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第17話 大荷物

夜は、もう深かった。


食器は片づけられ、卓の上には何も残っていない。

灯りは落とされ、壁際の小さな火だけが静かに揺れている。


「……おなかいっぱい」


セレナはそう言うと、靴を脱ぎ捨てた。

そのままソファに腰を下ろし、勢いもなく背中から倒れ込む。


足を持ち上げて、縁に引っかける。

少し位置が気に入らなかったのか、もぞもぞと身体をずらした。


「よいしょ」


意味のない声を出して、脚をぶらぶらさせる。

つま先が宙を切り、また止まる。


「……これ、いいソファだね」


返事を待たずに、セレナは横向きになった。

二人がけのソファの、ちょうど真ん中を占領する。


レオンは少し遅れて近くまで来て、空いている端に腰を下ろした。

特に気にした様子もなく、背もたれに体重を預ける。


セレナは、その動きを感じて、さらに体を伸ばした。

靴下のままの足先が、レオンの脚に軽く触れる。


そのまま、引っ込めない。


「……疲れた」


今度は小さく言って、目を閉じる。

腕を頭の上に投げ出し、ソファに完全に身を任せた。


レオンは、何も言わなかった。

少しだけ姿勢を変えて、セレナの足が落ちない位置に座り直す。


火が、ぱちりと音を立てる。


セレナは目を閉じたまま、指先を動かした。

何をするでもなく、空を掴むような動き。


しばらくして、また声が落ちてきた。


「……ここ、静かだね」


返事はない。


それでも、セレナは動かない。

ぶらぶらしていた足も、いつの間にか止まっていた。


夜は、まだ続いていた。


「……そろそろ、お風呂入らないとね」


ソファに寝転んだまま、セレナが何気なく言った。


レオンは少し間を置いてから頷く。


「今日はありがとうございました。料理も楽しかったですね」


立ち上がりながら、いつもの丁寧な調子で続ける。


「気をつけてお帰りください」


セレナは天井を見たまま、瞬きを一つ。


「……あれ?」


「はい?」


「帰るって、今?」


「ええ。お風呂に入って、休まれるんですよね」


セレナは体を起こし、ソファに座り直した。


「いや、お風呂は入るけど」


「はい」


「ここで」


一瞬、空気が止まる。


「……ここで、ですか」


「うん」


セレナは当然のように言ってから、少し考える。


「着替えは取りに帰るけど」


その後、何もなかったかのように立ち上がった。


———しばらくして、セレナは戻ってきた。


旅に使っていた大きな背負い袋を肩にかけている。


「ただいま」


「……おかえりなさい?」


レオンは袋に目をやる。


「……その、大きな荷物は?」


「着替え」


「着替え、ですか」


「うん。置いといたほうが便利でしょ」


レオンは一瞬、言葉を探した。


「……なにしに来たんですか」


「だから、お風呂」


きっぱり返される。


「お風呂どうするんです?」


「使うに決まってるでしょ」


レオンは小さく息を吸った。


「……では、その袋は」


「着替え置き場」


セレナはそう言って、家の中を見回す。


「立派な家具ばっかりだけどさ」


引き出しを一つ開ける。


「ほら、なにも入ってない」


「一人暮らしには、広すぎる家をもらいましたから」


「ふーん」


セレナは、どこか楽しそうに言う。


「偉くなると、そういう悩みも出るんですね」


「嫌味ですか」


「冗談」


そう言って、背負い袋を下ろす。


中を開けて、服を一枚ずつ丁寧に詰めていく。


その途中で、レオンはふと視線を逸らした。


「……その」


「なに?」


「そういう下着は、男性の家に置かないのが普通だと思います」


セレナは手を止める。


少しだけ考えてから、首を傾げた。


「男性の家って」


レオンを見る。


「レオンの家でしょ」


「……そうですけど」


「男性か」


なぜか、納得したように頷く。


「戦場だと、あんまり気にしないしね」


「そうですね……」


レオンも、変に納得してしまう。


「まあー」


セレナは服を畳み直しながら言った。


「住む気じゃないよ」


「……ですよね」


「でも」


一瞬だけ、こちらを見る。


「来てあげたほうが、レオンがさみしくないかなって思っただけー」


冗談めかした言い方だった。


「お気遣いありがとうございます」


「でしょ?」


セレナは満足そうに引き出しを閉めた。


「じゃあ、お風呂の順番どうする?」


レオンは、ほんの少し考えてから答えた。


「……準備します」


―――順番に風呂を使い終えたころには、夜はすっかり静まっていた。


廊下の奥から戻ってきたセレナは、肩で小さくあくびをする。

濡れていた髪はきちんと拭かれ、いつもの結び方ではなく、下ろしたままだった。


「……ふぅ」


ソファに腰を下ろすと、そのまま背もたれに体を預ける。


「だいぶ、くつろいでますね」


レオンが言うと、セレナは片目だけ開けた。


「だって眠いし」


「……住むつもりじゃないですよね、本当に」


冗談めかした言い方だった。


セレナは少し考えてから、肩をすくめる。


「どっちの家が誰のものかなんて、気にする?」


「まあセレナとだったら気にしませんけど」


「子どものころから一緒だったじゃない」


その言い方が、当たり前のことのようだった。


「居たいほうに居るだけだよ」


そう言ってから、にやっと笑う。


「そしたら、レオンの家に住むってことになるかもね」


「……そうですか」


「使ってない部屋あるでしょ」


指を折って数える。


「机と、ベッド。私にプレゼントしなさい」


「随分と具体的ですね」


「どうせ余ってるんだから」


レオンは少し考えてから、頷いた。


「まあ、そのほうが楽しそうですよね」


「でしょ」


満足そうに言ってから、セレナは立ち上がる。


「今日はレオンのベッドで我慢してあげるー」


「……今日も泊まるんですか」


「なに? だめなの?」


「だめというか……僕の寝る場所は」


「戦場じゃ、普通に二人でテント使ってたでしょ」


当然のように返す。


「今さら何よ。大きいベッド持ってるのに」


「……そうですね」


納得しかけたレオンを見て、セレナはくすっと笑った。


「昔から、私には従順よね」


「信頼してる、と言ってください」


「はいはい」


軽く流して、セレナはそのままリビングを横切る。


風呂上がりの服は、前線では見なかったものだった。

動きやすさよりも、肌触りを選んだような、柔らかい布。


露出が多いわけではないが、腕も脚もそのまま出ている。

戦場でついていた細かな傷跡はなく、火と鉄から離れた生活を思わせる、きれいな肌だった。


髪も結っていない。

肩にかかる長さのまま、まだ少しだけ湿り気を残している。


レオンは一瞬だけ目を逸らし、それ以上は見なかった。


セレナはそんなことにも気づかず、またあくびを一つ。


「……眠い」


夜は、静かに深まっていった。


「寝ますか」


レオンがそう言うと、セレナは少しだけ間を置いてから、にやっと笑った。


「うん。行こ」


妙に元気だった。


二人で寝室に向かう。

廊下を歩きながら、セレナは無意味に歩幅を変えたり、先に行ったり戻ったりしている。


「……落ち着きませんね」


「だってさ」


振り返って、楽しそうに言う。


「なんか楽しくない?」


「そうですか」


「そう」


根拠はない。

でも、否定するほどでもない。


寝室に入ると、セレナは部屋を一周見回した。


「へー」


「なにか問題でも」


「ううん」


ベッドを見る。


「普通」


「普通です」


「いいね」


よく分からない評価をして、さっさとベッドに上がる。


「ほら」


言いながら、端に転がる。


レオンも反対側から腰を下ろし、そのまま横になった。


布団に入ると、急に距離が近くなる。

でも、それを気にする感じはない。


セレナは、仰向けになって天井を見ていたが、急に脚を動かした。


つん。


レオンの脚に、軽く当たる。


「……?」


何も言わずにいると、もう一度。


つん。


「何をしているんですか」


「確認」


「何のですか」


「ちゃんといるか」


意味の分からない理由だった。


「いますよ」


「よし」


満足そうに言って、今度はわざと脚を伸ばす。

邪魔になる位置。


「……ちょっと」


「なに」


「邪魔です」


「いいじゃん」


子どもみたいな言い方だった。


レオンが少し脚をずらすと、セレナもそれに合わせて動かす。


結果、また当たる。


「……わざとですね」


「ばれた?」


「はい」


セレナはくすっと笑った。


「なんかさ」


「はい」


「楽しい夜って、こういう感じなんだね」


「……どういう感じですか」


「理由なく楽しい」


それで十分だろ、という顔。


しばらく、どうでもいい動きが続く。

脚が当たったり、離れたり。


やがて、セレナが布団の中でもぞもぞ動いて、横を向く。


「眠くなってきた」


「早いですね」


「さっきまで眠くなかったのに」


「そういうものです」


「へー」


納得したようで、しないような声。


しばらくして、布団の中の動きが落ち着いた。


眠ってはいない。

ただ、さっきまでの落ち着きのなさが少し引いただけだ。


レオンが、思い出したように口を開く。


「……明日ですが」


「ん?」


「家具、買いに行きませんか」


セレナは、すぐに返さなかった。


「……誰の?」


「空いている部屋のです」


「?」


「プレゼントしてほしいと言っていたのは、そちらですよね」


一拍。


「……あ」


セレナは天井を見たまま、小さく声を出す。


「そうだった、そうだった」


次の瞬間、声が弾んだ。


「行きたい!」


即断だった。


「机とか?」


「必要ですね」


「ベッドも?」


「そうですね」


「じゃあ一日仕事だ」


「覚悟して行きましょう」


それで一度、会話が切れる。


布団の中は静かだった。

眠ってはいないが、さっきまでの落ちきのなさは少し引いている。


しばらくして、セレナが何でもない調子で言った。


「ねえ」


「はい」


「レオンってさ」


「なんでしょう」


「初恋って、いつ?」


レオンは、すぐには答えなかった。


「……さあ」


ほんの少し、間がある。


「そんなに覚えていません」


「ほんとに?」


「ええ」


「誰だったかも?」


「覚えていませんね」


言い切りだったが、丁寧すぎる返しだった。


「ふーん」


セレナは、天井を見たまま声を転がす。


「まあ、そういうやつだよね」


「どういう意味ですか」


「ちゃんと答えないときの」


少しだけ笑って、続ける。


「レオンの言い方」


「心外ですね」


軽く返してから、レオンは間を置いて言った。


「……セレナは?」


「ん?」


「初恋」


今度は、セレナが少し黙る。


「さあ?」


レオンと、ほとんど同じ調子。


「そんなの覚えて真面目に話すものじゃないでしょ」


「なるほど」


「でしょ」


言いながら、少しだけ楽しそうだった。


レオンは、小さく息を吐く。


「……確かに」


それ以上、話題は続かない。


どちらも、続きを言おうとしなかった。


布団の中で、セレナが一度だけ寝返りを打つ。


「変な質問だった?」


「いえ」


「ならいいや」


それきり、声が落ち着く。


しばらくして、呼吸がゆっくりになった。


レオンも目を閉じる。


何も言わなかった。

言えなかったわけでもない。


ただ、

今さら言葉にするほどのことでもなかった。


夜は、そのまま静かに流れていった。

※あとがき

ここまで読んでくださってありがとうございます。

もし何か残るものがあれば、★★★★★で執筆の励みになります。

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