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第30話 第五部隊の夜明け

 戦場は、まだ夜の名残を引きずっていた。


 土は荒れ、防具は汚れている。

 だが、誰も倒れていない。


 セレナは前に出る。


 剣を掲げない。

 声を張り上げもしない。


 ただ、団長として、そこに立つ。


「第五部隊」


 静かな声だった。

 だが、全員が顔を上げる。


「まず、事実を述べる」


 一拍。


「我々は、このヴァルド西戦線を駆け抜けた」

「中央を割り、南を押し切り、敵は北へ退いた」


 淡々と、確認するように続ける。


「戦線は、完全に制圧された」

「敵は、もういない」


 ざわめきは起きない。

 皆、すでに分かっている。


 セレナは視線を巡らせる。


 汚れた鎧。

 削れた刃。

 それでも、全員が立っている。


「私は分かっている」


 声が、少しだけ低くなる。


「お前たち全員が、

 生きて帰れる保証のない場所だと理解した上で、

 それでも前に進んだことを」


 一人一人を見るように、続ける。


「逃げる選択肢もあった」

「立ち止まる理由も、いくらでもあった」


「それでも――

 誰一人、欠けなかった」


 はっきりと言い切る。


「全員が、死ぬ覚悟で、ここまでついてきてくれた」


 一瞬の静寂。


 その重さを、誰も否定しない。


「そして」


 セレナは、戦場全体を示す。


「我々第五部隊は、

 ひとつの帯となり、

 ひとつの刃となって、この戦線を走り切った」


 声が、わずかに強くなる。


「押し返したのではない」

「受け止めただけでもない」


「――切り抜いた」


 間を置いて、結論を落とす。


「その結果が、これだ」


 誰も言葉を挟めない。


「我々は、勝利した」


 断定だった。


「間違いない」

「これは、誰一人欠けなかったことによる勝利だ」


 剣を抜かない。

 拳も上げない。


 だが、声には確信がある。


「勇気が、最後まで揃っていたからこそ、

 この結果がある」


 少しだけ、表情が緩む。


「誇れ」


 短く。


「第五部隊は、

 このヴァルド西戦線を制圧し、

 勝利したのだ!」


 夜明け前の戦場に、その言葉が落ちた。


 後方はまだ理解していない。

 世界も、追いついていない。


 だが、この場にいる者たちは知っている。


 死ぬ覚悟で来た者たちが、

 誰一人欠けず参加した結果の、

 この圧倒的な勝利だという事実を。


 演説が終わっても、しばらく誰も動かなかった。


 勝った、という言葉が、まだ体に馴染んでいない。

 剣を収めた手が、少し遅れて震えを思い出している。


 その沈黙を破ったのは、前列にいた一人の団員だった。


「……あの」


 おずおずと、だがはっきりした声。


 視線は、後方に立つレオンへ向いている。


「レオン殿。

 さっきの……あの魔法、何なんですか?」


 一瞬、空気が止まる。


 その言葉で、セレナもはっとしたように振り返った。


「……ああ」


 今さら気づいた、という顔だった。


「そうだ。レオン、あれは何だ」


「敵が、全然動けてなかった」


 団員たちの視線が、一斉に集まる。


 レオンは、少し困ったように眉を下げた。


「ええと……」


 言葉を探す。


「実は、ちゃんとした名前もまだ付けてなくて」


 そこで一度、間を置いた。


「書類を整理しているときに、

 ふと思ったんです」


 団員の一人が、思わず聞き返す。


「……書類?」


「はい」


 レオンは、申し訳なさそうに笑う。


「増強魔法って、味方の身体負荷を軽くして、

 動きや判断を助けるでしょう」


「それを、そのまま反対にできないかなって」


 セレナが、目を細める。


「反対……?」


「敵に、です」


 さらりと言った。


「敵に、同じ理屈で負荷を乗せたら、

 どうなるんだろうって」


 団員たちが、顔を見合わせる。


「いや、もちろん」


 レオンは慌てて続ける。


「ちょっと動きが鈍るくらいだと思ってたんですよ」

「展開の練習もしてましたけど、

 本当に“足止め”程度だろうなって」


 視線を伏せる。


「……まさか、あんなに効くとは」


 一瞬の沈黙。


 次の瞬間、あちこちから声が上がった。


「いや、効きすぎですよ!」


「楽すぎましたよ!」


「そんな魔法持ってるなら、言ってくださいよ!」


 誰かが半ば冗談めかして叫ぶ。


「こっちは死ぬ気で来てたんですから!」


 笑いと、不満と、安堵が入り混じった声。


 レオンは、思わず両手を上げた。


「本当に、分からなかったんです」


 慌てて言う。


「隠してたつもりも、全然なくて」

「僕自身も……今日は、死ぬ気で戦うつもりでした」


 それが、完全に空気を変えた。


 一人が吹き出し、

 それにつられて、笑いが広がる。


「なんだそれ」


「書類整理してたら戦争終わらせる魔法思いついたって?」


「英雄最高医、怖すぎだろ」


 誰かが、肩を叩く。


 誰かが、息を吐く。


 戦場の緊張が、ゆっくりとほどけていく。


 セレナは、その様子を少し離れた場所から見ていた。


 そして、ほんの一瞬だけ、肩の力を抜く。


「……帰るぞ」


 その一言で、部隊が動き出す。


 笑い声を残したまま、

 第五部隊は後方の仮設テントへと歩き出した。


 さっきまで命のやり取りをしていた場所を、

 まるで演習の帰りのように。


 くだらない話をしながら。


 それが、

 この夜が異様だったことを、

 何よりも雄弁に物語っていた。





 後方の仮設テントは、慌ただしさの名残をまだ残していた。


 地図は広げられたまま。

 魔法通信機も、完全には片付けられていない。


 第五部隊が姿を見せた瞬間、テントの中の空気が変わった。


 参謀たちは立ち上がる。

 誰も大声を出さない。


 ただ、ひとりが前に出て、はっきりと頭を下げた。


「第五部隊団長、セレナ・ヴァレンティス殿」


 続けて、全員が同じ動きをする。


「……ありがとうございました」


 顔を上げ、率直に言う。


「正直に言います」

「まさか、ここまでとは思っていませんでした」


 言葉を選ぶ様子はない。


「期待以上です」

「いえ……期待という言葉自体が、的外れでした」


 一瞬、苦笑に近い表情を浮かべる。


「予想すらできない結果でした」


 もう一度、深く頭を下げる。


「感謝します」


 セレナは軽く頷いた。


「礼は受け取る」


 それだけ。


  仮設テントの中で、参謀たちが地図を畳み始めた、そのときだった。


 セレナが、ひとつ息を整えて口を開く。


「ひとつ、頼みがある」


 参謀たちが顔を上げる。


「今回の戦果についてだが――」


 言葉を切る。


「私とレオンの名は、報告から外してほしい」


 一瞬、誰も理解できなかった。


「戦果はすべて、第五部隊のものにしてくれ」


 参謀の一人が、思わず声を上げる。


「団長、それは……」


「私は団長として後方にいた」

「レオンも同じだ」


 淡々と言う。


「戦闘開始直後に軽傷を負い、

 以降は後方で戦況を見守っていた――そういう報告でいい」


 テントの空気が、わずかにざわつく。


 第五部隊の団員の一人が、思わず前に出かけた。


「団長、あの……」


 セレナは即座に視線を向ける。


「今は、何も言うな」


 声音は低く、鋭かった。


 団員はそれ以上言えず、黙って後ろに下がる。


 セレナは参謀たちに向き直る。


「このヴァルド西戦線が完全制圧に至ったことに、

 礼を示すつもりがあるなら」


 はっきりと言った。


「私とレオンの戦果は“なし”として報告してほしい」


 一拍。


「それで団長を降ろされるなら、構わない」


 テントの列が静まっていく。


 夜明けの光が、布越しに薄く差し込んでいた。


「……レオン」


 少し離れたところで、セレナが呼ぶ。


 振り返ったレオンは、すぐに近づいた。


「これで……よかったよな」


 団長でも英雄でもない、

 ただの確認だった。


 レオンは一瞬だけ考える素振りを見せてから、

 すぐに小さく笑った。


「はい」


 迷いのない声。


「こっちが、正解です」


 セレナは、わずかに肩の力を抜く。


「……だよな」


「期待を背負わない選択ですから」


 レオンは続ける。


「正確には――

 期待を、下げる選択ですね」


 セレナは苦笑する。


「英雄としては、最悪だな」


「人としては、悪くないです」


 その返しに、セレナは小さく息を吐いた。


 二人の間に、短い沈黙。


 それは気まずさじゃない。

 確認が終わったあとの静けさだった。


「夢に向かう一歩、ですね」


 レオンが、ぽつりと言う。


「ああ」


 セレナは頷く。


「大きな一歩じゃない」

「でも、ちゃんと前だ」


 テントの外で、誰かの笑い声がした。


 第五部隊は、まだ余韻の中にいる。


 セレナはその音を聞きながら、歩き出す。


「行こう」


「はい」


 並んで歩く。


 期待を背負わない。

 名誉を追わない。


 ただ、生き切るために。


 二人が決めた夢へ、

 静かに、踏み出しただけだった。


 参謀たちは言葉を失う。


 普通なら、ありえない選択だった。

 戦果を持ち帰ることが、すべての世界で。


 だが、セレナは構わず続ける。


「第五部隊は、十分すぎるほどの働きをした」

「名誉は、彼らが受け取るべきだ」


 しばらくの沈黙のあと、

 参謀の一人が、困惑したまま口を開いた。


「……分かりました」


 それだけ。


「そのように、処理しておきます」


 深く考えないようにする声だった。


 セレナは軽く頷く。


「では」


 振り返り、号令をかける。


「第五部隊。

 本日はこれで終了だ」


「テントへ戻れ。

 明朝、帰還する」


 団員たちは顔を見合わせながらも、動き出す。


 困惑は、消えていない。


 テントへ向かう途中、

 後ろの方から、遠慮がちな声が上がった。


「……団長」


 別の団員が続ける。


「戦果、全部俺たちのものって……

 本当なんですか?」


 半分、冗談めかした声。


「頑張った俺たちへの褒美、ってやつですか?」


 セレナは、思わず言葉を失った。


 歩みを止める。


 少し呆けたように、空を見上げる。


「……ああ」


 小さく息を吐く。


「そういうふうに、受け取られるのか」


 一拍置いて、咳払いを一つ。


「そういうことだ」


 いつもの団長の声に戻す。


「前回は、私とレオンが過分な名誉を受けた」

「今回は、お前たち全員が受け取ればいい」


 それだけだった。


 だが、その言葉で、空気が変わる。


「団長……!」


「ついていきます!」


「ありがとうございます!」


 涙ぐむ者もいる。

 レオンにも、次々と感謝の声が飛ぶ。


 レオンは、困ったように笑いながら頭を下げていた。


 セレナは、その様子を横目で見ながら歩き出す。


(まあ……譲ったのは事実だしな)


 そんなことを、ぼんやり考えながら。


 夜明けの光が、テントの列を照らし始めていた。


 第五部隊は、まだ少し混乱したまま、

 それでもどこか誇らしげに、仮設テントへと戻っていく。


 その背中を見送りながら、

 セレナとレオンだけが、黙って同じものを思っていた。


 ――次の期待は、もう背負わない。


 今は、それでいい。


 テントの列が静まっていく。


 夜明けの光が、布越しに薄く差し込んでいた。





「……レオン」


 少し離れたところで、セレナが呼ぶ。


 振り返ったレオンは、すぐに近づいた。


「これで……よかったよな」


 団長でも英雄でもない、

 ただの確認だった。


 レオンは一瞬だけ考える素振りを見せてから、

 すぐに小さく笑った。


「はい」


 迷いのない声。


「こっちが、正解です」


 セレナは、わずかに肩の力を抜く。


「……だよな」


「期待を背負わない選択ですから」


 レオンは続ける。


「正確には――

 期待を、下げる選択ですね」


 セレナは苦笑する。


「英雄としては、最悪だな」


「人としては、悪くないです」


 その返しに、セレナは小さく息を吐いた。


 二人の間に、短い沈黙。


 それは気まずさじゃない。

 確認が終わったあとの静けさだった。


「夢に向かう一歩、ですね」


 レオンが、ぽつりと言う。


「ええ」


 セレナは頷く。


「大きな一歩じゃない」

「でも、ちゃんと前だ」


 テントの外で、誰かの笑い声がした。


 第五部隊は、まだ余韻の中にいる。


 セレナはその音を聞きながら、歩き出す。


「行こう」


「はい」


 並んで歩く。


 期待を背負わない。

 名誉を追わない。


 ただ、生き切るために。


 二人が決めた夢へ、

 静かに、踏み出しただけだった。


※あとがき

ここまで読んでくださってありがとうございます。

もし何か残るものがあれば、★★★★★で執筆の励みになります。

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