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第13話 日常

馬車は、一定の速さで進んでいた。


前線を離れ、

次の指令を待つための移動。

それ以上の意味はない。


揺れは小さく、

車輪の音も穏やかだ。


武器はまとめて脇に置かれ、

鎧は外してある。


それだけで、

戦地から距離ができたと分かる。


やがて、城壁が見えた。


白く、欠けていない。

煙も、焦げた匂いもない。


門をくぐると、音が変わる。

怒鳴り声が消え、

人の話し声が増えた。


笑い声もある。


馬車は王都の通りを進む。


店が開き、

人が行き交い、

子どもが走っている。


急いでいない足取り。

怯えていない視線。


二人は、何も言わない。


ただ、同じ景色を見ていた。


店の窓は大きく、通りがよく見えた。


外は明るい。

陽の反射で、服の色がきらきらしている。


夫婦が並んで歩いている。

間に、小さな子どもがいる。


手をつないで、

何でもない話をしながら、笑っている。


子どもが何かをねだり、

親が少し困った顔をして、

結局折れる。


それだけのやりとり。


誰も、周囲を警戒していない。

誰も、足を止めていない。


平和を疑う理由が、

最初から存在しない歩き方だった。


料理が運ばれる。

湯気が立つ。


香りは強くなく、

安心する匂いだった。


セレナは箸を持ったまま、

しばらく外を見ていた。


レオンも、同じ方向を見る。


二人とも、

その景色を知っている。


だからこそ、

そこに入れないことも知っている。


セレナが、静かに口を開いた。


「……ほんとはさ」


少し、間を置く。


「こういうこと言ったら、

団長失格かもしれないけど」


外では、

子どもが転び、

親が慌てて抱き上げている。


泣き声はすぐに止まる。

それで終わりだ。


「こういう生活」


セレナは、視線を戻さないまま言う。


「してみたかったって、

何度も思った」


声は揺れていない。

後悔でも、愚痴でもない。


ただの本音だった。


レオンは、すぐには答えなかった。


料理に手を伸ばし、

一口食べてから、静かに言う。


「……ええ」


それだけだった。


外の笑い声は、途切れない。


セレナの言葉のあと、

少しだけ間があった。


レオンは困ったように視線を落とす。

窓でもなく、皿でもなく、

行き場のないところを見る癖だった。


「……そういう生活を」


一度、言葉を切る。


「してほしかったって、僕は思います」


セレナは何も言わない。

ただ、続きを待つ。


「この国の現状も、戦場も」


レオンは静かに続ける。


「知ってしまって、

戻れなくなるのは」


少しだけ、声が低くなる。


「僕だけでよかった」


それは覚悟でも、

自己犠牲の宣言でもない。


ただ、

そう思ってしまった人間の言い方だった。


セレナは一瞬きょとんとして、

それから、ふっと笑った。


「ほんと、そこよ」


肩をすくめる。


「そういうとこが、だめなの」


レオンが顔を上げる。


「私はね」


セレナは、軽い調子で言う。


「レオンの隣じゃなきゃ、嫌だけど」


そう言いながら、

何でもない動作で、

レオンの皿に伸ばした。


野菜を一つ、奪う。


「二人で、こういう生活をしてみたかった

って意味で言ってるの」


もぐもぐと食べながら、続ける。


「それが分かんないの、

ほんとだめなとこよね」


レオンは、少し遅れて笑った。


困ったように、

でも、ちゃんと。


窓の外では、

子どもの笑い声が聞こえている。


王都は、今日も平和だった。


二人は、

その平和の中に座りながら、

戻れない場所のことを、

言葉にしないまま分かち合っていた。


それから、しばらく言葉は少なくなった。


飲み物が運ばれてきて、二人ともなんとなくそれを口にする。

温度を確かめるように、一口ずつ。


沈黙はあった。

でも、気まずさはなかった。


十五分ほど、そんな時間が流れた。


「これ、甘いね」


「さっきより、冷めました」


「ほんとだ。さっきはもっと熱かった」


「放っておいたからですね」


「放っておいたわけじゃないでしょ。飲みながら考え事してただけ」


「何をですか」


「どうでもいいこと」


そう言って、セレナはカップを傾ける。


窓の外を見ながら、

今度は、通り過ぎる人の話をする。


あの子、さっきも走ってた。

あの店、前より人が多い。

この飲み物、前線じゃ絶対飲めない味。


どれも、たわいもない。


笑うほどでもなく、

深く考えるほどでもない。


それなのに、胸の奥が少しずつ温かくなる。


セレナは、ふっと息を吐いた。


「……なんかさ」


レオンを見る。


「今、幸せかも」


声は小さかった。


レオンはすぐには返さず、同じように飲み物を口にする。


「……そうですね」


短い答えだった。


それで十分だった。


二人はまた黙って、カップを傾ける。


時間は流れる。

外の光も、ゆっくり傾いていく。


それだけのことなのに、

それだけでいいと思える時間が、そこにあった。


沈黙が、自然に終わった。


セレナは空になったカップを指先で転がしながら、もう一度だけ窓の外を見た。

きらきらした街も、人も、さっきより少しだけ遠く感じる。


それでも、もう焦りはなかった。


「行こっか」


軽い声だった。


レオンは頷く。


「はい」


立ち上がる動作は同時だった。

どちらが先でもなく、遅れもない。


扉を出る前、セレナが一瞬だけ振り返る。


この時間を、特別だとは言わない。

奇跡とも、救いとも呼ばない。


ただ、確かにあった。

二人が並んで、同じ温度で息をしていた時間。


それを胸の奥にしまって、歩き出す。


世界は相変わらず回っている。

残酷で、理不尽で、止まらない。


それでも。


この人が隣にいるなら、前に立てる。


そう思えたまま、

二人は何も言わず、同じ方向へ進んだ。

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