分に関係のない管理局からの手紙、初めてです」
フライパンを火から外しながら、レオンがぽつりと言う。
「私もよ」
椅子に座ったまま、セレナは笑った。
「名前は書いてあるのに、気持ちは全然動かないの、不思議よね」
「ええ。書類上は関係がありますが、心情としては……」
「ほぼ他人事」
「ほぼ他人事ですね」
皿が並べられる。
ハムエッグ、焼いたパン、湯気の立つスープ。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
セレナはすぐにフォークを伸ばし、一口。
「……ん。おいしい」
もぐもぐしながら頷く。
「さすがレオン様」
「様はいりません」
「料理人への敬意よ?」
「そういう敬意はいりません」
軽いやり取りのあと、レオンは何気ない調子で言った。
「式典では、注目されるでしょうね」
「ん?」
「“美しい英雄”と呼ばれている方が、あのドレスで出てくるわけですから」
セレナは一瞬、口を止めた。
「……さらっと言うわね、そういうこと」
「事実ですから」
「事実だけど! 言い方ってものがあるでしょ!」
笑いながらフォークを振る。
「そういうの、乙女に失礼なのよ?」
「乙女、ですか」
レオンは少し考えるように首を傾げる。
「セレナの口からその単語が出るとは思いませんでした」
「冗談に決まってるじゃない」
セレナはけらけら笑う。
「世間的には、英雄として見られていますね」
「ほら! ほら見なさい!」
セレナは肩をすくめる。
「勝手につけられた称号なんだから。今さら方向転換できないのよ」
「否定もされていませんでしたが」
「否定するタイミング逃しただけ!」
二人で笑う。
「でもまあ」
セレナはパンをちぎりながら続ける。
「見た目がどうこうより、こうして朝ごはん食べてるほうが大事よ」
「同意します」
「でしょ?」
窓から差し込む朝の光。
湯気の立つスープ。
机の端に置かれた、まだ開かれたままの招待状。
外では“美しい英雄”。
ここでは、ただの相棒。
その距離感が、今は心地よかった。
スープの器が少し空になった頃、レオンがふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、セレナって訓練の手伝いとかには行かないんですか」
「訓練?」
「ええ。自主訓練とか。前線向けのものです」
セレナは一瞬考えるように視線を上に向けてから、肩をすくめた。
「行かないわね」
「意外です」
「レオンは時々行くでしょう?」
「はい。衛生兵の基礎訓練の補助に」
「そのときは毎回ついていくわよ?」
「……それは、知っています」
少し間があって、セレナが首を傾げる。
「あ、剣を振るような前線の訓練のこと?」
「ええ、そちらです」
「ああ、そうねー」
セレナは椅子にもたれ、どこか懐かしむような声になる。
「レオンが戻ってくるまでは、ちゃんとやってたわよ」
「戻ってくるまで、ですか」
「だって」
フォークを置いて、軽く胸を張る。
「もう十分強いもの」
「……」
「今はね、レオンが訓練に行くときに」
手で剣を振る仕草をする。
「横で剣を振って、感覚を忘れないようにするくらいでいいの」
少し自慢げな言い方だった。
レオンは反射的に「もっと――」と言いかけて、言葉を止める。
そして、あっさりと頷いた。
「まあ……たしかに、そうかもしれませんね」
セレナが目を瞬かせる。
「……あれ?」
「はい?」
「もっと訓練したほうがいい、とか言われる流れかと思ったわ」
「言いませんよ」
「即答!?」
レオンは淡々と続ける。
「僕が衛生兵の訓練の手伝いをしている最中に」
「?」
「横で、誰よりも真面目に基礎動作を繰り返しているの、知っていますから」
セレナは一瞬、言葉を失った。
「……見てたの?」
「ええ」
「見てるなら言いなさいよ!」
「集中を妨げると思いまして」
「そういうところよ、あなた!」
笑いながら文句を言いつつも、セレナの表情はどこか満足そうだった。
「で?」
「はい」
「今日は訓練の予定あるの?」
「いえ、特には」
「魔法の訓練は?」
「しません」
「しないの?」
「ええ」
首を傾げるセレナに、レオンは指先を少し動かして見せた。
「癖のようなものなので」
「?」
「毎日、無意識に基礎出力の調整をしています」
「……今も?」
「今もです」
「それって」
セレナは、さっきまで自分が足をぶらぶらさせていたのを思い出したように笑う。
「私が足を揺らしてるのと同じ?」
「ほぼ同じです」
「やだ、無意識仲間じゃない」
レオンは少し困ったように目を伏せる。
「治す気はありません」
「でしょうね」
セレナは満足そうにうなずいた。
「さすが――」
一拍置いて、楽しそうに言う。
「最高英雄医様ね」
「様はいりません」
「でも事実でしょ?」
朝の光が、二人の間を静かに満たしていた。
※あとがき
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