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第36話 少し重い夜

 夜だった。


 昼間の王都の喧騒が嘘のように、家の中は静かだった。

 灯りは控えめで、外から聞こえるのは遠くの足音と、どこかの家の扉が閉まる音くらいだ。


 セレナは、いつも通りソファに横になっていた。

 背もたれに体を預け、片足だけを投げ出して、ぶらぶらさせている。


「ねえレオン」


「はい」


「さっきから気になってたんだけど」


「なんでしょう」


「その書類、上下逆じゃない?」


 レオンは手元を見て、少しだけ間を置いた。


「……逆ですね」


「でしょ」


「いつからでしょう」


「たぶん最初から」


「なるほど」


 レオンは何事もなかったように書類をひっくり返す。


「じゃあ、今まで読んでたのは?」


「雰囲気です」


「仕事舐めてる?」


「いえ、疲労です」


「はいはい」


 セレナはくすっと笑って、足をもう少し大きく揺らした。


「その雰囲気で判断してきた結果が、あの戦果なのよね」


「それは否定できません」


「怖いわー」


 言いながらも、声は軽い。


 しばらく他愛のない話が続く。

 王都の店の話。

 昼間見かけた妙に派手な看板の話。

 ドレス屋の店員が妙に姿勢が良かった話。


「絶対、元兵士よね」


「歩き方がそうでしたね」


「わかる?」


「ええ。癖が抜けていませんでした」


 そんなことを言い合いながら、時間はゆっくり過ぎていく。


 セレナは一度足を止めて、天井を見上げた。

 それから、またぶらぶらと揺らし始める。


 そして、何でもない調子で言った。


「ねえ」


「はい」


「今回さ」


 レオンは顔を上げる。


「戦果、みんなに譲った判断」


 セレナの声は、軽いままだった。


「どう思う?」


 足は揺れている。

 姿勢もいつも通り。

 声も、特別低くはない。


「期待を背負わなかったこと」


 少しだけ、間を置いて続ける。


「正直なところ、どうだった?」


 レオンはすぐには答えなかった。


 書類をまとめ、机に置く。


 レオンは少し考えてから、落ち着いた声で言った。


「第五部隊の皆さん、喜んでいました」


「そうね」


「団長としての判断としても、格が上がる選択だったと思います」


 セレナは足をぶらぶらさせたまま、ふっと息を吐く。


「自分で言うのも変だけどね」


「いえ。事実です」


 レオンは淡々と続ける。


「なにより――夢に近づく判断でした」


 セレナの足が、一瞬だけ止まった。


「……田舎で診療所をやるってやつ?」


「はい。二人で、です」


 説明調ではなく、確認するような言い方だった。


「だから、正しい判断だったと思います」


「即答ね」


「迷う理由がありませんでした」


 レオンは少し視線を落として、続ける。


「僕自身の戦果がなくなったことも、問題ありません。

 あれでよかったと思っています」


「本当に?」


「はい」


 短いが、迷いのない答えだった。


 セレナは天井を見上げる。


「……私ね」


「はい」


「前は、戦果がほしかった」


 声は軽い。

 重く言おうとしていない。


「名誉とか、評価とか、数字とか。

 ないと困る気がしてた」


「そうですね」


「でも今はいらない」


 足を揺らしながら、続ける。


「レオンが来てからはいらないのよ」


 断定だった。


「だから譲る。

 戦果も、評価も、期待も」


 少し間を置いて、首を傾げる。


「……でもさ」


「はい」


「譲るっていうか、背負わせてるって気分にならない?」


 レオンはその問いを、すぐに否定しなかった。


 少し考えてから、正面から答える。


「どうでしょう」


「即答しないのね」


「大事なところなので」


 そして、静かに言う。


「もらった側が喜んでいるなら、

 背負わせていることにはならないと思います」


「正論」


「はい」


「でも、正しいわね」


 セレナは小さく笑った。


「いわゆる、ウィンウィンってやつよね」


「そうですね」


「なんか腹立つくらいきれいな言葉」


「便利な言葉です」


 セレナはまた足をぶらぶらさせ始める。


「まあ、あの子たちが喜んでたならいいわ」


「ええ」


「背負うのが嫌になったら、また考えればいいし」


「その時は、また判断すればいいですね」


「ほんと、楽になったわ」


 その言葉は、どこか実感がこもっていた。


 部屋には、特別な沈黙は落ちなかった。

 重さはあるが、息苦しくない。




「……ごめん」


 セレナが、少しだけ声の調子を落とした。


「いきなり、空気重くなるような話しちゃって」


 ソファに横になったまま、足をぶらぶらさせている姿勢は変わらない。

 でも、言葉だけが少しだけ深いところに触れていた。


「いえ」


 レオンは首を振る。


「別に、普通の話だと思います」


「普通?」


「はい。今の流れなら、自然です」


 セレナは小さく息を吐く。


「……私ね」


 天井を見たまま、続ける。


「これ以上、期待を背負えない」


 言い切りだった。


「今回さ、戦果を出さなかったでしょ。

 表向きは、第五部隊だけで完全制圧」


「ええ」


「普通なら評価が上がるはずなのに、

 逆に、期待が落ちるかもしれない」


 足が、ゆっくり揺れる。


「……ううん。

 かもしれない、じゃないわね」


 一拍置いて、


「期待、落ちるわ」


 レオンは何も言わず、続きを待つ。


「それがさ」


 セレナは苦笑する。


「すごく安心しちゃってる自分がいるの」


「……」


「心が楽になってるのが、はっきり分かるの」


 少し間を置いて、聞く。


「ずるいと思う?」


 レオンは、返答に迷っていなかった。


「思いません」


「即答ね」


「僕も、全く同じ気持ちだからです」


 セレナは目を細める。


「……ほんと、似てきたわね」


「光栄です」


 軽口のあと、また少し静かになる。


「昔の英雄ってさ」


 セレナがぽつりと続ける。


「戦果とか、栄誉とか、期待とか。

 もらうたびに、ほんとに嬉しかったのかしら」


「どうでしょう」


「重圧にならなかったのかな」


 レオンは少し考えてから答える。


「重圧には、なったと思います」


「やっぱり」


「でも」


 言葉を選ぶ。


「使命感に燃えていたんじゃないでしょうか」


「使命感」


「少なくとも、生きて残った英雄たちは、

 そう話していました」


「……偉いわね」


 セレナは素直に言った。


「立派だわ」


 そして、続ける。


「私には無理」


 即断だった。


「……無理になった時期、分かる?」


 レオンは少し首を傾げてから言う。


「僕が戻ってきたと、勘違いしたときからですか?」


「……なんで知ってるのよ」


「言われましたので。直接」


「そうだったかしら」


「かなりはっきりと」


「……あー」


 セレナは思い出したように額に手を当てる。


「言ったかも」


「ええ」


「そのとき、何て言ったか覚えてる?」


「『これ以上、無理』と」


 セレナは一瞬だけ黙って、それから小さく笑った。


「……よく覚えてるわね」


「大事な言葉でしたので」


「そう」


 足の動きが、またゆっくりになる。


「じゃあ、今の私は」


 少し考えてから言う。


「逃げてるのかな」


 レオンは首を横に振る。


「選んでいるだけだと思います」


「違いある?」


「あります」


「どこが?」


「逃げは、行き先がありません。

 でも、今回の選択には行き先があります」


「……田舎の診療所?」


「はい」


「ほんと、分かりやすいわね」


「目標がある方が、判断しやすいので」


 セレナはくすっと笑う。


「楽な重さ、って感じよね」


「ええ」


「苦しくないのに、軽すぎない」


「今の僕たちには、ちょうどいいと思います」


 セレナは天井を見上げたまま、目を閉じる。


「……この感じ、嫌いじゃないわ」


「僕もです」


 部屋には、また静けさが戻った。


 重さは残っている。

 でも、それは押し潰すものじゃなかった。


 


 沈黙が、少しだけ続いた。


 セレナは天井を見たまま、足の揺れを止める。

 それから、何かを思いついたように上体を起こした。


「ねえ」


「はい」


 次の瞬間、急に声が大きくなる。


「どうやって抜け出すか、考えたことある?」


 レオンは一瞬、言葉を選ぶように瞬きをした。


「……抜け出す、とは?」


「この状況からよ」


 セレナは指を一本立てる。


「団長とか、英雄最高医とか。

 そういう肩書き全部から」


「……なるほど」


「次に通達が来たら、私たちは行くでしょ」


 指が二本になる。


「行って、判断して、守る。

 必要とされてるから。

 この国の笑顔を守りたいとか、街を守りたいとか考えてるから」


 三本目。


「でも、それじゃ同じことの繰り返し」


 セレナは指を下ろし、ソファの肘掛けに体を預ける。


「知ってしまってる側の私たちがさ」


 視線をレオンに向ける。


「抜け出す方法、考えたことある?」


 今度は、逃げ場のない問いだった。


 レオンはすぐには答えなかった。

 肘に置いていた手を組み替え、少しだけ前かがみになる。


「……考えています」


 声は低く、重い。


「正直に言うと、ほんとにいつも」


「即答ね」


「はい」


 レオンは視線を落としたまま続ける。


「僕らが抜けても、

 他の人たちがその役割を埋めて、

 そうやって回っていくんじゃないか――」


 一拍置く。


「そう考えたこと、何度もあります」


 セレナは、ゆっくり瞬きをした。


「……実際、そうかもしれないわね」


「ええ。現実的には」


 レオンは少し肩をすくめる。


「冒険者になって、コンビでやっていこうと

 セレナに言われたときも」


「うん」


「ああ、それでもいいなと思いました」


「思ったの?」


「はい」


「即答?」


「即答でした」


 セレナは思わず吹き出しそうになり、口元を押さえる。


「……でも、結局抜けれてないわよね」


「そうですね」


「理由は?」


「予想以上に、

 今の立場が“自然に続いてしまう”からだと思います」


「自然、ね」


「断ち切る理由が、見つからないまま

 次の判断が来てしまう」


 セレナは、しばらく黙って聞いていた。


「……予想以上に、考えてるのね」


「仕事なので」


「そこは仕事なのね」


 軽口を挟んでから、セレナはまた天井を見る。


「私ね」


「はい」


「今回、期待を第五部隊のメンバーに渡したでしょ」


「ええ」


「その瞬間に気づいたの」


 足を組み替え、ゆっくり言う。


「自分、役割を渡せるんだって」


「……」


「違うわね」


 一度、言葉を止める。


「今まで、渡したくなかっただけかもしれない」


 レオンは否定しない。


「レオンが来てから、

 渡したくなっただけかも」


 自嘲でも後悔でもない、事実確認の声だった。


「私たちがいなくても、

 そこに誰かが埋まっていく」


「……はい」


「たしかに、そうかもしれないわね」


 セレナは、少しだけ横を向いてレオンを見る。


「ねえ」


「はい」


「レオンって、ほんとに私を安心させる天才ね」


 レオンは困ったように一瞬だけ眉を動かす。


「狙ってはいません」


「でしょうね」


「ただ、考えたことを言っているだけです」


「それがちょうどいいのよ」


 セレナはまたソファに沈み、足をぶらぶらさせる。


「抜け出し方は、まだ分からないけどさ」


「ええ」


「抜け出せるって思えただけで、

 今日はちょっと楽」


「それなら、十分だと思います」


 部屋には、また静かな夜が戻った。


 重さは、確かにあった。

 でもそれは、押し付けられるものではなく、

 二人で持ち上げられる重さだった。




 しばらく、二人とも何も言わなかった。


 ソファの上で、セレナの足だけが規則もなく揺れている。

 その動きが止まったところで、ふっと息を吐いた。


「……ねえ」


「はい」


 今度の声は、さっきよりずっと小さい。


「今日はさ」


 少しだけ間を置いてから、いつもの調子を装うように言う。


「レオンの部屋で寝たい」


 レオンは驚いた様子も見せず、ただ一度だけ頷いた。


「わかりました」


「即答なのね」


「いつも通りですから」


「そうね」


 セレナは立ち上がり、背伸びをする。

 さっきまでの重さが、完全に消えたわけではない。

 けれど、引きずる感じもしなかった。


「今日は、ちゃんと眠れそう」


「それはよかったです」


「安心したから」


「ええ」


 短いやり取りのあと、二人は並んで部屋を出る。


 特別な約束も、決意もない。

 ただ、今日はそうしたいと思っただけだ。


 扉が静かに閉まり、夜は続いていく。

※あとがき

ここまで読んでくださってありがとうございます。

もし何か残るものがあれば、★★★★★で執筆の励みになります。

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