第20話 並ぶ
朝の光が、薄くカーテンの隙間から差し込んでいた。
セレナは先に目を覚ます。
視界に入ったのは、すぐ隣で眠っているレオンだった。
相変わらず、朝は弱い。
戦場では誰よりも早く起きて準備を整えるのに、こういう日は驚くほど起きない。
セレナはしばらくその寝顔を見てから、そっと手を伸ばした。
無意識に、指先がレオンの手を探す。
軽く握ると、かすかに力が返ってきた。
それだけで、もう十分だった。
セレナは静かに手を離し、ベッドを抜け出す。
洗面所へ向かい、顔を洗い、歯を磨く。
鏡に映る自分は、まだ眠そうで、どこか現実感が薄い。
今日は式典の日だった。
正装は、昨日のうちに自分の部屋へ運び込んである。
背後で足音がする。
「……おはようございます」
眠気の残る声だった。
レオンが洗面所に入ってきて、同じように顔を洗い、歯を磨き始める。
並んで鏡を見る。
この光景が、いつの間にか当たり前になっていることに、ふと気づく。
違うことといえば。
今日は式典がある、それだけだ。
歯を磨きながら、セレナの胸に小さなざらつきが生まれる。
前回の式典。
あの場所で告げられたのは、祝福ではなく、新しい地獄だった。
もし、今回も。
さらに期待されて、さらに過酷な戦場を任されたら。
(……ただの不安で、終わってくれたらいいんだけど)
口には出さなかったが、指先がわずかに止まる。
レオンは、歯磨きをしながらもその変化に気づいたようだった。
視線を鏡越しに向ける。
「……不安ですか」
短く、確かめるような声。
「不安」
セレナは正直に答えた。
レオンは一拍置いてから、いつも通りの調子で言った。
「どこにでも、ついていきますよ」
「大丈夫です」
それだけだった。
大げさでもなく、慰めでもない。
それなのに、不思議と胸の奥がすっと軽くなる。
レオンがそう言うと、不安は不安のままで、これ以上膨らまない。
セレナは小さく息を吐いた。
「……ありがと」
「いえ」
二人は淡々と準備を続ける。
不安が消えたわけじゃない。
ただ、不安が不安のままでいてくれることを、どこかで願いながら。
正装は、それぞれの部屋で着替えた。
白を基調にした、式典用の服。
栄誉を授かる側が着るものとして、形式が決まっている。
選ぶ余地はない。
毎回、同じような形、同じような色だ。
セレナはそれを手に取って、少しだけ息を吐いた。
動けないわけじゃない。
重すぎるわけでもない。
ただ、身体に合っていない感じがする。
普段着は、楽なものしか選ばない。
動きやすくて、引っかからなくて、生活しやすいもの。
戦場でも、日常でも、身体が先に動くような服。
それに比べると、この正装は窮屈だった。
布が悪いわけじゃない。
縫製も、質も、申し分ない。
でもこれは、
「生活のための服」じゃない。
「役割のための服」だ。
鏡に映る自分を見て、セレナは肩をすくめた。
「……やっぱ、慣れないな」
誰に言うでもなく、そう呟く。
着終えてから、互いに確認し合う。
「……大丈夫そうですね」
「そっちも、ちゃんとしてる」
レオンが一つ思い出したように言う。
「銀翼勲章、忘れていませんか」
「あ」
セレナは書斎へ向かい、壁に飾られていた銀翼勲章を手に取る。
冷たい金属の感触が、指先に残る。
胸につけると、レオンが近づいてきた。
「少し、斜めですね」
そう言って、丁寧に付け直す。
今度はレオンが、壁からいくつかの勲章を外し、自分の胸につけていく。
一つ、二つ、三つ、四つ。
セレナはそれを見て、何気なく言った。
「……勲章、多いね」
「数じゃありません」
レオンは軽く笑う。
「頑張ってたんだね」
そう言うと、レオンは隠すこともなく肩をすくめた。
「なんとか、呼吸をしていた感じでした」
おどけた言い方だったが、セレナはその時期のことをよく知っている。
だから、それ以上は聞かなかった。
レオンは続ける。
「でも」
セレナの胸元を見る。
「その勲章は、僕のを全部まとめても、足元にも及ばないものですよ」
誇張のない声だった。
「はいはい」
セレナは軽く流す。
「気、使わなくていいから」
「使っていません」
そのやり取りに、少しだけ笑いが混じる。
「……行こっか」
セレナの一言で、空気が切り替わる。
「ええ」
二人は並んで家を出た。
王都の式典会場へ向かう道を、いつもより静かな足取りで歩き出す。
胸の奥に残る不安は、まだ消えていない。
それでも、今は隣にいる。
それだけで、十分だった。
式典の開始を待つ部屋は、想像していたよりも静かだった。
整えられた調度と、余分なもののない空間。
そこで待機していたのは――なぜか、レオンとセレナの二人だけだった。
「……変ですね」
先に口を開いたのはレオンだった。
「団長であるセレナが、この部屋にいるのは分かりますが」
「僕まで一緒というのは……」
セレナは椅子にもたれたまま、首を傾げる。
「確かに」
「受章者の待機室って、普通は分かれるよね?」
「ええ。役割上は」
どちらが前に立つか。
どちらが代表なのか。
そういう線引きが、この場には存在しないように見えた。
レオンは一度、室内を見回してから静かに立ち上がる。
「少し、確認してきます」
扉を出て、廊下に立っていた管理局の職員に声をかけた。
「失礼します」
「受章者の待機室ですが、案内に誤りがあるのではないかと思いまして」
職員は一瞬きょとんとした顔をしてから、すぐに理解したように首を振った。
「いえ、間違いではありません」
「今回の叙勲は、功績の優劣をお二人の間で定めない判断が下されています」
「そのため、被顕彰者として――お二人には並んで進んでいただきます」
「……並んで、ですか」
思わず、間の抜けた声が出た。
「はい」
「式典の先頭を、お二人で」
それだけ告げると、職員は忙しそうに一礼し、第五部隊の待機室の方へ足早に向かっていった。
レオンが部屋に戻ると、セレナがすぐに顔を上げた。
「どうだった?」
「……間違いではないそうです」
レオンは経緯を簡単に説明する。
二人並んで進むこと。
優劣をつけない判断であること。
話を聞き終えたセレナは、一瞬黙ってから、ふっと笑った。
「ほんとに、一番前で並んで歩くことになるとはね」
「そういえば、そんな話をしていましたね」
つられてレオンも笑う。
そのとき、控えめなノックが響いた。
「失礼します」
扉が開き、第五月部隊とは別の、第三部隊の数名が姿を見せる。
その瞬間、セレナの空気が変わった。
背筋が伸び、表情が引き締まる。
「団長、ご挨拶に参りました」
「ご苦労であった」
セレナは立ち上がる。
さっきまで椅子で足をぶらぶらさせていた姿はない。
「本日は、我々の任務に対し栄誉を頂戴する席である」
「各自、最後まで気を引き締めよ」
「はっ」
短いやり取りのあと、団員たちは静かに退室していった。
扉が閉まると同時に、セレナはふう、と息を抜いて椅子に戻る。
また足を前後に揺らす。
「……全員で祝われるの、うれしいね」
「レオン」
「そうですね」
レオンは頷く。
「部隊全員が顕彰される式典は、そう多くありません」
「それだけの戦果であり、戦略的にも重要な拠点だった、ということです」
「へえ」
「そんなもんかね」
気の抜けた返事だった。
再びノックが鳴る。
今度は管理局の職員だった。
「準備が整いました」
「整列をお願いいたします」
案内されて扉の前に立つと、背後には第五部隊の面々が揃っていた。
誇らしげな表情。
緊張を隠しきれない顔。
初めて式典で顕彰される者も多いのだろう。
白い正装も、きっとこの日のために仕立てたものだ。
扉の向こうから、魔法の拡声器越しに声が聞こえてくる。
式典の意義。
今回の戦果について。
まもなく、扉は開かれる。
セレナは横を見た。
背筋を伸ばしたレオンが立っている。
視線の高さが、ほんの十センチほど違う。
並ぶと、それがはっきり分かる。
それが妙におかしくて、少し笑いそうになる。
(やっぱり、並んで歩くんだな)
そう思ったところで、扉の向こうの声が一区切りついた。
静寂。
次の瞬間、扉が開く。
拍手とともに、二人は歩き出した。
いつもなら先頭に立つ者の歩調に、後ろが合わせればいい。
だが今回は違う。
セレナが半歩、速さを落とす。
それに気づいて、レオンもわずかに歩幅を調整する。
互いの視界の端で、互いの動きを確かめながら、同じ速さで進む。
拍手は、なかなかやまなかった。
前線から戻った第五部隊を率い、白を基調とした正装の二人が並んで歩く。
戦場では見せたことのない姿だったが、その背中には、確かな重みがあった。
「ふたりの英雄だな」
そんな声が、どこかから漏れる。
誰も否定しない。
賛辞は惜しみなく、拍手はさらに大きくなる。
やがて、国王の前に辿り着く。
二人は揃って膝をついた。
式典官が声を張り上げる。
「叙勲――
第五部隊団長、セレナ・ヴァレンティス。
英雄最高医、レオン・グラハム。」
静まり返る会場。
国王が一歩前に出て、淡々と、しかしはっきりと語り始めた。
北方戦線、アウレリア北西防衛線。
敵の侵攻により崩壊寸前まで追い込まれた戦域。
戦線の分断、補給路の遮断、士気の低下。
通常であれば、撤退と再編を余儀なくされる状況だった。
しかし、第五部隊は違った。
団長セレナの即断による前線再構築。
そして、後衛から投入されたレオンの増強魔法によって、
部隊全員が英雄級の動きを発揮する異例の戦況が生まれた。
負傷者の戦線復帰。
二十名同時の戦力再投入。
防衛から反転攻勢への転換。
最終的な完全制圧。
国王は一度言葉を切り、会場を見渡した。
「これは、個の武勲ではない。
指揮と医療、前線と後衛、そのすべてが噛み合った結果である。
よって、優劣は設けない。」
その言葉に、どよめきが走る。
「ここに、両名へ――
**《双耀王冠勲章》**を授与する。」
聞き慣れない名に、会場がざわついた。
それもそのはずだった。
並列授与を前提とした、極めて異例の勲章。
二人で一つの戦果を象徴するために設けられたものだ。
胸元に勲章が掛けられる。
銀と白金が重なり合う意匠が、静かに光った。
《双耀王冠勲章》。
爵位を授かるよりもなお重く、2名を王国史に刻むことを意味するほどの勲章だった。
続いて、国王は言葉を重ねる。
「また、第五部隊全員に対し――
**《戦功星章》**を授与する。」
今度は、抑えきれないざわめきが広がった。
小さな勲章ではある。
だが、部隊全員に与えられること自体が、前例のないことだった。
後方に並ぶ第五部隊の面々が、互いに顔を見合わせる。
驚き、そして、噛みしめるような喜び。
誰も声を上げないが、誇らしさは隠しようがなかった。
二人はまだ、膝をついたままだ。
頭を垂れながら、拍手の音を聞いている。
この瞬間が、
これ以上なく幸福な式典であることを、
二人はまだ、はっきりとは自覚していなかった。
※あとがき
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