第44話 お願いからはじまる現象
最初の火種は、とある掲示板に書き込まれた一つの噂だった。
《精霊と契約できなかった人が、桐嶋先生と組んだら術が使えたらしい》
《マジ? あの氷結の女神様だよね?》
《うちの協会の知り合いが見たって。手のひらからちゃんと風が出てたってさ》
投稿者の正体は不明。
証拠もなく、目撃談だけが断片的に語られる。
だが「未契約だった精霊術師が力を使えたらしい」というフレーズは、十分に人々の好奇心を刺激した。
《つまり桐嶋先生と契約すれば、誰でも精霊術師になれるってこと?》
《それって新しい契約形態じゃね?》
《真偽不明だけど、もし本当ならやばい》
証拠がない分、議論は空転しやすく、かえって想像が膨らんでいく。
「できるはずがない」という否定派と、「いや、あり得るかもしれない」という肯定派。
噂はSNSを通じてあっという間に拡散し、信憑性は薄いまま熱を帯びていった。
そして――噂は一人歩きして次の段階に進む。
《桐嶋先生に“力を貸して”って心の中でお願いしたら、手のひらから微風が出た!偶然かと思ったけど、三回試して三回とも!》
最初は匿名掲示板の与太話にすぎなかった。
だが、同じような報告がいくつも並ぶと、半信半疑の空気はじわじわと熱を帯びていく。
《おいおい、じゃあ俺も“お願い”してみるわ》
《これで何も起きなかったら笑ってくれ》
軽いノリで試す者たちが続出。
そして、その中の一人がスマホ片手に投稿した動画が、事態を一変させる。
六畳間の部屋。机の上に置かれた紙片がふわりと浮き上がり、数秒間宙を舞った。
演出も編集もない、ただ素人の手元を映しただけの映像――だが、確かに風があった。
《……ガチで動いたんだけど》
《え、これやばくね?》
《偶然じゃなくて三回成功してるの草》
動画は瞬く間に拡散され、模倣者が続出した。
自宅の台所でコップの水面を揺らす映像、庭先で落ち葉を舞い上げる映像。小規模ながらも「それっぽい」結果が次々と投稿され、SNSはお祭り騒ぎと化していった。
だが、当然ながら玉石混淆だった。
エアコンの風をこっそり当てただけの“紙片浮遊”動画、線香で揺らした炎を「火の術」と称する映像、明らかに編集ソフトで加えたエフェクト……。
《いやそれ扇風機やん》
《はいフェイク乙》
《再生数稼げるからみんなやってるな》
さらに便乗する者も現れる。
怪しい通販サイトには「リリカ媒介専用クリスタル」と銘打ったガラス玉が並び、自己啓発系配信者が「お願いの正しいやり方セミナー」を有料配信。
《#リリカ信仰》
《#お願いすれば風が吹く》
《#桐嶋教》
皮肉混じりのタグは、やがて半ば本気の議論へと変わっていく。
ある在野の精霊術研究者が長文スレッドを投下した。
《理論が成立している者に限れば、従来の精霊契約に“少し劣る程度”の出力が得られているように見える。例えるなら、精霊契約はオートマ車。術式の補正が自動でかかる分、安定して運転できる。一方で、この“桐嶋術式”はマニュアル車。クラッチ操作を理解しないと動かないが、理屈さえ押さえれば確かに走る》
そして彼は続けた。
《色々と投稿者に直接確認してみたが重要なのは、使用者の知識レベルかもしれない。物理や化学の基礎を理解しているほど、現象の組み立てが正確で出力が高い可能性がある。逆に理解が伴わなければ、風一つまともに起こせない。精霊契約が“情緒的な縁”に依存するのに対し、この術は“理論武装”に依存すると考えたほうがいい》
その指摘は多くの者に衝撃を与えた。
《だから理系の奴らが動画で成功してるのか》
《俺は文系だけど、炎色反応の原理くらいはわかるぞ! ワンチャンある?》
《まじかよ、高校の物理化学ちゃんと勉強しとけばよかった……》
わかりやすい比喩と具体的な差異の提示は瞬く間に広まり、熱狂はさらに拡大していく。
《つまり精霊契約が要らないってこと?》
《いやいや、相性が悪くてもチャンスがあるって話だろ》
《これ精霊術の革命じゃん》
《誰か俺に勉強教えてくれよ》
議論は白熱し、学者、探索者、一般人が入り乱れて言葉を投げ合った。
――そしてその喧騒は、当然ながら当人たちの耳にも届く。
「……まさか」
モニターを睨む榊は絶句していた。
隣では莉理香が頭を抱え、呻く。
「えぇぇ……私、そんなつもり全然なかったんですけど……」
現象はこうだ。
精霊術師の素養を持つ人間が、契約なしに「莉理香を媒介にしたい」と心で願う。
すると微弱ながら力が流れ、術が形になる。効率は低く、普通の精霊契約に劣る。
だが、“ゼロではない”という事実が人々を熱狂させていた。
胸奥で、ラギルが吠える。
『莉理香よ! これは勝手に力を盗んでいる! 許されざることだぞ!』
(……でも、そこまでの出力は出てないみたいなんだよね)
『だからといって――! ……いや、待て』
ラギルの声が途切れ、思い出したように低く唸った。
『……かつて我を“竜神”として祀った村があった。祈れば雨が降り、火が鎮まると信じられ……勝手に力が流れていた。これは、それと同じ仕組みかもしれぬな』
(……じゃあこれは“信仰”ってこと?)
『……ふむ。相手が願えば、無意識に力が伝わる。古き時代からあった現象が、今また形を変えて現れているだけだ』
ラギルの声音は怒りから、どこか達観した響きへと変わっていた。
莉理香は深く溜息をつく。
「……また話がややこしくなった……」
ただ救護員として人を助けたいだけだった。
けれど世界は勝手に彼女を「女神」と祭り上げ、信仰の対象として走り始めてしまったのだった。
ネットでの「風が吹いた」「紙が舞った」といった報告が落ち着き始めた頃、次に広がったのは――まさかの受験祈願だった。
《精霊術のために勉強教えてってお願いしたら、なんかすごい集中できるんだが》
《桐嶋先生にお願いしたら、模試で集中力が続いた!》
《数学の解法がスラスラ浮かんだ気がするんだがw》
《#桐嶋式合格祈願 #脳内カンニング女神》
タグは瞬く間に受験生コミュニティに拡散し、まとめサイトや動画投稿まで巻き込んで一種のお祭りになっていた。
救護課の休憩室で、莉理香は頭を抱えていた。
「……なんで私が学問の神様みたいになってるんですか……」
三浦がスマホを見せて肩を竦める。
「ほら、“莉理香様にお願いしたら英単語が覚えられた”って投稿、バズってるよ」
山崎も苦笑しながら加わった。
「こっちは“試験中に急に集中できた”だと。……桐嶋、お前、受験生にまで力貸してんのか?」
「貸してません! っていうか、私そんなサービスした覚えないです!」
莉理香は全力で否定するが、実際のところ――胸奥の竜核が微かに脈動していた。
願った相手に、ほんのわずか“集中”の補助を与えているのだ。
努力そのものを肩代わりすることはない。だが「集中が切れない」「頭がすっきりする」程度の恩恵が、本人の力を後押ししていた。
胸奥でラギルが呆れ声を漏らす。
『……まったく、今度は学問の神か? 風や炎ならまだしも、頭脳まで冴えさせるとは……』
(だって、私も受験で頭を使う訓練は散々やってきたし……そういう感覚が反映されてるんだと思う)
『ふむ……つまり“お前ができること”は、願った者にも届くわけか。……そういえば我も昔、“豊作を祈れば収穫が増える”と信じられ、実際に少しは増えたものだ』
ラギルは思い出したように鼻を鳴らした。
『……なるほど、努力を後押しする形でなら、確かに現実に作用する。仕方のない理かもしれぬな』
莉理香は深いため息をついた。
「……受験生にまで信仰されるなんて、どんな人生ですか、これ」
だが同時に、ほんの少し頬が緩む。
もし努力を積み重ねる人に、少しでも光を灯せるなら――それは、悪いことではないのかもしれない。




