第34話 いつもの夜
二人とも風呂から上がると、家の中の空気がさらに緩んだ。
湯気がまだ残っているせいか、
どこか眠気を引きずったまま、リビングに戻る。
「……やっぱり家のお風呂が一番ね」
セレナが、髪を拭きながら言う。
「分かります」
レオンも頷く。
「宿の風呂も悪くないですけど、
落ち着き方が全然違います」
「あとさ」
セレナがソファに座り込みながら言う。
「戦場のあとって、
なんでこんなに指先までだるくなるのかしら」
「魔力、使い切ってましたからね」
「でしょー」
そのまま、どうでもいい話が続く。
風呂場の床が少し滑るとか、
石鹸の匂いが前と変わった気がするとか、
本当にくだらない話。
少し笑って、
少し間が空いて。
その流れのまま、レオンが言った。
「……そういえば、明日の予定ですが」
「うん?」
セレナは、ソファにだらっともたれたまま返す。
「ドレス、
王都のメインストリート沿いにある有名店でいいですよね?」
確認するような口調だった。
「えーっと……」
セレナは一瞬考えてから、肩をすくめる。
「正直、
ドレス売ってる場所とか、全然知らないのよね」
「そうなんですか」
「うん」
あっさり。
「だから、任せるわよ」
当然のように言う。
「分かりました」
レオンはすぐに答える。
「じゃあ、
明日はゆっくり出て、
人が増える前に行きましょう」
「それがいいわ」
話は、それで終わった。
特別な計画も、
大げさな準備もない。
ただ、
明日はドレスを見に行く。
それだけ。
夜は静かに更けていき、
二人はそれぞれの時間へ戻っていった。
次の日は、
久しぶりに「予定のある日」になる。
セレナは、いつもどおりソファに横になっていた。
片足だけを外に投げ出して、ぶらぶら。
レオンはその空いている場所に腰を下ろし、
しばらくその様子を眺めてから、ふと聞いた。
「……どうして、片足だけぶらぶらさせてるんですか?」
「え?」
セレナは天井を見たまま返す。
「なんでって聞かれても……」
少し考える。
「癖みたいなもんよ」
「癖、ですか」
「そうそう」
足をぶらぶらさせながら続ける。
「貧乏ゆすりと一緒みたいなもの?」
「……あれは、落ち着かない人がやるものですよね」
「私は落ち着いてるわよ」
「今、足が動いてますけど」
「これは例外」
きっぱり。
レオンは小さく笑う。
「じゃあ、戦場でもやってたんですか?」
「やってないわよ」
「ですよね」
「だって、あれ足ぶらぶらできる状況じゃないじゃない」
「確かに」
しばらく、足だけが動く音がする。
「……止めようと思えば止められるの?」
「止めようと思ったことがない」
「なるほど」
「逆に聞くけど」
セレナが言う。
「レオンって、なんで座るときあんなに姿勢いいの?」
「え……?」
「背中、いつもまっすぐじゃない?」
「無意識ですね」
「疲れない?」
「少しは」
「私なら三秒で崩れるわ」
「知ってます」
即答だった。
「ひどくない?」
「事実なので」
セレナは足をぶらぶらさせながら、鼻を鳴らす。
「そのうち肩こりになるわよ」
「そのときは、診てもらいます」
「自分で治しなさい」
「それもそうですね」
また、どうでもいい沈黙。
「……あ」
セレナが思い出したように言う。
「レオンって、寝るときも姿勢いいの?」
「どういう意味ですか」
「真っ直ぐなの?」
「……普通だと思います」
「絶対うそ」
「うそじゃないです」
「今度確認する」
「確認しないでください」
二人で、少し笑う。
セレナの足は、まだぶらぶらしている。
「ねえ」
「はい」
「平和すぎない?」
「そうですね」
「落ち着かない?」
「いえ」
レオンは首を振る。
「ちょうどいいです」
「……そっか」
それだけで、会話は終わる。
足はぶらぶら。
ソファはきしむ。
夜は静か。
何も起きない時間が、
ちゃんとここにあった。
今日は――と、セレナは少しだけ間を取ってから、宣言した。
「今日はー。私の部屋で寝ます!」
ソファに座ったまま、得意げに。
「わかりました」
レオンは、何の迷いもなく答える。
二人で寝る、というのは、いつの間にか決まったルールのようなものだった。
正式に話し合ったことはない。決めた覚えもない。
ただ、そうなっていた。
というより――それを拒否すると、セレナが泣きそうになることを、レオンはよく知っていた。
実体験として。
「戦場でも一緒だったでしょ?」
そう言うのが、セレナのいつもの言い訳だ。
確かに、戦場ではそうだった。
テントでも、馬車でも、夜を越えるために、隣にいるのが当たり前だった。
でも、最初の夜だけは、少し違った。
初めて二人で寝たとき。
妙に落ち着かなくて、変に目が冴えて、
なのに、すぐ隣に人がいるというだけで、不思議と安心していた。
あの、わくわくと、安心が混じった感じ。
たぶん、それがすべての始まりだった。
セレナはソファから起き上がり、伸びをする。
「ほら、行くわよ」
「はい」
二人で並んで廊下を歩く。
特別なことは何もない。
ただ、歩幅が自然と揃う。
セレナの部屋に入ると、いつもと同じ匂いがした。
武具のない、静かな部屋。
ベッドは一つ。
それも、もう説明はいらない。
「先にシャツ脱いでいい?」
「どうぞ」
「見ないでよ?」
「見ませんよ」
そう言いながら、レオンは普通に視線を逸らす。
セレナは満足そうに鼻を鳴らし、ベッドに潜り込む。
「ねえ」
「はい」
「……やっぱり、帰ってこれてよかったわね」
「ええ」
それ以上、言葉はいらなかった。
灯りを落とす。
ベッドが少し軋む音。
背中合わせに横になって、
気配だけを感じる距離。
戦場では眠れなかった夜が、
今日は静かに、ちゃんと終わろうとしていた。
呼吸が揃っていく。
誰かが先に眠る。
それでいい。
今日も、二人で眠る。
それが、当たり前の日常になっていた。
※あとがき
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