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第9話 救護派遣デビュー

 協会本部、業務窓口の一角。

 昼下がりの窓口は比較的静かで、書類の束と端末の操作音だけが響いていた。


 救護派遣の申請用紙を提出すると、対応していた若い職員の女性が端末に莉理香のカードを通す。

 カタリ、と認証音。画面に表示されたデータを指先でスクロールしながら、彼女の眉がぴくりと動いた。


「えっと……桐嶋莉理香さん。探索者登録済みですね……」


 言いかけて、目が止まる。


「身体強化……回復……医師国家資格? これ、併記できたんですね」


「はい、一応」


 即答する莉理香。背後の席から、別の職員が気になったように顔をひょいと出す。


「ちょっと待って、その組み合わせって――」


「はいはい、後で見せますから」


 窓口の女性が制すが、声には笑いが混じっていた。

 端末画面に並ぶ登録情報は、異彩を放っていた。


【身体強化】

【回復】

【医師国家資格】


「……この構成で救護派遣、ですか?」


 驚きの声に、莉理香は静かにうなずく。


「はい。後方から支援もできますし、前衛のカバーも可能だと思います」


「前衛も……カバー?」

 

 職員の視線が「え?」とそのまま言葉になりそうに揺れる。


『強き場に立つ者の言葉だ』


(だから静かにして……!)


 女性職員は小さくため息をつき、肩をすくめた。


「ええと……通常は新人や中堅向けの制度なんですが、回復持ちは例外的に優先承認できます。……まぁ、これだけ揃ってれば、正直、審査免除でもよかったのでは」


「え、そうなんですか?」


「ええ。でもやっていただけるなら助かりますよ。回復枠は常に不足していますから」


 手際よく端末に承認印を入力し、新しい認証カードを取り出す。


「これで救護派遣許可が出ました。あとは協会のマッチングでパーティーを選んでください」


「ありがとうございます」


 莉理香がカードを受け取った瞬間、背後から小さなざわめきが広がった。

 どうやら協会内部ネットワークに「回復・身体強化・医師資格」の組み合わせが通知されたらしい。


「……あれ、やばくない?」


「いや、反則でしょ」


「救護じゃなくても前衛枠で通るだろ、これ」


 耳に届く囁きに、思わず苦笑する。

 ラギルだけは、胸の奥で愉快そうに息を吐いた。


『良い、実に良い。これで好きな場を選べる』


(……あなた、なんか楽しんでるよね)


『当然だ。強き場は、我が好む』


***


 協会のマッチングルームは、広いホールに長テーブルが整然と並び、壁の大型モニターには依頼一覧がずらりと映し出されていた。

 登録済みのカードを端末にかざすと、自分のデータが大きく表示される。


【救護枠】

【回復スキル】

【身体強化】

【医師国家資格】


 その文字列は赤字で強調されており、周囲の目を引いてしまう。


(……なんか、強調しなくていいのに)


『この目立ち方は良い。牙を隠さず示せ』


(良くないから!)


 ため息をつく間もなく、マッチング担当の青年が手を振りながら近づいてきた。


「桐嶋さんですね? 本日は中層探索のパーティーに同行していただきます。こちらへどうぞ」


 案内された先で待っていたのは、四人の探索者たち。


 大柄で穏やかな雰囲気を纏った槍使い――村上。

 軽装で身軽そうな斥候――杏奈。

 背に長弓を負ったサポート兼後衛――真由。

 そして、中装の剣士――亮介。


 最初に口を開いたのは村上だった。


「救護役って聞いたけど……身体強化って本当?」


 人懐こい笑顔で手を差し出す。


「ええ、一応。回復がメインですけど」


 莉理香が応じると、横から杏奈が首を傾げた。


「“一応”って言い方、妙に気になるんだけど」


「私もそう思う」


 亮介が苦笑する。


「前衛に混ざっても大丈夫なくらい、ってこと?」


(混ざるどころか、並べるけど……)


「……まぁ、怪我しにくい体質なので」


『体質、という言い回しは便利だな』


(あなたが言うと嫌味にしか聞こえないから!)


 そのやり取りを聞きながら、真由が少し目を細めた。


「でも、支援枠でそんなに動けるなら、正直助かるわ。戦闘中に救護所から動けない救護役だと、前線との距離がネックになることもあるし」


「距離は詰められます。前に出るのも、問題ありません」


 莉理香の言葉に、村上が「おお」と声を上げて目を丸くする。


「じゃあ今日は……前に出たい時は遠慮なく言ってくれ。救護兼前線カバーって、うちのスタイルに合いそうだ」


『うむ。前に立つのだ、莉理香』


(はいはい……でも“前に立つ救護”って、やっぱり変だよね)


 その場で自己紹介と役割確認が軽く行われた。

 医師資格持ちという点はすぐに信頼に直結し、パーティーの空気は早くも柔らかい。

 ただ――心の奥では、まだ疑念を含んだ視線がいくつか残っているのを莉理香は感じていた。


(まぁ、そのうちわかるよね)


 彼女の静かな笑みは、どこか余裕を帯びていた。


***


 協会ゲート前。受付端末に登録証をかざすと、頭上で小さく電子音が鳴った。

 同時に、手のひらサイズの球形ドローンがふわりと浮かび上がる。白地に協会ロゴ、側面には小型カメラが三つ。


「本日より記録配信を開始します。救護派遣員、桐嶋莉理香さん」


 職員が読み上げると、ドローンのランプが青く光った。

 安全記録用——表向きはそうだが、探索者同士の事故防止や犯罪抑止、そしてスポンサー向けの映像提供までがこの子の仕事だ。


「おー、配信デビューなんだね」


 前衛の村上が笑いながら、ドローンを指差す。


「変なことしたら一瞬でバズるから気を付けないといけないよ」


「脅さないでくださいよ」


『バズる? 爆ぜるのか?』


(違う、目立つってこと)


『ならば良いことだろう』


(よくない時もあるんだって)


 槍を持ち直した村上が真面目な顔に戻り莉理香に声をかける。


「今日は中層手前までだ。無理せず、救護に徹してくれればいい」


 杏奈がちらりと横目を寄越し、小声で囁いた。


「初探索で医療枠だと、実戦に関われる場面はあんまりないかもね」


 真由も頷く。


「うん。まずは様子を見て、危なくなったら動く。それで十分だと思うよ」


 ――心配されている。

 当然だ。ここにいる誰も、私が「ただの救護」以上だとは思っていないのだから。


 第一層の通路は天井が低く、壁の結晶が心臓の鼓動みたいにゆっくり明滅していた。足音と息遣いだけが空気に混ざる。


《お、新人救護員参戦》

《医師って聞いたけどほんと?》

《回復枠がしっかりしてると安定するよね》


 ドローンの小さなスピーカーから、リアルタイムのコメントが流れる。耳障りではない程度の音量だ。


 最初の小部屋に入った瞬間、青白い影が床を走った。三体のゴブリン。


「前衛受ける! 後衛は距離!」


 村上の声に合わせて、私も軽く前へ出る。両手には結界展開用の魔素石。


『右の奴、足が遅い。核を叩けば崩れる』


(了解)


 短く息を吐き、踏み込み。石の先端を叩き込むと、右側のゴブリンが膝から崩れた。


「桐島さん——」


 振り返った村上が、それ以上言葉を続けられなかった。残り二体も、私の結界と牽制打撃で壁際に追い込まれ、仲間が処理する前に戦闘は終わったからだ。


《今の動き、回復枠じゃないだろ》

《え、素手で殴った?》

《腕の振りおかしい、速すぎ》


 進むごとに、莉理香の胸の奥で小さな変化が芽生えていた。

 最初の魔物を倒したとき、竜核がわずかに熱を帯びる。

 二匹目では、鼓動のように脈打つ。

 三匹目では、手足の軽さが増し、視界がひときわ鮮明になった。


『力を吸っている。魂の欠片だ』


(……やっぱり、そういうこと?)


『そのうち、はっきりと分かる』


 順調な討伐、快調な足取り。

 笑い声や短い指示が飛び交い、緊張は少しずつ和らいでいった――その時だった。


 亮介の声が鋭く響く。


「後ろ漏れた!」


 村上は前方の大型個体を抑えていて動けない。

 その隙を突き、背後の通路から別の魔物が火力陣めがけて突進してきた。


 躊躇はなかった。

 私は後衛の前に飛び込み、両腕で魔物の体当たりを正面から受け止める。


 衝撃――だが思ったより軽い。

 骨も筋肉も、軋むことなくしなり、押し返すことができる。


「危ない! 下がって!」


 杏奈の叫び。


 ――下がらない。

 体をひねり、拳を握る。


 一撃、二撃、三撃。

 牽制のつもりだったはずの連打は、容赦なく魔物の頭部を砕いていった。


 湿った破裂音。魔物の体が痙攣し、崩れ落ちる。


《うわ今の音なに》

《頭、割れたよな…》

《支援職ってなんだっけ(哲学)》


 場が静まり返る。

 杏奈と真由の目が、はっきりと揺れた。


「……え、素手だったよね?」


 真由が呆然と呟く。

 亮介が死骸を見下ろし、口笛を吹くように低く言う。


「頭、潰れてる……」


 村上が前線から振り返り、苦笑混じりに声をかける。


「いやぁ……助かった! けど……なんで素手で行けるんだ?」


『武器は爪と鱗だろう?』


(ここでそういうこと言わない!)


「……咄嗟だったので」


 息すら乱れていない私を見て、村上は一瞬口を閉じる。

 そして小さく笑った。


「……まぁいい。助かったのは事実だ。実戦じゃ手加減は無用だからな」


 仲間たちの視線には安堵と同時に、明らかな驚きが混じっていた。


《いや素手で脳漿はやばい》

《これ配信BANされない?》

《支援(物理)》


 その気配とコメントのざわめきを背中に感じながら、私はまた一歩、前へ踏み出した。


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