第18話 寝起きそして朝食
夜明けの気配は、まだ部屋の奥までは届いていなかった。
セレナは、ぼんやりと目を開ける。
天井が見えて、少しだけ違和感があった。
「……あ」
すぐに思い出す。
昨日、レオンの家で寝たんだった。
体を起こすと、まだ眠りの名残が残っている。
頭がはっきりしない。
寝起き特有の、世界が少し遠い感じ。
隣を見る。
レオンは、まだ寝ていた。
仰向けで、きれいに布団をかぶっている。
呼吸は静かで、規則正しい。
「……珍し」
小さく呟く。
戦場では、いつも一番に起きていた。
まだ薄暗いうちから装備を確認して、誰よりも先に準備を終えている。
起こされる側だった記憶は、ほとんどない。
セレナは、少しだけ身を乗り出して、レオンの顔を見る。
昔と変わらないところと、変わったところが混ざっている。
指を伸ばして、ほっぺたをつついた。
反応はない。
「……起きないんだ」
もう一度、少しだけ強くつつく。
それでも、まぶたは動かなかった。
「そういえば」
小さいころの記憶が、ふと浮かぶ。
朝、なかなか起きてこなくて、何度も呼びに行ったこと。
最後は引きずり起こしていた気がする。
「朝、弱かったよね」
寝顔を見ながら、そんなことを思う。
戦場では、無理をしているんだろうな、とも。
当たり前のように起きて、当たり前のように動いているけれど。
セレナは布団から抜け出した。
音を立てないように、床に足を下ろす。
洗面所へ向かおうとして、途中で足が止まる。
書斎の扉が、少しだけ開いていた。
閉め忘れたのか、最初から閉めきっていなかったのか。
気になって、そっと覗く。
昨日、飾ったばかりの銀翼勲章が、目に入る。
朝の光を受けて、静かに輝いていた。
「……ふふ」
理由もなく、口元が緩む。
ちゃんと、ここにある。
昨日のことは夢じゃない。
視線を動かすと、他の勲章も並んでいる。
叙勲されたものばかりだろう。
どれも見慣れない形で、意味もよく分からない。
(銀翼って、どれくらいすごいんだろ)
そんなことを考えながら、扉をそっと閉める。
充足感だけを持ったまま、洗面所へ向かった。
水を出して、顔を洗う。
冷たい水で、少し目が覚める。
歯ブラシを手に取って、歯を磨き始めたところで、背後に気配を感じた。
「おはようございます」
振り返ると、レオンがいた。
さっきまで寝ていたとは思えないほど、いつもの落ち着いた表情だ。
同じように歯ブラシを持っている。
「おはよう」
セレナが言うと、レオンは小さく頷いた。
「早いですね」
「そっちが遅いんだよ」
「……そうでしたか」
並んで、洗面台に立つ。
同じ鏡に映る二人。
歯を磨く音だけが、静かに響く。
セレナは、横目でレオンを見る。
磨き方が、昔と少し違っていた。
前よりも、ゆっくりで、丁寧だ。
一本一本を確認するような動き。
「真面目になったね」
口をゆすいでから、そう言う。
レオンは一瞬考えてから答える。
「習慣です」
「へえ」
顔を水で洗って、タオルで拭く。
その仕草も、どこか整っている。
セレナは歯ブラシを置きながら、もう一度だけ思った。
戦場では見えなかったことが、ここでは見える。
それが、少しだけ新鮮だった。
朝は、静かに始まっていた。
朝食は、レオンが用意した。
昨日、市場で買ったものの残りを使ったらしい。
切った野菜を軽く合わせただけのサラダと、温かいスープ。
それに、焼き直したパン。
派手さはない。
でも、無駄がない。
「いただきます」
二人で向かい合って、席につく。
スープの湯気を見ながら、セレナはふと考えた。
(レオンだけが作ったごはん、食べるの何年ぶりだろ)
戦場では、だいたい簡易食か、交代で作る簡単なものだった。
誰か一人の味、という感覚は、いつの間にか遠くなっていた。
スプーンを口に運ぶ前に、セレナはちらっとレオンを見る。
「ねえ」
「はい」
「私さ、レオンの料理の味、今でも覚えてるからね」
レオンは少しだけ首を傾げる。
「そうなんですか」
「変わってたら、すぐ分かるよ」
スープを一口飲んでから、セレナは言った。
「……どうですか」
レオンは、どこか戸惑ったように聞き返す。
「自分では、あまり自分の料理の味を気にしたことがありません」
「それさ」
セレナは、パンをちぎりながら言う。
「ちゃんとおいしいと思って食べてるからだよ」
「……お世辞ですか?」
「ううん」
即答だった。
「世界一おいしいよ」
レオンは、一瞬だけ言葉に詰まる。
冗談なのか、本気なのか、判断がつかない。
でも、嬉しいことに変わりはなかった。
「ありがとうございます」
結局、いつもの調子でそう返す。
セレナはスープをもう一口飲んで、ふっと笑った。
「変わってない」
「何がですか」
「味」
もう一度、スプーンを口に運ぶ。
「懐かしいなあ」
少し考えてから、続ける。
「これがさ、みんなが言う母親の味ってやつなのかな?」
レオンは、一拍置いてから返した。
「……いつの間にか、僕はセレナのお母さんになっていましたか?」
「なってたかも」
セレナは笑う。
「だって安心するもん」
レオンも、思わず小さく笑った。
「それは光栄です」
朝の食卓は、それ以上でもそれ以下でもなく、静かに進んでいった。
特別なことは、何も起きていない。
ただ、同じものを食べているだけ。
それだけで、朝は十分だった。
「そういえばさ」
セレナは椅子に深く座り直して、何気ない調子で言った。
「行くって言ってた家具屋さん、何時から開店するの?」
レオンは少し考えてから答える。
「確か……十時から、遅くても十一時頃だった気がします」
「じゃあ、まだずいぶん早いね」
「そうですね」
テーブルの上を片づけながら、レオンは続けた。
「時間もありますし、少し暇つぶしをしましょうか」
「いいね」
特に目的もなく、そう返す。
そのときだった。
チリン、と玄関の呼び鈴が鳴った。
「……?」
二人は顔を見合わせる。
来客の予定はなかった。
レオンが立ち上がり、玄関へ向かう。
扉を開けると、管理局の制服を着た男が一人、姿勢よく立っていた。
「失礼します。管理局の者です」
声は落ち着いているが、どこか事務的だ。
「先日、皆さまが展開していた前線――《北西外縁・アシュレイン防衛線》ですが」
レオンは小さく頷く。
「第五部隊が到着し参戦して以降、戦況は大きく好転しました。本日未明、完全に制圧を確認しております」
淡々とした報告だったが、その内容ははっきりしていた。
快進撃だった。
誰が見ても分かるほどの戦果。
「それを受けまして、五日後に名誉を称える式典を執り行います。ご出席をお願いしたく」
一拍置いて、続ける。
「また……第五部隊の団長が昨日から本日まで所在不明でして。本来、最初にお伝えすべき方にご連絡できておりません。恐れ入りますが、伝達をお願いできますでしょうか」
レオンは少し考える素振りを見せてから、静かに答えた。
「分かりました。僕から伝えておきます」
「ありがとうございます」
それだけ言って、管理局の人間は深く一礼し、去っていった。
扉が閉まると、家の中はまた元の静けさに戻る。
レオンがリビングに戻ると、セレナはもう二人がけのソファに寝転んでいた。
片足だけ外に投げ出して、ぶらぶらと揺らしている。
「で、なに?」
「式典だそうです。五日後に」
「……もー」
セレナは天井を見たまま、気の抜けた声を出す。
「管理局って、ほんとそういうの好きだよね。名誉がどうとか」
「そのために頑張る人もいますから」
レオンは穏やかに言った。
「必要なことなんです」
「そうなんだろうけどさー」
足をぶらぶらさせたまま、続ける。
「めんどくさいやー。五日後かー」
レオンは少し間を置いてから、思い出したように聞いた。
「正装は、きちんと整っていますか」
「どうだっけ」
セレナは笑う。
「最後の式典のこと、あんまり覚えてないんだよね。必死すぎて」
足の動きが、少しだけ大きくなる。
「まあ、なんとかなるでしょ」
「……そうですね」
レオンはそう答えて、ソファの反対側に腰を下ろした。
「あの場所は、戦術的に非常に重要な地域でしたから。式典が行われるのも当然だと思います」
「へー」
気の抜けた声だった。
「知らなかったんですか?」
「そんなの考えてる余裕なかったよ」
即答だった。
「戦場の場所がどうとか、必死すぎてそれどころじゃなかった」
「……まあ」
レオンは少し視線を落とす。
「あの戦況から、完全制圧になるとは思っていなかったでしょうね。管理局も」
「だよねー」
セレナは天井を見たまま笑う。
「僕らが、少し強すぎましたか?」
珍しくおどけた調子だった。
「それはある」
セレナはあっさり言った。
「レオンの増強魔法で、第五部隊全員が英雄級の動きになったでしょ」
足の動きが止まる。
「人数そのまま、二十人。一気に投入されたような状況だったしね」
「……そうですね」
「私、あのときさ」
セレナは少しだけ声を落とす。
「世界がスローモーションみたいだったよ。さいきょーって感じだった」
「すごいんだね、増強魔法って」
ちらっとレオンを見る。
「書類仕事ばっかりで、魔法なんて練習してないと思ってた」
「毎日していました」
レオンは短く答える。
「戻るときのことを、毎日考えていましたから」
「ふーん」
セレナはまた天井を見る。
「式典で、何言われるんだろうね」
「さあ」
「二人並んで出るの、初めてだよね」
「そうですね。僕らのような立場の人間が二人そろって名誉を授かる、というのは、あまり起こりえません」
「へえ」
「先頭は、きっとセレナですよ。団長ですから」
「そっか」
セレナはにやっと笑った。
「じゃあさ、横に並んで手つないで行こうよ」
冗談だと分かる言い方だった。
レオンは一拍置いてから、同じ調子で返す。
「……おもしろそうですね」
「でしょ」
ソファの上で、二人はまただらける。
その数日後、
本当に英雄と呼ばれる二人が並んで式典の先頭を歩くことになるとは、
このときは、どちらも知る由もなかった。
※あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もし何か残るものがあれば、★★★★★で執筆の励みになります。




