表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/52

第16話 料理

書斎は静かだった。

窓の外は夕方に近く、王都の街が少しずつ色を変えている。

机の上には本と書類が並んでいて、さっきまでレオンが読んでいたらしいページが、そのまま開かれていた。


セレナはソファに深く座り、天井を見上げたまま小さく息を吐く。


「……おなかすいた」


あまりにも自然な一言だった。


レオンは一瞬だけきょとんとしてから、いつもの調子で答える。


「では、何か食べに行きましょうか。王都には評判のいい店がいくつもありますし」


その言葉を聞いたセレナは、ゆっくり体を起こして首を振る。


「ううん。今日はそれじゃなくて」


少し間を置いて、当たり前みたいに言った。


「レオンの手料理が食べたい」


レオンは思わず笑ってしまう。


「それは、さすがに王都のお店のほうがずっとおいしいと思いますよ」


するとセレナは、にやっとして姿勢を正す。

わざとらしく背筋を伸ばし、落ち着いた声を作った。


「いえ。レオンの手料理のほうが、ずっとおいしいですよ」


敬語。

抑えた声色。

完璧なレオンの真似だった。


一拍遅れて意味が伝わり、レオンは吹き出す。


「それ、僕の言い方そのままじゃないですか」


「でしょう?」

セレナは得意げに肩をすくめる。


「だって、そう言うと思ったんだもん」


書斎に、くすっとした笑いが落ちる。


レオンは、少しだけ考える素振りをしてから言った。


「……じゃあ、僕はセレナの手料理が食べたいです」


セレナは一瞬きょとんとして、それからすぐに眉をひそめる。


「わがままだなー」


その言い方は、責めるというより呆れたようで、どこか楽しそうだった。


レオンは肩をすくめて、柔らかく笑う。


「そっくりそのまま、お返しします」


「もう」


そう言いながらも、セレナの口元は緩んでいた。


少し考えるふりをしてから、ぽんと手を叩く。


「じゃあ、いっしょにつくろっか」


「いいですね」


即答だった。


「それなら、市場に行かなきゃね!」


セレナは立ち上がり、子どもみたいに声を弾ませる。

さっきまでソファにだらけていたのが嘘みたいだった。


その背中には、英雄の名も、団長の肩書もない。

そこにいたのはただ、夕飯を考えてはしゃぐ一人の女の子だった。


レオンはその様子を見て、何も言わずに微笑んだ。


市場に出ると、空気が変わった。

人の声が近く、布や香辛料や焼きたてのパンの匂いが混じり合っている。通りには籠を抱えた人々が行き交い、子どもが走り、店主が声を張り上げていた。


「さて、何つくる?」


セレナが周囲を見回しながら言う。


「簡単で、失敗しにくいものがいいですね」


「それ、さっきも言ってた」


二人で笑い合いながら歩いていると、ふと、記憶がよぎった。


まだ少年兵と少女兵だった頃。

献立表を覗き込んで、珍しく「ホワイトシチュー」の文字を見つけた日だ。


「あれ覚えてる?」


セレナが立ち止まる。


「覚えてます。あの日は、やけに騒ぎましたね」


「だって白いんだよ?肉と野菜が入ってて、白いんだよ?」


理由としてはだいぶ雑だったが、そのときの高揚感は確かだった。


「じゃあさ」


セレナが決めたように言う。


「ホワイトシチュー作ろ」


「……作り方、分かりますか?」


「たぶん」


たぶん、という言葉に若干の不安を覚えつつも、二人は近くの店に立ち寄った。


「すみませーん」


声をかけると、年上の女性がにこやかに振り返る。


「ホワイトシチューって、どうやって作るんですか?」


ずいぶん素直な質問だったが、相手は驚くこともなく、材料と手順を丁寧に教えてくれた。

セレナは真剣な顔で頷き、レオンは横で静かに聞きながら要点を頭に入れていく。


鶏肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、牛乳、バター、小麦粉。

必要なものが揃うにつれて、籠が少しずつ重くなる。


「なんか、それっぽくなってきたね」


「ですね。理論上は完成しています」


「理論上って言うな」


そんなやり取りをしながら歩いていると、前方に見覚えのある一団が現れた。


第五部隊の兵たちだった。


それを視界に捉えた瞬間、セレナの背筋がすっと伸びた。

歩幅が整い、視線が前を向く。


兵たちが気づき、声をかけてくる。


「団長」


「お疲れさまです」


セレナは足を止め、簡潔に返した。


「休暇中だが、買い出しだ。有意義に使え。各自、気を抜くな」


それだけで十分だった。

兵たちは姿勢を正し、力強く応じて去っていく。


その背中が見えなくなり、通りの角を曲がったところで。


セレナは、何の前触れもなく、ぽんとレオンの肩に頭をのせた。


「料理、楽しみだねー」


さっきまでの凛とした空気が、嘘のようだった。


レオンは一瞬きょとんとして、それから小さく笑ってしまう。


「……切り替えが早いですね」


「なに?」


不思議そうに顔を上げるセレナ。


「いえ。今のセレナも、さっきのセレナも、どちらも同じ人だなと思って」


「当たり前でしょ」


何でもないように言って、また歩き出す。


市場の喧騒の中で、二人は並んで進んだ。

英雄でも、団長でもない時間が、確かにそこにあった。


レオンの家のキッチンは、明るかった。

窓から光が入り、作業台は広く、道具はきちんと揃っている。


セレナが一歩中に入って、きょろきょろと見回した。


「さすが英雄最高医様のキッチン。全部そろってるじゃない」


「仕事柄、最低限は必要なので」


控えめに言いながらも、レオンは少しだけ照れたようだった。


鍋の大きさ、包丁の切れ味、整然と並んだ調味料。

料理をするための場所というより、落ち着いて呼吸できる場所のようにも見える。


「へえ……ちゃんと“生活”してる感じする」


「失礼ですね」


「褒めてるの」


セレナは笑って、籠を台に置いた。


「じゃ、先生。指示ください」


「今日は助手ですね」


「はいはい、英雄最高医殿」


ふざけた敬礼をして、セレナはエプロンを探し始める。


男もののエプロンが、棚に数枚しかなかった。

セレナが手に取ると、やはり大きい。


「でかい……」


身長も体格も合っていない。

胸元も裾もだぼだぼで、動くたびに揺れた。


「ひも、しっかり結べば大丈夫ですよ」


言われた通り、背中でぎゅっと結ぶ。

少し不格好だが、なんとか形にはなった。


「よし。これで料理人セレナです」


「助手ですよ」


「はいはい、厳しいなあ」


レオンの指示通りに、切って、入れて、煮込む。

手順も材料も合っているはずなのに、途中で味見をすると、少し首を傾げた。


「……なんか、違う」


「まずくはないですね」


「うん。でも、確実においしいとも言えない」


前線の食糧よりは、ずっとましだ。

でも、王都の店の味とも違う。


それでも、不思議と嫌じゃなかった。

二人で鍋を覗いて、火加減を見て、同じものを作っている。

その感じが、悪くなかった。


出来上がって、向かい合って座る。

最初の一口は、想像していた味とは少し違った。


「……あれ」


「思ってたのと違いますね」


「でも」


もう一口、食べる。

その次も。


「おいしい」


「ですね」


理由は、味だけじゃなかった。

二人で作った料理だということが、嬉しかった。

だから、ずっとおいしく感じた。


食べている間の、どうでもいい会話。

塩を入れすぎたかもしれないとか、次はもう少し煮込もうとか。

食べ終わったあとも、片付けながら続く他愛ない話。


それが、昔の二人を思い出させた。


こんな時間を、ずっと望んでいた。

でも、本当に来るとは、どこかで思えていなかった。


やっと、実感が湧いてきた。


セレナは立ち上がり、ぐるりと回ってレオンの隣に移動する。

少し間を詰めて座り、ぽつりと言った。


「私、立派になったでしょ」


返事を待たずに、続ける。


「……おかえり」


そのまま、なんとなくレオンに抱きついた。


レオンは一瞬、驚いた顔をした。

だがすぐに、そっと腕を回す。


「ただいま」


長い時間、そうしていた。

けれど、驚くほど短く感じた。


しばらくして、セレナが小さく言う。


「いきなりごめん。なんか……やっと実感湧いてきて」


レオンは、少し身体を離し、今度はしっかり目を見る。

待たせた時間の重さを、もう一度確かめるように。


「うん」


そして、はっきりともう一度、目を見て言った。


「ただいま。」

※あとがき

ここまで読んでくださってありがとうございます。

もし何か残るものがあれば、★★★★★で執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ