第12話 こっちのセリフ
王都に着いた日の空は、やけに高かった。
馬車を降りると、音が多かった。
人の声。
荷の音。
金属が触れ合う音。
孤児院から出たばかりで、
二人とも荷物は少なかった。
それでも、
自分の身体だけは、確かにここにあった。
登録所の前には列ができていた。
大人も、子どもも混じっている。
順番が来るまで、誰も話さなかった。
名前を聞かれ、年齢を聞かれ、
書類に印を付けられた。
十五歳。
志願理由を問われた。
セレナは、少し考えたあとで答えた。
「働けるから」
それ以上の言葉は、用意していなかった。
レオンも同じだった。
医術のことは、まだ話していない。
剣のことも、戦場のことも。
聞かれなかった。
志願兵という枠に入ると、
それ以上の説明は必要なかった。
訓練はすぐに始まった。
朝は早く、夜は遅い。
覚えることは多かった。
走り方。
物の持ち方。
命令の聞き方。
セレナは前に出るのが早かった。
身体の動きが速く、指示を理解するのも早い。
レオンは後ろに残ることが多かった。
全体を見て、抜けているところを埋めた。
怒られることはあった。
褒められることは、ほとんどなかった。
それでも、
ここでは役割があった。
王都の通りを通るとき、
視線を感じることがあった。
向けられる視線。
すぐに逸らされる視線。
小さな声が、確かに聞こえた。
見ちゃだめ。
汚らわしい。
誰が言ったのかは分からない。
止める人もいなかった。
二人は歩き続けた。
仕事があった。
やることがあった。
それだけで、十分だった。
志願兵という言葉が、
すべてをまとめていた。
王都では、声があった。
直接向けられることは少ない。
だが、確かに聞こえた。
なんで自分から、あんな汚い仕事を。
物語の読みすぎよ。
笑い混じりだった。
軽く片づけるための調子だった。
志願したんでしょう。
自分で選んだんでしょう。
そう言えば、
それ以上考えなくて済む。
それしか道がなかった、とは言わなくていい。
言わなければ、見なくていい。
志願という言葉は、便利だった。
誰も押し付けていないことにできる。
誰も奪っていないことにできる。
だから、罪悪感を持たなくて済む。
聞こえないふりができる。
見なかったことにできる。
自分たちも、そう考えていた。
選んだのだと。
志願したのだと。
そう思わなければ、
あの頃を歩けなかった。
今、補給路の向こうで、
少年が箱を運んでいる。
少女が、その後ろを通る。
足取りは慎重で、視線は下がったままだ。
誰も責めていない。
誰も気づいていない。
ただ、そういうものとして置かれている。
セレナは、その光景から目を逸らさなかった。
レオンも、視線を切らなかった。
重なったのは、
王都へ来た日の通り道。
汚れた靴。
逸らされた視線。
あのときと、同じだった。
志願という言葉が、
今も、同じように使われている。
二人は、それを知っている。
だから、何も言わない。
言えば、また誰かが安心してしまうからだ。
補給路では、
次の箱が置かれた。
紙は、まだ開かれていなかった。
補給路の音が戻ってくる。
木が擦れる音。
短い指示。
誰かの足音。
セレナは配置図を畳み、脇に置いた。
視線だけを、通路の向こうへ流す。
「……残酷だな」
独り言に近い声だった。
レオンは帳簿から目を離さない。
一拍置いて、答える。
「今も、ですね」
「昔も」
セレナは短く息を吐く。
「なんでなんだろうな、って考えたこともあった」
レオンの手が止まる。
だが、顔は上げない。
「理由があれば、楽だったと思います」
「分かれば、何か変えられた気もする」
「分からなかったから、続いてるんでしょう」
セレナは、笑わなかった。
「結局さ。
そういう世界なんだって、思いこむしかなかった」
「思いこまないと、立てませんでした」
レオンが静かに言う。
通路の端で、番号が呼ばれる。
名前は呼ばれない。
十五の頃と、同じだった。
「……今も、だな」
「今も、です」
それ以上、言葉は続かなかった。
二人は、同じ方向を見ている。
過去ではなく、
今、動いているものを。
呼ばれたのは、セレナだけだった。
補給地点の端に立っていた管理局員が、
人目を避けるように近づいてきた。
「第五部隊団長殿」
低い声だった。
周囲には聞こえない。
「場所を変えていただけますか」
理由は言わない。
断る選択肢も、最初から含まれていない。
セレナは一度だけ、背後を見た。
レオンは帳簿を見ている。
こちらを見ていない。
それを確認してから、歩いた。
案内されたのは、
倉庫の奥だった。
扉が閉じられると、音が一段落ちる。
「結論が出ました」
管理局員が言う。
「あなたの発言については――」
「いいから言え」
セレナは遮った。
「レオンの判断について、
どう扱うつもりだ」
管理局員が一瞬、言葉を詰まらせる。
「英雄最高医殿の判断は――」
「殿はいらない」
セレナの声が、低くなる。
「間違っていたのか」
「それとも」
一歩、前に出る。
「正しかったが、
通さなかったのか」
「団長殿、落ち着いて――」
「落ち着いてる」
言葉が鋭くなる。
「私は今、
一番冷静だ」
管理局員は書類を差し出した。
震えはない。
だが、目は逸れている。
「当時の判断は、
合理的ではありました」
「それで」
「優先度の関係で、
正式決定には――」
その瞬間、
セレナが机を叩いた。
音が、倉庫に響いた。
「ふざけるな」
感情が、はっきりと出る。
「合理的だったなら、
なぜ通さなかった」
「通していれば、
街は残っていた」
管理局員は答えない。
「なあ」
セレナの声が、少しだけ掠れる。
「お前らは、
あいつの判断を使わなかった」
「なのに今、
その結果だけを
あいつ一人に背負わせてる」
「それが管理局か」
管理局員が口を開く。
「責任の所在は――」
「違う」
セレナは、はっきり言った。
「私は責任の話をしていない」
「レオンの話だ」
一歩、さらに詰める。
「レオンは、
判断を遅らせる人間じゃない」
「でもな」
「過去の扱いが、
あいつの判断を一瞬でも鈍らせたら」
「それは」
声が、震える。
「お前らが、
あいつを壊したことになる」
沈黙。
「私は、それを許さない」
怒りを隠さない。
「世界のためじゃない」
「制度のためでもない」
「親友のためだ」
「たった一人の、
あいつのためだ」
セレナは、はっきり言った。
「再評価しろ」
「英雄最高医レオンの判断を」
「それができないなら」
間を置かずに続ける。
「第五部隊団長を辞める」
管理局員が、息を呑む。
「それか」
「レオンの判断を
誤りとして扱う記録を消せ」
「選べ」
扉の向こうで、
誰かの足音がした。
セレナは振り向かない。
結論は、持ち帰られた。
その事実だけが、先に伝わった。
誰が決めたのか。
いつ決まるのか。
何が変わるのか。
何も言われない。
管理局員は、倉庫を出るとき、
誰とも目を合わせなかった。
補給地点は、変わらず動いている。
音も、数も、速度も同じだ。
レオンは、処置を続けていた。
傷を洗い、縫い、包帯を巻く。
判断は早い。
手は止まらない。
「団長殿」
管理局員の一人が、
補給路の外で声をかけた。
セレナが応じる。
「結論は、後日改めて」
「検討が必要です」
「分かった」
それ以上、言葉は交わされなかった。
だが、その様子を、
レオンは見ていた。
距離はあった。
声も聞こえない。
それでも、
空気の変化だけは分かった。
管理局が、
“困っている”ということ。
処置を終え、手を洗う。
水は冷たい。
「……何をしたんですか」
レオンは、顔を上げずに言った。
問いではなかった。
確認に近い。
セレナは、答えなかった。
一拍。
それから、短く言う。
「仕事だ」
「仕事の範囲を超えている」
「団長の仕事だ」
レオンの手が、止まる。
「……私の判断の件ですね」
セレナは、否定しなかった。
沈黙が落ちる。
補給路の向こうで、
番号が呼ばれる。
誰かが走る音。
箱が置かれる音。
「迷惑をかけました」
レオンが言った。
声は低く、
謝罪として整っている。
「かけてない」
即答だった。
「いいえ」
レオンは続ける。
「管理局に詰め寄らせた」
「団長に、横暴をさせた」
「その結果、
結論が持ち帰られた」
一つずつ、
事実として並べる。
「それは、
私の判断のせいです」
セレナは、強く息を吐いた。
「違う」
「違わない」
レオンは、はっきり言った。
「私は、
人に迷惑をかける立場じゃない」
「判断を下す人間は、
責任を背負う側だ」
「あなたに、
それをさせるべきじゃなかった」
セレナは、言い返さなかった。
言い返せなかった。
レオンは、次の包帯を手に取る。
処置は、続く。
世界も、続く。
管理局の結論は、
まだ出ていない。
だが、
レオンの自責だけが、
一足先に、ここにあった。
負傷者が運び込まれた。
状態は二人。
どちらも重い。
現場の動きが、一瞬だけ止まる。
「こちらを先に」
レオンが言った。
即断だった。
この場で迷えば、
団長の判断まで疑われる。
それを、レオンは分かっていた。
「もう一人は」
誰かが聞く。
「後だ」
声は低く、迷いがない。
「今なら、間に合う」
指示が飛ぶ。
動きが揃う。
処置が始まる。
手は止まらない。
判断は続く。
結果は早く出た。
一人は助かる。
現場は、すぐ次に移る。
立ち止まる時間はない。
セレナは、少し離れた位置でそれを見ていた。
口を出さない。
近づかない。
今ここで何か言えば、
あいつはまた
「自分のせいだ」
と思う。
それだけは、させない。
レオンは次の指示を出す。
判断の速度は、むしろ上がっている。
失敗はできない。
一つでも迷えば、
管理局は
「ほら見ろ」
と言う。
それは、
セレナが前に出た意味を、
踏みにじる。
だから、止まらない。
ふと、レオンが顔を上げる。
視線が、セレナと合う。
ほんの一瞬だ。
言葉はない。
だが、互いに分かっている。
レオンは、
ここで結果を出し続けることで、
セレナの立場を守っている。
セレナは、
その判断を邪魔しないことで、
レオンを守っている。
役割が違うだけだ。
次の担架が運び込まれる。
レオンは前に出る。
セレナは、その背中を見送る。
世界は変わらない。
管理局の結論も、まだ出ていない。
それでも、
二人はそれぞれの場所で、
同じ一点を守っていた。
夜だった。
補給路の灯りは減り、
人の影だけが長く伸びている。
少年兵が、袋を引きずって歩いていた。
背中が小さい。
袋は明らかに重すぎる。
引きずる音が、
静かな通路に残る。
セレナは、その背中を見て言った。
「なーんでさ」
独り言みたいな声だった。
「世界って、こうなんだろうな」
レオンは、少年兵から目を離さずに答える。
「分かりません」
いつもの調子だ。
袋が段差に引っかかる。
少年兵は少し体勢を崩して、
それでも止まらない。
セレナは、ふっと息を吐いた。
「……こんな世界で生きてさ」
少しだけ間を置く。
「楽しい?」
問いは軽い。
でも、冗談ではなかった。
レオンはすぐには答えない。
数秒、考えるふりをしてから、
肩をすくめる。
「どうでしょう」
いつもの言い方だった。
「楽しい、と言えるほど
器用ではないかもしれません」
少年の背中が、
暗がりに消えていく。
セレナは、それを見送ってから、
急に明るく言った。
「私は楽しい!」
声が、少し大きかった。
夜の補給路に、
不釣り合いなくらい。
「だってさ」
セレナは、レオンのほうを向く。
「いろんな景色を見てきた」
「戦場も、勝利も、壊れた街も」
一歩、近づく。
「でもね」
間を置く。
ちゃんと、目を見て言う。
「私が見てきた
どんな世界より、どんな景色より」
「レオン」
少し間を置いて、続ける。
「お前の心が、いちばん素敵だ」
一切、照れない。
「それがあるから、私は立てた」
「それがあったから、ここまで来た」
「全部を救うなんて言わない」
一瞬、言葉を切る。
「でも」
「少なくとも私にとっては」
「それが、全部の救いだった」
最後に、はっきり言う。
「この残酷な世界での」
「唯一の救いだったよ」
セレナの声が、少しだけ震えた。
言い切ったあと、
視線を逸らさないまま、
涙が落ちる。
一粒。
それから、もう一粒。
レオンは、それを見ていた。
何も言わない。
動かない。
遅れて、
同じように涙が落ちる。
ぽたり。
ぽたり。
静かなまま、
声を震わせてレオンが言う。
「……それ」
「こっちのセリフです」
※あとがき
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