第15話 書斎で
レオンの家は、朝の光がよく入る。
大きな窓から差し込む柔らかい日差しが、書斎の棚と机の角を静かに照らしていた。
二人はまだ、書斎にいた。
レオンは胸元に手を伸ばし、留め具を外す。
銀翼勲章を丁寧に外すと、両手で包むようにしてセレナへ差し出した。
「お返しします」
「ん」
受け取ったセレナは、しばらくそれを眺めてから、ふと思いついたように顔を上げた。
「ねえ」
「はい」
「この書斎に飾っておこうよ」
レオンは一瞬、言葉を探した。
「……それは、さすがに」
困ったように笑う。
「銀翼勲章ですよ。式典のときには、必ず身につけないといけないくらいの重みがあります」
「だから?」
「だから、持っておいてください。ここに置いておくものでは――」
「じゃあさ」
セレナは、首を傾げる。
「そのときは、ここに取りにくればいいだけじゃん」
まるで当たり前のことを言うような口ぶりだった。
レオンは、少し驚いた顔でセレナを見る。
「……それは」
言いかけて、止まる。
セレナは勲章を手の中でくるりと回しながら、不思議そうに言った。
「だって、ここでしょ?」
「……ここ、ですか」
「うん。レオンの家でしょ」
自分の家だと考えているのか、そうでないのか。
その境目が、本人にも分かっていないような言い方だった。
レオンは小さく息を吐いて、また笑った。
「……分かりました」
そう言って、書斎の棚に目を向ける。
レオンは、棚に置かれた勲章から視線を戻して、セレナを見た。
「前線にいるときのあなたよりも」
少し考えてから、言葉を選ぶ。
「王都で休暇中のあなたのほうが、昔のやりとりを思い出します」
「え、なにそれ」
「少しだけ、子供っぽいところが出るので」
そう言って、くすっと笑った。
セレナは肩をすくめる。
「今はさ、隊長とか肩書きとか、ぜんぜん関係ないもん」
指を一本立てて、付け加える。
「二人きりだし」
レオンは一拍置いてから、穏やかに言った。
「そのほうが、僕は好きですよ」
空気が、わずかに止まる。
「……ちょっと」
セレナが目を細める。
「好き、って言葉を女の子にそんな簡単に使っちゃだめ」
「僕らの関係でも、ですか?」
素直な問い返しだった。
セレナは腕を組み、わざとらしく姿勢を正す。
「そうです」
敬語になる。
「女の子というのはですね、そういうものなんです」
説教のような口調に、レオンは思わず笑った。
「分かりました」
「分かればよろしい」
言いながら、セレナも笑う。
書斎には、静かで暖かい空気が流れていた。
セレナは書斎のソファに腰を下ろし、そのまま背もたれに身を預けた。
天井を見上げる姿は、戦場にいた頃よりずっと力が抜けている。
「……いなかった三年間ね」
ぽつりと、独り言みたいに言う。
「戻ってくるって、信じてたよ。だから前に出たし、戦場にも行った」
「信じて息して、信じて剣振って……」
少し間を置く。
「でもさ、全然戻らないでしょ」
口調は軽いのに、言葉は重い。
「戻らないって考えたら、たぶん壊れると思ったから」
「考えないようにしてた」
ソファの肘掛けに腕を伸ばし、目を閉じる。
「戻ってきたときにさ」
「恥ずかしい自分だったら、嫌じゃん」
だから、と続けて小さく笑う。
「必死だったんだから。本当に」
机の上の勲章に視線を向ける。
「ほら、こんなのもらえちゃうくらいには」
軽く鼻で笑って、レオンのほうを見る。
「このやろう、逃げやがって」
冗談めいた言い方だった。
責める響きはなくて、むしろ確かめるような声音だった。
レオンは少し困ったように笑ってから、ゆっくり口を開いた。
「……すみません。でも、ちゃんと約束どおり戻ってきましたよ」
視線を逸らしつつ、続ける。
「あのとき、待たないからって言いましたよね。配置が変わるって伝えたとき」
「でも……待っててくれたんですよね。それ、すごく嬉しかったです」
少し照れたように肩をすくめる。
「同じくらい、僕も戻りたいって思ってました」
「第五部隊に戻してくださいって、願い出た回数なんて数えきれません」
苦笑が混じる。
「努力すればするほど前線は遠くなって、偉くなればなるほど書類仕事ばかりで」
「気づいたら、机の前が定位置でした」
それでも、と小さく息を吸う。
「遅くなりましたけど……ただいま、って」
「今は、ちゃんと言えます」
ふっと冗談めかして言う。
「もし次に配置換えの話が来たら、暴れて断りますから」
セレナが即座に笑って重ねる。
「その前に、私が暴れるかも」
二人で声を立てて笑う。
けれど、セレナはふと静かになった。笑顔のまま、でも確かめるように。
「……もう、いなくならないよね」
何度でも湧く不安。癖みたいなもの。
レオンは迷わず答えた。
「いなくなりません」
断言だった。
「もし配置換えの話が来たら」
「一緒に逃げませんか?」
冗談みたいに言って、少しだけ目を細める。
「前に言ってましたよね。コンビの冒険者になるって」
「管理局の人間が無理やり引きはがそうとしたら」
「本当に、なりましょうか」
セレナは一瞬、言葉を失った。
まさか、その言葉が――こんなふうに、レオンのほうから出てくるなんて。
自分の言葉を、気持ちを、ちゃんと覚えていて。
ちゃんと受け止めてくれている。
胸の奥が、静かに熱くなる。
「……それ」
真面目な顔で、はっきり言う。
「今まで生きてきた中で」
「いっちばん、幸せな言葉なんだけど」
レオンは少し驚いたあと、穏やかに笑った。
書斎には、何も急がない、あたたかい空気が流れていた。
※あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございます。
もし何か残るものがあれば、★★★★★で執筆の励みになります。




